高橋ゆりこです。
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先日、「まじめな性のお話会 第二弾」を開催しました。
今回、印象的な言葉がいくつも出たの。
「母親になったらセックスをしてはいけないと思っている」
「イチャイチャしている姿を見せたら、子どもがトラウマになるのでは?」
「女の子は父親に襲われると思わないの?」
あまりにまじめで、そして切実な言葉たち。
多くの女性が、
性=欲望、下品、恥ずかしいもの、と無意識に思い込んでいます。
心理学で言うところの「インナーチャイルド」や「文化的刷り込み」の中に、
「性=恥ずかしいもの」「母になったら清くあるべき」という信念が根強くあります。
これは、戦後の教育や家庭文化の中で
「女性の性」がコントロールされ、
「母=自己犠牲」や「女らしさ」が美徳とされたことの影響です。
「女の子なんだから」
「母親なんだから」
「年相応に」
そんな言葉が、女性たちの身体の奥に「性への罪悪感」を刻み込んでいき、
性欲が湧くこと自体に罪悪感を抱いてしまったり、
「自分は汚れている」と感じたりする人も少なくありません。
(いい加減、こういう文化や風潮は変えて行かないといけない)
だけどね。
本来、「性欲」は「生命エネルギー」のひとつ。
生きたい、愛したい、つながりたいという自然な衝動。
汚いとか、ダメとか、恥ずかしいこととか、
そういう意味づけ自体が無意味。
素直な生命エネルギーを、抑え込めば抑え込むほど、人生全体のエネルギーが停滞していきます。
性欲を恥じたり、抑えつけたりすることは、
愛を受け取ること、愛を与えることを、せき止めてしまう。
私は、セックスを、
「性欲を発散するための行為」と思っていません。
心と心が、身体と身体が、深くつながるための「究極のコミュニケーション」だと考えています。
言葉では届かない信頼や感情を、
身体というもっとも正直な器で確かめ合う。
何度も言ってますけど。
頭は嘘をつくけど、
身体はぜったいに嘘をつかない。
どストレートに言えば、
頭が大丈夫と思っていても、身体が安心信頼していなければ、
男は勃たないし、女は濡れない。
セックスは、ただ身体を重ねる行為じゃない。
「信頼」をもう一度学び直す時間です。
私たちは過去の経験の中で、
「裏切られた」
「受け入れてもらえなかった」
「触れられるのが怖かった」
そういう小さな傷をたくさん抱えています。
頭では「もう大丈夫」と思っていても、
身体の奥には「怖い」「拒まれたらどうしよう」という記憶が残っていることがあります。
だからこそ、
安心できる相手と裸で触れ合うセックスは、
その記憶を「安全な体験」に書き換えるプロセスでもあるんです。
優しく触れられる。
見つめ合う。
抱きしめられる。
そのたびに身体は少しずつ学び直します。
「私は触れられても大丈夫なんだ」
「私は尊重されている」
「私は愛されてもいい」
心と身体が、もう一度結び直されていく。
肌と肌の触れ合いで、愛着の再形成が起こる。
セックスは、傷ついた信頼を取り戻し、
「愛してもいい」「愛されても大丈夫」と
心と身体が思い出していくための、
とても深い「癒し」です。
安心できる関係の中で、
身体も心も「安全基地」を感じられたとき、
私たちは初めて、本当の意味で人を信じ受け入れられるようになります。
「母親だから」
「子どもがいるから」
「もう年だから」
さまざまな理由でセックスを遠ざけているとき、
実は「愛される私」を拒んでいる場合があります。
その奥にあるのは、
「どうせ私は愛されない」
「女として見られるのが怖い」
「私は誰かの欲望の対象になるしかない」
そんな無意識の傷。
セックスって「究極の自己受容」でもあるんです。
自分の身体を、
女としての私を、
愛おしいと感じられていないと、
セックスはすごく怖い。
自分の身体を嫌うことは、自分の人生を否定すること。
自分の身体を受け入れることは、自分の人生をまるごと肯定すること。
だから。
自分の身体を、女としての私を、愛おしいと感じられるようになること。
ここが、深い癒しのはじまりです。
「子どもの前でイチャイチャしてはいけない」と思う方は多いようですが、
心理学的にはむしろ逆です。
子どもは「親が素直に愛を表現し合う姿」を見て育つと、
「人は信頼しても大丈夫」
「愛されるってあたたかいことなんだ」
と身体で学んでいきます。
それが、将来の人間関係や恋愛の土台になります。
親が、素直に愛を交わしている姿を見せることは、
子どもへの最高の教育です。
両親のセックスを子どもに見せるのは、今では虐待という認識ですし、
子どもに見せない方がいいという考えに、私も賛同していますが、
昭和の家屋状況によっては、
子ども時代に、両親のセックスを見てしまった人は、いるんじゃないでしょうか。
私自身、何度も両親のセックスを見てしまった子どもでした。
でも、それで何かトラウマができたのか?と考えると、
そういう影響は私にはありませんでした。
子どもの頃の私は、
「怖い」「気持ち悪い」「危ない」と感じなかった。
もちろん、ちょっと恥ずかしい・気まずい体験ではありましたけど、
心には「安全な愛の記憶」として残っています。
トラウマになるケースとしては、
「怖い」「気持ち悪い」「危ない」と感じてしまった場合。
「理解できないのに感情が強すぎる」状態になって、
心が処理しきれなくなった場合、トラウマ化しやすくなります。
この場合は、性そのものよりも、
「安全でない愛」「支配」「恥」といった感情が心に残ってしまう。
心理学では、
こうした状態を「過剰な覚醒」や「フラッシュバック」と呼びます。
子どもが理解できないまま強い刺激を受けると、心が処理しきれず「記憶が凍結」してしまうんです。
人によっては「性=汚い」「見ちゃいけない」と教えられることで、
逆に「愛と性を分離」してしまうケースも多いです。
トラウマ化している場合は、専門家のもとで、丁寧にカウンセリングやセラピーを受けてみてくださいね。
私の場合は、
「性=親密であたたかいもの」という潜在的な安心のモデルになったのでしょうね。
改めて思います。
本来「性」は、
決して汚れたものでも、恥ずかしいものでもなく、
命そのものを感じ合う、神聖な営みだということ。
セックスは、
「お互いを信頼して受け入れ合う行為」
「愛を学び直す時間」
一番近い距離で、
相手の呼吸や鼓動に触れながら、
「私はここにいる」
「あなたを信じている」
「あなたを大切に思っている」
と伝え合う。
どんな言葉よりも深く、
「生きていていいんだ」という安心を、
心と身体で、見えない対話で、
お互いに届け合う。
触れられることで安心し、見つめられることで癒され、
抱きしめられることで、「愛」を身体が思い出していく。
セックスは、
ただの肉体的接触ではなく、
心と身体で共鳴し合う、究極のコミュニケーション。
言葉では届かない思いや、
長い時間の中で固まってしまった孤独までも、
静かに溶かしていきます。
だからこそ、
性を恐れず、恥じず、敬うことは、
自分自身の「存在」を敬うこと。
信頼して、感じて、受け取る。
そこにあるのは、「つながり」そのものです。
私たちは「愛されたい」と願いながら、
いつのまにか「愛されるのが怖い」と感じていることがあります。
頭では「大丈夫」と思っていても、
身体がまだ「怖い」「信じられない」と感じていることもある。
だからこそ、
セックスは信頼の再学習であり、
「もう一度、安心してつながる」ためのリハビリ。
セックスというと「挿入すること」をイメージする人が多いけれど、
それは「つながり方」のひとつの形でしかありません。
見つめ合うこと、抱きしめ合うこと、肌で感じ合うこと。
それだけでも充分に深いセックスです。
大切なのは、どんな形であれ、
「安心して委ね合えるか」「信頼を感じられるか」
挿入の有無ではなく、
「どれだけ心と身体が通い合っているか」が、
セックスという「愛の対話」の本質です。
あなたの身体は、
どんな愛なら安心して受け取れますか?
どんな距離感なら「心地いい」と感じますか?
その答えを見つけていくことが、
自分自身と深くつながる第一歩になります。
「手を繋ぐこと」からでもいい。
「ハグをする」からでもいい。
まずは、肌と肌で触れ合うことで、
言葉では届かない想いを届けてみてはいかがでしょう?
〇〇さんの人生に沢山の幸あれ!
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