配信日時 2024/04/12 21:00

うつ病は人生の転機【71号】


〇〇さん、こんばんは。

高橋ゆりこです。

今日はどんな日でしたか?


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27才で人生で初めてうつ病になり、28才で寛解するという経験は、

私の人生観を大きく変えました。


昭和の侍のような父に育てられた私は、

昭和の価値観ゴリゴリに育ったので、

根性論者だったし、自分は強いと思い込んでいました。


意外と過酷な幼少期を経てきたことから、

「あんな過酷な幼少期を乗り越えられたのだから、私は強い人間なんだ」と、

私は、完全に思い込んでいました。


幼い頃から様々なことに会い、それを克服し続けて生きてきた妙な自負みたいなものがあって、

それを「自分の価値で宝」みたいに思ってきたところがあったんです。


だから、他人に対して、

何か困難を乗り越えられなかったり、ぐたぐたしてたりすることを、

どこか無自覚にも見下していたり、違う人種に考えていたりしたと ころがあったように思います。


私が一番嫌いな人間に、私が無自覚になっていたという矛盾に気づく機会になりました。


ものすごく傲慢になっていたなとおもいます。


リスカしてしまう人の気持ちも、OD(薬に頼って必要以上に多く飲んでしまうこと)してしまう人の気持ちも、

引きこもりをしている人の気持ちも、対人恐怖症の人の気持ちも、

ハゲの人の気持ちも(ストレスで毛がごっそりぬけたんです)

でぶの人の気持ちも(大学卒業して4ヶ月の間に激務で8キロ太ったのです)

分かるようになりました。


色々な物事を優しく考えられる様になったのね。


うつ病になって、


頑張りたくても頑張れないときがあることや、

弱いからうつ病になるわけではないことを、


強烈な体感として学びました。


そして、

「人の何倍も努力し行動して自分を認めさせたい」という強いエゴで、

自分の心と身体の状態を、どれだけ無視し続けて来たかを、思い知らされました。


世界は私がいなくても普通に回っている!

という当たり前のことを知ったんです。


超超超当たり前のことですが、

忘れがちなことですね。


そう。

世界は私がいなくても普通に回るし、朝が来てまた夜が来て、そして朝が来るんだよ。


相手に申し訳ない、迷惑かけてるな、と思っても、

余裕が無かったり辛かったら、

人に頼む。


恥でも不義理になっても、

きちんと誠意をもってお願いすれば、

会社の業務も、どんなことも、きちんと回るんだ。

ということも、体感として学びました。


誰にも頼らずひとりで何でもやってきた人生で、

そういう自分の生き方に誇りすら感じていた私にとって、


このとき大きく鼻をへし折られるような経験をしたことは、

私のこの後の人生に大きな影響を与えました。


ここでうつ病を経験していなかったら、

ものすごく傲慢な昭和の根性論者になっていた気がします。


そして、

自分の心と身体を無視して、自分に鞭打って人の何倍も努力して行動させ続けてただろうなって思います。


おそろしい。。。


うつ病は、私が自分のそれまでの生き方を大きく軌道修正する大きな機会でした。

ほんとうにありがたい経験だった。


ぼちぼち仕事に復帰し始めた私は、

うつ病によって意識が大きく変わったので、

すべてをひとりで抱え込まず、すべてをひとりでこなそうとせず、

他のスタッフさんにお願いしたり、

父から振られた仕事を断ったりもできるようになりました。


そうすると、父からはものすごい怒鳴られたりしてましたけど、

そういうときには、

「娘をそんなふうに扱ってると、うつ病が再発して今度こそ復帰できなくなりますよ。」

と脅し文句を言えるようにまでなりました。


このうつ病になった経緯をメルマガに書くにあたって、

この当時、自作WEBに日記を書いていたのですが、

その日記を読み返したんです。


父親と母親の存在が、私にとってはものすごいプレッシャーとストレスだったんだなぁということが、

ひしひしと伝わってきました。


父はもう亡くなって13年経つし、母も亡くなって11年経つので、

忘れちゃってましたけど。


2003年6月20日の日記には、こんなことが書いてありました。

強烈な頭痛で動けなくなって、布団で寝たきりになっていた仮面うつ病に気づかなかった頃の日記です。


~~~~~

こんなときであっても、父からは仕事の電話がバンバンかかってくる。
ともすれば、心配している風なことを言う。
まあ、親だし、一人娘でもあるから、心配していないなんてことはないとは思うけれど、はっきり言って、顔も見たくないし口もききたくない。

電話が鳴るたび、話をするたび、心が体が病んで行く気がする。

もう仕事のことなんてどうにでもなれ、何とでもなってしまえ、具合悪いんだからどうでもいい状態なのだけど、やっぱりあまり無責任なのも・・・と思って、 たまには、休んでいるながらも会社にとって本当に大事なことだけ、やっとの思いで仕事を数件片付けたりする日々です。
そんな感じで私的には必死にやっているつもりですが、何をやっていないこれはどうなったあーだこーだと父親に怒鳴られる。

私はこんな状態で、あたまも朦朧としていて、ひとつのことを片付けるのがやっとなのに、更に追い詰めて何が楽しい。

家中のガラスを割って、包丁をテーブルにぶっ刺したい衝動に駆られたけれど、やっとの思いで思いとどまった。

そんなことを散々言っておいて、今度は猫なで声で、「オレがいるんだから、お前はリラックスしてあまりプレッシャーを感じたりしなくていいんだよ。」とか 言う。

私は、会社の状況からも、いろいろな外交関係においても、何のプレッシャーも感じていない。

私の病魔の巣はあなたなのだよ。

そう面と向かって言ってやれたらどんなに楽だろう。
顔を見て話をするのも嫌で、思ったことを手紙にぶつけてやろうと思い、筆を執ったけど、恨み言しか書けず、いくら精神的にきつくてもこれはないよなーとい うような内容にしか、何枚書いてもならない。
結局、思いは伝えられないまま、寝ている日々。

週が明けたら、自分の身の振り方について、父親と話をしようと思っていたけれど、今週もできなかった。

置手紙でもして逃げるしかないのか。
でも、手紙もろくに書けなかったしなあ。

今、本当にここを捨てるときなのかもしれない。
無責任でも、誰に何と言われようと。

けど、やっぱりいろいろなことを考えてしまって、その一歩が踏み出せず、また私は日常に戻るのでしょう。

とりあえず、痛いのだけどうにかして欲しい。
少しだけ元気になってきたけど、この痛みは生きる気力を奪う。


~~~~~


めちゃくちゃしんどそうだし苦しそう。


あの両親とともに、私はよく頑張ってきたよなって、ほんとうにおもいます。


この頃の私に、今のこの50才の私を見せたら、どんなに希望を持てるだろう。


この頃こうやって当時の私が、

葛藤しながらも、もがきながらも、

必死に一生懸命生きてくれたから、

今の私がここにいる。


ありがとう。

当時の私。


よく頑張った。

当時の私。


心からの感謝とエールを、過去の自分に送ります。



うんと。。。

さらなる奇跡に繋がった話を書くつもりが違う話になっちゃったけど、

今日はこのへんで~。



〇〇さんの明日もきっと大丈夫。
最後までお読みくださりありがとうございます!
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