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おはようございます、エンリケです。
インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の18回目。
明治期のインテリジェンス史は、
まさに汲めども尽きぬ養分の豊庫で、
本当に面白いですね
幕末維新の風雲を切り抜けるなかで、
インテリジェンスの重要性を理解し
尽くしていた明治時代の将軍たちの
存在も魅力的ですし、興味深いですね。
石光真清記念館の現状報告も実に興味
深い内容でした。地元の人たちの努力で
保存されているのですね!
真清の祖国への献身とそれに見合わぬ祖国
からの評価、そんな真清のことを決して
忘れまいとする地元の心ある方々。
日本という祖国を守るとはどういうこと
なのか? いろいろ考えさせられました。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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───────────────────────
情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(18)
明治陸軍のインテリジェンスはなぜ凄かったか
─その進化と問題点─
樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)
───────────────────────
□はじめに
前回、石光真清について記述したメルマガ17号の発
信の後、熊本で仕事があり少し時間が空いたので
(2024年9月6日)石光真清記念館を訪ねてきまし
た。熊本駅で観光案内所において案内された通りに
駅から徒歩10分程度、県道22号線を東側に進み白川
を渡ってしばらく歩くと記念館はありました。
通りから少し奥まったところに「石光真清 旧居」
の立て札があり、記念館はひっそりとたたずんでい
ました。
1997(平成9)年、建物は老朽化のため解体・撤去
の話もあったところ、地元の方の熱意により残され、
2012(平成24)年、所有者の前川千鶴子さんにより
熊本市に寄贈され熊本市で管理されています。
今は見学者も少なく、現地において市の文化財課に
電話して5分ほど待ちますと係の方が来て、記念館
の入り口の鍵を開けていただきます。
「あとはごゆっくり見学していただき、終わったら
鍵を閉めに来ますのでまた電話をください」と言わ
れました。中に入ってみましたが、何点か資料がお
いてあり、縁側には、外から見られるように石光真
清の生涯などについてのパネルが展示してありまし
た。
メルマガ17号を書くために、真清について調べまし
たので新たな発見はありませんでしたが、旧居を訪
れたことは感慨深いものがありました。
彼の活躍、日本への貢献を考えるともう少し世間に
知らしめて見学者が増えるように展示品などが整備
されればいいなと思いながら、入口の鍵を閉めてい
ただき記念館を後にしました。
さて、今回は、石光真清の活躍などを夢想しながら、
日清・日露戦争におけるインテリジェンスについて
まとめてみたいと思います。
日清・日露戦争は国民レベルでは、大勝利と浮かれ
ていましたが、実際はどちらも薄氷の勝利でした。
もちろんインテリジェンスは、この勝利に貢献しま
したが、成功した点ばかりではなく、失敗(改善事
項)した点もあります。
▼明治期のインテリジェンスの先見性と問題点
明治の将軍たちは、幕末の動乱期を経験していて、
インテリジェンスの恐ろしさとその重要性を十分理
解していたことは、インテリジェンス組織の充実に
役立ちました。
建軍以来、充実させてきた参謀本部組織を日清戦争
という実戦の経験を踏まえて、日露戦争の前には当
時としてはほぼ理想的な組織に改編しました。
情報収集においては、日清戦争の10年前から、前回
まで紹介してきたような、福島安正、荒尾精、明石
元二郎、そして石光真清といった優秀な人材を大陸
に送り込み継続的に情報収集していました。清国と
の決戦の次はロシアとの戦いもあると予測し、ロシ
アの情報も早期から入手に努めていました。
参謀本部は川上操六というインテリジェンスのエキ
スパートに導かれていました。そのため、すべての
情報や権限が一人に集中し過ぎていました。彼が生
きている間はそれでうまく機能していましたが、彼
の急逝のあとその機能を分散させて維持することが
困難でしたし、彼しか知らないこともありました。
たとえば、17号で書いたように中国において完全に
僧侶になりすまして情報収集していた潜入要員・花
田仲之助などの本当の実績や価値を川上操六しか把
握していなかったため、ほかの人に理解されず、方
針変更の名目で帰国させられました。
▼情報伝達手段(海底ケーブル)の充実
情報においてはその収集、分析が重要であるが、集
めた情報を安全かつ迅速に伝達することも極めて重
要です。戦争の歴史は、通信、コミュニケーション
の歴史ともいわれます。古くから太鼓、のろし、伝
書鳩などが情報伝達手段として使われてきましたが、
日露戦争目前に有線通信、無線通信、電報、電話な
どの近代電気通信技術が一挙に発達し、通信スピー
ドが飛躍的に向上しました。
川上操六、児玉源太郎はこのことにいち早く気づき、
川上は日清戦争直前に東京・下関間の直通通信線、
朝鮮半島の釜山・京城間の電信線の敷設を提案、日
清戦争後は本土と朝鮮半島・中国大陸間に海底ケー
ブルを敷設し、大本営と戦地の連絡ができる体制整
備を計画しました。1895(明治28)年に陸軍省内に
「臨時台湾灯台電信建設部」を設立、児玉源太郎が
みずからその部長になって通信網を整備しました。
1896(明治29)年から工事に取りかかり、大隅半島
から沖縄、石垣島を経由して台湾北端の基隆までの
海底ケーブルの幹線を設置。さらに、敷島、種子島、
屋久島などにもつなぎ明治38年総延長1800kmの
ケーブルを設置しました。
これらの海底ケーブルは、欧米人の技術指導も全く
受けず、日本独自で完成させ、日本にはできないと
タカをくくっていたロシアや欧米諸国を驚かせまし
た。
台湾以降はイギリスの通信ルートにつなぎ、ロシア
が関与しているケーブルの使用をしなくても通信で
きるようになりました。
▼機密費の活用
日露戦争の際は、当時のお金で100万円という機密費
を、明石元二郎に持たせてロシアで工作させたなど、
必要なところには、潤沢に資金をつぎ込んだと思わ
れます。
明石元二郎の報告書において、現地で雇うスパイに
ついて、「開戦初期はロシアの旧将校はスイスの将
校たちからスパイを紹介してもらったが、厚意によ
る紹介はときとして面倒なこともあるため、純粋に
金銭活動と割り切ることができる人間を雇うことに
した」とある点からも、ヨーロッパ人を運用する際
には重要な教訓だと思われます。
▼日英同盟と日英軍事協商による英国からの情報の
入手
日英同盟は「日本は英国の中国での権益を擁護し、
英国は朝鮮、中国における日本の権益を援護する。
日英どちらかが一国と交戦した場合は同盟国は中立
を守り、二国以上の場合は参戦を義務付ける」とい
うものでした。
このため、ロシアとの戦争に英国が直接介入するこ
とはなかったものの、ロシア以外の国が日本への攻
撃を抑止していました。日露戦争が開戦すると英国
は一応中立を装いながら重要な情報を日本に提供し
てくれました。また、英国が支配している植民地等
の港へのバルチック艦隊の寄港や燃料補給を妨害す
るなどして艦隊の到着を遅らせてくれました。
特に、日英軍事協商は日英同盟の陰に隠れた密約で
あり、主として日英の通信・情報交換に関する協定
でした。そのため、イギリスからの貴重な情報を迅
速に入手することができました。イギリスは1850年
代に「世界制覇は海底ケーブルにあり」と海底ケー
ブルの敷設に取り組み、1902(明治35)年南アフリ
カ連邦とオーストラリアを海底電信ケーブルでつな
ぎ世界中の植民地とロンドンを結ぶ世界電信網を完
成させました。日本は、独自に敷設した海底ケーブ
ルと英国の海底ケーブルの一部を利用し、大陸から
の情報を迅速に処理することができました。
▼プロイセン参謀本部に内在していた情報の問題点
ところで主要国の近代的な参謀組織は、プロイセン
(ドイツ)参謀本部の影響を大きく受けています。
それは、普仏戦争で天才ナポレオンを破った原動力
としての参謀本部の存在が脚光を浴びたからです。
当時の主要国は「プロイセンに学べ」を合言葉にプ
ロイセン参謀本部を模範にして、参謀本部を改編・
新設しました。ロシア、トルコだけでなくプロイセ
ンに敗れたフランスがその有用性を認めていち早く
採り入れました。
日本は明治期に当初はフランスから軍制などを採り
入れていましたが、その後プロイセン式に変更し、
プロイセンの戦術などを採り入れるためお雇い外国
人としてモルトケの弟子のメッケル少佐を招聘した
ことも以前掲載しました。
これらの模倣が、参謀本部の近代化に大きく寄与し
たことは間違いありません。しかし、そのことは、
プロイセン参謀本部の良い面だけでなく、悪い面も
取り込んでいるということです。
プロイセンにおいて、参謀本部を創設する時点で、
その組織を現地司令官支援型の情報中枢にするのか、
中央統制型の作戦中枢にするのかの議論がありまし
た。結果として、十分な検討を経ないまま、作戦重
視型になったのです。
そもそも、作戦中枢型と情報中枢型の二つの案が対
抗していたにもかかわらず、それらの長所および短
所を研究して分析検討することが行なわれないまま
に、組織を編成してしまったところに問題がありま
した。
拙速に決めてしまった理由としては、当時のナポレ
オン戦争の進行による事態の切迫化により、まずは
暫定的に機関を設立し、インテリジェンス・サイク
ルを回すことが優先されたということが挙げられま
す。
すなわち、事態の切迫化によって従来の軍事機構の
組織化の自然な流れを、一部断絶化する形で急ごし
らえの組織が作られ、構造的欠陥がそのまま定着し
てしまったのです。
ナポレオンとの戦いが終結しても、この問題は改め
て検討されることはありませんでした。
インテリジェンスは、作戦を成り立たせるために必
要です。情報量が少なく組織の規模が小さいうちは、
作戦の一部にインテリジェンスが組み込まれていて
も十分でした。
インテリジェンス組織内の各セクションも個人的な
つながりなどで比較的連携が採れていたようですが、
組織が拡大するにつれ、両者の連携よりも、自分の
組織を優先するセクショナリズムの弊害が表面化す
るようになってきました。
また、プロシアの軍制は、当時では最先端の官僚制
の組織でした。官僚制は、個人の業務を明確化し、
効率的に業務を行なうための画期的なシステムでし
た。しかし、次第に、与えられた業務は適切にこな
すが、他には干渉しないという弊害も出てきました。
その結果融通の利かない硬直化したシステムになっ
ていきました。情報の共有も部門を超えては困難だ
という欠点も顕在化してきたのです。
▼ロシア側の日本軽視の風潮
ロシア側が日本およびそのインテリジェンスを軽視
していたことは、日本軍にとっては有利に働きまし
た。
その背景にあるのは、ニコライ二世、ロシア政府、
軍トップなど上層部が日本を歯牙にもかけておらず、
諜報活動など念頭になかったからです。ロシア陸軍
総参謀部は、極東地域での秘密諜報機関の組織作り
に無関心で、日本語にも無知でした。
日露戦争の情報戦において大活躍をした明石大佐に
ついてすら、ロシアに赴任した時の動向については
あまり注目されていません。彼に関する情報は乏し
く「保安機関内で明石が話題になるのは、もっと後
のこと。ペテルブルクにおける明石の活動の報告は
何一つない」と記録されています。
さすがに日露戦争開戦後にストックホルムに移った
明石の活動に対しては、ロシア諜報機関の監視は強
くなりました。保安機関総括責任者は、明石のマー
クを強め、特に「追放、革命分子と近いフィンラン
ド系在住者への監視を強めよ」との指示を出しまし
たが、ロシア保安機関の在外諜報員はこれを軽視し
て、ストックホルム経由でロシアに流れ込む革命出
版物の取り締まりを優先してしまいました。
そのため、明石はフィンランドの独立運動の中心人
物(シリヤスク)ともすぐに知り合うことができま
した。
▼ロシア側の情報収集の失敗
日本を軽視していたロシアは、情報収集も不十分で
した。日本が、開戦前から長年にわたって満洲やシ
ベリアの情報を収集してきたのに比べると、ロシア
の情報収集は不十分でした。
ロシアの情報機関は満洲におけるスパイ活動拠点を
整備していませんでした。そのためロシア陸軍総参
謀部の開戦前における対日情報の情報源は、信頼で
きない中国人とされています。
ロシアが雇った中国人は雇い主には忠実であったが、
相手が受け入れやすいことを好んで伝えるという性
質があったとされています。
また、開戦直前までの情報収集活動は駐日公使館付
陸軍武官のみで、武官にとって漢字の読み取りが最
大の障害になったとされています。「この暗号にも
似た表記法が、たまたま獲得した情報源の利用を不
可能にし、日本人通訳の良心に依存する以外に方法
がない。陸軍武官の立場は正に悲喜劇的である」と
評価されています。
日露の情報収集能力格差の最大のものは、予算でし
た。当時の日本の軍事諜報活動経費は約1200万ルー
ブルで、ロシア陸軍の40倍が計上されていたとされ
ます。
▼日露戦争開戦当初から解読されていた日本軍の暗
号
しかし、ロシアは日本の暗号は早くから解読してい
ました。日露戦争開戦日の1904(明治34)年2月6
日、栗野慎一郎公使がペテルブルクのロシア外務省
においてラムズドルフ・ロシア外相に国交断絶の公
文書を手渡しました。
しかし、この時ラムズドルフ外相は「すでに皇帝陛
下は承知しておられました……」と口をすべらして
しまったそうです。
この時、公使に同行していた明石元二郎大佐は、こ
の件について「ロシアは既に日本の暗号解読に成功
し、この国交断絶の通告以前から、日本の企図の大
部分はロシア政府に筒抜けであったものと判断する」
と日記に明記しています。
また、オランダの日本公使館では、ロシアの美人ス
パイが館員に化けて働き、合い鍵を作って厳重に保
管されている電信符号書の封蝋を溶かして盗んだう
えで、また元のところに戻して、盗まれたことが分
からないように工作していたというスパイ事件が起
こりました。
このような暗号の漏洩事件に関しては、外務省や陸
海軍で速やかに対策を講じて解決すべき問題であっ
たが、結果はうやむやにされ対策はとられていませ
ん。
このように日清・日露戦争を通じて陸軍のインテリ
ジェンスは、進化するとともに英国の協力、ロシア
側の失敗などに助けられるとともに、その問題点も
浮き彫りになりました。
次回からは海軍について書いていきたいと思います。
(つづく)
(ひぐち・けいすけ)
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【著者紹介】
樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)
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