配信日時 2024/07/30 08:00

【情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(12)】参謀本部創設の立役者     樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

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おはようございます、エンリケです。

インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の12回目。

著名な軍人3名が登場します。

それにしても軍制史は興味深いですねー
読みながら、想像がいろいろかけめぐりました。

くわしくは本文でどうぞ。


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情報戦争を生き抜くためのインテリジェンス(12)

参謀本部創設の立役者


 樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)

───────────────────────

□はじめに
 
先回は参謀本部創設までのいきさつや編制などにつ
いて述べましたが、今回は、その参謀本部創設に密
接にかかわった3人の人物像に焦点を当ててみたい
と思います。

▼参謀本部創設の父──川上操六

参謀本部の発展に多大な貢献を果たし、のちに「参
謀本部創設の父」「インテリジェンスの父」などと
呼ばれたのが川上操六(1848年11月11日~1899年5月
11日)です。

川上は薩摩藩出身で、薩摩藩洋式兵分隊隊長として
鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争に従軍しました。

1870(明治3)年、桂太郎とともに普仏戦争に観戦
武官として派遣され、普仏戦争を観戦しています。
1871(明治4)年には陸軍中尉となり、1877年の西
南戦争に官軍側で従軍しました。

1884(明治17)年には、桂太郎とともに大山巌陸軍
卿(陸軍大臣)に随行して欧州に視察旅行に行きま
した。そこで、大山に日本陸軍の建設・近代化には、
長州の桂大佐と薩摩の川上大佐が必要だと認められ、
その後、2人は陸軍内で大抜擢されました。

その欧州視察旅行の最中、2人は今後「軍政の桂」
「軍令の川上」になり、日本の陸軍の近代化を推進
していくことを誓ったとする逸話も残っています。

1885(明治18)年にドイツから帰国した川上は、山
縣有朋参謀本部長の下で参謀次長に就任しました。
また、ドイツから陸軍大学に派遣されたメッケル少
佐を臨時陸軍制度審査委員会の顧問に据えるなど、
ドイツ式の軍制導入にも尽力しました。

1887(明治20)年、川上はドイツに留学し、乃木希
典とともにモルトケに師事するとともに、ドイツ留
学中の森林太郎(森鴎外)にクラウゼビッツの『戦
争論』の翻訳も依頼しました。

1888(明治21)年には帰国し、再び参謀次長に就任
しました。1894(明治27)年の日清戦争では自ら築
き上げた参謀本部を率いて戦い、1898(明治31)年
には参謀総長となりました。しかし、1899(明治32)
年5月、対ロシア戦争準備の中52歳で病死しました。
(国立国会図書館電子展示会「近代日本人の肖像」

https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/61 他参考)

川上は、情報要員の人材育成にも力を入れています。
川上の教え子として単騎シベリア横断で有名な福島
安正や日露戦争においてインテリジェンス面で大活
躍した明石元二郎などが、有名です。彼らの活躍は、
また別の機会に語ることにしましょう。

▼軍制の改革者──桂太郎

陸軍の制度の面で貢献したのが、桂太郎(1847年1月
4日 〜 1913年10月10日)です。最終的には、内閣総
理大臣を3度も経験しています。

桂太郎は1847年長州藩(現在の萩市)に生まれまし
た。長州藩士として戊辰戦争などに参加、維新後、
1870(明治3)年ベルリンに留学し、上述のように
川上操六とともに普仏戦争も観戦しました。

1875(明治8)年、ドイツ公使館付き武官となり、
命を受けてドイツの軍制を学び1878(明治11)年に
帰国後、軍制の改革を提案し、その後、参謀本部の
陸軍省からの独立、鎮台の師団改編など明治陸軍建
設に大きな役割を果たしました。

1884(明治17)年、川上操六とともに大山巌陸軍卿
(陸軍大臣)に随行して欧州に視察旅行に行きまし
た。そこで、大山の目に留まり薩摩の川上大佐とと
もに陸軍内で大抜擢されました。

1886(明治19)年、陸軍次官、1894(明治27)年の
日清戦争では第3師団長を務め、その後、第2代台
湾総督、東京防禦総督を経て第3次伊藤内閣の陸軍大
臣となりました。

1900(明治33)年には、台湾協会会頭として台湾協
会学校(拓殖大学の前身)を創立して初代校長に就
任しました。

1901(明治34)年、第1次桂内閣首相となり、1902
(明治35)年、日英同盟を締結、さらに1904(明治
37)年に勃発した日露戦争、その後1908(明治41)
年の日韓併合などを主導しました。

1911年(明治44年)には、アメリカとの間で関税自
主権回復を規定した「日米修好通商航海条約」を締
結して幕末に日本が欧米諸国と締結した不平等条約
の改正を実現しました。

第3次桂太郎内閣のときに第1次護憲運動が起こり、
国会は機能停止状態に陥って1913(大正2)年2月
に内閣は総辞職しました。同年10月10日持病が悪化
し急逝。享年67。(国立国会図書館電子展示会「近
代日本人の肖像」

https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/52/)及
び拓殖大学HP(https://www.takushoku-u.ac.jp/
summary/founder.html))参考。)

▼メッケル少佐とその遺産

ここで、川上や桂などに助言するなど、日本陸軍の
近代化に貢献したという、クレメンス・ヴィルヘル
ム・ヤーコプ・メッケル少佐(1842年3月28日~1906
年7月5日)とその正負の遺産にも触れておきましょう。

メッケル少佐は、ドイツの軍人で、プロイセンの陸
軍大学を経て参謀となり、普仏戦争(1870年~1871
年)にも従軍。『未来の歩兵戦』『戦術学』『帥兵
術』などを執筆し、戦術家として知られていました。
当時のドイツ陸軍参謀総長モルトケの懐刀ともされ
ていたメッケルですが、そのモルトケの推薦で1885
年3月に陸軍大学校御雇教師として来日し、1888年
3月ドイツへと帰国しました。

創立まもない日本の陸軍大学校でドイツ式の戦術を
教え、参謀教育を行なうとともに、参謀本部顧問も
務めました。そのため、メッケル少佐は、戦術に関
する教育にとどまらず、参謀次長川上操六、陸軍大
学校長児玉源太郎、陸軍次官桂太郎らを助け、陸軍
の軍制をフランス式からドイツ式に改めることや装
備などに関し日本陸軍建設に大きく貢献しました。
(『日本陸軍史研究 メッケル少佐』他参考)
 
ドイツ帰国後は、ドイツ軍の参謀本部課長や陸軍大
学教官を務め、帰国後は少将に進んで退役しました。
日清・日露戦争時の日本の陸軍参謀将校の多くはメ
ッケルの教え子でした。

メッケル少佐が日本に残した遺産としては次のよう
なことが語られています。

1)日本の今後の活躍の場が大陸であるとして、大
陸に兵を送った際の補給のための施策を提案した。

2)渡河作戦用の舟艇を鉄製にすることを提案。こ
れについては、最初は日本軍人に「鉄の船が浮くも
のか」などと冷笑されたが、試作してみてその効果
が理解され、以後鉄製舟艇が採用された。

3)軍備・軍制の改革のため臨時陸軍制度審査委員
会が作られたが、メッケルも顧問として参加し、諮
問に応じた。これにもとづき、陸軍は歩兵操典を改
正したが、メッケルの影響によりドイツ式運用を取
り入れているところが多かった。

4)メッケルはしばしば参謀演習旅行(*)を計画
統裁、これが陸軍大学校の伝統行事となった。

(*陸上自衛隊においても「現地戦術」と称して、
同じような訓練(演習旅行)が、いまも行なわれて
おり、その原点がここにあるのかと驚きました)

5)包囲重視、緒戦必勝、兵站の重視、健兵養成、
作戦及び精神力の強調、主動権の確保といったモル
トケ継承の戦略思想を徹底したことで、日本の兵学
に大きな影響を与えた。(上法快男編、高山信武著、
『続・陸軍大学校』芙蓉書房、1978年)

一方でメッケルが残した負の遺産としては、次のよ
うな点が指摘されています。

1)即効性のある実用主義を追求する日本の陸軍の
要求に応えるあまり、幅の広い教養と基礎的な学問
研究の重要性が軍人に不可欠の資質であることを力
説しなかった。

2)日本の陸軍大学校において戦史の研究教育を軽
視する傾向はメッケルの帰国後も長く続いた。(江
志乃夫『日本の参謀本部』 中公新書、1985年)

これを見れば、メッケル少佐の負の遺産と指摘され
ている部分は、メッケル少佐の問題というよりも、
日本が当時置かれた国際情勢下において、とにかく
早急に近代軍を構築しなければならなかったからに
ほかなりません。

実は、プロイセン参謀本部も差し迫るフランスの脅
威の中で、十分な議論がなされないうちに問題点を
残したまま創設された経緯があります。そのため、
プロイセン参謀本部を模倣した日本の参謀本部もそ
の問題点を内在していました。

この点についての説明は、次回以降に譲ります。

いずれにしても、以上のように、明治期における陸
軍および参謀本部の創設には、3人の功績は非常に
大きかったものと考えます。


(つづく)



(ひぐち・けいすけ)



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【著者紹介】

樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)



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