配信日時 2023/04/05 09:00

【陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(4)】 大きく発達した野戦砲   荒木肇

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おはようございます。エンリケです。

「陸軍砲兵史」
の第4回目です。

機動のはなし。

19世紀初めのナポレオン軍において、砲兵という兵
科が誕生したこと。

ナポレオン以前、砲を扱うのは契約した民間人であ
ったため、戦闘終了後には砲兵工廠に帰っていたこと。

・・・

ほかにも、おもしろくてつい読みふけってしまう話
がてんこもりです。

さっそくご覧ください


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陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(4)

大きく発達した野戦砲


荒木 肇

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□はじめに

 1763年から67年にかけて、グリヴォーバル
中将に指導された技術者たちは、さまざまな野戦砲
に関する改良や発明を行ないました。車輪付きの砲
架(ほうが)、つまり砲車と連結する前車(ぜんし
ゃ・弾薬車)や、大型の弾薬運搬車、輓馬(ばんば・
牽引馬)に着装する繋駕具(けいがぐ)、照準装
置などなどでした。これらの開発の元となった発想
はすべてシンプルで急進的だったそうです(「戦争
の世界史」)。

砲車と弾薬車を連結して4輪のトレーラーとしまし
た。それまでは火砲を頑丈な荷車に積んだり、分解
して駄馬の背中に載せたりして運んでいました。そ
れを4輪車にして操縦性を高めたことで、火砲はそ
れまでと比べ物にならないほどの機動力をもちまし
た。行軍する歩兵といっしょに行動できるようにな
ったのです。

照準は砲身の仰角(ぎょうかく)と左右に向ける方
位角(ほういかく)を決めることで行ないます。仰
角を設定するには砲架につけたネジ式の上下動装置
を使いました。砲身には砲耳(ほうじ)という、砲
身から直角に突き出た砲架に載せるための突起があ
りますが、これを支点にして角度をつけます。砲尾
についたネジ式の装置で砲口は上下しました。

▼砲弾の開発

また砲弾と装薬(発射火薬)を1つのパッケージに
しました。別々に砲身に押し込んでいた従来の装填
法と比べると約半分の時間でできるようになりまし
た。つまり単位時間で撃ちだされる砲弾は2倍とな
ります。

砲弾そのものの開発も行ないました。球形の実体弾
であるソリッド・ショット、中が中空になっていて
炸薬が詰められるシェル、そうして散弾などが内蔵
されたキャニスター・ショットの3種類です。

これまで大砲といえば大きな鉄丸だけを撃つもので
した。そのスピードと重さで強烈な破壊力がありま
した。要塞の石垣や塔は崩され、城門は破られ、艦
船の舷側は穴をあけられます。密集した歩兵の列に
撃ち込まれれば、ふれた者すべてが倒されました。
しかし、薄い弾殻の中で火薬を爆発させたらどうで
しょう。弾片が飛び散り、周囲にはたいへん危険な
ものになります。

そうした発想は古くからありました。わが国でも高
麗と元に侵攻されたとき、「てつはう」という武器
に苦しめられました。炸裂して大きな音を出し、破
片が飛び散り、馬を驚かせ、武士は対応に困りまし
た。あれには導火線がついています。弾の内部の炸
薬に火をつけるためのものでした。

▼信管を切る

中に炸薬を詰められ導火線を付けられたシェルは爆
発まで間が空きます。導火線が燃え尽き、炸薬に点
火するまでの時間です。炸薬が爆発することで弾殻
(だんこく)が破裂し、破片や衝撃波で周囲に危害
を及ぼしました。


ナポレオンのロシア侵攻を描いたトルストイの名作、
「戦争と平和」の中で、歩兵聯隊長だったアンドレ
イ公爵が重傷を負う場面が印象的です。予備隊とし
て待機する部下たちの前に立つ彼の足もとに、シュ
ーシューと火花を散らすシェルが落ちてきます。く
るくる回るネズミ花火のようです。実際には短くて
も、次官を長く感じたシェルが爆発する瞬間までア
ンドレイはそれを見つめていました。

また、軍艦同士の砲撃戦や軍艦対要塞の戦いでもシ
ェルは使われたようです。ナポレオン戦争時代の海
軍士官の活躍を描いた英国作家のホーンブロワー・
シリーズの中にも、似た場面が出てきます。艦尾甲
板の上にシェルが落ちました。火花を噴いて回転す
る敵弾を、他のみなが茫然と見つめる中で、艦長は
手袋をした手で拾い上げて海中に放り込みます。

そして、戊辰戦争の会津若松城の攻防戦でも、城内
に撃ち込まれたシェルに布団をかぶせて火を消そう
とした子女の話が残っています。


このように火縄の長さを調節して爆発するまでの時
間を決めます。そのためにのちの時代になって起爆
する信管という名称がついたヒモを切るために、
「信管を切る」という言葉が使われるようになりま
した。現在でもデジタル機器で榴弾に信管をセット
しますが、これもいまだに「信管を切る」といわれ
ています。自衛隊砲兵も同じです。

▼散弾銃のようなキャニスター・ショット

キャニスター・ショットは弾殻とはいえない袋状の
容器と考えていいでしょう。グレープ・ショットと
もいわれました。内部には小さな子弾(しだん)、
パチンコ玉のようなものが入っていて、砲口から飛
び出すとすぐに広がります。いまでも鳥獣を狩るた
めに散弾銃は使われています。それと原理は少しも
変わりません。のちに霰弾(さんだん)と訳される
ようになりました。

▼機動と放列

 軍隊が戦場に戦闘のために移動することを「機動」
といいます。作戦機動、戦術機動、そして戦場機動
の3種に分かれます。作戦機動とは予想される戦場
までの機動をいいます。行軍というと理解しやすい
でしょう。まさに移動です。戦術機動は、戦場で戦
闘展開によって射撃陣地に進入する、陣地占領する
ということになります。

ここまでは砲車は前車(弾薬車)と連結され、4輪
トレーラーを構成して輓馬で曳かれていました。1
2ポンド砲なら6頭、より軽量の8ポンド、4ポン
ド砲はそれぞれ4頭の馬で牽引されました。陣地に
進入すると、馬はここで放されて安全な後方にさげ
られました。だから放列という言葉が生まれました。
砲の列ではなく、放列砲車重量などと表記されるわ
けです。

戦場機動は人力で行なわれました。射撃開始後に歩
兵が前進し、さらに野砲を推進するときには砲手た
ちは牽引ロープにショルダー・ベルトをかけて動か
します。これを帝国陸軍では「臂力搬送(ひりきは
んそう)」といい、どこの国の砲兵もその訓練もし
ていました。馬が倒れた、牽引車が故障したとなっ
たら、人が引っ張るしかありません。

このように軽量化されたのはグリヴォーバル将軍の
おかげです。また同じ型式の砲ならば、部品はすべ
て同一という規格の統一が図られていました。ほん
とうに現代の我々から見れば当たり前のことができ
ていなかったのです。すべての規格が別々となると、
部品が故障して交換しようとしてもうまくいかない
のが当たり前。車輪の取りつけ位置の穴が異なるな
どと不具合ばかりでした。

▼砲兵の誕生

 驚いたことに砲兵が「兵」となったのは、この時
代のことでした。それまでは砲兵という兵科はあり
ません。戦場で、要塞で砲を扱っていたのは契約し
た民間人でした。だから戦闘が終わると、彼らはて
んでに砲兵工廠に帰って行きました。

 19世紀初めのナポレオン軍には軍服を着て、所
属の部隊章、階級章を付けた砲兵がいました。ナポ
レオン軍は戦場への機動力に優れ、砲の性能は安定
し、専門の技術者である砲兵将校、下士官、砲手、
馭兵(ぎょへい・砲車を操縦する人も含む)が今の
ように揃った軍隊でした。

 次回は「人の側面」について調べたことをお話し
ます。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

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