配信日時 2025/11/02 12:00

誰かにとっての苦痛は、誰かにとっての喜び。

〇〇さん、こんにちは。


高橋ゆりこです。


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11月半ばころ、

「最短距離で現実を動かすセッション」の募集をします。

乞うご期待♪


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12年前のある日、友人から1通のメールが届きました。



「あなたのためを思って敢えて言うけど、

40にもなって、まったく成長していなくてうすっぺらすぎ。」



携帯を持つ手が震えました。


心臓がギュッと痛んで、頭が真っ白になって、

固まってしまったことを今でも覚えています。



「なんでこんなことを言われなきゃならないの?」

「私、何かした?」



当時の私は、その言葉をどう受けとめていいのか分からず、

ただショックで、苦しくて、しばらく人間関係が怖くなりました。



でも今思えば、あの頃の私はたしかに「うすっぺら」だった。


「どう見られるか」「どう思われるか」にばかり意識が向いていて、

自分を良く見せることばかり考えていた。



周囲の人の事情や気持ちに無頓着で、

それでも「私はちゃんとやってる」と思い込んでいた。


だけど、

本当の私は「他人に認めてもらえないこと」が、怖くて仕方なかったんです。


「認めてもらえないと、居場所がなくなる。」という恐れが、ずっと私を動かしていました。



私は「がんばってる自分」を演じることで、

「できない自分」を必死に隠そうとしてた。



だから、当時の私の言動は、

彼女には「うすっぺらく」見えたんだと思います。



彼女の言葉は、痛いほど正しかった。


でも、当時の私は、まだ受け取れる段階じゃなかった。



この根っこはずっと昔にありました。


小さいころ、

私は習い事を週7でさせられていた時期がありました。


ピアノ、編み物、公文、英会話、バイオリン、スイミング、クラシックバレエ。

中には好きになったものもあったけど、やりたくないものもありました。



クラシックバレエが大好きになって夢中になっていたら、

突然、「中学受験をしなさい」と言われて、

進学塾に通うためにバレエをやめさせられました。



「やりたくない」と言えなかった。

「やめたくない」とも言えなかった。



ノーを言ったら居場所を失う気がした。


「期待に応えてがんばる子」でいなければ、

お母さんやお父さんに愛されないとおもっていました。



自分の気持ちよりも、相手の期待に応えることが、

「安全で愛される方法」だと思い込んでいたんです。



幼少期に身につけた「期待に応えようとするクセ」は、

やがて「生き延びるためのルール」となりました。



人と関わるとき、

「期待に応えないと見捨てられてしまう」という意識が無意識に発動して、


自動的に、

等身大の自分ではなく、「盛った自分」を演じてしまう。


ということをくり返していました。



彼女の言葉は、当時の私には「毒」でした。

自分に見えてないところを指摘される痛みは強烈だった。



でも、12年経った今、

彼女の言葉は私の中で「薬」になっています。



あの強烈な痛みがあったからこそ、

私は「自分の人との関わり方」を見つめ直すことができた。



当時は「モラハラ」のように感じた言葉が、

時を経て、「私の本質を指摘してくれた言葉」に変わりました。



同じ言葉でも、

誰かにとっては攻撃に聞こえ、

別の誰かにとっては助けになる。



まるで太陽の光みたい。


熱くて気持ちいいと感じる人もいれば、

強すぎて痛いと感じる人もいる。


太陽が悪いわけでも、肌が悪いわけでもない。

ただ、状態が違うだけ。


言葉も同じです。


あの時の私には受け取る準備がなかった。

だから痛かった。


でも、その痛みが、後から確かに私を育ててくれていました。



たとえば夫婦の間でも、

「何でそんな言い方するの?」と思う瞬間があります。


人は「違う」というだけで、ぶつかる。


でも実は、その違いこそが「成長のきっかけ」です。



相手の言葉に傷つくとき、

それは自分の中の「古いルール」が刺激されているサイン。


その痛みを通して、

私たちは「自分の本音」を思い出していく。



夫婦も親子も友人も、

「ミスマッチ」を通してお互いを学ぶ。



「ノーを言う練習」や、

「違う意見でも関係を続ける練習」をするために、

出会っているのだと、私はおもっています。



私たちは、「あえてミスマッチな相手を選んで」魂を磨いている。



誰かにとっての苦痛は、誰かにとっての喜びだったりします。


束縛が嫌いな人もいれば、束縛に安心を覚える人もいる。


そこに痛みがあるなら、それは「ミスマッチ」が起きているだけ。


良い悪いではなく、

ただ「違うだけ」


違いを責め合うのではなく、

「違うんだな」と思えたら、世界は柔らかく優しくなる。


違いを受けとめられるようになったとき、

人は初めて、本当の意味で自由になるのだと思います。



たとえ私とはミスマッチでも、

その人にはきっと、ぴったり寄り添える誰かが必ずこの世界には存在する。



ミスマッチは終わりじゃない。


自分に合う世界へ還っていく途中なだけなのだ。





〇〇さんの人生に沢山の幸あれ!





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