〇〇さん、こんばんは。
高橋ゆりこです。
今日は、どんな1日でしたか?
今日は、父が由布院で急逝したときのことを書こうかな。
父が亡くなったのは、2011年10月7日。
私が37才のときです。
亡くなって13年経ちましたが、
毎年のように命日を忘れてしまいます。
だって、
命日って、たった13年しか馴染みがないし、
めでたい日でもないしさ。
覚えられない!
(ひどい親不孝娘w)
父の誕生日は、
父が亡くなるまで毎年お祝いして来たし、
楽しくて幸せな記憶だから、
亡くなって13年経っても毎年思い出す。
命日は忘れるけど誕生日は思い出す。
私は薄情な父のひとり娘でござんす。
2011年10月7日。
夜の22時30分ころ。
とつぜん携帯が鳴りました。
松戸市食品衛生協会の事務局のKさんからです。
このとき、
父は食品衛生協会の視察研修旅行で由布院に行っていたので、
何かあったんだなと思い不安な気持ちで電話に出ました。
「さっき高橋さんが、具合が悪いと言って、
自分で救急車を呼んで救急車に乗って病院に行ったの。
迷惑かけてすみませんねって言いながら、
自分の足で救急車に乗り込んで行ったから、きっと大丈夫。
私も別の車で高橋さんが搬送された病院に来ました。
大丈夫とは思うけど念の為、連絡しておこうと思って、夜遅くに申し訳ないけど電話したの。」
私はお礼を言って、
何かあったらすぐ連絡くださいと伝え、電話を切った。
当時私は、
夫の転勤で群馬県太田市に住んでいました。
長男は年長さんで6才。
もう夫も長男も寝ていた。
私も寝ていたのだけど、
24時間営業の事業所が当時は4つあったので、
すぐに駆けつけられる距離ではないけど、
いつでも電話に出られるよう枕元に携帯を置いて寝るのが常でした。
当たり前だけど、
父の様子が気になって眠れなくて、
そのままリビングで起きてた。
母は、ホテルでレストランの仕事をしている時間だったので、
母に電話をして、Kさんからの電話の内容を伝えた。
「お父さんのことだからきっと大丈夫だよ。」
と母と言い合って電話を切る。
そして。
23時50分ころ、ふたたびKさんから電話が。
「お医者さんが娘さんとお話したいと言っています。
お医者さんと代わってもいいですか?」
嫌な予感を抱えながら、もちろんですと答えたら、電話口でお医者さんが話し始めました。
「はじめまして。
◯◯病院の◯◯と申します。←もう覚えてない
高橋実さんの娘さんですか?
実は、お父様は救急車の中で心肺停止になり、
それから心臓マッサージなどありとあらゆる救命措置を1時間以上行いましたが、
心肺停止のまま戻りません。
これ以上続けてもお身体を傷めるだけだと感じます。
ここで救命措置をやめても良いでしょうか。」
時間が止まった。
言葉が出てこない。
事態が飲み込めないまま、絞り出すように、
「大変お世話になりました。やめていただいて大丈夫です。」
そう伝えると、電話口にKさんが戻ってきました。
「今は、私も事態をうまく飲み込めなくていますが、
どうしたらいいかとか、何が必要かとか、
そういうことが出てくると思いますので、また連絡しますね。」
「大変ご迷惑をおかけします。ありがとうございます。」
そう言って、電話を切った。
うまく現実が飲み込めない。
お父さんが死んだ???
あのお父さんが???
あの強くて我が強くてパワフルで殺しても死ななそうな親父が???
(つづく)
〇〇さんの明日もきっと大丈夫。
最後までお読みくださりありがとうございます!
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