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危機管理の基本は「いつでもどこでも動ける状況・
環境を確保すること」
自転車は人間が乗って移動するだけのものではない。
自転車を動かすには燃料やエネルギーが不要。
今すぐこの場でいつでも動かせるのです。
荷物を積んで押して歩く「燃料不要の輸送手段」と
しての自転車の存在を再認識せよ
押して歩く輸送手段「自転車/スクーター」の存在
が朝野ともに無視できない時代に入った!
「押して歩く自転車」という軍用装備を舐めてはい
けない!
戦史からの学びを通して「自転車という輸送手段」
への目を拓く啓蒙書。
温故知新の書。
読めばわかるが、一番読んでほしいのは防衛省自衛
隊関係者。
日本兵は戦場で““餓死”する必要はなかった!
『自転車で勝てた戦争があった─サイクルアーミー
と新軍事モビリティ』兵頭二十八(著)
四六判276ページ
発行:2024/5/2
発行:並木書房
価格:¥1800+税
https://amzn.to/3UzToL8
おはようございます、エンリケです。
兵頭二十八さんの最新刊『自転車で勝てる戦争があ
った』は、歴史や軍事に関心を持つ方々や、戦略や
戦術の研究をされているあなたに強くお勧めしたく
なる本です。
自転車に興味があり、それが戦争や軍事作戦にどの
ように活用されたかに興味を持つサイクリング愛好
家やテクノロジー・イノベーションに関心を寄せる
方々にもオススメです。必見と言って良いかもしれ
ませんね。
自転車が歴史的な戦争にどのように関与したかを明
らかにし、新たな視点を提供します。自転車の戦略
的な価値や活用法に興味をお持ちの方々にとって、
非常に興味深い読書体験となるでしょう。
『自転車で勝てる戦争があった』は、戦没日本兵1
65万人のうち37パーセントを占めると言われる《
広義の餓死者》についての衝撃的な事実から始まり
ます。1950年代のベトナム兵たちが主用した
「押して歩く自転車」が、兵糧輸送や患者後送の手
段として活用されれば、餓死者数はゼロに抑えられ
た可能性があったかもしれません。
なぜ帝国陸軍のエリート参謀たちはそれを実現でき
なかったのでしょうか? この疑問に答えるべく、
本書は古今の自転車技術を探り、《追試実験》によ
って確かめられた真実を明らかにします。日本兵は
"餓死"する必要はなかったのです!
【著者略歴】
兵頭 二十八(ひょうどう にそはち)
1960年長野市生まれ。陸上自衛隊北部方面隊、月刊
『戦車マガジン』編集部などを経て、作家・フリー
ライターに。既著に『米中「AI」大戦』(並木書
房)、『有坂銃』(光人社FN文庫)など多数。現
在は函館市に住む。
弊メルマガでは何度もお伝えしてますが、兵頭二十
八さんは天才です。
その発想が常人離れしているのはもちろんですが、
地道に丹念にその発想を紡ぎあげていく地に足のつ
いた姿勢も他の追随を許しません。
AIや無人兵器についても、巷で話題になる随分前か
ら啓蒙書を書かれており、5~6年してから世の中
が追いついてきた記憶があります。
そして今回取り上げられたのが自転車です。
アナログ中のアナログという印象で最先端っぽくな
いのですが、実はそこが盲点なのです。
天才の発想とはこういうものです。
常人には見えていても見えてないもの・ことに天才は
感づくのです。
兵頭さんは、自転車の何に感づいたのでしょうか?
この本を手にされるであろうあなたが、自転車と戦
争、輸送をめぐって感じている怒りや悩み、不安、
そして欲求の第一はおそらく、帝国陸軍が自転車を
活用しなかった大東亜戦争戦史でしょう。特に、エ
リート層や幕僚が輸送手段としての自転車の軍事利
用の可能性を見逃し、その結果として戦局や兵士の
命に影響を及ぼした部分について、怒りを感じるか
もしれません。
自転車の潜在的な戦略的価値を見逃し最大限に活用
できなかったわが軍の行動が、戦局や兵士の命に与
えた影響にあなたは怒りを抑えきれなくなるかもし
れません。そして、自転車がもたらす可能性に対す
る欲求や期待は、あなたの心を揺さぶることでしょ
う。
本著は兵頭二十八さん待望の最新刊で、「輸送手段
としての自転車の価値」を戦史から学ぶことに焦点
を当てています。
具体的な歴史的事例や論拠・実験に基づいた議論は、
あなたに新たな視点を提供し、従来の戦争史観や戦
略に対する疑問を刺激します。
この本は、輸送手段としての自転車の戦争への有用
性を証明する具体的な事例や論拠を提供し、読者の
疑念を払拭し、自転車を戦争・危機管理に有効な手
段として考えるよう促します。
ではこの「輸送手段としての自転車」に目を拓く啓
蒙書の内容を見ていきましょう。
-----------------------------------
序
わたしは、近未来に、古くてあたらしい《自転車
》や《無動力のスクーター》が、何万人もの命を救
うことになるだろうと思っています。
この1冊を書いたのは、その未来を皆さんに伝え
たいためです。
しかし、いきなり至高のテーマの説明から始めて
も、誰もついて来てはくれぬと、経験から、わかっ
ています。
そこで、大多数の方が知っている「はず」である、
先の大戦のお話から、いたしましょう。
サドルも、チェーンも、ペダルも、ギヤも、ゴム
チューブも無い「押して歩く」だけの自転車──そ
れは今なら「手押しスクーター」とも呼ばれましょ
う──を調えるという着想が、もし戦前のわが国の
指導者層に持てていたならば、先の大戦で、わが国
は、敗けなかったかもしれません。
……えっ、何ですって?
左様。もし今から2年ほども前でしたなら、「お
前は60歳を過ぎて小学生みたいにくだらぬことを空
想してるなよ」と、こんな話は、みずから一蹴して
いたでしょう。
ところが、この可能性を頭の片隅に置いて史実の
数値を眺めているうち、「それは妄説ではない」と
思われてきた。じつは、その文献確認で、昨年(2
023年)は、すっかり時間を費やしました。おか
げで老眼が一層悪化したことは苦にしていません。
外見からはそれほどとはわからない技術の飛躍が、
自転車工業にはたびたび、あったようですね。なか
んずく、市販品のタイヤやチューブのゴム関係が、
昭和24年(1949年)頃を境に画期的に改良され
ている。どうも、その普及は世界的であったようで
す。
本文の第5章でも再説をいたしますが、そんなベ
ーシックな機能改善があったので、1954年、制
空権をまったく有しないベトミン・ゲリラが、《万
単位の数の市販自転車のフレームに200kgの軍需
品を吊るしたものを輜重兵が夜間に押して歩き、荷
物をリレー式に前送させる》というユニークな《補
給トレイン》を実現することができて、「ディエン
ビエンフー要塞」に立て籠もったフランス植民地軍
の大部隊を火力で圧倒して降伏に追い込み、旧宗主
をインドシナから追い出す端緒が作られたと考えら
れるのです。
しからば、同じようにジャングル内の細道を縫う、
人力による長距補給計画を、1949年以前の物資
や技術のみを用いた自転車──もしくはその簡易改
造品──を使って、1942~44年の日本軍が、東
部ニューギニアやガダルカナル島やビルマの最前線
で実施することは、不可能だったでしょうか?
この本は、「関係者が機転が利く者だったならば
それも可能であった」と論証します。
第1章ではまず、1944年の「インパール作戦」
から検討しましょう。
よくこれは、近代日本の戦争指導上、最悪の失敗
の代表としてあげつらわれます。
じっさい、発案人にして「第15軍」司令官たる牟
田口廉也中将の頭の中は粗雑のそしりをまぬがれま
せん。が、その事実とは独立に、当時でも「押して
歩く」金属製自転車を、上海、仏印、タイ、ビルマ
方面で数千台から数万台くらい、かきあつめること
はできました。
基本、「乗用」は考えないので、車輪は金属リム
がしっかりしていてくれたら、そこに麻縄なり竹ひ
ごなりを巻きつけて、空気タイヤ以前の「ソリッド
ゴム」の代用緩衝材とし、またもしスポークが超過
荷重で折れ曲がってしまいそうだったならば、野山
砲の砲車の車輪よろしく、木材で補強すればよかっ
た。チェーンやペダルどころか、クランクやギヤも
欠損していたって、構いはしなかったのです。
江戸時代に来日した医師のシーボルトが1826
年に書き留めています。当時の日本国内で牛に曳か
せていた荷車のホイールには鉄環は巻かれておらず、
その接地外縁の木部の磨耗を防ぐために、割り竹を
8の字状に編んで巻きつけてあった、と。ビルマに
は竹が自生していました。パンクしがちな当時のゴ
ムチューブの空気タイヤなど、さいしょから除去し
てしまって、鉄リムにゴム片を貼り付けるか、何か
その用途に適した植物繊維を巻きつけて保護するだ
けで、長い距離の「押し歩き」に耐えてくれたので
はないかと思います。
それに加えて、現地ビルマにおいて、車輪までが
切り抜きのソリッド材木の「全木製スクーター」を
各部隊で自作し、そこに200kgの物資(食糧や弾
薬)を積載して人力で山道を押して行くことすら、
技術的に可能だったと考えられるのです。
後者の、目の当たりの証拠品が、コンゴ民主共和
国の東部で活躍中です。そこでは現在でも、ストリ
ートの木工職人たちが、ブッシュナイフ1本を道具
として、ありふれた材木と廃タイヤの切れ端から、
わずか2日か3日で、全長2mの「CHUKUDU」
(これについては第1章のおしまいのページをご覧
ください)をハンドメイドしています。
頑丈なタイプですと、ユーザーが450kgもの荷
物を毎日運んでも、2、3年間は耐用するという。
1970年代いらい工夫され洗練されている、「無
動力の輸送機械」の優等生なのです。
この木製スクーターのスペックを、いくぶん割り
引いて──たとえば載貨量を100kgと抑制し──
条件代入してみたとしても、当時の日本軍の目的で
あったインパール市の占領は、たぶん、一時的には
できてしまったでしょう。というのはコメ80kgを1
人の人間が背負って長時間歩行することは不可能で
すが、積載力100kgで自重数十kgの自転車もしく
はスクーターを押しながら延々と行軍を持続するこ
とはできるからです。
コメ80kgで1人の兵隊の4ヵ月分、または2人の
兵隊の2ヵ月分のカロリーになりました。その自転
車1台を2人がかりで押し引きすれば、険難な急坂
も通過できたのです。
自転車のような、前後にタンデムに2輪のついた
荷車の特長は、斜面を通行するとき、押し手がロー
ル傾斜をキャンセルすることで、横倒しを免れるこ
とです。急斜面の直登であろうがトラバース(横行)
であろうが、車体はうしろから見たときに、左右に
大きく傾きません。それは、人間や動物の歩き様に、
近い。
キツネが冬の湖氷の上を歩いた足跡を見たことの
ある方は、その足跡がまるで1条の点線としか見え
ないのが、不思議で面白いことでしょう。前脚が安
全に踏むことのできた線上を、後脚も的確になぞっ
て進む。自転車にも、似たことができるのです。も
し前輪が、穴や岩木の段差衝撃にわずらわされずに
済んだならば、後輪もわずらわされません。
19世紀末の自転車デザインの模索期に、いくつか
の軍隊で、「3~4輪自転車」を重機関銃の運搬に
使えぬかどうか、試しています。そして学習しまし
た。レール上を走らせる専用の自転車(ウォーサイ
クルズ等と呼ばれました)でないかぎり、3~4輪
の自転車は勝手が悪くて非実用的だ──と。前後左
右の車輪のすべてが、地面の凹凸を避けるべく、進
行線をハンドルで微調節し続けることなど、誰にも
できやしなかったからです。
自転車が近代人類の大発明であるゆえんは、「次
々にあらわれる地面障害をやすやすと避けて通れる
前後タンデム2輪で、それなのに横転はしない」と
いう、思いがけずも野生動物に類した「地形即応力」
にあったのではないかと思っています。
さて、歴史の「if」として、この自転車を「手
押し荷車」として活用する着眼により、日本軍がな
んとかインパールやその北方のコヒマまで占領でき
たとしましょう。やはりその直後に、連合軍から大
逆襲を喰らった可能性は大です。
その場合でも、日本軍の全部隊が給養不良のため
ほぼ同時に一斉に活動力を喪ってしまうというカタ
ストロフィックな行軍計画の破綻は起きません。自
転車と、それを押す兵隊の体力が残っている以上、
退却路がジャングル内の1本道しかなくとも、「独
歩不能な重患者」たちを、ただの1人もジャングル
内に置き去りにすることはなかったでしょう。
自転車は、疲労した兵隊にとっては「寄りかかれ
る杖」となり、まったく歩けない重傷者に対しては、
ストレッチャーの機能を提供できました。患者を、
モンスーン豪雨で水浸しの地面から持ち上げて、必
要ならば2人分の2週間分の食料の他に装具もいっ
しょに載せ、それをたった1名の健常兵だけで、押
して行けたでしょう。
ベトナム人は、ベトナム戦争中、2台の自転車を
前後に連ね、その2台のあいだに「担架」をかけわ
たすという方法で、軽便な「患者輸送車」をこしら
えています(Jim Fitzpatrick著『The Bicycle in
Wartime』の185ページに、その一例の写真があり
ます)。
いよいよとなれば、1台の自転車の後部荷台に丸
太棒の前端だけを引っ掛けて、棒の尾端は敢えて引
き摺るように接地させ、その丸太に患者をぐるぐる
と縛りつけた状態で、その自転車を押して歩いても、
なんとかできたはずです。
もちろん木製スクーター「チュクードゥー」〔第
1章の最後で解説しています〕のメインビーム上に
も、1名の患者を後ろ向きに座らせておくことは可
能で、それを1人の「押し手」により、2人分の食
料とともにジャングル内を延々と後退させることは、
難しくはなかったのではないでしょうか。
さすがにしかし、そこから先の戦争の行く末とな
りますれば、相手方も百般の策を講じたはずですの
で、見通しは曇ります。
まさか自転車の兵站力だけで、ロンドンやワシン
トンまでも攻めていくことはできません。米国のマ
ンハッタン計画(原爆開発)を阻止するのも無理で
しょう。
それでも、間違いなくビルマでもフィリピンでも、
日本軍は戦史よりもずっと少ない死傷者で、頑強こ
の上なく抵抗し得たでしょう。そしてその「新現実」
が、連合国側の戦争指導部をして、ドイツ占領後の
長期戦争を嫌忌させ、早期の対日媾和を考えさせた
かもしれません。
その間の、日本本土内の戦時経済活動も、史実よ
りは遥かに高速に回転し得たでしょう。自動貨車
(トラック)と石油燃料の不足を、効率的に、プッ
シュバイク(手押しの荷車スクーター/自転車)が、
補ったと考えられるのです。この話は、本書の最終
章、現代のわが国の重要課題とも関係してまいりま
す。
第2章では、1904~05年の日露戦争ではどう
して日本軍は自転車を使わなかったのかを、ごく簡
単に考察します。
そもそも軍隊が自転車を本格的に戦争に使用した
のは、1899~1902年の「第2次ボーア戦争」。
とうじ欧州の時評家は、《騎兵の時代は終わり、
自転車歩兵が現代のドラグーン(乗馬機動歩兵)に
なる》と予感したものでした。明治期の日本陸軍は
ニア・リアルタイムで欧米の戦争報道を熱心に全訳
していました。この最新アイテムの華々しい登場を
知らなかったはずがありません。なぜ、それを対露
戦では役立てなかったのでしょうか?
もし「荷車」としての自転車に、日露戦争のずっ
と前から価値をみいだせた慧眼の戦略家と行政官が
いたならば、対露戦争の戦場を「南満洲」に限定す
る必要はありませんでした。日本陸軍は、朝鮮国境
から北上してウラジオストック軍港を攻略できた可
能性があります。長春から遼東半島の南端まで延び
ていた「東清鉄道南満洲支線」も、奉天以北、たと
えば四平で遮断できた可能性があります。日露戦争
の展開は、土台から異なったものになったでしょう。
なお、日清戦争と自転車の関係については、次の
第3章で説明しています。
第3章では、昭和12年以降の日本政府が、鉄やゴ
ムを消費する自転車製造業を基本的に兵器増産のさ
またげだとみなして制限してしまう不明と、それに
もかかわらず、対英米戦争の初盤、1941年12月
から翌年1月にかけて、マレー半島を南下してシン
ガポールを電撃的に攻略するのに民生品の自転車を
役立てようと考えた、エリート参謀・辻政信大佐の
思惑が大当たりしている理由を考究したいと思いま
す。
この章ではまた、18世紀の自転車の始祖とされる
「ドライジーネ」から1930年代までの自転車
「進化」史も、簡略に承知しておこうと思います。
第4章では、開戦劈頭マレー半島での大成功があ
ったにもかかわらず、1942年に東部ニューギニ
アの脊梁山脈を歩いて越えようとした「ポートモレ
スビー攻略作戦」と、同時期に並行して展開した
「ガダルカナル島攻防戦」に自転車を使おうという
発想がまったく抱かれなかった理由について、いさ
さか想像します。
わたくしの見ますところ、ガ島でもオーエンスタ
ンレー山地でも、「押して歩く」自転車を、動物輜
重の代用にするという発想さえあれば、経過はまる
で違ったものになり、終始、「餓死者」「残置患者」
はゼロにできたでしょう。
しかし、マレー半島で実行されている奇襲開戦計
画とは異なって、ソロモン方面の作戦は、対米英蘭
開戦後、かなり経ってから、泥縄計画のようにして
急進展したものです。空母戦力に期待していた日本
海軍の根本計画が、ミッドウェー海戦でとつぜんに
破綻してしまい、爾後は、空母ではなく、島嶼の航
空基地に頼るしかなくなったという《事情の急変》
が、陸軍部隊の仕事も急かしました。そのため、何
ヵ月も前からまとまった数の自転車を揃えて前線に
送り込むべく準備をなし得たような「軍司令部組織」
は、そこには初めから存在しなかったのです。もち
ろんその前に、自転車の輜重的運用をふだんから研
究していたような幕僚も団隊長も──辻政信も含め
て──誰もいませんでした。辻グループは、戦間期
イタリアの自転車利用戦術の翻訳以上の発明をした
わけではなかったのでしょう。
わたくしは、机上であれこれ空想をしているだけ
では科学的ではないと思い、協力者を募り、タイヤ
のゴムとチューブを意図的に除去してしまった現代
の自転車に80kgの砂袋を縛り付けて、里山の坂を押
して登ってもらうという「実験」を、2024年1
月~2月に撮影してもらいました。その動画も、下
記のQRコードから、ネットのアップロード先へリ
ンクしておりますので、どなた様もご覧になってく
ださい。
第2次大戦後のベトナム人たちの偉大な創見であ
る「荷車化した自転車」を、先の大戦中の自転車で
日本軍が実行した場合の実用性について、読者の皆
様が、幾分なりとも想像しやすくなりましたなら、
望外のよろこびです。
第5章では、その1950年代~60年代の北ベト
ナム軍の「プッシュバイク」の成功因を探ろうと思
います。
今から十年以上も前でしたなら、ベトナムを旅行
した外国人たちは、現地で自転車に途方もない大荷
物を積載して押して歩いている人を、街なかでも見
かけることがあったようです。が、2024年1月
に南ベトナムに旅行した人の話ですと、もう自転車
でそんな苦労をして物を運んでいるような人は、い
そうにもない感じだったそうです。ベトナムの経済
発展は順調で、それにともなうモータリゼーション
が進んでいるのでしょう。
ただし、私の想像では、ベトナム軍の内部では、
今でも「プッシュバイク」の装備と訓練と研究が、
あるはずです。彼らは、それを外部にはことさら、
宣伝しないのです。
第6章では、ドイツ軍、イタリア軍、スイス軍の
過去の自転車活用について短く瞥見し、そのうえで、
近未来の日本国が遭遇する可能性のある国家非常事
態と自転車の関係について、多少展望し、拙著をし
めくくりたいと思います。
解決至難な社会の少子高齢化と取り組まなくては
ならぬわが自衛隊も、早く自転車の正式導入を考え
たほうがいいに決まっています。この本の全篇が、
その問題提起となっていることを読者の皆様が察し
てくださいましたなら、うれしいです。
--------------------------------
いかがでしょうか?
次は目次をどうぞ
-------------------------------
目 次
序 1
第1章 インパール作戦──「置き去り」にしたか
どうかで決まった「餓死者数」23
インドとビルマの間は、広い不毛の密林山脈が
「自然国境」を成していた 23
陸上から補給を受けない長駆侵攻の手本を牟田口
に示した「チンディッツ」部隊とは? 26
インパール作戦の思いつき 37
3つの師団が糧食を運搬しようとした方法 40
さまざまな困難 46
遅延発生後の、崩壊のタイムライン 49
患者を後ろへ退げられないとき、食糧も前へ行か
ない 53
歩兵は命令すれば歩いてくれるが、物資は命令を
出しても歩いてくれない 60
遺棄を防ぐ道具の要件 《1人の健全兵で、1人
の重患者と、装備・糧食2人分も運べること 62
プッシュバイクで、師団の馬や自動車を完全に代
置できたか? 66
秣も燃料も、「世話係」も獣医も不要だった自転
車/スクーター 69
コンゴ人の大発明──材木と山刀だけで自作でき
る陸上運搬機「Chukudu」72
第2章 日露戦争は「自転車にとってのタイミング」
が悪かった 80
そもそも自転車はいつ「兵器化」されたのか? 80
「始祖鳥」としてのドライジーネ 81
第2次ボーア戦争よりも前の自転車は、依然とし
て《高額なオモチャ》だった 84
「安全型」自転車がデビュー 87
南アフリカの地政学 89
ダニエル・テロンの自転車コマンドー戦術 90
19世紀軍隊の「騎兵」の地位を20世紀に継承した
のは何か? 96
対露戦争に日本陸軍は自転車を持ち出す計画はあ
ったか? 100
日露戦争前夜の自転車世相 102
「自動車」が「自転車」のライバルとして登場した
タイミングの悪さ 105
第3章 なぜ「マレー進攻作戦」だけが「銀輪」活
用の成功例となってしまったのか? 108
日本の自転車工業と幕末人力車の縁 108
西南戦争で田原坂が攻防の焦点になったわけ 111
日清戦争以前の国内自転車メーカー 114
日本で最初に「セーフティー型」自転車を製作し
たのは……? 117
日清戦争と自転車 119
第1次世界大戦前の日本国内の自転車事情 127
日露戦争後に、宮田が主導した自転車のマスプロ
生産が本格化した 130
第1次世界大戦(1914~18年)と自転車の海
外市場 131
「統制官僚」たちによる《計画経済》──対英米戦
争前夜の自転車産業 135
マレー電撃戦の前夜 140
開戦劈頭の南方進攻作戦と自転車 141
生ゴムの自転車チューブは頻繁にパンクしたが、
大きな問題にならなかった 145
「銀輪部隊」のディテール──岩畔豪雄による証言 148
『戦史叢書』が教えてくれる知恵 152
米政府も自転車関連の物資は統制していた 156
国内自転車メーカーの南方占領地サービス 157
対米戦争後半の内地自転車事情 158
終戦直後の自転車事情 161
第4章 「東部ニューギニア」と「ガダルカナル」の
悪戦を、自転車は変えられたか? 164
なぜオーエンスタンレー山脈を歩いて越えようと
したか? 164
東部ニューギニアの道無き山脈に「プッシュバイ
ク」は通用したか? 168
なぜガダルカナル島は重視されたか? 177
一木支隊のガ島上陸と攻撃失敗 180
川口支隊のガ島上陸と攻撃失敗 186
「第2師団」のガ島上陸と攻撃失敗 191
非効率的だった「ドラム罐」補給 199
補給点に物資が堆積していても、前線では飢えて
しまう仕組み 203
総撤収 205
そこに自転車を持ち込んでいたなら、何が改善さ
れたか? 207
第5章 ベトナム人だけが大成功できた理由は? 210
ディエンビエンフーの大勝利 210
荷物運搬自転車のディテール 213
「ブチル・ゴム」チューブと 「インドシナの独立」
は、関係がある? 217
ブチル・ゴムは第2次大戦後に自転車用チューブ
の定番素材になった 221
インドシナの仏領植民地に多かったプジョー製の
自転車 223
第2次インドシナ戦争=いわゆる「ベトナム戦争」227
ベトコンの強さの秘密を見抜いた大物ジャーナリスト 231
自転車の全盛時代を終らせたのは、米軍ではなく
ホンダのカブであった 234
第6章 自転車は「エネルギーと食糧の地政学」を
これからも左右する 240
欧州の道路は、自転車にも自動車にも好都合だった 240
ヒトラーは自転車を推せなかった 242
鉄道と自転車には、相通ずるところがあり、それ
は中世の「駱駝」と比べられる 247
「自動車化」は、軍隊を半「奴隷化」した 251
イタリア軍の先進的な考え方 256
スイス陸軍の実践 260
手押しスクーターは、非常時の食料・肥料・薪炭
の配分に大活躍する 264
[コラム]
水牛は役に立たなかったのか? 48
実験リポート ゴム無し車輪のプッシュバイクで本当
に使い物になったか? 237
自転車歩兵部隊を乗馬歩兵部隊と比べた長所と短所
は何か? 254
「あとがき」にかえて 268
学ぶにしくはなし 268
自転車は、乗るばかりが能ではない 270
少子高齢化社会に向き合いつつ、周辺国からの侵略
に強靭に対処するには 272
-------------------------------
『自転車で勝てる戦争があった』は、
わが軍や他国の軍隊が実際に自転車を戦争に活用し
た事例を紹介し、その効果を論じるなかで、自転車
が持つ輸送機能に目を拓く啓蒙書です。
著者は兵頭二十八さんで、独自の視点で自転車の輸
送機能・軍事利用に着目、具体的な事例や論拠を提
供することで、各種読者の疑念を払拭しています。
兵頭さんにはファンが多く、この最新刊も大変な人
気を博しています。もし気になる方は、以下のリン
クをクリックして今すぐ手に入れてください。
心からオススメします。
『自転車で勝てた戦争があった─サイクルアーミー
と新軍事モビリティ』兵頭二十八(著)
四六判276ページ
発行:2024/5/2
発行:並木書房
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エンリケ
追伸
肩書や過去のお仕事のせいか、どうしても「軍事」と
いう面に引っ張られがちですが、
兵頭さんの天才は、軍事分野のみで話が収束する
提案・指摘、アイデアではない、という点を見落とし
てはいけないと思います。
そのことばには、国家全般、なかでもビジネス・産業
を活性化するものが含まれています。
兵頭さんの言葉に触れる方々には、必ず見落さないで
ほしいポイントです。
専門家の時代から総合家の時代に戻りつつある今、
兵頭さんのような存在は本当に大切にしなければ
いけないと考えています。
ぜひこの新刊を読んでください。
『自転車で勝てた戦争があった─サイクルアーミー
と新軍事モビリティ』兵頭二十八(著)
四六判276ページ
発行:2024/5/2
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