配信日時 2024/01/21 21:00

手放す決断【第2号】


〇〇さん、こんばんは。

高橋ゆりこです。


あっという間に100名近くの方にご登録いただき、めちゃくちゃ嬉しいです!

ありがとうございます!



第1号では、

生まれ育った事業を行ってきた家の経営気質が、

気づけば当たり前に染み込んじゃってた素地の部分をお伝えしました。


私は、2019年に、

父から引き継いだ事業体(ビジネスホテル、レストラン2軒、カラオケ店1軒)を手放したのですが、


私が、この大きな事業体を手放そうと決断した理由やきっかけについて聞きたい

というお声を複数お寄せいただきましたので、

今日は、手放す決断をしたきっかけについてお話しますね。



私は、子どもの頃からずっと、

父から「お前はこの家の跡取りだ」と言われて育ちました。


先祖から受け継いだものを守り次の世代へ渡すのが役目だと、

何度も何度も言われて育ちました。


受け継いだものを次の世代に渡すことが最優先の使命。

そこにお前の意思は関係ない。

俺の意思も関係ない。


俺たちは、

できるだけ受け継いだ財産を減らさずに次の世代に渡すことだけを考えて、

淡々と行動すれば良い。


呪文のように、何度も何度も言われて育ったので、

私には、家を継ぐ以外の選択肢が用意されていないと思って生きていました。



それでも、

父が生きている間は、

何とかこの家を継ぐことから逃げる方法があるのではないか?探していました。


お前の意思なんて要らない。

次に繋ぎさえすれば良い。


というのが、ものすごく嫌だったんです。


私は私の人生を主体的に生きたい!

父みたいな生き方はしたくない!

もっと自由になりたい!


いつも思っていました。

でも、実際にはそんなだいそれた行動はできず、父の元で経営者の一員として、

淡々と仕事をする日々でした。


甘えてたなぁって思います。


父が生きていたから、

私は、反抗心を好きなだけ心に燃やすことができていたんです。


反発や反抗する気持ちを持てるのって、幸せなことだよね。


受け留めてくれる相手がいるから、できることだもの。



2011年10月。

突然、父が亡くなります。

まだまだ働き盛りな63才でした。


事業を、この家を、父から私は引き継ぐのか、引き継がないのか。

突然、決断を迫られる事態になった。

私が37才のときです。


私は、後悔したくなかった。


あの時、私が引き継がなかったから✕✕✕になっってしまった。 

というような思いだけはしたくなかった。


自分が後悔しないために、引き継ぐ腹を決めました。



やれるだけやって、できること思うことは全部やって、

それでも手放したかったら、その時に手放せば良い。


まずは、やれるだけやってみよう。

そう思ったんです。


ビジネスホテルは、24時間365日年中無休で営業だったので、昼夜関係なくトラブルが発生しました。


昼間はもちろんのこと、

夜であっても、常に枕元に携帯を置いて、いつでも電話に出られる状態で寝ていました。


何が起きるか分からないので、3泊以上の旅行はせず、海外にも行きませんでした。

連絡が来たら、すぐに店に戻れる場所へしか行かなかった。


事業を続けて行くというのは、ものすごくエネルギーを要することでした。



「事業を維持していくためには、こうあらねばならない」というメンタルブロックが私は強すぎたんですよね。


もっとゆるくゆるく事業を続けていくやり方はごまんとあると思います。


でも、当時の私には、このやり方しかできなかったし、このやり方をしていたからこそ、手放す決断へと繋がったのだと思います。



企業の5年生存率が20%、10年生存率が4%と言われていますが、

とにかく全力で走り続けていた私にとっては、維持し続けることがほんとうに苦しかったです。


資金繰り、人材確保、設備のメンテナンスや修繕、お給料、返済、その他もろもろ、

やることも、考えることも、沢山。


1事業でも大変なのに、それが4事業もあったので、もう常に頭はフル回転状態でした。



それでも、私には辞めるという選択肢はなかったんです。


常に、

続けて行くためにはどうすればいいか?

生き残るためには何をしたらいいか?

について考え、策を練り、行動し続け、

常に、業績アップと経費削減に勤しむ日々。


宇宙の法則を学んでからは、

とにかくプラスの結果を生み出すために必要な意識と行動を模索し試行錯誤を繰り返しました。


企画したものは、どれも上手く行きました。

売上も上がりました。

いろんな商品や新たなサービスを生み出し、必死に進んでいました。


今もなお大人気で続いている「台葉の火鍋通販」も、この試行錯誤の中で生まれました。

(2017年に、台葉の通販事業を開始しました)



だけど、

消耗がハンパない。

しんどい。つらい。


事業体を維持していくことは、

嫌いではなかったけど、楽しくもなかったです。


本当に苦しかった。

しんどかった。

(しつこいですね笑)



父と一緒に14年。引き継いで7年経った2018年の3月。


赤子の頃からお世話になっていて、

両親が亡くなってからは、毎年元日に私たち家族を呼んで一緒に家族として過ごさせてくれる

親戚のおばあちゃん家に遊びに行った時のことでした。



毎年たけのこ掘りをして、栗拾いをして、

子どもの頃から駆け回っていたおばあちゃん家の裏山が、

造成工事で切り崩され始めていたんです。



びっくりして、

「ばあちゃん!ナニコレ?どうしたの?」と聞くと、


「売ったんだよ。固定資産税はかかるし、私が死んだら相続税もかかる。

残しておくと子どもたちが大変だし、まだ私が生きてるうちにと思って処分した。」


というのです。


ばあちゃんは、私と同じ跡取り娘です。


私と同じく、お婿さんをもらって、

先代から引き継いだ財産を、できるだけ減らさずに次の世代に渡すという考えを、

私の父と同様に強く持って、家を守って生きてきた女性です。



先祖代々引き継いできた土地を、ばあちゃんが売った。


衝撃でした。


ばあちゃん家は農家で、土地を沢山持っていたのですが、

ばあちゃんの母親が亡くなったとき、

相続税として、かなりの土地を国に物納することになってしまいました。


私が中学3年生のときでした。


朝4時に起き、夜は9時に寝て、

毎日質素な食事で一生懸命農家として働いていたじいちゃんとばあちゃんが、

お葬式のあと、私に言った言葉が忘れられなかった。


「何のために一生懸命働いてきたんだろう。働くのがバカバカしくなった。

残った土地を大事にしながら、これからはお金も使って生きようと思う。」


そんなことがあったから、土地に対して強い思い入れがあったばあちゃん。

私にこれだけ思い入れがある裏山なのだから、

その家で生まれ育って今まで生きてきたばあちゃんには、

もっともっと思い入れがあったと思います。


ばあちゃんは、サラッと私に話したけど、

本当に色んなことを考えて考えて考えた結果だったんだと思う。



ずっと変わらずあった景色を、

ずっと変わらないと信じ込んでいた景色を、

重機が壊していく光景を呆然と眺めながら、

寂しさと同時に私は、


「アリなんだ」って思ったんです。



売ってもいいんだ。手放してもいいんだ。


私の中に、初めてその選択肢が生まれた瞬間でした。

守って次の世代に渡さなくてもいい。


そこに気づいてしまったら、

もう苦しくてたまらない事業運営を続ける気力が保てなくなりました。



やめたいやめたいやめたい。

やめるためには、どうしたらいいんだろう?

どうすれば、やめられるんだろう?


一生懸命考えて、

やめるために必要な行動を、ひたすら続けていたら、

様々なご縁が奇跡のように繋がって行って、

そのおかげで、無事に円満に手放せることが現実的になって行きました。


結局、

父が興したビジネスホテル事業体は、38年目で私が幕を閉じました。



今考えると、

どうして「売る・手放す」という選択肢が自分の中に1ミリも生まれもしなかったのか?

本当に不思議ですが、

それこそがメンタルブロックなんですよね。


「引き継いだものは、維持して次の世代に渡さなければならない」

この考えにガチガチに縛られていて、それしか選択肢は無いと思い込んでいたから、


自分では、

見えない。気づけない。思いつかない。


この「手放す」選択肢に気づいてしまったあとは、

「もっと早いタイミングでできただろうに、ここまでしんどい思いして引っ張っちゃって」

とか思うんですけど、


でも、やっぱりこのときが、私にとっての最善のタイミングだったのだと思います。



これだけしんどい思いをしなければ、

やれるだけのことは全部やろうと走り切らなければ、

ギリギリのところまで精神的に追い詰められなければ、


「やめよう」という決断はできなかったから。



そう思うと、

自分をとても過酷でしんどい環境に、本当に長い間置き続けてしまいましたが、

やりきった自分に対して、

ごめんねという気持ちと大きな感謝の気持ちが湧きます。

尊敬の念まで湧いてきます(笑)


いやぁ、マジでほんとよく頑張ったよ。私。



って。

決断したら万事OKではなく。


手放す決断してから、実際に売却が完了になるまでが、

それはそれはほんとうにほんとうに大変で。

そ~と~過酷な道のりだったのです。。。


その話については、また改めて。



というわけで、今日は「事業を手放すきっかけ」についてでした。
 


両親が生きててもこの決断をしたか?

っていうお話についても、改めて書きますね。


ではー!




〇〇さんの明日もきっと大丈夫。




最後までお読みくださりありがとうございます!


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