配信日時 2025/06/25 09:00

(新)【空挺団物語(1)】 挺進部隊の始まり     荒木 肇


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おはようございます、エンリケです。

きょうからはじまる新連載

「空挺団物語」

第一回目は、

空挺部隊はどのように生まれたのか?
「挺進」の語義から始まり、ドイツ軍の実戦、
そして帝国陸軍の組織化へ――

といった話です。

ワクワクする新連載の開幕です。

さっそくどうぞ


エンリケ



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(新)空挺団物語(1)

挺進部隊の始まり 


荒木 肇

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□挺進作戦の起こり

 「挺」は訓では「ヌく」とある。引き抜く、抜き
出るといい、ヌキンでるとも読む。群れからぬき出
るという意味もあり、「挺進」は人より先に抜け駆
けして進むことに使われた。

 戦前陸軍で、初めて文書に「空中挺進」が登場し
たのは1940(昭和15)年2月に公布された
「航空作戦要綱」の中である。そこに「空中挺進部
隊」の用法が明示されている。

 要綱の第253には、「(敵の)背後連絡線に対
する攻撃の手段は爆撃を主とするも状況に依り飛行
機に依る別動隊の挺進等に依ることあり」とある
(原文は旧字・カタカナ、以後同様)。さらに「飛
行機に依る別動隊の挺進は別動隊を敵地に着陸せし
め主として鉄道、道路、航空路、水路上の施設資材
を破壊せしむるを通常とす」と記され、「時として
落下傘降下に依らしむることあり」と落下傘の使用
が明文化されていた。また、降下部隊に対しては、
「爾後の連絡、補給に関し考慮を払ふこと緊要なり」
と重要な配慮が記されている。

 この要綱の起案は1939(昭和14)年である
が、この時期には、極めて少数の空中挺進部隊の使
用が考えられていたに過ぎないという(「偕行」座
談会・昭和56年6月)。本格的な研究の始まりは
1940(昭和15)年8月頃からだった。その5
月のドイツ軍による西方への進撃で、大規模な空挺
作戦を成功させた事実が報告されてからだという。

▼ドイツ空挺部隊の活躍

 1940年4月9日、デンマークにドイツ軍が突
然に侵攻した。デンマーク政府は抗議したものの、
戦争準備もしていなかったために「抵抗を止めよ」
という声明を出したドイツにその日のうちに全土を
占領された。

ノルウェーはドイツ海軍の艦艇や、空軍の航空機に
よって、沿岸部の主要な都市や港湾を制圧された。
ドイツ落下傘部隊はスタバンゲルという南方の地に
1個中隊を降下させて飛行場を制圧した。そこへ輸
送機250機を使って5000名もの兵員を飛行場
に降ろしている。次いで首都オスローにも強行着陸
を行なった。

ノルウェーは英・仏・ポーランドの支援を受けたが、
5月には国王がロンドンに亡命し、抵抗を国民に呼
びかけた。しかし、その頃にはフランス戦線が活発
化し、連合国の支援も減り、6月10日にはとうと
うドイツの軍門に下った。

▼ドイツ空挺部隊の活躍
 
ドイツ空挺部隊の活躍は、5月10日のベネルクス
3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)へ国
境を越えて進撃する場面から始まった。オランダの
国内にはドイツ機甲部隊の突進の妨げとなる多くの
河川と、それらを連ねる運河があった。ドイツ落下
傘部隊は橋梁を目標としていた。


 メルジクでは1個大隊がマース河の両岸に降下し
て、2つの橋を無傷で押さえた。ドルトレヒトでは、
わずか2個小隊でワ-ル河橋梁を短時間で奪った。
ロッテルダムへの降下はもっとも規模が大きく、飛
行場を占領し、後続部隊のための着陸場を確保した。


また、1個小隊はさらに挺進してネーデルライン河
の橋梁確保に向かった。水上飛行機に搭乗した小部
隊が河に着水し、橋梁に仕掛けられていた爆破装置
を解除するといった偉功も立てた。15日にはロッ
テルダムの市街を破壊され、オランダは降服する。

 ベルギーでも、橋梁確保が重要な目的だったが、
その先陣はグライダー搭乗部隊が担った。しかもグ
ライダー部隊による要塞攻撃まで実行された。


エベンエマエル要塞はリュージュ要塞群の中でも中
核になっていた存在で、第1次世界大戦ではドイツ
軍の猛攻に12日間も耐えた。そこへ中尉が指揮す
る85名のドイツ空挺兵が12機のグライダーで奇
襲をかけた。1200名のベルギー守備兵はパニッ
クとなり降服してしまった。こうしてベルギーも2
8日にドイツに屈服することになった。

▼陸軍航空本部が担当となる

 1940(昭和15)年10月に、欧州方面の駐
在勤務を終えて帰国した陸大兵学教官だった井戸田
勇中佐が、陸軍大臣官邸でドイツ軍の用兵、航空、
機甲、落下傘部隊の使用等について多くの首脳に報
告を行なった。わが陸軍で落下傘部隊の建設が本格
化したのは、この頃からだった。

 ドイツ軍では落下傘部隊は空軍に所属するが、飛
行機その他器材等の関係から、部隊の建設は陸軍航
空本部が担当することとなった。輸送機や落下傘、
携帯する兵器の研究や改修など山積する問題があっ
た。

 陸軍航空本部について説明してみよう。まず19
19(大正8)年には本部と補給部で陸軍航空部が
できた。続いて1925(大正14)年には、「総
務部、技術部、検査部及び補給部より成る」ところ
の陸軍航空本部とされる。1935(昭和10)年
には総務部、第1部、第2部を置き、航空技術研究
所と航空廠が隷属機関としてできた。昭和12年に
は本部に第3部ができ、同14年に飛行実験部と翌
15年に航空工廠が隷属機関に増える。

 航空廠は、航空関係兵器等の貯蔵、保存、補給、
廃品処分を行なっていた。航空工廠は飛行機の製造、
試作、飛行機製作技術の調査と研究が担当だった。

▼落下傘部隊の創設準備

 1940(昭和15)年11月30日、「濱松陸
軍飛行學校練習部臨時編成要領」が裁可された。編
成管理官は陸軍航空総監、編成担任部隊は浜松陸軍
飛行学校とした。練習部長の任務は「浜松陸軍飛行
学校長の命を承け落下傘部隊の要員養成に任すると
共に落下傘部隊に関する調査、研究及試験を行ふ」
ということである。

 練習部編成のための配属人員は次の通りだった。
部長中(少)佐1、部員少佐(大尉)2、ほかに操
縦者たる尉官1、教官少佐(大尉)2、尉官16、
主計尉官1、軍医尉官2という合計で25名の将校
となった。( )内は「もしくは」という意味であ
る。

 人員数が25なのに軍医2名の配当はいかにも多
いが、事故に対する救急措置及び隊員の身体検査た
めであろうと、衛生材料定数表から推定される。そ
の他の装備品としては、約340組の航空被服が計
画されているだけだった。これから想像すると、と
りあえずは1個中隊程度の基幹要員の育成を計画し
ていたようだ。

 ただし、教育総監部、航空総監部、陸軍技術本部、
陸軍航空技術研究所及び陸軍戸山学校の課員、部員、
所員あるいは教官2~3名が兼務として練習部の業
務に参画するよう配慮されていたことは確かである。

 次回は時系列にそって、列国軍の空挺部隊の概要
などを書いてみよう。

(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴

荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大
学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教
育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育
と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関
わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、
武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、
警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した
(いずれも並木書房刊)。陸軍将校と陸自退職幹部
の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」に
も軍事史に関する記事を連載している。(公益社団
法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と
家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力
する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特
科部隊』。





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