配信日時 2025/11/05 12:00

暴力を生まない対話。

〇〇さん、こんにちは。


高橋ゆりこです。


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11月半ばころ、

「最短距離で現実を動かすセッション」の募集をします。

乞うご期待♪


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言葉は、

暴力にもなるし、癒しにもなる。


盾にもなるし、刃にもなる。


たとえば。


「もういいよ」というたった一言が、

誰かの心を救うことがある。


そして同じ言葉が、

誰かを深く傷つけることもある。

 

言葉そのものには善も悪もない。


だけど、

その言葉を放つ「心のあり方」が、

その言葉の「色」を決めてしまいます。



暴力とは、殴ることだけではありません。


無視する。

軽んじる。

聞かないふりをする。



これらも立派な暴力です。



沈黙の暴力は、

「お前の存在は取るに足らない」という無言のメッセージを突きつけます。


人は誰しも、

「分かってほしい」「見てほしい」という欲求を持っています。



それが何度も拒絶されると、

「感じないようにする」ことで自分を守る。



この「感じないようにする」という防衛は、

長く続くと、別の形で爆発します。


悲しみや恐れを感じないようにしているうちに、

感情のバランスが壊れていく。



痛みを感じないために閉ざした心のエネルギーが、

やがて相手を悪者にして相手を攻撃することで、

痛みから目を反らそうとする。



言葉を使って、

相手を責めたり、

相手を傷つけたり、

相手を支配しようとしたり。



本当は「怖い」「悲しい」「わかってほしい」なのに、

その感情に向き合いたくなくて、

攻撃という「防衛の仮面」をかぶってしまう。



言葉の暴力の根っこにあるのは、

いつも「痛み」と「恐れ」


誰もが最初は、

「自分を守るため」に暴力を選んでしまうのかもしれません。



私たちは、

誰かと対話をしているつもりで、

実は「勝とう」としていることがあります。



「正しさ」で相手を黙らせたり、

「論理」で上に立とうとしたり。



こういうときの言葉は、

相手を理解するための手段ではなく、

支配するための武器です。



「自分の正しさ」を守るための会話は、

どれほど丁寧でも、暴力を孕んでしまう。



「暴力を生まない対話」とは、

正しさを主張し合うことではなく、

「理解し合うことをあきらめないあり方」です。



言葉は、

相手を変えるためではなく、

相手のどんな部分をも「理解したい」 と願うためのもの。



そのまなざしがある限り、

対話は、暴力にはならない。



たとえ意見が違っても、

感情がぶつかっても、


「相手を理解したい」という気持ちがそこにあるかぎり、

言葉は人を傷つけるための刃ではなく、

関係を紡ぐ灯りになります。



たとえば、私自身の体験です。


次男が小学校2年生だったころ。


学校から帰ってきた次男がずっと不機嫌で、とてもイライラしている様子だった日がありました。


昔の私なら、きっとこう言っていたと思います。


「学校で何かあったの?」

「なんでそんなにイライラしてるの?」



この言葉がけは、一見、

次男を「分かってあげたい」と思っての言葉のように見えるけれど、

実は違う。


この言葉がけの根っこには、

「次男の不機嫌の理由を知って、私が安心したい」

という、無意識に自分の不安を埋めたいという意図があった。


かつての私は、

子どものためではなく、

「私が安心したい」がために、根掘り葉掘り聞いてしまっていました。



心理学を学び実践していく実験を日々くり返していた私は、

その日、こんな風に言葉がけをしました。



「何だかすごく疲れているみたいだね」


私は、そう言っただけで、それ以上は何も聞きませんでした。


次男は「うん、疲れた」とだけ言って、

また自分の世界に戻っていきました。


その日の夜、お風呂に入っているとき。

ふいに彼が言ったんです。


「実は今日さ……」


学校で嫌だったことを、ぽつりぽつりと話してくれました。



この日の私は、

次男の気持ちを理解したいと思ってた。


だから、無理に話を引き出そうとはしなかった。


「自分から話したくないなら話さなくていいし、話したかったら話せばいい」

そう思いながら、ただ静かにそばにいました。


そのうえで。


「いつもと様子が違って、つらそうにしていることを、お母さんは分かってるよ」

という「分かってるよ」の気持ちを、言葉に込めて伝えた。


きっと次男は、

「分かってもらえている」という安心を受け取ってくれてたんだと思います。


だから、後で自分から話してくれたのだと思います。



どんなまなざしで相手を見ているか という「あり方」は、ほんとうに大事です。



ほんとうに相手を想っての「分かりたい」なのか。

自分の安心を埋めるための「分かりたい」なのか。



ほんとうに相手を想っての「理解したい」という心は、

一見、相手のために見えるけれど、


実は、

自分を暴力から遠ざけるための、とても大きな効力を持っています。



この世界は、

自分が相手に与えたものが、自分に返ってくるという法則で できている。



「理解したい」というまなざしで相手に接していたら、

相手もまた、「理解したい」というまなざしで、こちらを見つめ返してくれる。



言葉は、

傷つけるための道具ではなく、

つながりを紡ぐための光になります。



お互いが「相手を理解したい」という想いをもって交わす言葉に、

暴力は、絶対に宿らない。



ここで、

勘違いしやすいけれど、ものすごく大事なことをお伝えします。



対話とは、


「分かり合うこと」じゃない。


「分かり合いたいと願い続けること」だと私は考えます。



その願いの灯を、絶やさないこと。



人は分かり合えない。

だって別の人間だから。


親子であろうと、夫婦であろうと。

それが自然なんです。



言葉の本質は、

「伝えること」ではなく、

「どんな心で向き合っているか」を映し出す鏡です。



暴力をなくすために

世界を変える必要はない。



まず、自分の言葉の使い方を変えること。



「理解したい」と願うまなざしを、

日常の一言に込めること。


その積み重ねが、世界を変えていく。



たとえ。

理解し合えないまま終わる関係があったとしても。


「理解したい」と願ったそのまなざしは、

あなたの心に確かな優しさと強さを残します。



よかったら、誰かとの言葉のやりとりの中に、

少しだけ「理解したい」というまなざしを乗せてみませんか?



その小さなまなざしは、

あなたの世界を、確実に優しく変えていくから。





〇〇さんの人生に沢山の幸あれ!





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