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おはようございます、エンリケです。
インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の22回目。
インテリジェンスのプロが、日本海海戦を情報戦の観点から分析・整理し、一般人にも読みやすくまとめたよみものは、ありそうでない気がします。
今回の記事は、その面で非常に読みやすく、
楽しく価値ある内容ですね。
さっそくどうぞ。
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情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(22)
国民総動員でバルチック艦隊の動向を探る
──その編成、位置情報、乗組員の士気──
樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)
───────────────────────
□はじめに
今回は、バルチック艦隊の航行についての情報収集
をいかに行なったかについて書きたいと思います。
なぜなら、日露戦争当時の海軍にとって最も重大な
懸案事項は、ロシアのバルト艦隊と旅順艦隊の合流
でした。いつ、どの程度の規模がバルト海から極東
に派遣されるのか、それらを合流させずに各個撃破
できるかどうかが、日露戦争の帰趨を決めるうえで
は極めて重要でした。
そのためにはバルト海艦隊、そこから抽出されたい
わゆるバルチック艦隊の動向を探り、待ち伏せて撃
破するための情報収集が重要でした。待ち伏せする
場所は、日本の3海峡が適切ですが、3か所に艦船
を分散して待ち伏せる力はありません。
現在であれば大規模な船舶の航行は、技術的な情報
収集手段、つまり人工衛星、レーダーなどTECHINT
(技術的情報源)で収集することが可能です。
しかし、日露戦争当時には衛星はありませんし、レ
ーダーも十分には発達していません。人の目による
監視がいちばん確かだったのです。当然、艦船に知
識がある人間が必要ですが、交通機関や通信手段が
発達していない当時、そう簡単に適任者を派遣する
ことはできませんでした。
以下、軍令部がどのような手段を駆使して情報を収
集したかについて考察します。
▼必要な情報
バルチック艦隊に関しどのような情報が必要かは、
軍令部が各地域の駐在武官に命令し、公使や領事に
依頼のために打電した情報収集項目からうかがえま
す。
【バルチック艦隊の動向に関する必要な情報の細部】
潜水艇を積載している艦船の有無
機雷敷設用機材を搭載した艦船の有無
水雷母艦、修理工作船等特別な艦船の数と艦名
無線装置の有無
船体、マスト、煙突の色、船体に刻まれた文字
司令長官や乗組員の言動や能力
寄港した各艦船の名称、寄港と出港の日時、行先
これらの情報はロシアからインド洋まで必要な事項
ですが、台湾付近への接近時には、どの海峡を通過
するかも必要な情報です。
つまり「マラッカ海峡」「スンダ海峡」「ロンボク
海峡」のいずれを通過するかです。
さらに、ウラジオストクまでの航海を考えると「対
馬海峡」「津軽海峡」「宗谷海峡」のどれを通過す
るかに関する情報や見積もりが必要になってきます。
ちなみに公使からの返信の電報の内容は以下のよう
なものでした。
【イタリアより調査項目の回答】
ローマ駐在の英海軍武官からの情報を駐イタリア大
山綱介公使打電
潜水艇積載の形跡なし
水雷敷設船なし
フェリケルザーム支隊と義勇艦隊(*)に特別な偽装を
した艦艇なし
全艦に無線装備あり
船体は黒、煙突は黒と白
乗組員は未熟
(*)義勇艦隊とは、1878年にロシア帝国で設立さ
れた国営の船舶輸送機関である。参加する海運会社
によって集められた自発的な寄付から資金提供を受
けたため、この名前が付けられた。日露戦争にも参
加している。
▼情報収集地域・地点と収集源(手段)
したがって、幅広い情報網を構築し次のような地点
での情報を収集することが必要でした。ロシアから
ヨーロッパにかけての主要な港湾。アフリカ西岸の
主要な港湾。アフリカ東側のマダガスカル(仏領)
の主要な港湾。地中海や黒海からスエズ運河を経由
する航路上の主要な地点。マダガスカルから東南ア
ジアにおける主要な3海峡。台湾以北の日本の3海
峡などの地点に関する情報です。
情報源としては欧米の報道、イギリスからの情報提
供、各在外公館からの情報や、上記の地域・地点へ、
各武官や公使らが自ら赴いたり、エージェントを派
遣したりして得たものです。
また、愛国心を有する民間人(ホテル経営者、唐行
きさん)が自主的に情報を提供してくれたものもあ
りました。
その他、艦隊が近づいてくると日本周辺の各海峡に
は、海軍が直接警戒網を配置し、細部の情報の入手
に努めました。
▼情報収集成果
以上のような努力の具体的な成果として、軍令部は
1904年11月8日から「東航露国太平洋第二艦隊所在
表」を作成しています。
そこでは、バルチック艦隊の艦船の種類、艦名、航
行・停泊場所を毎週1回「大海情(大本営海軍幕僚情
報)」に掲載しています。
さらに各艦の艦長・副艦長の階級氏名、各艦のトン
数・砲門数・速力・建造年、艦隊司令部の陣容など
もまとめて適宜配布しています。
この、所在表に基づき「露国艦影図」(*)も作成
しました。
台湾以北におけるバルチック艦隊の動向を一刻も早
く知りたい軍令部は「露国太平洋第二艦隊」の艦影
図を1905年4月10日の新聞に掲載し、広く国民にも
情報提供を呼びかけました。
(*)艦影図(かんえいず)とは、艦船の形状や特
徴を示す図面やビジュアルのことを指します。艦船
の外観を平面や立面、断面図として示し、艦船のサ
イズ、形状、構造物の形状・配置などの詳細が分か
るように描かれています。特に艦影図は艦船のレー
ダーや目視での形状を表すため、艦船の識別や分析
に役立ちます。
▼バルチック艦隊の実際の動向
過去のバルチック艦隊の動向を現代の情報に基づき
まとめると次のようになります。
日露開戦後約2カ月が経ち満洲と遼東半島の戦局は
日本軍優勢で、ロシアとして憂慮すべき状況でした。
そこで1904(明治37)年4月30日、ロシア皇帝ニコ
ライ2世は、旅順とウラジオストクの旅順艦隊を援
助し、日本から制海権を奪還するためにバルト海艦
隊から抽出した艦隊を極東に派遣することを決定し
ました。
その際、旅順艦隊を第一太平洋艦隊とし、極東に向
かう艦隊を第二太平洋艦隊と改称しました。さらに
1905年2月に旅順要塞の陥落により旅順艦隊が壊滅
すると、バルト海艦隊の残りの艦から第三太平洋艦
隊を編成し、増援部隊として1905年2月に極東へ送
り出しました。
この結果、ロシア海軍は黒海艦隊を除いて戦力のほ
とんどが日露戦争に動員されることになりました。
これら第二・第三太平洋艦隊を指して通称「バルチ
ック艦隊」と呼びます。ジノヴィ・ロジェストヴェ
ンスキー中将率いるロシアの第二太平洋艦隊が、バ
ルト海に面したリバーヴァを出航したのは1904(明
治37)年10月15日でした。目指す極東のウラジオス
トクまでは約1万6400カイリ(約3万km)の大航海
です。
1904年11月初め、第二太平洋艦隊はヨーロッパ大陸
とアフリカ大陸の要衝モロッコのタンジールで本体
と支隊の二手に分かれました。
ロジェストヴェンスキー中将率いる主力の本隊は、
南アフリカの喜望峰を迂回、ドミトリー・フェリケ
ルザーム少将率いる支隊は、吃水の浅い艦船群であ
りスエズ運河を通りました。
主力艦隊は途中で暴風雨に遭遇するなどしながらも、
12月29日にインド洋のマダガスカル島に到着、その
後北端のノシ・ベ島に錨を下ろしました。航路上の
中立国の港での補給や修理は困難(*)であり、半
年間の航海は困難を極め、航海中に多数の乗組員が
死亡しました。
(*)日露戦争勃発に際して、主要列強はすべて戦
争当事国のどちらにも味方せず、公平な態度をとる
局外中立を宣言しました。当時の国際法では、中立
国の港で交戦国の艦船を修理させてはならず、たと
え一つの中立港に寄港したとしても次の中立港まで
の最低限の燃料や食料しか提供されない。
ノシ・ベ島でと合流する予定になっていたフェリケ
ルザーム支隊は、遅れて1905(明治38)年1月9日
に到着しました。
その後、第三太平洋艦隊を待つため同地に3カ月ほ
ど滞在していましたが、待ちきれずに出航し、ロシ
アの同盟国フランスの植民地であるフランス領カム
ラン湾に4月14日に入り、そこからさらにヴァン・
フォン湾へ移動して停泊しました。
5月9日にやっと到着した第三太平洋艦隊と合流し、
全艦でウラジオストクを目指すこととなりました。
バルチック艦隊のウラジオストクへの航路について
は、最短ルートの「対馬海峡」コース、太平洋側を
回って本州を迂回する「津軽海峡」コース、北海道
を迂回する「宗谷海峡」コースの三つがありました。
時間が経過し、事実が判明した後であれば、このよ
うに航路はコンパクトにまとめられますが、当時い
つ、どこで、どのような編成で航行するかを把握す
るためには、前述のように膨大な地域に人を配置し
て情報網を構築する必要がありました。
ですから艦隊が通過せず、配置そのものが空振りに
なった地域も多くありました。たとえば、インドネ
シアにおいては1904年12月から田中シンガポール領
事と軍令部参謀森海軍大佐が人材や資金を投入して
着々と幅広い情報網を築き上げましたが、結果とし
ては、マラッカ海峡以外は通行しなかったという否
定情報以外は収集できませんでした。
▼結論
実際の艦隊の動向と軍令部の情報活動を比較して得
られる結論は以下の通りだと考えます。
1)機械的情報収集ができず、人的な情報収集に頼
らざるを得ない場合には、幅広い地域に対して時間
をかけた情報網の構築が必要である。
2)当時の情報収集においては、日本国民一丸とな
って、使えるものは何でも使って情報収集しようと
する姿勢がみられる。
3)日本の在外公館が存在する国や商社などが進出
している地域であれば日本人が潜入可能だが、そう
でない地域では困難であり、現地で人をリクルート
して情報網を構築する必要がある。その際は、膨大
な資金と時間がかかる。
4)欧米人のスパイはアジア系のスパイを雇うのに
比べて資金がかかった。
5)アフリカ大陸西部は人材の派遣、通信などの問
題に加え、ロシアと同盟しているフランスなどの植
民地も多く、情報の入手は極めて困難だった。バル
チック艦隊の動向をひと月ほど把握できない期間が
あった。
6)また、バルチック艦隊が港のない洋上を航行中
は、当時の技術ではその動向を把握できなかった
(マダガスカル~マラッカ海峡、カムラン湾から上
海近辺)。
7)ロシア艦隊がイギリスの漁船団を誤認して攻撃
したドッガー・バンク事件によりイギリス国民の対
ロシア感情は急激に悪化したため、日本には有利に
作用した。一方で露仏同盟によりフランスはロシア
に好意的に対応した。
8)イギリス全体のロシア感情が悪くなったから、
イギリスが日本の同盟国となったからといってイギ
リス側がいつでも積極的に情報提供してくれたわけ
ではない。日本の武官や公使とイギリスの担当者と
の日頃からの個人的な良好なつながりで情報が入手
できた場合も多い。
(つづく)
(ひぐち・けいすけ)
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【著者紹介】
樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)
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