高橋ゆりこです。
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今日明日と、松戸の松戸神社の横を流れる坂川沿いで「坂川献灯まつり」が開催されます。
今日の18時10分から、メインステージで、今年もよさこいソーラン節を踊ります!
ゆりこさん最前列で踊りますので、お近くの方はぜひ観に来てね~~~。
私の出番は、ほんの10分くらいですけど、屋台がたくさん出ますし、灯篭流しも美しいですよん。
(写真と動画を撮って送ってください)
(家族誰も近くにおらんので誰か観に来てください)
(来てくださった場合はぜひ声をかけてね)
(ものすごく喜びますのでーーー!)
さてさて。
誰しもに「大元のメンタルブロック」というものがあって、
なんだかんだそこに繋がるんだねぇ。。。
みたいな仕組みになっています。
たとえば、私の場合。
「攻撃されたくない」という強いメンタルブロックがあります。
心理学を本気で学び始めてこの10年でかなり緩みましたが、まだまだ根深くあります。
幼い頃、
「攻撃された」と感じる出来事が多発する環境で育つ中で、
「どうすれば攻撃されないか?」
必死に考えて試行錯誤して、私は生存戦略を作って行きました。
「誤解されると攻撃される」
と思った私は、丁寧に事実や自分の気持ちを言語化して伝える力を磨きました。
「目立つと攻撃される」
と思った私は、目立たないように後ろの方に下がって前に出ないようになりました。
「突き抜けるほど期待に応えたら、攻撃されないかもしれない」
と思った私は、習い事は入賞するまで、受験は県で当時いちばんの偏差値の学校に入りました。
実際は、
誤解されようがされまいが、
目立とうが目立たまいが、
期待に応えようが応えまいが、
攻撃されるときはされる。
そこに因果関係はない。
でも、私は、
「こうすれば攻撃されない」と信じて、これらの戦略をくり返して生きてきました。
文章が長くても分かりやすいと言って頂けるのは、
「誤解されたくない」から生まれた「正確に真意を伝えたい」という想いから磨かれた私の個性です。
目立たないようにと頑張って長年生きてきたけど、
何をどうしたって目立ってしまう私にとって、
たぶんこの戦略は合ってなかった気がします。笑
(何をどうしたって目立つということに気づいたのは、45才くらいのときです。遅い。。。)
そもそも、学生時代から「長」がつくものにやたらと任命される人生。
(立候補したことは一度もない)
目立たないように控えめに後ろの方で活動しているつもりなのに、
部活の部長や、体育委員会の委員長や、サークルの長や、商工会議所などの団体の委員長などなど
やたらと「長」ばかりをしてきたので、前に出る経験をたくさんしました。
結果、
前に出る必要があるときは前に出られるし、
前へ出ずに後ろに下がって全体を見渡したり、見守ったり、後ろに控えていることもできる。
という、意外といい塩梅になってきた気がします。
突き抜けるほど期待に応えることは、ほんとうに長年続けて来ましたが、
心理を学んで、
「期待に応えたければ応えたらいいけど、期待に応えることと攻撃されるかどうかは、別次元の話だな。」
と腹落ちできて、
「期待に応えなければならない!」っていうがんじがらめな状態から、
「期待に応えたいときは頑張って応えよう」くらいの緩い感じになってきています。
でも、突き抜けて期待に応え続けた経験があるので、
本気でやろうと思ったら、めちゃくちゃ力を出せるポテンシャルは持っています。
出すか出さないかは、自分の意思で決められるようになったのね。
期待に絶対に応えなきゃ!という一択ではなく、
出したいときに自分の意思で全力で期待に応える。
(この違いは大きいよ)
こんな風に、
メンタルブロックって「個性」を創ってくれるもの。
スキルや才能を磨いてくれるものなのね。
メンタルブロックは悪者ではないし、無くさなければならないものでもないの。
メンタルブロックが過度に働き過ぎて、現実に不具合を起こしているときに、
作用を緩めてあげると、現実がうまく回り出す。
「誤解されたくない!」って強く過度に働きすぎると、
ものすごく言い訳がましくなったり、相手の顔色を過剰にうかがって動いたりしてしまい、
ほんとうに誤解されるという結果を招いてしまう。
「誤解されることがあっても、ま、いっか。」という緩いスタンスでコトに当たれると、
しっかり真意を理解してもらえて受け取ってもらいやすい。
そんな仕組み。
前置きが長くなりましたけど、
(ここまで前置きだったんかい!)
そんなわけで、長年私は、
「安心安全な居場所」
これをずっと求めて生きてきた。
欲しくて欲しくて欲しくて。
どうして私には手に入らないんだろう?ってずっと思って生きてきた。
「安心安全な居場所さえ見つかれば幸せになれるはず。」
そう信じて生きてきた。
で。
気づいてしまったのです。
これこそが究極の私の大元のメンタルブロックだということに。
「安心安全な居場所」
一見、スゲー良さそうだし、誰もが求めてしかるべきものって思いがちですけど、
これを求めてきたことこそが、私をずっと苦しめてきた原因でした。
どういうことかというと。
「安心安全な居場所」って「ここ」って場所が決まってる感じがしません?
「パートナー」とか「子ども」とか「何らかのグループ」とか。
「安心安全な居場所を手に入れた!」ってなったら、
同時に「失う恐怖」が生まれる。
執着が始まる。
失いたくない意識(恐れ)が働きやすくなり、
マイナス意識をもとに行動すると、マイナスの結果を招きやすくなる。
さらに。
「安心安全な居場所さえ見つかれば幸せになれる」
ってさ。
安心安全な居場所が、
見つかる=幸せ
見つからない=幸せになれない
っていう謎の方程式になってるんです。
安心安全な居場所を見つけることと、幸せになるかどうかは、まったく別次元の話。
それなのに、
私は無意識にこの2つをくっつけて意味づけしていたんです。
私が苦しいのは、私が幸せになれないのは、
安心安全な居場所が見つからないからだーーーー!
っていう憤りを無意識に抱えながら、ずっと生きてました。
安心安全な居場所を求めることが、私を苦しめてきた諸悪の根源。