配信日時 2024/05/15 09:00

【陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(61)】自衛隊砲兵史(7)3次防から4次防へ   荒木 肇

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当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
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自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
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おはようございます、エンリケです。

「陸軍砲兵史」
の第61回目。

最終パラグラフは必読ですね!

各部隊解説の詳細も、無味乾燥でない。
読むにつれ、部隊への理解が深まるのは
なんとも不思議な感覚です。

たとえば「訓練砲術班」という部隊。
この記事を読んだだけで、部隊に
息が吹き込まれ、イキイキと自分の中に
飛び込んできた錯覚を覚えました。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(61)

自衛隊砲兵史(7)3次防から4次防へ


荒木 肇

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□お礼

 GIさま、高等工業専門学校の記事から陸上自衛
隊施設科の民生協力のお話を出して下さいました。
まさに学校数も一致しますし、学校用地の整備など
に陸自施設が技術・労力を提供していた話、とても
貴重なことだと思います。いま、陸上自衛隊史をた
どっていますが、今後ともよろしくお願いいたしま
す。



▼ミグが突然やってきた

1973(昭和48)年から第4次防衛力整備計画
が始まります。定員も18万人体制が実現しました。
それは1957(昭和32)年からつづく大きな悲
願でした。この4次防の大きな改革の1つは、機甲
師団をもつということでしたが現実化は遅れました。

この時期になると、アメリカは泥沼化したベトナム
から手を引くことになります。東アジア戦略も見直
されました。そうした中で、陸自の北方重視が始ま
ります。じっさいのところ、1976(昭和51)
年には、わが国の防衛監視システムをかいくぐって
ソ連戦闘機が函館に強行着陸するといった事件も起
きました。

ベテランの自衛隊OBの中でも、当時、若手だった
方々からさまざまな秘話を聞くことがあります。低
空への監視能力が低かった、戦闘機のルックダウン
(下方の監視能力)レーダーが不備だったなどとい
う話の他に、実弾を装備し、ソ連爆撃機を撃墜せよ
・・・などという命令が出た(でも、どこからの命
令か分からなかった)という秘話を元パイロットが
漏らしてくれたこともあります。
 
有名なMIG25事件ですが、米国への亡命を認め
られた中尉が先年亡くなったという報道がありまし
た。その機体にからんで一触即発の事態だったのか
と思います。その機体が問題だったのです。


ミグ25戦闘機はソ連最新鋭要撃戦闘機であり、西
側には秘密だらけだったことが問題を大きくしまし
た。ソ連空挺部隊が奪回に来るかも、爆撃機が爆砕
しに来るだろうなどと「にわか軍事評論家」がテレ
ビや新聞で騒いでいたことも記憶しています。


陸自の部隊でも高射機関砲に実弾が装填され、普通
科部隊は臨戦態勢に入ったなどともいわれています
が、先の空自のファントム・ライダー(F4戦闘機
パイロット)の思い出話も裏がきちんと取れる話で
はありません。しかし、当時の自衛隊最高指揮官の
総理大臣や防衛庁長官、そして国会議員の方々は何
をされていたのでしょうか。たしか、情報に振り回
されて、ただあたふたとしていたという印象しかあ
りません。

▼北海道侵攻への備え

 当時、ソ連軍の北海道侵攻にはいくつかの可能性
が考えられていました。北海道東部ルート、北海道
北部ルート、宗谷・津軽の2海峡制圧、東北地方の
航空撃滅戦、日本海沿岸への侵攻といったものです。

 北海道北部、東部ルートとはいずれもソ連軍機甲
部隊の着上陸侵攻から始まります。とはいえ、ソ連
の開戦目的は、日ソの2国間の衝突ではなく米ソ全
面戦争の1局面としてソ連太平洋艦隊の行動の自由
を確保するといったことでしょう。


 北部ルートは稚内(わっかない)を押さえて上陸
した部隊が南下する、同時に陽動作戦として知床
(しれとこ)などに部隊を進める、その逆もありえ
ました。つまり北部、東部ルートというのは、どち
らを侵攻の主力とするかによって生まれるものです。

 航空撃滅戦は激しいものだったでしょう。空自の
基地は千歳にあり、そこには要撃戦闘機が多くあり、
東北の八戸にも対地戦闘攻撃機部隊がいました。

▼北方第7機甲師団の発足

 道北を護るのは旭川の第2師団、同じく道東には
帯広に第5師団がいて初動体制をとります。津軽海
峡は道南を警備地区にする第11師団が防衛を担任
しました。あとは戦略機動師団として第7師団、第
1特科団(砲兵旅団)、第1戦車団、第1高射特科
団などがありましたが、その第7師団は、ソ連軍機
械化師団と比べると弱体であることは否定できませ
ん。


 1979(昭和54)年、ソ連がアフガンに侵攻
します。そら見たことか、アフガンでなかったら北
海道だった・・・という気分が世間に起きました。
1980年からは84年までの5カ年を対象に「5
3中業」という中期業務見積が作られるようになり
ます。

 1981年には第1戦車団隷下の第2と第3戦車
群と第102装甲輸送隊をもとにして、戦車連隊3
個、装甲化普通科連隊1個を基幹とした第7機甲師
団が発足しました。機甲師団とは「卓越した機動力
と装甲防護能力」という陸自教範「師団」の中に、
一般師団とは異なった記述が見られます。


 また対空防御力を強化するために、一般師団では
2個中隊を基幹とする高射特科大隊であるのに対し
て、6個中隊もの高射特科連隊が隷下に生まれまし
た。これが後には87式高射自走機関砲をもつ第7
高射特科連隊の始まりです。そして多くの装甲車輌
があったために、一般師団には武器隊しかなかった
のに、第7師団だけは武器大隊がおかれます。


▼野戦特科連隊

 この頃、一般師団の12個特科連隊には105ミ
リと155ミリの牽引式榴弾砲がありました。第7
師団には105ミリと155ミリの装甲自走榴弾砲
が配備されています。

 1976(昭和51)年の特科連隊編制表により
ますと、連隊本部と本部中隊、その隷下に甲師団に
は4個大隊、各大隊は本部管理中隊と本部、2個射
撃中隊がありました。105ミリ榴弾砲が32門、
155ミリ同が16門、高射機関砲8門、自走同1
2門です。

 細かく見ると、射撃中隊は戦砲隊(本部と砲班4
つ・8門それに弾薬班)、本部中隊、指揮班、管理
整備班、2個前進観測班となっています。

▼富士学校砲兵の機能別教育

 訓練砲術班は、砲兵隊の指揮・運用、幕僚活動の
うちの大隊以下の実員指揮と関連する事項や、砲術
に関する事項の教育を行ないました。実員指揮とい
うのは一般には馴染の無い言葉ですが、いかにも陸
上自衛隊らしい言葉の1つです。机上のプランだけ
ではなく、実際の人員を指揮し、動かすための訓練
になります。

 軍事を書物などだけで学んだ方々の中には、時と
して軍事のプロには受け入れられない感想や意見を
もつ人がいます。兵器でいえば、カタログ性能を暗
記し、そこからすべてが分かった気になってしまう
人のことです。


実際のところ、カタログで火砲の発射速度が4発/
分とあれば、じゃあ20発は5分で撃てると思って
しまいます。しかし、火砲は人が動かし、火砲の射
撃は人が射撃に際して起こる各種の衝撃や影響に耐
えながら行なうものです。そこに「実員」が存在し
ます。そこにこそ指揮官が実員指揮を学ぶ必要があ
ります。

 砲術は、射撃指揮、射撃の観測、戦砲隊・操法教
育に区分されます。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。


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された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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