配信日時 2023/11/01 09:00

【陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(34)】 火砲国産化時代    荒木 肇

-------------------------------------------
今後の配信が不要の場合は
下記より解除して頂けます
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
-------------------------------------------
--------------------
「青天を衝け」渋沢栄一は何をしたのか?
↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://okigunnji.com/url/80/

---------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

もし、1冊10分で
本を読めるようになったら…

あなたのビジネス・人生は
どう変わるでしょう?

想像してください…

読みたい本を
全て読破した、
自分の姿を…

1冊10分のスピードを
手に入れる1流の読書法

をこちらからご覧ください。
↓↓
http://okigunnji.com/url/185/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
-------------------------------
哲學ツーリズム
http://okigunnji.com/url/187/
-------------------------------

--------------------------
荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
 https://amzn.to/34szs2W
-----------------------------------------

おはようございます。エンリケです。

「陸軍砲兵史」
の第34回目です。

「連隊砲」
ということばを久しぶりに聞き、
20年ほど前の、ずいぶん苦労した調べ物の
ことを思い出しました。

さっそくご覧ください


エンリケ


メルマガバックナンバー
https://heitansen.okigunnji.com/

ご意見・ご感想はコチラから
 ↓
https://okigunnji.com/url/7/


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(34)

火砲国産化時代


荒木 肇

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼砲塔砲台とは

 せっかく注文したクルップ製38式野砲はとうと
う戦争に間に合いませんでした。ロシア軍は砲身後
座式の野砲をもっていたのに、わが国は砲車後座式
だったのです。砲身を車の車軸に取りつけていただ
けなので、発射反動で砲は後ろに下がってしまいま
した。それを元に戻すのは人力であり、新しく照準
をつけ直さねばなりません。

 砲身後座式では砲架は動かず、砲身だけが後退し
て駐退機という装置で元に戻したものでした。その
駐退機は空気や液体の圧縮によるものです。それが
38式と名付けられたクルップ社の製品はすべてそ
の方式によりました。

 日露戦争の教訓では曲射が有利とされました。曲
射とは平射に対する言葉です。主に平射は加農(カ
ノン)が行ない、直接照準(敵を目にしながら狙い
撃つ)で戦いました。砲兵同士が互いに敵の陣地を
見、発砲の火煙を見ながら撃ち合うのです。この対
砲兵戦ほど激しい戦いはありません。傍観した歩兵
の目からみても、その凄惨さと砲兵の勇敢さに励ま
されたものだったようです。

 しかし、勇ましくても損害が出すぎました。そこ
で敵に見えない位置から射撃できるようにと「方向
板」を使う間接射撃(照準)が実用されます。方向
板というのは、シンプルな測角器です。これを高地、
山上などに置いて、射撃目標と砲車が狙う目標、た
とえば砲車から見える遠くの山の上の一本松の位置
との関係角度を測ります。これを砲車に伝えて、火
砲の照準器で一本松を狙えば砲車は射撃目標に向く
ことになりました。

 このように山越えの敵を狙えるようになると、曲
射砲である榴弾砲や臼砲になります。日露戦争の野
砲兵は緒戦では両軍ともに、山の稜線などに放列を
布いて眼下の敵を直接照準で撃ち合いましたが、後
半になると巧妙に隠された陣地から間接照準で射撃
をするようになりました。

▼純国産火砲41式山砲

 31年式速射野砲には軽量化した山砲がありまし
た。同じ弾頭を撃ちだしましたが装薬量を減らすこ
とで各部への負担を減らし、分解して駄載したり、
人力で運んだりすることができたのです。

 野砲が新式の38式になることで山砲を開発する
ことになりました。開発の中心になったのは陸軍技
術審査部審査官である島川文八郎(しまかわ・ぶん
はちろう)砲兵大佐でした。島川は三重県津藩士の
息子で1868(元治元)年の生まれで、旧制7期
の陸士生徒です。砲兵大尉としてベルギー、続いて
フランスに留学します。日露戦争では野砲兵第3聯
隊長として出征、研究畑を歩んでも、その実兵指揮
は優秀そのものだったそうです。1919(大正8)
年には陸軍大将に昇進しました。

 新山砲の条件はいくつかあります。何より1馬の
駄載能力の限界があるということです。分解して背
に負わせて機動しますが、わが軍馬の能力は欧州馬
にひどく劣るものでした。次に分解組み立てが必須
ですから、部品数を増やさない、しかも操作が簡単、
夜間の不整地でも駄載と卸下(しゃか・降ろすこと)
を容易にするために形状を考えるといったものです。


 島川は部下とともに、懸命に工夫を重ね、190
6(明治39)年12月には甲号、翌年8月には乙
号という名称で試作にかかることが認可されます。
そうして1909(明治42)年には試製砲が竣工
し、4月から試験射撃や同行軍を行ない、さらに改
良点が指摘されました。

 1910(明治43)年6月に制式制定が上申さ
れ、翌年12月に制定が発布されます。機動のとき
には6馬に載せ、輓曳なら1~2頭でできました。
砲身の全長は1300ミリ、重量は約100キログ
ラムです。放列重量は539.5キロ、弾量は57
10グラム、初速は360メートル/秒で最大射程
は6300メートルとあります。

▼余話としての歩兵聯隊砲

 この41式山砲は歩兵によっても使われました。
満洲事変(1931年)前には歩兵聯隊長が自由に
使える重火力ということから「聯隊砲」といわれる
火砲の配備が決まります。それまでも歩兵には敵機
関銃陣地を攻撃する平射砲や、迫撃砲である曲射歩
兵砲などがありました。しかし、さらに威力のある
火砲をという要望が出たのです。当時、山砲装備の
砲兵聯隊は4個、台湾山砲兵大隊のみでした。

 比較の対象として試製の重歩兵砲と92式歩兵砲、
41式山砲が用意されていましたが、何より威力が
あったのは41式山砲です。しかし、軽量というこ
とでは92式でした。重歩兵砲は重く、駄載、卸下、
組み立てなどに手間がかかり最も評価が低かったと
いいます。

 92式歩兵砲は軽量で、しかも曲射にも平射にも
使えるという長所がありました。しかも、歩兵大隊
に大隊砲小隊として2門を配属することが決まって
います。これに聯隊砲として4門の92式歩兵砲を
加えれば、3個大隊の6門とあわせ聯隊で10門の
重火力がそろいます。しかも弾薬の補充が統一され
兵站面でも有利であると思われていました。

 大方の議論が終わる頃、満洲事変から続いて熱河
省や北支などでの戦闘が始まります。敵は正規兵が
多く、火力が重要であることは何よりであり、現場
からは41式山砲を待つ声が大きくなりました。す
でに歩兵の近代戦への志向は重火力要求というとこ
ろに現われてきていたのです。軽い砲の数を揃える
より、より強力な火砲を持ちたいという現場の切実
な願いでした。

 歩兵用に小さな改修を受けた41式山砲(歩兵用)
は1936(昭和11)年頃から製造が開始されま
した。これ以後になると、甲装備の歩兵聯隊は各大
隊に歩兵砲小隊、自動砲小隊をもち、聯隊長直属の
歩兵砲中隊、対戦車用に速射砲中隊などがそろうよ
うになりました。

 

(つづく)


(あらき・はじめ)


☆バックナンバー
 ⇒ https://heitansen.okigunnji.com/

荒木さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。

https://okigunnji.com/url/7/


●著者略歴

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。


『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
 https://amzn.to/31jKcxe







-------------------------------
-新感覚 教育メディア-
哲學ツーリズム 光を観る旅
http://okigunnji.com/url/187/
-------------------------------
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
三井・三菱財閥をわずか一代で超えた男の経営學
↓↓
http://okigunnji.com/url/80/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

もし、1冊10分で
本を読めるようになったら…

あなたのビジネス・人生は
どう変わるでしょう?

想像してください…

読みたい本を
全て読破した、
自分の姿を…

1冊10分のスピードを
手に入れる1流の読書法

をこちらからご覧ください。
↓↓
http://okigunnji.com/url/185/

-------------------------------

PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。


最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。

-----------------------------------------
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)

メインサイト:
https://okigunnji.com/

問い合わせはこちら:
https://okigunnji.com/url/7/

メールアドレス:
okirakumagmag■■gmail.com(■■を@に置
き換えてください)
------------------------------------------

購読解除はこちらで
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com


---------------------------

投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。

Copyright(c) 2000-2023 Gunjijouhou.All rights reserved