配信日時 2023/03/22 09:00

【陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(2)】 幕末日本の砲    荒木肇

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おはようございます。エンリケです。

きょうから、新シリーズ
「陸軍砲兵史」
の第2回目です。

実に面白いですね。
思わず読み耽ってしましました。

さっそくご覧ください


エンリケ

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陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(2)

幕末日本の砲

荒木 肇

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□ご挨拶

 もうすぐ春のお彼岸、いかがお過ごしでしょうか。
暑さ、寒さも彼岸までといいます。各地で桜の開花
もあり、楽しい季節となりました。一方、ウクライ
ナの情勢はますます混沌の様子を見せています。新
聞記事によると、中国が砲弾をロシアに供与すると
いう動きもあるようです。

しかし、現在では射程40~50キロのアメリカ製
砲弾エクスカリバーが注目を浴びています。エクス
カリバーは列国が装備する155ミリ榴弾砲から発
射されます。安定翼と操舵翼をもち、通常の榴弾と
同じに最高々度からは滑空して目標に向かうのです。
その滑空時にGPSに誘導されて弾着の誤差はわず
か1メートルほどと言われます。これがロシア軍戦
車を次々と破壊したそうです。

内部には精密な回路や基盤があるようですが、強烈
な発射時の重力に耐えられるシステムを持っている
ことに驚かされます。射程も米軍がもつM777榴
弾砲が24キロとされていますから2倍に伸びてい
るわけです。

砲兵の歴史の大きな転換点がやってきたと思います。
それでは今回も昔のことから始めてゆきましょう。

▼大切な閉鎖機構

 口径の小さい銃であろうと、大きな火砲であろう
と、銃砲身に穴が開いていること、そうして穴の片
方が密閉される必要があることは同じです。発射用
の火薬(これを装薬といいます)の燃焼によって生
まれるガスによって銃砲弾が撃ちだされるのですか
ら、一方だけに出口があるのは当たり前でしょう。

 有名な逸話に鉄炮を初めて見た種子島の人たちが、
銃身の後ろのふさぎ方が分からず、娘を差し出して
ネジ(螺子)を発見したというものがあります。た
だ、これはいわゆる伝説であって現在は否定されて
います。


この頃から長い間、弾丸(球形のもの)は銃・砲口
からこめるものでした。これを前装式といいます。
したがって、腔内の直径は弾丸の口径よりわずかに
広いものでした。そこからガスは漏れるし、弾丸は
腔内を上下左右に揺れながら進みます。火縄銃の有
効射程が50メートルほどというのもそこからきて
いるわけです。

 銃や砲が後装式(銃砲身の後ろから弾や装薬をこ
める)になると密閉する装置が必要になりました。
それを銃では遊底(ゆうてい)といい、砲では閉鎖
機といいます。銃の遊底の多くはボルトといわれる
手動で操作するものでした。これを槓桿式(こうか
んしき)、ボルト・アクションといいます。

▼国産鋳鉄砲

 徳川幕府の政策で海外に開いた港は長崎に限られ
ていました。しかし、長大な海岸線をもつわが国、
欧米諸国の圧力が次第に大きくなって、海防が論じ
られるようになったのは18世紀の末頃でした。そ
うして西洋兵学と兵器技術の研究を始めたのは19
世紀になってからです。

 長崎の町役人だった高島秋帆(たかしま・しゅう
はん、1798~1866年)や幕臣の江川太郎左
衛門(1801~55年)、信州上田藩の佐久間象
山(さくま・しょうざん、1811~64年)など
が先駆者でした。佐久間は蘭学や兵学(砲術)を学
び、「和魂洋才(わこん・ようざい)を唱えて、開
国論も主張します。日本人で初めてカール・フォン
・クラウゼヴィッツの「戦争論」を読んだ人ではな
いかといわれています。

 クラウゼヴィッツ(1780~1831年)は1
792年にプロイセン軍に入隊しました。1875
年に歩兵少尉になり、士官学校ではシャルンホルス
トの指導を受けます。詳しいことは『クラウゼヴィ
ッツと戦争論』(石原ヒロアキ・2019年・並木
書房)をご覧ください。この将軍がベルリンの兵学
校長時代に著した戦争哲学が、彼の死後、妻の手に
よって出版されました。

 初版から25年後ほどで、象山はオランダ語訳で
読んだようです。贈ったのは彼の義兄にあたる幕臣
勝海舟とのこと(「日本陸軍用兵思想史」前原透・
1994年・天狼書店)。象山は「ストラテジー
(戦略)」の理解が深まったと勝に手紙で述べてい
ます。

 幕府韮山(にらやま)代官江川も長崎役人高島も、
砲術家というだけではなく、大砲を造ることにも心
を注いだ造兵家でもありました。高島はオランダ人
から砲術・技術を学び、のちに幕府講武所の教授に
もなります。また、江川は1854年に反射炉を完
成させました。

 この反射炉は現在も見ることができますが、鉄に
よって砲を造ろうとした努力の結晶でした。幕府は
諸藩に沿岸に海岸砲を据えるように命じます。当時、
西欧では砲身の製作には銅と錫の合金(10%ほど)
である青銅の一種を使っていました。これを砲金
(ほうきん)、ガンメタルなどといいます。それが
銅の不足で使えず、鉄で造ろうとしたわけです。

 この場合の鉄は鋼鉄ではなく、鋳鉄(ちゅうてつ)
でした。鋳物(いもの)ですね。鋳鉄は炭素を2~
4.5%ほど含んでいて、機械加工には向いていま
すが、衝撃には弱いものです。砲身のような大型の
ものには鉄瓶(てつびん)の製造に使われる坩堝
(るつぼ)法ではとても間に合いません。坩堝とは
耐熱性の容器で、金属製、粘土製、黒鉛製などの容
器です。そこに素材を入れて熔解し、精錬するもの
でした。

 大型の鋳物を造るには反射炉を造ればよい・・・
とオランダの書物に書いてありました。反射炉とは
構造からきた名称です。燃焼室と加熱室が別になっ
ています。天井と側壁の放射熱(つまり反射)のお
かげでただ燃料を炊いただけよりもさらに高熱で鉱
石や金属を製錬・溶融することができました。18
26年に刊行されたヒュギニエンという人の「鉄熕
(てっこう)鋳造法」という本に載っています。 


 そこには反射炉の設計図もありました。初めて反
射炉を造ったのは佐賀鍋島家でした。1850年、
アメリカのペリー来航より3年も前のことです。第
2号は薩摩島津家です。1856年のことで、その
翌年に韮山、水戸徳川家が建設に成功します。

 こうして各藩では鋳鉄製の大砲を装備することに
なりました。1864年には「馬関(ばかん)戦争」
といわれる教科書にもある四カ国聯合艦隊と長門毛
利家との砲撃戦がありました。このときの火砲は鋳
鉄製の前装砲でした。

▼ナポレオンの野砲

 砲兵出身だったナポレオン・ボナパルト(176
9~1821年)は幕末日本では大有名人でした。
その軍人としての名声だけではなく、フランス革命
の精神を重んじた思想家としても尊敬されていまし
た。西郷隆盛などもいつも「奈翁」と敬称し、その
画像も大切にしていたようです。

 ナポレオンの凄さは、まず、火砲の制式を標準化
・軽量化し、しかも専門家の砲兵を養成し、戦場で
機動的に運用したことです。以下は木元寛明氏の
「ナポレオンの軍隊」(光人社NF文庫・2020
年)のご教示によります。

 もともと軽快な運動性を誇る野砲(フィールド・
ガン)は1630年、スウェーデン王であったグス
タフ・アドルフが鋳鉄製4ポンドが始まりです。重
量は500ポンド(約225キログラム)でしかな
く、馬が2頭で曳きました。操作するのはたった3
人で、たちまち戦場を制圧します。この火砲はドイ
ツ、フランス、オーストリアが採用し、歩兵・騎兵・
砲兵による「三兵戦術」が生まれました。


 わが国にそれを初めて紹介したのは蘭学者高野長
英(1804~50年)でした。プロシャの将軍が
書いた戦術の教科書を彼が訳した「三兵答古知幾
(さんぺいタクチーキ)」が有名です。タクチーキ
とは英語ではタクティクス、つまり戦術をいいます。

 次回はナポレオンの野砲について調べてみます。
 


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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