配信日時 2024/08/20 08:00

【情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(15)】明治期に活躍した情報要員 ──「天下の逸材」荒尾精と「シベリア単騎横断」の福島安正     樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

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おはようございます、エンリケです。

インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の15回目。

面白い内容です。

さっそくどうぞ。


エンリケ



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情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(15)

明治期に活躍した情報要員
──「天下の逸材」荒尾精と「シベリア単騎横断」
の福島安正


 樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

───────────────────────

□はじめに

日本のインテリジェンスの父といわれる川上操六は、
参謀本部の組織造りにおいて優秀な要員を集め、彼
らを運用しながら情報要員として育成しました。

川上操六は、1876(明治9)年、陸軍省第二局で勤
務していたころから大陸における作戦を研究してき
ましたが、その結果、次第に清国との決戦は避けら
れないとの考えに至るようになりました。

そこで、来る決戦のため清国の情報を収集すべく、
参謀本部の中でも有能な人材を選りすぐって、次々
と清国に送り込んでいました。

たとえば1884年清仏戦争(1884~85)が勃発すると、
福島安正大尉(北京公使館付武官)、小島正康大尉、
小沢徳平中尉らを清国の南北各地に派遣しました。

そのようにして川上が清国に送り込んだ情報将校の
中でもナンバーワンとされるのが、頭山満に「500年
に一度あらわれるという天下の逸材」と評された荒
尾精でした。

彼らの活動のおかげで、日本陸軍は日清戦争の約10
年前から清国軍の全体像をほぼ把握できたと考えら
れます。

今回と次回に分けてそれらの人物にスポットを当て
ながら、明治期に活躍した情報要員について述べた
いと思います。

▼「天下の逸材」荒尾精

荒尾精(あらおせい:1859-1896)は、1859年尾張藩
(名古屋)生まれました。1868(明治元)年、東京
に出て私立大学で中国語や英語を学び、外国語学校
(東京外語大の前身)に入学しフランス語を専攻し
ましたが、途中から軍人を志して中退、陸軍教導団
(*)をへて陸軍士官学校に入学し、1882(明治15)
年卒業しました。

(*陸軍教導団とは陸軍の下士官養成学校ですが、
卒業後、その学術が秀逸であって、行状方正な者は、
選抜されて陸軍士官学校に入学するチャンスがあり
ました。このため、陸軍教導団は単なる下士官養成
機関であるにとどまらず、陸軍での出世を目指す者
たちの登竜門的な側面を有していました)

荒尾は卒業後、歩兵第13連隊(熊本)に勤務、1885
(明治18)年には参謀本部支那部付となり、ここで
すぐにその能力を川上操六に認められ、翌86(明治
19)年には清国に派遣されました。

清国に派遣された荒尾は、上海で「楽善堂(らくぜ
んどう)」という薬屋を営んでいた岸田吟香(*)
と親交を結び、揚子江の交通の要地である漢口に
「楽善堂支店」を開設しました。

(*岸田吟香:きしだぎんこう(1833(天保4)年~
1905(明治38)年)江戸で漢学を学び、1864年横浜
でJ・C・ヘボンの『和英語林集成』の編集に協力、
英語の勉強に励み、目薬の調合も身につけた。1866
年ヘボンに付き添い上海に渡って半年滞在し清国の
実情を見てきた。
1875年ヘボンから学んだ目薬「精き(金偏に奇)水
(せいきすい)」の販売店「楽善堂」を銀座に開設、
1880年にその支店を上海に設けて、清国へ進出した。
岸田は、表向きは精き(金偏に奇)水製造販売を主
体に、雑貨や書籍なども扱う貿易商だったが、西欧
列強の侵略に対し日清が協力して列強を排撃し、ア
ジアの解放を念願するという国士でもあった)

荒尾は薬の販売をカバーとして諜報活動を実施。そ
こを拠点に清国各地の調査を行ないました。1889年
(明治22年)に、漢口での楽善堂の活動を終え、帰
国し、2万6千余字からなる「復命書(報告書)」
を参謀本部に提出しました。

1890(明治23)年には、日清提携をスローガンに、
両国の貿易振興のため、根津一(ねづはじめ)ととも
に、上海に日清貿易研究所(東亜同文書院の前身)
を設立、そこが陸軍の大陸における諜報工作センタ
ーとなりました。

そこでは、貿易業務ができる人材育成を目的に日本
の青年200余名の教育にあたりました。そして日清戦
争に際しては、その卒業生の約半数が陸軍の通訳や
諜報活動に従事し陸軍に貢献したとされます。

1893(明治26)年、荒尾は大尉で予備役となり、96
(明治29)年には紳商協会(*)設立のため台湾に
渡りましたが、ペストにかかり37歳の若さで台北に
て客死しました。

(*紳商とは、教養があり、品位を備えた一流の商
人の意味)

▼「シベリア単騎横断」福島安正

明治期陸軍きっての情報将校とされるのは福島安正
(1852-1919)です。福島は、1852(嘉永5)年生ま
れ、松本藩(長野県)出身です。大学南校(東京大
学の前身の一つ)で学んだ後1872(明治6)年に司
法省に入省しました。

しかし、その語学力を買われて1873(明治7)年、
陸軍省文官となり、次いで武官に転じました。在任
官は情報畑一筋で、ほぼ参謀本部勤務と外国派遣を
くり返しました。

1878年陸軍中尉、1883年陸軍大尉、1887(明治20)
年陸軍少佐となりドイツ公使館付武官駐在武官とし
てベルリンに赴任しました。

福島はベルリン派遣までの間1879年から85年にかけ
て3回清国を(偵察)旅行、滞在するなどして膨大
な情報を収集しています。

特に1882年から84年にかけて収集した清国当局の文
書から、清国各部隊の人数を記した中国語の公文書
を筆写し編纂した資料『清国兵制類聚』は65巻から
なっています。

また情報収集においては、「(1)先入観や偏見を排
除して虚心に清国の状況を観察せよ。(2)相手の短
所よりも長所に着目せよ」との参謀本部の方針を遵
守したとされます。また、清国の軍事力や軍事施設
だけでなく清国社会そのものも観察して報告したと
されます。

清仏戦争(1884~85)における清国の対応の稚拙さを
つぶさに見た結果、日本が清国と連合するのは無理
であり、また清国(軍)が恐れるに足りないという
ことを痛感したとされます。

そして、陸軍の情報収集の重点は1886年頃からロシ
アへと移行し始めました。

1887年にベルリン赴任した福島には、ほぼ同時期に
ドイツに派遣されていた川上操六からロシア関係の
情報収集任務が与えられました。

主な収集項目はロシアの東方進出の意図、シベリア
鉄道の工事の進捗状況についてです。

1892(明治25)年、福島はドイツからの帰国に際し、
川上の指示によりベルリンからウラジオストクまで
を一年以上かけて単騎で横断し、冒険旅行と称して
情報を収集することを計画しました。

しかし、もともと福島は騎兵ではなく歩兵であった
ため、乗馬に対する知識はゼロという状態からのス
タートでした。そのため、馬に関する専門知識から
猛勉強し、」訓練したそうです。

出発日は紀元節の2月11日、最終的にウラジオスト
クに到着したのは翌年1893(明治26)年の6月12日
でした(488日間に及ぶ)。

厳冬期にシベリアを横断するこの無謀ともいえる計
画は、破天荒な「冒険旅行」として新聞でもてはや
されました。次第に報道はエスカレートし「成功す
るか」「失敗するか」を賭ける新聞まで出てきまし
た。

しかし、このシベリア横断計画の本来の目的は情報
収集であるため、政府・陸軍によって次第に報道が
制限・禁止されるようになりました。

そのためか、福島の単騎シベリア横断とその成功に
ついて日本ではあまり知られていません。しかし、
ポーランドでは福島は「ポーランド友好の父・英雄」
として知られています。

福島はロシアの内部情報を知るために、当時分割支
配下にあったポーランドをしばしば訪れ、多数のポ
ーランド人と接触していました。ポーランド人志士
(愛国者)、ポーランド独立運動家らが重要な情報
源となり、彼らとのつながりが、その後の対露工作
にも役立ちました。

実はロシア側は、この福島の冒険旅行をシベリア鉄
道の敷設状況の偵察であると気づいていました。し
かし、当時日本を見下していたロシアは、ロシアを
脅かすような諜報活動ではないと判断していました。

帰国後の福島の単騎横断の報告書は軍事機密として
軍中央の特定者にしか配布されませんでした。さら
に重要な情報は山形有朋(枢密院議長)と川上操六
(参謀本部次長)にのみ口頭で報告されたとされま
す。

そこで述べられたのはシベリアにおける欧州各国の
スパイ活動の実態でした。

シベリア奥地では列強もあまり情報活動はしていな
いだろうと予測しての福島の出発だったそうですが、
英、仏、独は少なくとも10余年、古いものは50年以
上も前からシベリアにおいてすらスパイ活動をして
いたことが判明しました。

口頭報告の結論は「今後10年にしてシベリア鉄道が
完成し、ロシアは欧州から大軍を極東へ派遣可能と
推定される。その10年間で日本人が列強のベテラン
スパイを相手にスパイ活動を行なっても太刀打ちで
きないことは明白で、直ちに英、仏、独のいずれか
の強国を味方としてその援助を受ける方策が絶対の
急務である」です。

この貴重な報告が、その後日本に日英同盟を結ばせ
る大きな要因となったとされます。

次回も引き続き明治期に活躍した情報要員をご紹介
します。


(つづく)



(ひぐち・けいすけ)



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【著者紹介】

樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)



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