配信日時 2024/10/15 08:00

【情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(23)】日露戦争後の陸軍のインテリジェンス ─第一次大戦から学べなかった兵站と情報の重要性 -     樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

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おはようございます、エンリケです。

インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の23回目。

日露戦争後から第一次世界大戦にかけての帝国陸軍
の情報機関発展について書かれています。
特に兵站と情報の重要性を学べなかった点が指摘
されています。

改めて兵站と情報の重要性が過小評価されてきたこ
とを痛感します。特に、第一次世界大戦の総力戦に
おける情報の役割が軽視されたことは、わがインテ
リジェンスの発展を大きく遅らせたといえますね。
総力戦の時代に情報と統計の重要性を見逃してしま
ったことは、後の戦争に大きな影響を与えたよ
うです。

しかし、シベリア出兵を機に暗号解読の分野で進展
が見られたことは、わが情報機関の発展にとって一
つの転機だったのかもしれません。

いまもこれからも、インテリジェンスの強化は、国
家の安全保障に不可欠な要素ですね。

さっそくどうぞ。


エンリケ



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情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(23)

日露戦争後の陸軍のインテリジェンス
─第一次大戦から学べなかった兵站と情報の重要性


 樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

───────────────────────

□はじめに

先回までは、日露戦争までの軍の情報機関について
述べてきましたが、今回から日露戦争以降の陸軍の
情報機関をテーマとします。

日露戦争にともなう大本営は、対露宣戦の翌日の19
04(明治37)年2月11日宮中に設置され、翌05(明
治38)年12月20日に閉鎖されました。

大本営においては、参謀総長および参謀本部職員の
一部が陸軍参謀を兼ね、情報活動は従来どおり、参
謀本部の1部、2部、4部によって行なわれました。
当時の参謀本部は、ドイツ(プロイセン)参謀本部
を模倣して編成したものでした。

つまり担当正面を1部と2部に区分し、それぞれの
部に作戦と情報を所掌する機能を有していました。
第1部がロシア、朝鮮、満洲を担当し、第2部は台
湾と清国を担当していましたが、日露戦争の戦訓に
基づき編成を見直しました。

▼情報業務における日露戦争の戦訓

日露戦争の戦訓に基づく情報業務の問題点や対策と
しては次のような点が指摘されています。

人員・装備を決定し作戦準備の基礎とするためには、
情報業務の拡張と発展を図るべきである。

2)近代の統計的な考え方は著しく発展しているに
もかかわらず、それを重視・活用していない。
たとえばシベリア鉄道の輸送能力を単線だからとい
う理由のみ(*)で、甘く見積もっていたが、ロシ
アは実際には予想できないほどの大軍や物資を輸送
してきた。また、仮に50万人以上の大軍を東部シベ
リアに派遣すれば、軍はもとより国民が飢餓に陥る
などとの見通しなどは夢想だったのではなかったか。

(*:シベリア鉄道は、単線であるとの情報は正し
かった。しかし、ロシアはそれを利用する際、到着
した車両を終着点で壊して薪にしたりして元に送り
返すことなく、次々と出発点から兵隊や装備品の輸
送を迅速に行っていた。そのため、日本の予想より
もはるかに短期間で軍人が動員され、物量が集積さ
れた)

これらは、平時における統計的な調査が不十分な結
果である。一つの断片的な情報を得たからといって、
それだけを判断の根拠にしてはならない。これら統
計的な分析ができるように情報収集機能を拡充する
ことが必要である。

▼日露戦争の戦訓などに基づく組織改正のポイント

1)情報機能が未発達で、その規模も小さく、情報
活動の方法、手段が適切ではなく、作戦に十分に寄
与することができなかった。特に平時に収集した情
報は作戦計画の資料として役に立たず、開戦当初に
得た諜報に基づいて何とか作戦を立てることができ
た。

2)参謀本部は戦時に作戦を統帥することを主眼に
作戦に関係のないものは排除して平時の組織を改編
すべき。

3)動員編制などは参謀本部の業務というよりは、
軍政事項であり陸軍省の管轄である。動員編制をめ
ぐって陸軍省との間に摩擦を生じているのは、弊害
である。参謀本部は作戦に集中すべき。

4)情報を主担任とする部を常設し、発展させて作
戦計画に寄与するようにすべき。

5)作戦に必要な兵站業務の調査を行なう部署が必
要。

6)参謀本部の計画が海軍軍令部と調整されていな
いため、参謀本部でいくら計画しても、それは国家
としての計画ではなく単に陸軍の計画であり現実的
ではない。これを改善することは最重要の案件事項。

7)参謀本部に陸軍大学校、編纂部(戦史、文庫)、
陸地測量部を付属機関としておくべき。

8)陸海軍の協同の実を上げるために各部に海軍将
校を配置すべき。

これらを情報業務に特化してまとめれば、当時は情
報機能が未発達で、その規模も小さく、情報活動の
方法、手段も適切でなく、作戦準備の要素として重
きをなすことができなかった。

以上、戦後に情報機能の整備、充実、強化が求めら
れ、特に統計的な手法の活用や不十分さが強く求め
られました。

情報活動の方法、手段をどのように適切化し作戦に
寄与できるようにしたのか、統計的な分析手法をど
のように活用できるようにしたのかについては、明
らかになっていません。

しかし、このような戦訓に基づき、1908(明治41)
年、参謀本部条例が改定され、参謀本部次長が参謀
次長に改称されるとともに5部2課制が採られるよ
うになりました。

▼日露戦争の戦訓に基づく参謀本部の改編(大正時
代)

編制については、情報業務所掌の部門を第2部とし
て独立させ、同部に第4課と第5課を置きました。

それぞれの任務は、第4課が「内外諜報の蒐集及び
審査、外交に関連し発生すべき軍事諸件」、第5課
が「内外兵要地誌及兵要地図の編纂、同材料の収集」
となっています。

第2部の部員は35名、大使館公使館付き武官補佐官
等は、14名でした。

この改編により、1896(明治29)年5月9日に第3
部として独立した情報組織が、幾多の変遷を経て再
び第2部として独立し、以後1945年の参謀本部終焉
まで、独立して存続することとなります。

1916(大正5)年には、部の課がさらに細分化され
2個班の編制になり、第2部第4課第1班がロシア、
第2班が欧米、第5課第3班が支那、第4班が内外
兵要地誌及び兵要地図の編纂、同材料の収集といっ
た任務区分になりました。 

1921(大正10)年には、2部員は48名、武官等在外
公館の要員は21名にまで拡大されました。

▼第一次世界大戦への参戦とシベリア出兵の影響

第一次世界大戦は、1914(大正3)年7月28日から1
918(大正7)年11月11日にかけて、イギリス・フラ
ンス・ロシアの連合国(協商国)とドイツ・オース
トリアの同盟国を中心として戦われた世界規模の戦
争です。

日本は1914年8月23日にドイツに宣戦布告し、連合
国側として第一次世界大戦に参戦しました。参戦の
主な動機は、日英同盟に基づくイギリスとの協力と、
ドイツのアジアにおける権益を排除することでした。

日本陸軍は、1914年11月に中国の青島(膠州湾)を
攻略、南洋諸島(ドイツ領南洋諸島)の占領にも関
与しました。これにより、アジア太平洋地域での権
益を拡大しました。

こうした作戦の関与以外にも第一次世界大戦を通し
て、ヨーロッパ西部戦線や東部戦線への陸軍の派遣、
アデン湾に対する遠征軍の派遣など、要員や物資不
足に苦しむ連合国側から何度にもわたってさらなる
支援要請を受けていましたが、基本的にはそれら全
てを断っていました。

ただし、この戦争間に、ロシア革命が起こり「革命
軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」を名目
にシベリアに連合国側が共同出兵しました。

これには日本も参加し、1918年8月11日のウラジオス
トク上陸以降、増兵を繰り返して協定兵力(1万20
00人)を大きく超える兵力7万2000人の兵士を派兵
しました。ハバロフスクや東シベリア一帯を占領し
ましたが、日本の反ボリシェヴィキ政権樹立工作は
酷寒とパルチザンの抵抗にあって不成功に終わりま
した。

1919年秋には英仏がシベリアから撤兵。アメリカも
1920年1月にシベリア撤退を決定しました。日本は、
列国の撤兵後も出兵目的を居留民保護とロシア過激
派が朝鮮や満洲に影響力を伸ばすことの防止に変更
することで駐留を継続しようとしました。しかし、
国内外からの批判が高まった結果、1922年10月に日
本軍も撤退しました。

このように、日本も第一次大戦やシベリア出兵には
関与していたものの、ヨーロッパの戦線には直接参
戦していませんでした。ヨーロッパにおける戦争の
特徴は総力戦でしたが、日本は欧米が体験した総力
戦は経験していません。

総力戦とは、戦争目的に向かって、軍事力だけでな
く、各国の経済力、工業力、技術力、その他人的諸
能力を最大限に組織し、国のすべてを動員する戦争
形態です。

表面上は、戦車、航空機の投入、大火力の運用、塹
壕戦などが目につきますが、兵站と情報については
なかなか表には現れてきませんでした。

イギリスの歴史研究家マイケル・ハーマンによれば、
第一次世界大戦がヨーロッパ諸国のインテリジェン
スに与えた影響は小さくなかった。第一次世界大戦
は、総力戦には、総合的なインテリジェンスが必要
なことを示していた。

つまり国の軍事力は、工業力、人口統計、士気など
の要素に依存しており、それらは一般的な軍事情報
の分析の領域を越えていたとしています。

従来のやり方では、膨大で迅速な情報を適切に情報
処理することができなかったということです。

▼ポーランドに学んだ暗号解読

実は、第一次世界大戦には日本は多くの観戦武官を
同盟軍の第一線に派遣し、平時獲得できない実戦場
裡の諸情報(戦法含む)を収取することに努めてい
ます。どちらかといえば、連合国側から苦情を受け
ることがあるほど観戦武官を派遣したとされます。

しかし、観戦により新型兵器、火力、戦法といった
目に見える部分の情報収集はできても、インテリジ
ェンスの業務や兵站といった目に見えにくいものは、
実戦体験しなければその重要性や運用上の問題点に
は気づけなかったということでしょう。

アジア地域における従来と同様の戦闘様相に伴うレ
ベルでは、ヨーロッパ正面レベルの戦闘の水面下の
動きは理解できなかったものと考えます。

これらのことについて、小谷賢は「当時の日本のイ
ンテリジェンスにとって不幸だったのは、軍事情報
部が設置されて以降、実戦を経験しなかったために
インテリジェンスの運用方法を具体的に把握できな
かったことである。特に日本が第一次大戦を本格的
には経験しなかったことは大きい。
よく言われるように、この時、日本軍は第一次大戦
の総力戦という側面と火力の飛躍的な発達には注目
していたが、戦争におけるインテリジェンスの役割
については検討すらされることはなかったのである」
と指摘しています。

ただし、陸軍はシベリア出兵を契機に本格的に暗号
解読の重要性を痛感しています。1922年夏、日本は
シベリアから撤退のためにソ連側と交渉することに
なり、情報収集のためにウラジオ派遣軍司令部付き
の三宅中佐が派遣されていました。

そこで、ソ連側代表団が宿泊したホテルに捨てられ
ていた紙屑の中から暗号文らしきものを入手するこ
とができました。その暗号文は、東京の参謀本部で
は解読できませんでしたが、ポーランドの岡部駐在
武官が、ポーランドに解読を依頼したところ、1週
間程度で解読したとの報告がありました。

ポーランドの暗号解読能力は、日本と比較にならぬ
ほど進んでおり、ソビエト・ポーランド戦争(1919
年2月~1921年3月)においては、ソ連の暗号を解
読してソ連軍を撃破したという戦訓もあります。こ
れらの事から暗号解読の重要性を痛感した参謀本部
は1923(大正12)年ポーランド参謀本部からヤン・コ
ワレフスキー大尉を招聘してソ連暗号解読の講習を
行なうことになりました。

ちなみにこの講習には、海軍からも参加しています。
この講習を機に、暗号電報傍受に大きな進展があり、
参謀本部第3部第7課内に暗号解読班が編成されま
した。

しかし、1925(大正14)年には、2部員は43名、武
官等の在外公館要員は20名と削減されています。こ
れは、軍縮による将兵削減の影響と考えられていま
す。


(つづく)



(ひぐち・けいすけ)



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【著者紹介】

樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)



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