配信日時 2024/10/01 08:00

【情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(21)】日露戦争における日本海軍の情報収集     樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

-------------------------------------------
今後の配信が不要の場合は
下記より解除して頂けます
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
-------------------------------------------
あなたのペットが危険です
http://okigunnji.com/url/210/
-------------------------------------------
Audible会員なら、数多くのオーディオブック、
ポッドキャスト、限定コンテンツを月額1,500円で
好きなだけ聴き放題できます。まずは30日間の
無料体験を始めませんか? 
https://amzn.to/42ZaOnl
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「青天を衝け」渋沢栄一は何をしたのか?
↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://okigunnji.com/url/80/

---------------------------
哲學ツーリズム
http://okigunnji.com/url/187/
-------------------------------
松下村塾から沢山の「天才」が生まれた秘密
http://okigunnji.com/url/208/
-------------------------------
おはようございます、エンリケです。

インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の21回目。

明治時代の戦争指導者たちの立派さへの
想いと感謝は、高まる一方ですね。

さっそくどうぞ。


エンリケ



◆最新刊
『ウクライナとロシアは情報戦をどう戦っているか』
https://amzn.to/3SxjoWJ

───────────────────────

情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(21)
 
日露戦争における日本海軍の情報収集

 樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

───────────────────────

□はじめに

前回のメルマガでは、ベラルーシにおいて日本人が
スパイ容疑で拘束された事件について書きました。
戦前と違いスパイを養成する機関などがない現在の
日本においては、仮にスパイ活動のようなことを行
なったとしても所詮は素人の域を出ないのではない
かと思います。

また、仮に末端において素晴らしい情報収集活動が
できたとしても、それらを取りまとめて、他の情報
源と照らし合わせて分析する機能がなければインテ
リジェンスとして使用することはできません。

明治期においては、情報機関の創設期であり本格的
にスパイを教育する機関はなくとも、明治維新、西
南戦争などを経験した上層部は情報の重要性を十分
に認識して活動していました。

海軍は陸軍に比べて情報体制の確立は遅れたのです
が、日露戦争では、陸軍や外務省とも連携してバル
チック艦隊の情報を極めてよく集めて分析していま
す。

その成果が、日本海海戦における勝利に貢献してい
るのは間違いありません。

今回は、明治期の日露戦争前後に、日本海軍がどの
ようにして情報を収集し、それを分析、活用してい
たかについて概観してみます。


▼第3班(海軍の情報部門)の編制

日露戦争が開戦となり大本営が設けられましたが、
情報活動は従来通り軍令部第33班が行なっていまし
た。

第3班の定員は16名(軍令部全体の定員は54)で、
班長は海軍少将または大佐でその下に佐官44名、編
修1名、書記1名、編修書記7名、技手2名からなり
ます。海外には公使館付き佐官2名がいました。

その他に定員外で臨時採用(出仕)の印刷工などが
20名いました。

日露戦争においては、情報活動の成果として大本営
海軍幕僚情報(略して「大海情」)というガリ版刷
りの情報報告書が作成され適宜関係部署に配布され
ました。
 
▼第3班の部屋の配置

第3班の室内の配置について、明確に記述されたも
のを筆者は今のところ確認できていませんが、第二
次世界大戦時の参謀本部最後のロシア班長の話によ
れば、昭和10年代の陸海軍の情報部の室内は戦後の
新聞社の調査部と同じようなものとされています。
(もっとも、それがイメージできる人はかなり少な
いと考えられますが)。恐おそらく明治末も似たよ
うな風景だったと考えられます。

稲葉千晴の『バルチック艦隊ヲ補足セヨ-海軍情報
部の日露戦争-』(成文社、2016年)によれば以下
のような状況です。

概観すると情報を整理する作業場所と情報を記録し
保管する目録箱、それらの情報を元に分析して原稿
などを書くための机、写真を複写するためのスペー
スや機材があったと考えられます。

具体的には、部屋の真ん中に大きな作業机があり、
そこは新聞の切り抜きや地図の閲覧に使われました。
部屋の一角には、班員各人が自分の業務をこなすた
めの個人用の小さな机が集められています。

その他、地図や海図を収納するための幅広の引き出
しがいくつも並んでいました。

足のついた目録箱は何列も連ねて設置してあります。
こちらはいわゆる紙のデータベースです。目録箱の
中には縦75ミリ×横125ミリのカードが並んでいます。

厚紙でできたそのカードには、世界各国の海軍に関
する情報が書き込まれていて、タイトルが事項別で
付けられ、「いろは」順に整理して並べられていま
す。同一事項で何枚もカードがある場合は年代順に
なっています。

軍令部から各所に配布された資料にはロシア艦艇の
写真が添付されていたことから、写真を複製するた
めのカメラも第3班に置いてあったのは間違いない
とされます。

簡単な地図作成用の透写台(図などを透写するため、
すりすりガラスの下に灯りを備え、下から光を当て
るようにした製図台)もあったはずです。

部屋の片隅には本棚が置かれ、そこには各国語の辞
書や参考文献が並べられ、ジェーン海軍年鑑も発行
順にそろっていたようです。

▼情報収集から作成、配布までの流れ

情報の流れは、(1)情報収集⇒→(2)情報の処理(資
料の整理・真偽判定)→⇒(3)分析→⇒(4)作成・配
布になっていたようです。

情報源からの情報収集
主な情報源は次の通りです。
・駐在海軍武官、艦隊司令部、鎮守府(横須賀、呉、
佐世保、舞鶴)・要港部(対馬の竹敷、台湾・澎湖
島の馬公)などから送られてきた電報、在外公館か
ら外務省経由で送られてきた情報
・国内外の新聞

情報の処理
・上記資料を班員(海軍士官・事務官)たちが自分
の机で読み込み新しい事項をカードに記入し、タイ
トルや日付をつけて分類
・国内の新聞は切り抜いて内容をカードに記入
・外国新聞・雑誌は語学に堪能な専門のスタッフが
翻訳して重要な部分をカードに記入
・カードは目録箱に収納
・詳細な艦船のリストや地図も絶えず更新。その際、
バルチック艦隊の予想航路図、艦隊に燃料を共有す
る石炭運搬船の予想配置図も作成
・地図や海図は海軍省水路部の管轄ですが、簡単な
地図は透写台を使って第3班でも作成
・各部署に配布するため、ロシア艦船のオリジナル
写真を複写

分析
新たに収集された情報は、カード目録と照らし合わ
せ、真偽や蓋然性を吟味

作成・配布
・重要な情報について担当班員が「大海情」の草稿
を作成し、軍令部で議論したのち修正して第3班長
の了解を得て原稿を完成
・原稿を基にロウ原紙に筆耕し、いわゆるガリ版に
より印刷。刷り上がった資料は機密扱いとして封筒
に厳封され専門の配達員を使って関係各所に配布
・遠隔地には打電

▼情報収集の第一線である欧州における在外公館の
状況
日本は当時、一等国とはみなされていなかったため
諸外国に大使館を置くことが認められず公使館を配
置していました。

当時欧州で公使館があったのは、イギリス、フラン
ス、ドイツ、ロシア、オーストリア、オランダ、ベ
ルギー、イタリア、スペインでした。ただし、それ
らすべての国に武官が配置されていたわけではあり
ません。

ちなみに、大使と公使は実質的な職務や特権は変わ
りませんが、大使が外交使節において最上級であり、
公使はその次の地位です。日露戦争後、日本の国際
的地位が認められ、逐次公使館が大使館に格上げさ
れていくようになりました。1905年(明治38年)12
月22日に在イギリス公使館が昇格して大使館となっ
たのが最初です。

▼武官による情報収集

海外における海軍情報は、海軍武官団により行なわ
れていました。いわば、一定の範囲内で情報収集で
きる公的なスパイです。しかし、ロシアのような国
では武官はたえず関係当局の監視下に置かれており、
情報収集のために自由に動き回ることは不可能です。
おのずと新聞や雑誌などの公開情報や他国の武官同
士の情報交換に頼らざるを得ませんでした。

その中で日本公使館付海軍武官および武官を補佐す
る駐在員は、的確なロシア海軍の能力を把握するた
めにさまざまな努力をしていました。

中なかでも広瀬武夫武官の活躍は、特質に値すると
いえます。広瀬武夫少佐(後のちに中佐)は、日露
戦争初期の第二次旅順港閉塞作戦で部下を救出に行
って戦死し、軍神と崇められましたが、語学力に長
け、ロシア勤務においては、ロシア海軍に関する貴
重な情報を収集しています。

広瀬は1897年にロシアに留学し、海外駐在員、その
後、武官として勤務しロシア海軍事情を調査するこ
とになりました。

ロシア国内やパリ万博などの西欧視察旅行などをつ
うじて通じて、バルチック艦隊や港の実情、ロシア
の技術力などを分析することができました。

それらの報告書などによれば、ロシアの海軍技術の
進歩は著しいが、英仏海軍よりは劣っている。ただ
し、品質はともかく製造所や工廠の規模は英仏より
もはるかに大きい。

一方で海軍関連製品が品質に比べて値段が高いのは
ロシア海軍が賄賂まみれで腐敗している証左だと評
価している。

また、日本海軍と比較すると、日本は主要戦艦が外
国製であったのに比べれば、ロシアは自国の造船所
で戦艦を建造しているとその工業力を評価していま
す。

ただし海軍士官学校(海軍兵学校)のレベルは、江
田島の方が優れているとも評価しています。

▼日露開戦後の情報収集

日露戦争開戦と当時同時にロシアの海軍武官も駐在
員も引き揚げて帰国したため、戦争中の情報収集は
他の欧州の駐在武官や外務省に依存することになり
ました。

陸軍は武官の拠点をロシア国内からスウェーデンに
移しました。

海軍は、戦争に直面して国内で戦争遂行に必要な士
官の数を確保できなかったため、在外公館要員も帰
国させ、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカの
4か国にのみ海軍武官各1名だけを配置させて情報
収集していました。

しかし、陸軍は士官の数に余裕があったためか、海
軍の配置する公館の他にオーストリア、スウェーデ
ンにも武官だけでなく補佐官も配置していました。

ロシアの公使館を引き揚げた後の陸軍は、明石元二
郎武官のいたスウェーデンにおいてロシア関係の情
報を収集していたため、ここで集めた海軍関係の情
報は軍令部にも提供されていました。

日本人の情報員を直接派遣できないオデッサなどに
おいては、陸軍が外国人情報提供者を雇い入れて陸
海軍の情報を収集していました。オデッサでは1か
月につき現在の価値にして数百万円の機密費を払っ
たとされています。

▼海軍駐在員の派遣による情報収集

海軍では武官の補佐をするのは駐在員と呼ばれてい
ました。1904年海軍駐在員の河原袈裟太郎少佐は、
ロシアでの勤務から帰国する途中にエジプトに派遣
されました。そこではバルカン半島情勢、ロシア艦
隊や地中海艦隊の動向、スエズ運河を通過するロシ
ア艦艇の動向などを探るように命ぜられました。

スエズでの主な情報源は、船舶保険を扱うロイズ保
険組合が発行する新聞などでした。そこにはスエズ
運河を通過する船舶全ての記録が記載されていまし
た。さらに、現地新聞に記載された情報を加味して
ロシア海軍の動向を把握しました。

1904年2月からの日本軍の作戦で、ロシア太平洋艦
隊が旅順港に封じ込められたにもかかわらず、その
救援のためにロシア艦隊は動かないことが判明し、
同年3月河原少佐はエジプトから帰国の途につきま
した。

▼極東以外のロシア海軍の情報収集

1903年開戦が迫ったことを察知した軍令部は、極東
以外のロシア海軍情報の入手にも関心を高めました。
その際、各地の駐在武官だけでなく、シンガポール
や東南アジアでは、三井物産にロシア艦隊の動向を
打電依頼、ロシア国内の海軍情報入手のためロシア
人のジャーナリストを同年12月12日から半年間雇っ
ています。

▼英国からの情報提供

陸軍のところでも書きましたが、イギリスからの情
報提供が重要だったのは言うまでもありません。日
露戦争が開戦するとイギリスは一応中立を装いなが
ら重要な情報を日本に提供してくれました。

その際、在英海軍武官の鏑木誠大佐は、英海軍省を
一週間に一度は訪れ、情報部次長スチュワート・ニ
コルソン海軍大佐からさまざまな海軍情報を得て、
東京の軍令部に打電あるいは郵送しています。

鏑木大佐から軍令部に送られた情報は、多岐にわた
ります。バルチック艦隊の編成一覧、バルチック艦
隊の消息に関するコロンボからの報告、ロシアの潜
水艇に関する報告、香港のスパイ報告などなどです。

その中で、もっとも最も貴重なものは、ロシア海軍
の機密命令書でした。ペテルブルクの海軍省から黒
海艦隊司令官宛の1904年5月4日付機密命令102号に
は、バルチック艦隊の極東派遣の決定、黒海艦隊の
東航艦隊への合流計画などが含まれていました。

このような極秘情報を鏑木武官が得ることができた
のは、ニコルソン大佐との親交関係からくると示唆
する資料記述もありますが、インテリジェンスの世
界はいくら親しい友人だからといって機密情報を提
供するような甘いものではありません。

相手に与えてもいい秘密のレベルは明確に上限が決
められており、それを越えると自分が情報漏洩した
ことになり処罰されるからです。仮に、それがある
程度のレベルで許されるのは、それ相当の見返りが
ある場合、つまりギブアンドテイクが成立する場合
でしょう。

イギリスは、南アフリカのボーア戦争で疲弊し、極
東において南下するロシアへ対抗する余力を持って
いなかったため、その防壁として日本を利用しよう
としていたにすぎません。

そのために有益な情報であれば、積極的に提供して
いたということでしょう。また、日本側の情報管理
(セキュリティ)体制も一定程度認められていたた
め、機密情報も流してくれたのだと思われます。

▼情報の配布

以上のような、防衛駐在官や日々の報道などから収
集した情報を第3班で分析し「大海情」としてガリ
版印刷しました。

これは、ロシア海軍について知りえた情報をできる
限り速やかにまとめた報告書であり、その内容は、
ロシア各艦艇の所在、艦艇の武器の種類、兵員の士
気、海軍人事、中立国の輸送船に関する情報などで
す。

「大海情」大海情は、海軍内部で情報共有の目的で
作成配布されましたが、東京では海軍省および軍令
部に属する各部局(鎮守府・要港部や艦隊司令部な
ど)だけでなく、陸軍、外務省などにも配布されま
した。

呉や佐世保などの遠隔地にはその内容が暗号化され
打電されていました。日露戦争勃発直後の1904(明
治37)年2月から講和条約批准の1905(明治38)年1
0月まで、1,000通以上の情報つづりが「大海情」と
して作成されています。

ちなみに情報をつづった情報つづりの名称は、年代
によって変化しています。1897年以降「諜報」とい
う名前で関係各所に配布されましたが、1903年55月
には「秘情報」に、そして日露戦争勃発後に「大海
情」に変わりました。


(つづく)



(ひぐち・けいすけ)



◆最新刊
『ウクライナとロシアは情報戦をどう戦っているか』
https://amzn.to/3SxjoWJ


樋口さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。

https://okigunnji.com/url/7/




【著者紹介】

樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)



▼きょうの記事への、あなたの感想や疑問・質問、
ご意見をここからお知らせください。
 ⇒ https://okigunnji.com/url/7/

-------------------------------
松下村塾から沢山の「天才」が生まれた秘密
http://okigunnji.com/url/208/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あなたのペットが危険です
http://okigunnji.com/url/210/
-------------------------------------------
Audible会員なら、数多くのオーディオブック、
ポッドキャスト、限定コンテンツを月額1,500円で
好きなだけ聴き放題できます。まずは30日間の
無料体験を始めませんか? 
https://amzn.to/42ZaOnl
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
-新感覚 教育メディア-
哲學ツーリズム 光を観る旅
http://okigunnji.com/url/187/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
三井・三菱財閥をわずか一代で超えた男の経営學
↓↓
http://okigunnji.com/url/80/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。


最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。

-----------------------------------------
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)

メインサイト:
https://okigunnji.com/

問い合わせはこちら:
https://okigunnji.com/url/7/

メールアドレス:
okirakumagmag■■gmail.com(■■を@に置
き換えてください)
------------------------------------------

購読解除はこちらで
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com


---------------------------

投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。

Copyright(c) 2000-2024 Gunjijouhou.All rights reserved