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おはようございます、エンリケです。
インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の25回目。
きょうは、軍事インテリジェンスに欠かせ
ない「ヒューミント(HUMINT)」、
つまり「人的情報収集」がテーマです。
樋口さんは、わが駐在武官制度の紹介を通じ、ヒューミントがどのように機能してきたか、
その意味と価値を丁寧に解説しています。
ヒューミントといえば、スパイ映画に登場す
る危険な潜入工作が思い浮かぶかもしれませ
んが、実際は地道な情報収集の積み重ねなん
ですね。
知られざる駐在武官制度の解説と歴史。
どうぞご堪能ください。
それでは、どうぞお楽しみください。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(25)
日本軍のヒューミント
樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)
───────────────────────
□はじめに
今回はヒューミントについて記述したいと思います。
ヒューミントとは、人的な情報源を通じて収集され
た情報をもとに生成されたインテリジェンスのこと
です。そのインテリジェンスを生成するための活動
としては、一般的には、非公開の情報を収集するい
わゆるスパイ活動があります。
ですから、ヒューミント=スパイであり、スパイ活
動といえば映画(たとえばミッション・インポッシ
ブルシリーズや007シリーズ)に見られるように、
インテリジェンス機関の要員が外国政府の建物まど
に不法侵入し、直接機密情報を盗んでくるといった
イメージが先行します。
しかし、実際のスパイ活動においてはインテリジェ
ンス機関員が、直接そのような行動によって情報収
集するのではなく、機密情報等にアクセス可能な人
的情報源を通じた間接的な情報収集であることが大
半です。
さらに、ヒューミントにはスパイだけでなく在外の
大使館などに勤務する外交官(駐在武官含む)が収
集する公開情報や海外を訪問した一般人からのデブ
リーフィング(事後報告など)を通じて得られる情
報なども含まれます。
ヒューミントは、シギントやイミントといった技術
情報の及ばない情報源をカバーするものであり、現
在においても必要でこの原則は概ね変化していませ
ん。
明治期以降の日本軍においては、基本的な情報収集
は海外の大使館や領事館に派遣される駐在武官によ
って行なわれました。また、現地の特務機関は人的
情報収集だけでなく謀略工作も行なっていました。
さて、その中でも今回は駐在武官について述べたい
と思います。
日本から派遣された武官は通常、合法的な手段によ
りカウンターパートである外国の武官や軍関係者な
どと情報交換を行ない、さらに新聞などの公開情報
によって情報を収集します。また必要な時には現地
の人間を雇いエージェントとして情報収集活動も指
揮します。
世界史上における駐在武官の起源は、19 世初頭のナ
ポレオン・ボナパルトの時代にあるとされます。日
本の在外大公使館付武官は、1875(明治8)年にス
タートします。初代の陸軍武官は清国に派遣された
福原和勝陸軍大佐とドイツへ派遣された桂太郎陸軍
少佐でした。海軍の場合は少し遅れ、1880(明治13)
年のロシアに派遣された高田正久海軍大尉と英国に
派遣された黒岡帯刀海軍大佐が初代でした。
そもそも公使館付き武官の派遣を山県有朋陸軍卿
(陸軍大臣)に、意見具申したのは桂太郎でした。
桂は「陸軍が兵制の改革を行おうとするならば、欧
州から適当な教師を招聘することも必要であるが、
陸軍の有為な人物を選抜して欧州へ派遣して研究さ
せることの方がより必要である。その人物は派遣先
の政府部内で研究する便宜を得る資格を備えていて、
多少なりとも経験豊かな武官を派遣し、研究させ我
が軍改革の資料を採収させなければならない」と主
張し、自らを派遣するように進言したのです。
桂らの出発に際して、山県は公使館付武官として勤
務する上での注意事項を服務心得として示していま
す。その中で山県は、
・公使の管下に属する武官は、一切の権利において
他の公使館員と違わない。(外交特権、便宜を供与
され得る)
・駐在中は、公使館の規則を順守せよ。何事も公使
の許可を得た上で従事することとして専断を禁ずる。
・視察項目は、兵制、軍法、兵家地理、兵家政表
(統計)を参謀科において研究した方法に従い、実
地で試験せよ。特にその国と他国との外交関係に注
意し、利害関係強弱の形勢如何を報告せよ。
・視察等によって得た情報を報告する際は、公使館
と外務省との通信手段に委託せよ。
・平常報告と特別報告を区別し、平常報告は有事平
時に係わらず、順次に報告し、特別に報告すべき時
は別に号数を起こして逐次に報告せよ。
・特別報告するよう命令を受けたら詳細に報告せよ。
特に武器兵器の利点欠点、新しい器械などに関する
情報は諸説を網羅して遺漏なきように報告せよ。
・武官の任務である視察は派遣先の国を不快にさせ
ることがあり得るため、必ず公使の思慮決定に任す
ことが肝要である。
としています。
山県有朋以降、陸海軍大臣から武官一人一人に手渡
されていた服務心得は、1910(明治43)年「大公使
館付陸海武官服務内規」として成文化され、1916
(大正5)年、輔佐官制度の発足で「大公使館付陸
海軍武官及び同輔佐官服務内規」に発展しました。
山県の服務心得を踏襲する一方で、諜報に関する公
信は、公使館と日本外務省との往復に委託する必要
はないとし、武官は外務省暗号と異なる陸軍暗号、
海軍暗号を使用して通信していました。
1875(明治8)年、陸軍の駐在武官制度発足当時は、
在外公使館付陸軍武官は、陸軍省の外局であった参
謀局の所轄で、参謀局長に隷属していました。参謀
局は 1878(明治11)年に参謀本部となったが、その際
参謀本部条例には、在外公使館付陸軍武官に関する
規定はなく、1893(明治26)年の参謀本部条令の改正
により、参謀総長が陸軍武官を統括することが定め
られました。さらに、1908(明治41)年12月18日の
同条例改正によって参謀本部第2部の担当業務区分に
入ることとなりました。
一方海軍では1880(明治13)年に武官制度が開始、
1890(明治23)年10月18日に海軍参謀部条例が改正
された際、同部が在外公館付海軍武官を管轄するこ
とになりました。1893(明治26)年、海軍軍令部が新
設されると海軍武官は、海軍軍令部長の管轄となり
ました。
1916(大正5)年12月1日、軍令部の組織改編の際、第
3班が情報関係の担任となると、海軍武官は同班の
所掌事項となります。1933(昭和8)年、9月26日海軍
軍令部は軍令部と改称されそれと同時に班が部へと
改称され海軍武官はそのまま、第3部の所掌事項とな
りました。
▼在外大公使館付武官の派遣先
武官の派遣先は、新設、廃止された国、戦争により
派遣できなくなった国など幾多の変遷があります。
武官が駐在した国は、第一次大戦以前は欧米列強や
近隣諸国でしたが、それ以降は米ソ周辺の中小国に
も駐在するようになりました。また、戦時には大使
館か閉鎖され相手国から締め出されるため中立国の
価値が増し、新たに武官が派遣されたり機能が強化
されたりしています。
以下、主要な変遷を纏めると次のようになります。
陸軍
1875年:独、清国(陸軍武官制度開始)2か国
1893年:英、独、仏、露、清国、韓国 6か国(武官
6名が参謀総長直属の情報機関として明示)
1908年:米、英、独、仏、露、清国、韓国、伊、印、
土、墺、星(シンガポール)12か国(武官は参謀
本部第2部の担当業務区分に明記)
1937年:米、英、仏、ソ連、独、中華民国、伊、印、
土、墺、ラトビア、波(ポーランド)、芬(フィンラン
ド)、墨(欠)、タイ、イラン、満州国、アフガニスタ
ン 18か国
1943年:仏、ソ連、独、中華民国、伊、土、ハンガ
リー、スウェーデン、葡(ポリとガル)、芬、チリ、
亜(アルゼンチン)、ルーマニア、タイ、満州国、西
(スペイン)、緬(ビルマ)、比(フィリピン)18か
国
海軍
1880年:英、露(海軍武官制度開始)2か国
1890年:米、英、独、仏、露、伊、清国、韓国(海
軍参謀部が公使館付き将校を管轄)
8か国
1893年:米、英、独、仏、露、伊、清国、韓国 8
か国
1941年:米、英(11月引揚)、独、仏、ソ連、伊、
中国、蘭、亜、土、墨、加(12月廃止)、タイ、南
洋在勤(パラオ)、ルーマニア、満州国 16か国
さて、このような国々に派遣された武官等は、どの
ような活動を行ない、それがどのように陸海軍に影
響を及ぼしたのでしょうか。
▼ 在外大公使館付武官の軍における影響力
武官の軍における影響力は、設立草創期の頃は欧米
の軍事・軍制などの情報の収集、清国の内情に関す
る情報収集、明石大佐などによる欧州・ロシア情報
の収集など軍にとって大きな影響を及ぼすものだと
思われます。しかし、派遣国が増え武官制度が整備
されるにつれ、一部の例外(たとえばドイツ大使館
付陸軍武官の大島浩大佐の情報のような)はあった
ものの、陸・海軍を問わず、あまり影響力は大きく
なかったと考えられます。
陸軍では、戦後優れた情報将校だったと評価される
ような在外大公使館付陸軍武官、たとえば辰巳栄一
大佐(在英)、小野寺信少佐(在ラトビア、大佐時
在スウェーデン)らがいかに公正で確度の高い情報
を送ろうとも、中央には見向きもされなかったどこ
ろか、かえって反発を買ったといいます。
海軍においても、影響力が大きくなかったと見られ
るのは、同様でした。在米大使館付武官として大佐
時代に勤務した山本五十六などは、もっと影響力を
発揮してもよさそうですが、武官として特段に情報
面で影響を及ぼしたような形跡はありません。
その理由として考えられるのは、彼らは派遣された
ときの階級は将校全体としては、中堅クラスであっ
たことです。在外大公使武官に任命される軍人の階
級は、陸軍の場合は佐官、海軍場合は少将・佐官が
編制定員上の決まりでした。参謀本部に情報を送っ
ても、階級意識の塊の社会では下級者からの意見は
無視されやすいということです。
その他、在外大公使館付武官に限らず外国駐在勤務
に対しては、箔付け、遊学、閑職だといった否定的
なイメージがあったこと、同盟国以外の諸外国に対
して、時として極端な猜疑心があったこと、そもそ
も作戦に比して情報が軽視される傾向があったこと
などが考えられます。
▼ 在外大公使館付武官の人選
草創期の在外公使館付陸海軍武官は、概して過去
に留学や外国での駐在経験をしていたり、駐在先の
国で使用されている言語に通じていたりした者です。
しかし、教育制度が充実し、1883(明治16)年、陸軍
大学校が設置されると同校卒業時の成績優秀者に、
欧米諸国に駐在する機会が与えられることが慣例と
なりました。
ただし、中国に駐在する者は基本的に、成績優秀者
よりも語学力など実務能力以外から選ばれた(在外
大公使館付武官制度設立当時の清国への武官派遣目
的が、情報収集に主眼が置かれていたことを考慮す
れば、成績よりも実務的な情報収集能力(語学、経
験含む)が選考の対象となっていたと考えられます)。
1893(明治26)年在ドイツ武官に任命された落合豊三
郎少佐(陸大2期)が初めて陸大卒業者として選出
されましたが、以後、在外公使館付陸軍武官のほぼ
全員が陸大卒業生であり、陸軍の場合は、陸大を優
秀な成績で卒業することが、在外大公使館付武官に
なる必須の条件だったと言えます。
一方で、海軍の場合は1888(明治21)年に設置された
海軍大学校卒業が多かったことは事実ですが、基本
的には海軍人事の伝統とも言われるように海軍兵学
校卒業時の成績が重視され、さらに外国に駐在した
経験を有する者が選出されました。
また、本人の実力もさることながら、爵位を有して
いることが外国人との交際上、物を言うと考えられ
ていたことによる人事ではないかと思われる例もあ
ります。
補職という点から見ると全般的に、在外大公使館付
武官には軍政畑や情報畑を歩んでいるものが任命さ
れる傾向にありました。しかし、帰国後は必ずしも
情報畑にはつかず、在外武官は、エリート将校の踏
むべき昇進の第一段階となり、逆に在外武官の経歴
を持たない者は出世もおぼつかなかったようです。
なぜなら武官経験者が、その後、大臣、次官、参謀
総長、軍令部長などの要職を占めているからで、こ
のことが、その実態をよく表しています。
(つづく)
(ひぐち・けいすけ)
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【著者紹介】
樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
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