配信日時 2023/05/17 09:00

【陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(10)】 フランス、ドイツ混成時代 荒木 肇

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おはようございます。エンリケです。

「陸軍砲兵史」
の第10回目です。

草創期の話は面白いです。
たしかに、なぜ当初はフランス式だったのか?
は疑問ですね。

さっそくご覧ください


エンリケ


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陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(10)

フランス、ドイツ混成時代


荒木 肇

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▼明治初めの建軍時代

 近代的な陸海軍をつくらねばならない。そのため
には装備だ、人だとなるのはいまも少しも変わりま
せん。1868(明治元)年8月には京都に兵学校
(所)が開かれました。翌年9月から11月には大
坂城内に移転します。これが大坂兵学寮といわれ、
同時に8月から京都の河東に「仏式伝習所」ともい
われた河東操練所も教育を始めます。


この頃は、のちの上等士官、下等士官それぞれの教
育課程があったわけではありません。とにかくフラ
ンス式の軍事知識も一般教養も教える。体育訓練も
行なうといったようでした。気づかれたかと思いま
すが、上等士官の上等はなくなり、下等士官は「下
士」、もしくは「下士官」という言葉の由来だと思
います。

この河東操練所が1870(明治3)年4月に大坂
城内に移転して「教導隊」になりました。また、徳
川幕府が幕末から横浜に開いていた「語学校」が1
869(明治2)年5月から兵部省の管轄下にあり
ました。これの教材や、教官、生徒を70年5月か
ら大坂に動かして兵学寮の「幼年学舎」とします。

当然、「青年学舎」もあったのですが、これは実年
齢で分けたのではなく、志願者をその経験や学力で
分けました。簡単にいえば、速成で士官をつくるの
が青年学舎であり、フランス語はじめ語学や一般教
養を重視する、じっくり育てようというのが幼年学
舎でした。

青年学舎生徒を経て、のちに日露戦争で師団長にな
った井上光(いのうえ・ひかる)大将の例をひくと、
1851(嘉永4)年に岩国藩士の家に生まれます。
戊辰戦争に藩軍に参加、青年学舎を卒業し、187
1(明治4)年に歩兵大尉になりました。1877
年の西南戦争では少佐に進んでいて別働第1旅団の
大隊長として出征します。


対して、大久保春野(おおくぼ・はるの)大将は幼
年学舎生徒出身です。静岡県の神官の長男として1
846(弘化3)年に生まれます。戊辰戦争で官軍
が江戸へ進撃途中に合流した「報国隊」に参加し、
1870年に幼年学舎で学び、その後に5年にわた
ってフランスに留学し、帰国後に陸軍省7等出仕、
77年4月に少佐任官。中佐への進級は井上光と同
時に85年5月でした。

河東操練所の出身で有名人は、寺内正毅(てらうち・
まさたか、1852~1919年)元帥陸軍大将
です。長州藩足軽格という低い身分からスタートし
ます。1869年7月から河東へ、翌70年6月に
7等下士官、同12月に歩兵軍曹となり、71年1
月に権曹長(ごんのそうちょう)となりました。


同8月に少尉、同11月に中尉、72年大尉に進級、
西南戦争には近衛歩兵聯隊の中隊長として出征、右
手に負傷し、79年少佐に進み、82年からフラン
スに留学し、公使館付となり84年中佐に進級、8
6年に帰国しました。

このように世代や出身で建軍時代はさまざまな軍歴
からスタートしています。

▼陸軍は仏式、海軍は英式が決まる

 1870(明治3)年10月2日です。政府は海
軍については英式、陸軍は仏式という決定を行ない
各藩に通達します。11月には大阪兵学寮を陸軍兵
学寮と改称し、青年学舎と幼年学舎を並立しました。
志願する青年たちの学習歴や戦歴をみて、ふさわし
い学舎に採用するということです。

 その教官たちは幕府時代から引き続きフランス軍
人や、幕府時代の通訳官、さらには静岡県沼津に開
校していた徳川家の兵学校からも採用します。とに
かくフランス軍の最新の操典や、各種の軍事に関す
る文献の翻訳が最初でした。

 廃藩置県(1871年)7月というのは、単に行
政上の改革ではありません。同時に各藩軍の武装解
除、解散、再編をともないます(8月には各藩軍の
廃止)。そうしたことを行なうには、本来強大な軍
事力がなくてはなりませんでした。歴史教科書の記
述を見れば鹿児島・山口・高知の3藩による「御親
兵」の編成(同年2月)は廃藩置県のためのものと
あります。そうして事実、中央政府直属の軍事力で
ある御親兵は3藩から献上された兵力でした。

 しかし、ここで疑問が起こります。この中央政府
直属の軍隊ができる前から、陸は仏式、海は英式と
全国に布告したことです。まだ、政府には軍事力が
ない、それなのに軍の制式を決めて布告したという
背景には何があったのでしょうか。

▼仏式か英式か

 「用兵」とは「兵を動かすこと」、あるいは「動
かし方」のことです。装備や教育体系にも大きな影
響を及ぼします。フランスの用兵思想も幕末から輸
入されたとみて間違いはありません。

 海軍の英国式はまあ、納得できる話です。当時、
大英帝国の威信は海上貿易で支えられ、それを守る
英国海軍は質量ともに世界一でした。ただし、陸軍
が模範とする外国軍は英・仏2カ国が候補にあがっ
ていました。近代陸軍の生みの親といえば、大村益
次郎(おおむら・ますじろう、1825~1869
年)ですが、彼と弟子たちはフランス式を提唱しま
す。反対派はイギリス式をすでに採用していた鹿児
島藩勢力でした。代表は大久保利通(おおくぼ・と
しみち、1830~1878年)です。

 最後は大村派が勝利を収めるのですが、その理由
は明らかにはなりません。とにかく二転三転すると
いったことがあります。まずフランス顧問団を招く
といった提案がされました。フランス公使に話を通
すのが1870年4月です。9月にはほぼフランス
式採用が内定しました。

 ところがこの7月19日(わが国では明治3年6
月21日)にフランスとプロシャは戦争となります。
普仏戦争として知られる大きな戦いでした。フラン
ス公使に教師の雇い入れの斡旋を申し入れてから、
わずか2カ月後に戦争が始まり、9月2日にはナポ
レオン3世はセダンで全軍を率いてプロシャ軍に降
伏するといった事態になってしまいます。

 そのさなかに2人の重要人物が帰国しました。8
月2日、山縣有朋と西郷従道が兵制調査を終えてき
たのです。すぐに2人は重職に任じられます。山縣
は兵部少輔(ひょうぶのしょう)に、西郷は同大丞
(だいじょう)になりました。当時は兵部省の長官
は「卿(きょう)」の嘉彰親王がいわばお飾りで、
大輔(たゆう)は欠員(前原一誠が辞職)でしたか
ら山縣が最先任、西郷がその下となったのです。

 山縣はすでに両軍士官の質を比較し、プロシャ軍
が優秀であると見ていたようです。また、8月末に
調査出張を命じられていた大山巌もフランス軍の様
子を見て失望し、装備についても優劣を語っていま
す。プロシャの鋼製後装砲が、フランスの青銅前装
砲よりも性能的に勝っているとも報告しているよう
です。

 それなのに、どうしてフランス式が採用されたの
でしょうか。ますます興味が湧いてきます。今回も
『陸軍創設史-フランス軍事顧問団の影』(篠原宏)
の労作を参照しました。

 
(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。


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