配信日時 2026/03/06 12:00

52才。ゆりこ生誕祭はじまります。

〇〇さん、こんにちは!


高橋ゆりこです。


本日、3月6日。

52才になりましたー!


私、マヤ暦まったく詳しくないですけど、

マヤ暦において52才の誕生日は「マヤの還暦」と呼ばれていて、大きな転換点なのですって。



新たな人生のスタート

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本当の自分として生き始める「生まれ変わり」の年齢とされていて、

運命の扉が再び開くと言われているらしい。



ここまでの人生、控えめに言っても波乱万丈すぎたと、自分でもおもう。


今日は、私のこれまでの人生の話をさせてね。


幼少期、少し過酷な家庭環境で育ちました。


母は台湾人。

昭和40年代には珍しい国際結婚。


父の家族に母は受け入れてもらえず、

私を妊娠中、母は階段から突き落とされたり、冷たい水をぶっかけられたりしたそうです。


それでも、しぶとく生まれてきた私。


祖母は私を、

「どこの馬の骨とも分からない女が産んだ子」と言って受け入れず、

ごはんも、お風呂も用意されませんでした。


家の中で、私は常に数に入っていない子。


家から閉め出されることもしょっちゅうで、

幼い頃の私は、いつも空腹で孤独でした。


母は朝6時から深夜1時まで、

家業の喫茶店とケーキ店で働きづめ。


私は家で一人留守番。


二階から降りることは許されず、

下から美味しそうな料理の匂いがしてきても

私の分はない。


当時の私は、

トップテン、ベストテン、夜のヒットスタジオなどに夢中になって、

煌びやかな歌の世界に入り込んで、

空腹と孤独を忘れることができていました。



お風呂を使わせてもらえなかったので(銭湯の娘なのに!)

2階のミニキッチンで、お湯を沸かして水と混ぜて、髪を洗い身体を拭いていました。


小学校では あいのこ だといじめられ、

石を投げられたこともあります。


家にも、学校にも、私の居場所はなかった。



祖母に何度も聞かれたことがあります。


「お前は何で生まれてきたんだ?」


この質問に、私は一度も答えらなかった。


「お前が生まれて来なければ、別れさせることができたのに。」

何度も何度も言われた。



「私は、ここにいていいの?」

「私は、生まれて来て良かったの?」

「私は、生きてていいの?」


私は、この問いをずっと抱えながら、生きていました。



あまりに家の環境が悪いので、

小4のときに私は家を出て、

父が経営するホテルの一室で母と暮らすことになりました。


そこからは、小学校へラッシュの電車に乗って通学するようになりました。


けれど中学に上がるとき、

父の判断で私だけ自宅に戻されます。


「跡取り娘なのに、このまま家に戻れなくなったらまずい。」

そう父は懸念したのです。


歓迎されていない家に、

ひとり戻された私は、かなりしんどかった。

孤独だった。


それでも、

少しずつ、少しずつ、

家の人たちと打ち解けていき、


中学2年を過ぎた頃には、

一緒に食卓を囲めるようになりました。


中高はお弁当だったのだけど、

お弁当を頼めるわけがない。

だから自分で作っていました。


淡々と、毎朝同じものを作り、

朝食として食べ、

同じものをお弁当として持っていく。



お昼休み。

「今日のお弁当は何だろう?」


ワクワクしながらお弁当を開ける友達が、

ほんとうに羨ましくて仕方なかった。


だって私は、

朝食べたものと同じだから、

中身を知っている。



ある日、

どうしても母の作ったお弁当が食べたくて、

お願いしたことがあります。


朝、母の住むホテルの最寄り駅まで行き、

改札でお弁当を受け取った。


お昼休み。

ワクワクしながらお弁当を開けると、



そこに入っていたのは、

高級なステーキでした。



違う。

そうじゃない。

こういうんじゃない。


なんだかものすごくものすごく悲しくなった。

私はふつうの、みんなが持ってきているような、当たり前のお弁当が食べたかったんだよ。


母なりの精一杯の愛情だったのは分かります。


でも、

「分かってない!お母さんは何にも分かってない!」


悔しくて悲しくてどうしようもなくなって。


涙が出て来てしまって食べられなくて、

お弁当をしまって、ひとりで校舎の屋上に行ったのを覚えています。



大学3年生のころ、

父の会社の経営がかなり厳しくなり、


「学費が払えないから大学をやめてほしい」

と言われました。


忘れもしない、国道6号沿いにあったデニーズで。

(なんでデニーズだったんだろう?)


私は、

「大学はやめない。自分で払うから大丈夫。」

そう伝えて、

大学3年の後期から、自分で学費を払いながら通いました。

(国立文系でよかった)



大学4年生のとき、

当時付き合っていた恋人が、

就職活動の健康診断で異常が見つかり、


末期の肺がん
余命半年


と診断されます。


21才の私には受けとめきれなかった。


彼は余命宣告から2年後に亡くなりました。


この2年間、

一生分の涙を出し尽くしたんじゃないかっておもうくらい、

ずっと泣いていたようにおもいます。


彼が亡くなって半年後、

私は結婚します。


周囲はみんな驚きました。


「どうして今?」


正直に言うと、

自暴自棄だったと思います。



社会人になってからの私は、

朝6時から深夜1時まで週6で働く日々を送っていました。


すべての事業所の業務内容を覚える必要があると、

父に課されていたからです。


27才のある日。

いつものように5時に起きたら、

布団から起き上がることができないほどの、

猛烈な頭痛に襲われます。


脳外科、脳神経外科、脳神経内科、など、

いろんな科でさまざまな検査を受けますが、原因不明。


2か月経ってようやく判明したのは、

うつ病でした。


私が体験したのは、仮面うつ病という症状。


うつ病の典型的な症状である「精神的な落ち込み」よりも、

頭痛、肩こり、めまい、疲労感、胃腸不調などの「身体症状」が、

「仮面」のように前面に出る、うつ病の一種です。



おそらく、

「精神的な落ち込み」では、根性があり過ぎる私は休まない。止まらない。


身体に症状を出すことで、

私の身体が、私に強制終了をかけてくれたんですね。



私は、自分のことを強いと思っていました。

過酷なことをたくさん乗り越えてきた私だから。


うつ病になって、

自分を過信し過ぎていたことに気づいた。

自分をとても粗末に雑に乱暴に扱う生き方をしていたことに気づいた。


うつ病になったおかげで、

自分の生き方を見直すことができたし、

自分は弱いんだと、初めて認めることができました。



そこから1年療養し、

寛解となりました。



結婚して6年後、

31才で長男を出産しました。


その間に、

流産を3回。


3年間の不妊治療。


「子どもがいない人生もいいね」

と夫婦で話し、

不妊治療をやめた2か月後、

自然妊娠しました。



待望の子ども。

だったのに。


私は、

重い産後うつと育児ノイローゼになります。



そしてこの頃から、

夫のモラハラも始まりました。



長男を出産後、

子宮外妊娠と流産を1回ずつ経験しました。



37才のときに父が急逝。

39才のときに母が急逝。


父の一周忌と母の四十九日を同日に行う日の前日、

次男の妊娠が分かりました。


40才で高齢出産。

次男は4370g 


出産は鬼のように大変でした。


夫は、

母が急逝する前から、8年間海外赴任していました。


産後1ヶ月健診の日も、彼は海外。

そんな日に、国際電話で浮気を懺悔されました。

(マジで意味不明)


ワンオペで経営と子育てを抱えた日々。



その後、

父が興したビジネスホテル事業体を閉じて売却。


そして、

昨年、60年続いた家業の銭湯を閉業しました。


ふり返ってみると、

私の人生は、

「七変化」せざるを得ない荒波の連続。


そんじょそこらのドラマや映画や小説より、数奇だ。。。



「ゆりこさんには何を話しても大丈夫っておもえるから、安心して何でも話せる」

しょっちゅう言われるのですが、


そんじょそこらのことじゃ驚かない素地があるから?なのかも?しれません。笑笑



心理や占いのお仕事を始めてから、これまでの12年。

マジで、何を聞いても驚いたことがほぼないです。


どんなお話も、ふつーに受けとめます。



しかし。。。

こうして改めて並べてみると、

我ながらなかなか濃い人生だ。



ここまで何度も「もう無理」と思った人生でした。


でも、

いま私は、元気に幸せにおもしろがって生きてます。



私は、今の自分がいちばん好きです。



かつての私は、

自分を「強い人間だ」と思っていました。


誰にも頼らず、一人で歯を食いしばって、逆境をねじ伏せて進むこと。

それが強さだと信じて疑わなかった。



でも、

本当に私の人生がプラスの方向に動き出したのは、

その「強さ」の鎧を下ろしたときでした。


自分の内側にある弱さを認めて、

「助けて」と人に手を伸ばせるようになったとき。


皮肉なことに、

ひとりで戦っていた時よりもずっと大きな、

本当の意味での「強さ」と「優しさ」が宿ったと感じています。



素直に人を頼り、助けてもらうこと。


それは負けではなく、

自分を愛し、他人を信頼する、最高の自己表現なんだよね。



今日、私の52年目のスタートです。


私が掴み取ってきた「人生を変える力」を、

必要としている人に渡したい。


人は、本当に変われます。

私がその証拠!!!



そんなわけで。

ゆりこ生誕祭をやりますよ。



\ ゆりこ生誕祭企画 /


【6名限定】七変化フルセッション(120分)

通常44,000円 → 生誕祭価格 36,000円(税込)


私の52年分の経験と、

これまで身に着けてきたすべて(心理学×感情解放×人生実践)をぶっこみます。

※算命学は七変化セッションでは扱いません。


▽七変化フルセッションのお申込みはこちら
https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=fhAshXz



【6名限定】プチ個人セッション(45分)

通常14,250円 → 生誕祭価格 12,000円(税込)


今のテーマを明確にし、次の一歩を決める時間です。


▽プチ個人セッション(45分)のお申込みはこちら
https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=fhAudm



【6名限定】ハワイアンアロハタロット30分鑑定

通常7,100円 → 生誕祭価格 6,000円(税込)


今のあなたのエネルギーの状態を読み解き、より良き未来を創る行動を導き出します。


▽ハワイアンアロハタロット30分鑑定のお申込みはこちら
https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=fhApmIRnM



【18名限定】生誕祭グルコン


日時:4月4日(土)13時~15時

開催方法:Zoom(オンライン)

生誕祭特別価格:3,600円(税込)


七変化してきた52年の裏話と、

その場で参加者のテーマを扱うグループコンサル。


そこに集まった人たちのエネルギーで創られる、

唯一無二で、一期一会な場。


流れ弾に当たりたい人大歓迎。

祝ってくださる方も大歓迎です。笑


▽生誕祭グルコンのお申込みはこちら
https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=fhAyylTq




ゆりこさん、52才の誕生日、おめでとうございますー!

(自分で祝うwww)





〇〇さんに沢山の幸あれ!





+‥‥‥‥‥‥‥+


【私に質問がある方は、このメールに返信で送ってください】


できるだけ、メルマガやブログで回答していきます。

ただ、すべてのご質問にお答えできないことをご理解下さい。



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高橋ゆりこ

chulip.4936@gmail.com
http://ameblo.jp/chu-lip-7/

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