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おはようございます、エンリケです。
インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の13回目。
大東亜戦争後、徹底的に歴史を学んで
次代に活かそうとする人が増えても、
陸海軍の溝が浅く狭くなった印象は
一向にありません。
本文の最後のパラグラフが
その回答なのかもしれません。
陸海軍のそういう関係は、わが国だけのも
のでなく、古今東西変わらぬものなのかも
しれませんね。
くわしくは本文でどうぞ。
エンリケ
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情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(13)
陸海軍統合の「参謀本部」創設
―陸主海従に対する海軍の不満―
樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)
───────────────────────
□はじめに
1878(明治11)年に桂太郎の提案書などに基づきド
イツ式の参謀本部の制度を取り入れることになりま
すが、落ち着くまでには組織の改編が続きます。今
回は、日清戦争直前までの変遷を見てみましょう。
▼理想的な組織に近づいた参謀本部
1885(明治18)年7月、参謀本部の任務や組織を規
定する条例(参謀本部条例)が全面的に改正され、
管東局、管西局が廃止されて、代わりに第1局、第
2局が、さらに海防局が設置されました。
第1局、第2局はその下に3つの課を有する3個課
編制です。第1局は、(すいし:動員)計画、部隊
の編制や教育などを担当。第2局は、国内情勢、国
外情勢、法律の調査を担当。海防局は海岸防禦の方
法を調査し、砲台の整備などを監督する部署です。
翌1886(明治19)年には、参謀本部条例が大改正さ
れ組織も大きく改編されました。従来、陸軍の軍令
機関は、陸軍省から独立していましたが、海軍にお
いても軍令機関が海軍省から独立しました。そして、
参謀本部は陸海両軍の軍令を所掌するようになりま
した。
陸軍では第2局が外国の兵制地理政誌を、海軍では
第3局が外国諜報を担任していました。さらにそれ
らの局の隷下に編纂課を設置し、諸外国の地誌や文
献を収集させるとともに、翻訳業務などを行なって
いました。参謀本部の各局が幕僚機関であるのに対
し編纂課は情報業務の実務実行機関(*)でした。
(*この局と課の関係を有賀傳は『日本陸海軍の情
報機構とその活動』において、ちょうど陸上幕僚監
部調査部(後継:指揮通信システム・情報部(情報
課)と中央資料隊(後継:基礎情報隊)の関係に類
似していると表現しています)
したがって、軍政は陸軍省および海軍省が行ない、
軍令機関としては両軍を合わせて一つの参謀本部が
統合的に行なうこととなりました。つまり、組織と
しては、行政面は各省で、運用は陸海を統合で参謀
本部が運用する形になりました。当時としては、理
想的な軍令組織だったとされています。
▼先駆的な陸海軍の統合機関の設立とその破綻
1888(明治21)年5月には、参謀本部はさらに、そ
の統合の考えを押し進めました。参謀本部条例を廃
止して、それに代えて参軍官制を制定しました。そ
の結果、参謀本部長の職名が参軍と改称され、参軍
の下に陸軍参謀本部と海軍参謀本部が並置されるこ
とになりました。陸海軍の勢力のバランスをとるた
めか、参軍は皇族の大(中)将が充てられることに
なりました。
陸軍参謀本部の下に第1局、第2局および編纂課が、
海軍参謀本部の下にも同様に第1局、第2局および
編纂課が設けられました。
陸海で同じ部局の名称が付けられたにもかかわらず、
参軍の下での国外情報収集活動は、陸軍参謀本部で
は第2局が、海軍参謀本部では第1局が担当しまし
た。
陸軍の第1局は動員に関する計画や人馬、資材等の
購入の他、国内情報も担当していましたし、第2局
の中で国外情報の他に作戦計画の規定や部隊配置の
審査も行なうなど、依然として作戦業務と情報業務
の明確な切り分けはなされていませんでした。
しかし、この参軍を長とする参謀本部は、陸海軍の
統合の参謀機関であり、そのような統合機関は、当
時としては先進的な考えの組織でした。
ところが、この先進的な組織はわずか10か月ほどで
廃止されることになりました。
理由としては、陸海軍において情報主管局が第2局
と第1局と異なるなどの組織上の不斉一や参軍と海
軍参謀本部の勤務場所が離れていて事務処理が不便
であったことなどが原因だとされています。
しかし、「海軍側の真意は陸軍と対等の地位を得る
ことだったのではないか」と有賀傳は『日本陸海軍
の情報機構とその活動』において指摘しています。
なぜなら、1889(明治22)年3月7日の勅令第25号
により参軍官制、陸軍参謀本部条例および海軍参謀
本部条例が廃止され、(陸軍の)参謀総長を設けた
参謀本部条例と海軍参謀本部条例が制定されました。
その参謀本部条例第2条においては、参謀総長の地
位は「陸軍大将若しくは陸軍中将一人を帝国全軍
(戦時において陸海軍を統合した時の軍隊)の参謀
総長に任し天皇に直隷し帷幄(いあく:作戦計画を
立てる所、参謀)の軍務に参し参謀本部の事務を管
理せしむ」となっています。
一方の海軍に対しては、1889(明治22)年3月7日
の勅令第30号の海軍参謀部条例の第二条において
「海軍大臣の下に海軍参謀部を置き、参謀長を置き
軍事の計画を掌らしむ」とし、第3条において「海
軍参謀部に長一人を置き将官をもってこれに補し部
務を総理せしむ」としています。
これらの条例により参謀総長の天皇に直属する地位
と権限が明確化され、陸軍の将官が選出される規定
になったからです。戦時において全軍を編成した場
合は、参謀総長の権限が適用されることになるから
です。
このような、戦時になり陸主海従の軍令系統に関す
る議論が(1888年頃には)交わされていて、少なく
とも平時における陸軍の統制を海軍が嫌がったので
はないかということが推察できます。
真相は明確ではないものの、陸主海従の軍令系統
の確立は、陸海軍間に大きな確執の火種を残すこと
になったとの指摘があります(たとえば佐藤守男
『情報戦争と参謀本部-日露戦争と辛亥革命-』芙
蓉書房、2011年、50頁)。
陸軍と海軍の対立の芽はこの頃に生まれたようです
ね。この平等意識や対立が、組織が拡大するにつれ
どんどん大きくなっていったのです。
残念ながら、時代を先取りしたこの陸海軍の統合参
謀組織は、旧軍においてはこのあと創設されること
はありませんでした。
したがって、陸海の情報機関を統一し、さらにそれ
を発展させた国家としての中央情報(統一)機関が
生まれる余地はありませんでした。
1893年(明治26)にはまた、参謀本部条例が改正さ
れ(陸軍の)参謀本部が改編されました。ここでは
第2局が二つの部に分割され、1部が作戦、2部が
情報を担任することとなり、やっと作戦と情報が区
分されることになります。さらに、在外陸軍武官6
名が参謀総長直属の情報機関として明記されました。
これ以降、在外陸軍武官が活躍することになります。
また、条例に明文化されてはいないものの第1局、
第2局に陸海軍の円滑な業務連絡のための連絡官制
度として、(陸軍の)参謀本部に海軍の参謀佐(尉)
官が配属されるようになりました。そしてこの体制
で、日本陸軍は日清戦争に突入することになりまし
た。
余談ですが、すでに明治期に萌芽した旧軍における
陸海軍の対立や意見の違い、これを解消すべく、戦
後は、防衛大学校においては、陸海空要員が一堂に
会した教育が実施されました。
筆者も数十年前に防衛大学校の門をくぐり、陸海空
合同の教育を受けました。しかも、全寮制ですから、
すっかり同期意識も芽生え陸海空の考え方も均一化
しているはずでした。
しかし、卒業後10数年近くが経過し、同期と中央で
勤務する機会が増えてくると、陸海空の要員でこう
も考え方が違うのかと思うことがありました。
肝心なところで、意見が違ったり自分の軍種の(既
得)権益の維持に走ったりということが見られまし
た。いわゆる官僚組織の弊害が生じ、縦割りや全体
最適よりも個別最適を選択することになります。
学生の頃は同じような考えでいても、その後の所属
する組織文化に適応していき、考え方が異なってく
るという組織文化の根深さを感じました。
(つづく)
(ひぐち・けいすけ)
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【著者紹介】
樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)
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