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おはようございます、エンリケです。
インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の14回目。
歴史から学ぶべきことは
方程式
でなく、
無限の変化を恐れず怠らないこと
のような気がしました。
くわしくは本文でどうぞ。
エンリケ
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───────────────────────
情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(14)
作戦部門と情報部門の統合、そして独立──日清・
日露戦争の戦訓
樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)
───────────────────────
□はじめに
先回までのメルマガで、日清戦争に至るまでの参謀
本部の変遷について書きましたが、日清戦争は、こ
の参謀本部を基に近代日本が初めて体験した本格的
な戦争でした。日本は、これに勝利したことにより、
欧米列強と並んで帝国主義国家の仲間入りする突破
口を開きました。
一方で、敗れた清国はその国力の弱体化が国際的に
暴露され、清国に対する列強の帝国主義的進出が加
速しました。
そのため、日清講和条約(下関条約)調印後に起こ
った三国干渉に見られるように利権の競合する日本
とロシアなどの列強との対立の激化・顕在化も予想
されるようになってきました。
以前にも書いたようにインテリジェンスは戦争を契
機として発展しています。日清戦争とその教訓はそ
の経験を踏まえるとともに次に予想される戦争に向
けてさらに参謀本部の編成を充実させていくことと
なります。
▼日清戦争の教訓に基づく参謀本部の改編
1896(明治29)年、日清戦争の経験を踏まえて参謀
本部は拡充されました。定員は約35パーセントも増
加されて100名を超える陣容になりました。増加の理
由としては、作戦計画の立案・指導部門、隷下部隊
への参謀派遣および国外情報収集の強化のためとさ
れています。
組織はそれまでの4個(2局、1部、1課)編成から
6部編成となりました。第1部が作戦、部隊の配置
など、第2部が動員や部隊の編成など、第3部が外
国の軍事およびその地理、諜報、軍事統計など、第
4部が運輸交通、軍用通信など、編纂部が戦史、国
内外の地誌、翻訳など、副官部が本部内の事務およ
び陸軍文庫(*)の管理などを担当することになり
ました。
(*明治期の日本の陸軍が設立した図書館であり、
主に軍関係者や将校を対象に学術研究や教育のため
の書籍を提供。特に歴史や戦記、伝記などが収蔵さ
れていた)
今回の改編におけるインテリジェンス上の大きな特
徴は、作戦業務は第1部が所掌し、情報業務を第3部
が所掌することとなり、初めて情報部門が作戦部門
から独立しました。
▼日露戦争に備えた参謀本部の改編
1898 (明治31) 年、のちに日本の「インテリジェン
スの父」とも呼ばれる川上操六(*)が参謀総長に
就任しました。川上中将は、脅威が増大化してきた
対露作戦準備のためさらなる参謀本部の人員強化に
着手しました。翌1899(明治32)年、参謀本部条例
改正案が発表されました。
(*川上操六の経歴などについては情報戦争を生き
抜くためのインテリジェンス(12)を参照してくだ
さい。)
そこでは、総務部、第1部、第2部、第3部、第4
部、第5部の6部編成となりました。参謀本部の定
員も132名へとさらに増加しました。1896(明治29)
年の編成における副官部が総務部に、編纂部が第5
部に編入され整理されました。
総務部が本部内の事務および動員などの事項、第1部
がロシア、朝鮮、満洲の作戦・情報、第2部が台湾
および清国(満洲を除く)の作戦・情報を、第3部
が輸送、第4部が地誌、第5部が要塞の創設、改良
等の調査を担当することになったのです。
改正案六条において「参謀本部ノ編制ハ別ニ定ムル
所ニ拠ル」と規定され、各部の任務を細かく定めた
「参謀本部分任規定」が制定されました。その規定
の中では、参謀本部の主要な任務として国内外情報
資料の収集と参謀将校の養成が挙げられています。
今回の改革では、日清戦争の戦陣訓に基づく機構改
革において、せっかく分化した作戦と情報系統が再
び同じ部署に統合されました。
つまり、第1部が最重要正面であるロシア、朝鮮、満
洲を、第2部が台湾および清国(満洲を除く)の作
戦と情報を担当することになったのです。
このように、再び作戦と情報を第1部と第2部に両機
能を混在させるようになったのは、当時の参謀本部
の参謀総長の川上を含む首脳部の大半がドイツ留学
または滞在経験者であり、ドイツ参謀本部に倣った
からだと考えられています。
1903(明治36)年12月、いよいよ日露戦争が避けら
れないような情勢になると戦時大本営条例が改正さ
れました。1889年の勅令において、大本営設立の際
にあっては、海軍軍令部が参謀総長(陸軍)の下位
にあったものを改め、参謀総長・海軍軍令部長それ
ぞれが陸軍・海軍の幕僚長として、帷幄(いあく)
の政務に参画(作戦計画等を立てて戦う)すること
となりました。
日露戦争における大本営は、対露宣戦の翌日の1904
(明治37)年2月11日、宮中に設置され、参謀総長
および参謀本部職員の一部が陸軍参謀を兼ね、情報
活動は従来どおり、参謀本部の組織を通じて行なわ
れました(大本営は1905(明治38)年12月20日に閉
鎖)。
▼日露戦争における情報活動
日露戦争においては、ドイツを模倣した参謀本部で
戦い、なんとか勝利を収めた日本軍でしたが、日露
戦争における情報活動は、日本の歴史始まって以来
の画期的成功を収めたと考えられています。その要
因としては、
対外危機が顕在化しており情報収集に余念がなかっ
たこと
幕末における混乱の中で情報の重要性を認識し体験
していた元勲世代が存在していたこと(情報の重要
性を認識し川上操六が育てあげた情報要員も大活躍
しました。)
当時の超大国であり、歴史的にも情報力のある英国
からの情報提供があったこと
が挙げられます。
ただし、参謀本部は戦時における作戦の統帥が不十
分であり、平時から戦時の状態に近いものにしてお
くべきである、という教訓も挙げられました。
ドイツを模倣し作戦と情報を統合しましたが、情報
に関しては、情報活動の方法、手段が適切ではなく、
作戦に密接に寄与することができなかった。また、
統計的手法の活用が不十分であったとの指摘もなさ
れました。
そのため、各部を任務担当制にすべきとの教訓が出
されました。このような戦訓に基づき、1908(明治
41)年、参謀本部条例で参謀本部次長を参謀次長に
改称、5部2課制が採られることとなりました。
総務部、第1部、第2部、第3部、第4部の下にそ
れぞれ2コ課が設けられました。総務部が庶務(庶
務課)、編制や動員(第1課)、第1部が作戦・兵
站(第2課)攻城・要塞(第3課)、第2部が内外
諜報(第4課)、内外地誌(第5課)、第3部が運
輸(第6課)、通信(第7課)、第4部が国内戦史
(第8課)、国外戦史(第9課)を担当するように
なりました。
このように情報業務は第2部が担当することになり、
再び作戦から独立し、以後情報担当部署は1945年の
参謀本部の終焉まで独立して存続することとなりま
した。
第2部第4課は「内外諜報ノ蒐集及び審査、外交ニ関
連シ発生スヘキ軍事諸件」、同第5課は「内外兵要
地誌及兵要地図ノ編纂、同材料ノ収集」の担当課で
した。第2部の部員は35名、大使館公使館付き武官
補佐官等は、14名でした。
上記のように、改善点はありますが、日露戦争前後
における情報活動は極めて成功した事例だと考えら
れています。その要因の一つとして川上操六が育成
したインテリジェンスオフィサーたちも挙げられま
す。次回は、それら明治期に活躍した情報要員につ
いて述べたいと思います。
(つづく)
(ひぐち・けいすけ)
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【著者紹介】
樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)
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