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おはようございます、エンリケです。
インテリジェンスのプロ・樋口さん(元防衛省情報本
部分析部主任分析官)がお届けする
『情報戦を生き抜くためのインテリジェンス』
の7回目。
わが国最古の情報機関は馬飼いだった?
くわしくは本文でどうぞ。
エンリケ
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情報戦を生き抜くためのインテリジェンス(7)
農耕民族である日本人は「情報」に疎いという説は
本当か?
樋口敬祐(元防衛省情報本部分析部主任分析官)
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□はじめに
今回から、しばらく「日本の情報史」について、書
いていきたいと思います。ただし、なにかトピック
があれば、多少、脱線しても紹介するつもりです。
お付き合いよろしくお願いします。
▼「情報」に関する通説について
さて「情報」に関する通説では、欧米人は狩猟民族
なので「戦略や情報」に強く、一方で日本人は農耕
民族なので「戦略や情報」に疎(うと)いというも
のがあります。
また、外務省調査企画部長から初代の情報調査局長、
サウジアラビア大使、タイ大使などを経て、岡崎研
究所所長をされていた岡崎久彦氏は、『戦略的思考
とは何か』の中で、次のように述べています。
「島国という恵まれた環境に育った日本民族の世界
にも稀な経験の乏しさ、そこからくる初心(ウブ)
さが、外部の情報に対する無関心と戦略的思考の欠
乏を生んできた」
と日本人は島国に育ったがゆえに「情報」や「戦略」
に無関心であったとしています。
一方で、元防衛省情報本部長の太田文雄氏は『日本
人は戦略・情報に疎いのか』の中で、日本人が先天
的に戦略・情報に疎いのではなく、「日本人の戦略
・情報観はそれほど見捨てたものではなく、むしろ
おかしくなってきたのは日露戦争後であるという立
場」をよっています。
私は、通説とされている「農耕民族だから、島国だ
から日本人は情報に疎い」というところや「日露戦
争後日本人の情報観がおかしくなってきた」という
ところに疑問や興味を感じ、わが国の「情報」に関
する事項について歴史的に調べてみようと思いまし
た。
確かに、日本は四周を海に囲まれ昔から外敵の侵入
が困難であったため、大陸国家のように外国から自
国を守るための、いわゆる安全保障に関する諸外国
の情報については、あまり必要性がなかったのでし
ょう。
しかし、現代の我々が思っている以上に古代は大陸
や半島と交流があり、いつ大陸や半島から攻められ
るか分からない。また、その逆もありという状況で
はなかったかと思います。
半島や大陸から文化を取り入れており、安全保障上
の情報も含めて恒常的に情報収集していたし、その
必要性はあったと考えています。
▼『日本書紀』に現れる日本最初の組織的情報機関
元関西外国語大学の金谷信之氏によれば、日本最古
の諜報(情報収集)機関は、『日本書紀』第17巻の
継体天皇(*)元年の条に現れる河内馬飼首荒籠
(かわちのうまかいのおびとあらこ)率いる馬飼部
(うまかいべ)だとされています。
(*生没年は450-531年、在位は507-531年)
そして、その馬を飼うという人も技術も朝鮮半島か
ら来たものだとされています。
もともと日本列島には馬はおらず、古墳時代の頃
(5世紀前半)朝鮮半島から渡来人により導入され
ました。5世紀を通じて貴族の間で乗馬の風習が急
速に広まりました。畿内では、豊富な牧草と水に恵
まれていた淀川河畔や河内潟の湖畔、そこに浮かぶ
大小の島々で飼われていたようです。
馬を飼育する馬飼たちは渡来人で、渡来系の特殊技
術を有していましたが、社会的には身分の低いもの
として差別されていました。その彼らは、馬を扱う
仕事を通じて様々な情報を収集し、馬飼部の長に報
告していたのです。
馬飼部とは、馬を飼育し朝廷に収めていた職能集団
のことですが、当時は馬を貴人が自ら馭(ぎょ)す
のではなく、取り扱いも大変で、世話するのにも特
殊技術が必要な馬は、馬とともに馬飼部から派遣さ
れた男たち(馭者)が貴族を馬に乗せ、馬のくつわ
を取ってひいて移動していた(口取)のです。
現代でいえば、いわば高級乗用車を社長が自ら運転
するのではなく、高級車とともにレンタルされた運
転手に車を運転させ、目的地まで安全確実に移動す
るようなイメージです。
馭者たちは、あちこちの貴人の下へ派遣され、それ
ぞれの貴人たちに近い所で待機するうちに自然と様
々な情報を耳にします。意図的にそれを行なえばよ
り重要な情報も入手できる可能性が高くなります。
さらに、馬の売買やその他、馬に荷物を積んで行な
った交易のために、各地の市を行き来していました。
その過程で各地の豪族の動向に関する情報や遠隔地
やさらに異国の情報も入ってきます。
河内馬飼首荒籠は、北河内の樟葉(楠葉)あたりの
淀川の河川敷に開いた牧場で馬を飼うことを生業と
した馬飼部の部族の首長でした。そして、継体天皇
の即位にあたって、集めた重要な情報を提供してい
たというのです。
日本書紀などの記述では、いかにも簡単に即位した
ように見えますが、のちの継体天皇となる男大迹王
(をほどのおお)は、即位前は、越前・近江の二か
国の王にすぎませんでした。
男大迹王は二十年にもわたる長い長い戦いの後に大
和に入り、ついに前王朝を滅ぼして、新たな王朝を
開いた、と云うのが真実に近いと研究者の間では捉
えられているようです。
その男大迹王は、河内馬飼首荒籠が有している情報
と諜報機関としての重要性をいち早くから認識して
いました。
そのため、当時は差別されていたとされる馬飼たち
とも交流し、彼らを厚遇していたというのです。
荒籠たちは、その厚遇に感激し、重要な情報を提供
し、まさに挙兵の好機を告げ、その際の道案内の役
も担い、また一族の居住地の楠葉を「総司令部」の
場所として提供したとされます。
したがって金谷氏はこの馬飼部が、わが国最初の組
織的な諜報機関となったとしているのです。
それにしても、男大迹王は、孫子でいうところの
「用間篇(*):明君賢将の能く上智をもって間を
為すもの、必ず大功を成す」を実践していますね。
(*用間篇要旨:10万の大軍を動員して出征すると
一日千金の戦費がかかる。数年かけて準備し、たっ
た1日の決戦で勝敗が決する。それに比べると、わ
ずかな地位や賞金を出し惜しんで情報収集を怠るの
は問題外で、真の将軍や君主の補佐役ではない。し
たがって明君・賢将は、敵に勝ち、成功を収めるた
めに、まず情報を収集する。敵情は、神に祈ったり、
経験に頼ったり、占いで分かるわけではなく、人
(間者)によってのみ知ることができる)
▼『日本書紀』に現れる新羅からのスパイ
また、『日本書紀』第二十二巻(推古天皇時代(*)
には次のような記述があります。(*生没は554-62
8年、在位は592-628年)
「九年秋九月辛巳朔戊子、新羅之間諜者迦摩多到對
馬、則捕以貢之、流上野。冬十一月庚辰朔甲申、議
攻新羅」
((推古天皇)九年(601年)秋九月八日に新羅(し
らぎ/しんら)の間諜者の迦摩多(かまた)が対馬
にやってきた。すぐに捕らえて貢上すると、上野
(かみつけの:群馬県)に流した。冬十一月五日に
新羅攻略について会議した)
つまり、倭国と新羅が朝鮮半島で戦っていた時代に、
新羅から倭国の状況を探ろうと間諜者(スパイ)が
やって来たので捕らえ流刑にした。そのようなカウ
ンターインテリジェンスを行なったのち、冬には新
羅の攻略について会議したというのです。
敵国からスパイが来てそれを捕らえたことが、歴史
的な書物に記述されているということはその陰に、
多くの成功事例もあり、一方で同じような活動を倭
国も行なっていた可能性が十分にあると考えられま
す。
このような点を考えると、(外)敵がいればその動
向を探るための情報収集は必須であり、農耕民族や
島国というのはあまり関係がないのではないかと思
います。
生きるか死ぬかの「戦い」の場において情報を収集
して分析し、戦いに備えるためのインテリジェンス
というものは、必須です。
孫子の謀攻篇にあるおなじみの「彼を知り己を知れ
ば、百戦殆うからず、彼を知らずして己を知れば、
一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごと
に必ず敗れる」です。
ですから、敵の脅威が少ない平和な状況下になると、
情報収集活動が不活発だったのではないかと考えて
います。
次回は、「情報」という言葉の起源を探りたいと思
います。
(つづく)
(ひぐち・けいすけ)
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【著者紹介】
樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒
業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議
事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。
陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析
部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主
任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博
士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学
院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定
年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦
略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティク
スの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス
用語事典』(共著・並木書房)、近刊『ウクライナ
とロシアは情報戦をどう戦っているか』(並木書房)
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