配信日時 2023/06/28 09:00

【陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(16)】 東京湾防衛の要塞(4) 荒木 肇

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おはようございます。エンリケです。

「陸軍砲兵史」
の第16回目です。

たしかに吉川家は、毛利の盾として生き
続けましたね。鳥取城然り、関ケ原然り
そして幕末然り、、、

毛利両川のひとり「吉川元春」の大ファン
であるわたしにとって、特別な響きを持つ
ことばです。


では今日の記事をさっそくご覧ください


エンリケ


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陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(16)

東京湾防衛の要塞(4)


荒木 肇

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□はじめに

 明治15(1882)年、「日露戦争の軍事史的
研究」で高名な大江志乃夫氏は、日本陸軍は外征型
(国外に出征する、できる)に変わったと主張して
います。それが今でも定説になっているようですが、
この「外征型」という言葉が、のちの「大陸侵攻」
とか「中国侵略」という認識の元になっている、も
しくは語源にもなっているのではないでしょうか。

 それはそれとして、陸軍が「内地の治安維持」型
から外向型になったことは確かです。明治建軍期か
ら鎮台、つまり鎮(しず)めるための拠点の整備を
考えていました。それが戦時特設の旅団(移動する
軍隊)になり、それらをまとめて師団を基本単位に
しました。

すなわち外国軍を敵として想定する近代独立国家の
軍隊に変貌したのです。そのため兵器や軍隊の訓練
・教育体系もそれに対応して変化していきました。

 この時代を俯瞰してみると、欧米諸国のアジアへ
の侵略は1840年からアヘン戦争をきっかけにし
て確定的となりました。清国の各地は次々と列強の
手にするところになったのです。そのうえにロシア
の南下政策があり、地政学的な重要地、韓国につい
て清国とは対立していきました。

 その明治中期まで、わが国の兵器技術はまだまだ
未成熟でした。欧州にははるか昔から錬金術などで
知られているように金属に関わる基礎技術の蓄積が
ありました。製鉄についても高熱を出すことができ
るコークスの発明や蒸気機関の採用などで大きな技
術の壁があったのです。

 そうした中で、1882(明治15)年12月に
は軍備拡張の詔書が出され、海軍には軍艦建造の命
令が出されます。この年の事件では7月に朝鮮の兵
士が反乱を起こし、日本人教官を殺し、公使館を襲
うということがありました。これを「壬午(じんご)
軍乱」といいますが、日清両国の緊張は高まります。


▼政戦略構想の難しさ

 純然たる島国のわが国。現在の憲法に決められ、
多くの方々がいまも信奉する専守防衛とは国土を戦
場にすることです。その覚悟で戦争に臨むとはまあ、
なんと勇敢なことでしょう。明治の先人たちは、そ
う考えませんでした。国土を戦場にしてたまるか、
いまも話題になる敵基地攻撃論です。わが軍隊は必
ず海を越えねばなりません。

その軍隊を輸送するには制海権が必要です。わが国
は陸海両方の軍備を充実させねばなりません。そう
いう苛酷な条件がありました。徳川幕府が開国を決
断したときから課された宿命でもあったのです。し
かも開国は欧米諸国からの強制によるものでした。
わが国が自ら求めたものでは決してなかった、それ
が近代史を語る上で最も重要なところです。

 そのため、参考にする欧州の戦術、戦略論はあり
ませんでした。何も知らない子供がいきなり大人の
社会に放り込まれたのです。学ぼうにも同じような
立場の先進国はどこにもありません。フランスだろ
うがプロシャだろうが、そのまま適用できるような
理論がないのです。

▼戦略、戦術

 戦争とは何か、軍隊が軍隊とが兵器を使って戦う
こと、あるいは国家間や国家と交戦団体の争闘、2
つの国家や2グループに分かれた国々が武力を用い
て互いに敵対行為をする状態などと国語辞典には書
かれています。外形的な定義はそれでよいと思いま
すが、意義については正確なものではないようです。

 プロシャの軍人だったクラウゼヴィッツは次のよ
うに有名な定義を述べています。「戦争は他の手段
を以てする政治の延長である」。これが現在では多
くの人が認める説得力をもっている定義です。戦争
とは政治が行なった最高でかつ最終の結論が具体化
したものでした。軍隊はその結論の実行機関にしか
過ぎません。軍隊がその結論を出すべきものではあ
りません。

 そこから検討しますと、戦略を戦争指導の策略、
つまり戦うための計画や方法という意味に使うと誤
解が生まれます。戦略とはもともと「兵力をどう使
うか」という方策であって、戦争指導の方策ではあ
りません。戦争指導の方策は「政略」です。この政
略と戦略の区別を無視したことが日本陸軍の犯した
最大の失敗だったという論者が多くおられます。

 また、ふだんの軍事用語では、戦略は大部隊を運
用する方策を戦略といい、小規模の戦闘部隊の運用
の仕方を戦術といっています。

▼要塞の建設と有坂成章

 要塞とは砲台の集合です。東京湾には沿岸砲台と
海上の堡塁(海堡)がありました。この海堡の建設
のコンペに彗星のように現われたのが有坂成章(あ
りさか・なりあきら、1852~1915年、陸軍
中将)でした。有坂はその名前がいまでも通用する
アリサカ・ライフル(30年式歩兵銃)の設計者で
す。また、のちに紹介する31年式速射野砲・山砲
の設計者でもありました。

有坂は建軍の当時は陸軍省文官でした。彼は185
2年、周防国(すおうのくに・山口県)岩国家中の
火薬技術者の藩士の家に生まれます。

 この岩国吉川(きっかわ)家は不思議な大名家で
す。関ヶ原の戦い(16世紀末)の頃には、毛利本
家を支える一門の筆頭といえる立場でした。毛利家
当主が西軍(反徳川)の旗頭に担ぎあげられました
が、それを吉川広家がなんとかとりなします。毛利
家が戦後処理で潰されることを防ぎましたが、徳川
家の大名になることはしませんでした。岩国で3万
石を得て毛利家の分家のような扱いを受けました。

 生家では次男だった成章は11歳の時、砲術家だ
った有坂家の養子となります。祖父にあたる人は長
崎の町役人だった高島秋帆の門弟であり、徳丸ヶ原
の調練展示にも同行していました。造兵技術にも通
じていてモルチール砲なども鋳造しています。

 有坂は幕末には岩国藩兵隊に所属していましたが
実戦の場に立つことは、おそらくなかったようです。
1869(明治2)年2月には東京の開成学校に進
みます。開成学校はのちに大学南校といわれたとこ
ろで、そこで英語を学びました。翌年には毛利家か
らの推薦を受けて、大阪にあった陸軍兵学寮に進み
ます(翌年、東京に移転しました)。

 フランス語を学んだ有坂はお雇い教師の砲兵大尉
ルボンから指導を受けました。ルボン(1845~
1923年、最終階級は中将)はナポレオンのつく
った工科大学に入校します。優秀な人で建築設計、
機械設計、さらには工学教育にも通じて、明治陸軍
の基礎を指導します。来日したのは1872(明治
5)年の軍事顧問団の砲兵科長でした。

有坂はこの人の薫陶をうけつつ技術者としての才能
を開いてゆきました。1873(明治6)年6月に
は兵学寮を中退しますが、同年末には教官になりま
す。その肩書きは陸軍省11等出仕とあり文官でし
た。翌年には陸軍造兵司(のちに陸軍兵器本廠)の
土木に転勤します。

 この人事の裏には東京湾要塞の富津岬(千葉県富
津市)の砲台建設計画と関わるというのは兵頭二十
八氏です。氏は有坂の履歴から、マルクリー参謀中
佐、ルボン砲兵大尉、ジョルダン工兵大尉ら、仏人
顧問団教官の通訳をし、山縣有朋にも報告をしてい
たのではないかと十分に説得力のある説を展開して
います。

 要塞建設、砲台の整備は着々と進みました。18
78(明治11)年には富津岬で測量が行なわれま
す。翌年は富津岬の洲崎で地質調査を始めました。
その10月には有坂は「第1工兵方面」付きに異動
します。工兵方面とは耳慣れませんが、関東以北の
土木設備や要塞、架橋などを管轄する官衙です。第
2方面は中部地方以西を受け持ちました。

 近代砲台建設の初めは1880(明治13)年5
月の観音崎第2砲台、翌月の同第1砲台が起工され
ました。完成は同時で1884(明治17)年6月
のことでした。3番目になるのが、1880年に石
材が発注され、81年8月に基礎工事が始まる富津
の海堡でした。

 この海堡の設計図を出したのは砲兵局長だった原
田一道砲兵大佐、測量の専門家小菅工兵中佐ほかの
専門家たちでしたが、委員審議の対象になったのは
有坂が出したものだったそうです。

 次回は要塞に供えられた砲について。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。


『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
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