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「青天を衝け」渋沢栄一は何をしたのか?
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常に彼らの存在が見え隠れすると
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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
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おはようございます。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」第70回です。
片棒を担いだ輩の居場所はもはやこの世に
もあの世にもありませんね。
身から出たサビです。
さっそくご覧ください
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(70)
中国に謝罪せよの時代
荒木 肇
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□はじめに
いよいよ政府もコロナの危険度の指定を下げるよ
うです。とうとう1000日以上の規制が多かった
社会、少し元に戻れるようですね。それにしても中
国武漢発の世界的な流行には驚かされました。
そうして今からおよそ半世紀前の70年代、80
年代の「親中国ブーム」、あれは異常でした。今か
ら思えば、ある立場の人たちはいよいよ自分たちの
時代が来たと大張りきり。またそれに群がる人たち
は、自分の思考を停止し、大勢に流れる時代でもあ
りました。もちろん、そうした気分をあおって、大
もうけしたのはマスコミでした。
近頃でこそ、テレビや新聞といった存在は、どん
どんと力を失ってきました。それはそうですね、誰
もが容易に情報を発信、受信できる時代になったの
です。ウソの情報を流して多くの人を騙すことが難
しくなりました。
そうしてマスコミの人士も昔のように「世の木鐸
(ぼくたく・世の人を教え導く人)たらん」という
ような使命感や、ある種の高揚感をもって仕事をし
にくくなったでしょう。もちろん新聞各社の社説や
テレビの報道番組などを見ると、いまだに読者、視
聴者よりも高い目線で書き、語る人もおられますが
、見ていると断末魔のような気もします。
今回は当時の気分を少しでも知ることができるよ
うに努めます。
▼新聞記事と裁判
2人の幹部候補生出身の少尉が裁判を受けました
。1947(昭和22)年12月のことでした。2
人は南京軍事法廷で「多くの中国人の命を奪った」
という罪で有罪となり、翌年1月に死刑は執行され
ました。戦時中の東京日日新聞の特派員による「百
人斬り競争」という記事が証拠となったのです。
2人は11月30日の記事ですでに80人を斬っ
たという記事に登場し、12月13日には、106
人対105人で競争は延長戦に入ったと再び記事に
載りました。これが「戦闘行為」なら裁判にかけら
れる理由はありませんが、「戦闘間の行為」、捕虜
や負傷者を虐殺したのではないかとされたのです。
「敵兵を鉄兜(てつかぶと)ごと真っ向唐竹割り
(まっこうからたけわり)に切りつけた」と、新聞
の特派員の記事(1937年12月13日付、東京
日日新聞)にありました。これが事実なら大変なこ
とです。鉄兜というのは正しい軍用語ではなく、ヘ
ルメットのことでしょう。斬れるわけがありません
。有名な作家で、自身も日本刀の修行者の津本陽氏
も「明治兜割り」という小説で幕末の剣豪たちが兜
に斬りつける演武を、明治になって行なったことを
書いています。もちろん、兜に斬りこめたのはただ
1人でした。
戦闘中に日本刀で出会いがしらの敵兵を斬ったと
いう記事が出たとします。いまならウソに決まって
いるとすぐに大騒ぎ、それこそ炎上ものでしょう。
▼白兵戦はあったのか?
日本刀の性能や、あるいは実際の戦闘について、現
在なら誰にでもすぐに調べることができます。では
、その昭和12年の頃はどうだったのか。実戦経験
者なら、あるいは軍人なら誰も信じなかっただろう
と山本氏は主張しました。ただし、当時の一般読者
は別です。チャンバラ映画でバッタバッタと捕り方
や、悪い浪人者を斬り倒すといった日本刀神話にな
れていたから信じた人もいたでしょう。
では、さて実際に日本刀が活躍した、あるいは中国
兵の青龍刀が日本兵を斬り倒したという事実は、中
国での戦いであったのでしょうか。ちなみに銃器、
火砲などを「火兵」といい、「白兵」とは刀槍、銃
剣などを言いました。
わたしが町役場で見た兵事書類の1つに「戦死傷者
に関わる通報」があります。役場の兵事掛に聯隊区
司令部を経由して送られてきた書類です。叙勲や戦
死一時金、あるいは戦傷に対する補償措置などが確
定されるための重要な書類でした。
それによると、1937(昭和12)年の綴りに見
られたのは、「迫撃砲の断片で負傷、後送され死亡
」、「狙撃弾によって頭部貫通銃創で戦死」、「敵
前で渡河中、軽機関銃の射撃で負傷」、「手榴弾の
破片で下腿部に負傷、失血死」などとあり、一つも
白兵創による負傷も戦死もなかったのです。
しかも戦場体験者に聞くと、「敵兵の姿は見たこ
とがない」とか、「遠くでちらちら動くのは見たけ
れど」、「死んでいる敵兵は見た」とは語ってくれ
ますが、白兵が届くような距離で中国兵を見たこと
はないとのことでした。
▼実際の戦闘
当時の中国軍はドイツの援助でチェッコ機銃といわ
れた7.92ミリの軽機関銃を多く装備していまし
た。また、迫撃砲も多用しています。わが日本軍も
、軽機関銃、擲弾筒、迫撃砲をもって火力戦闘を重
視していました。
おそらく敵前1000メートルくらいから迫撃砲
の射撃を受け始める。600メートルともなれば互
いの軽機関銃の射撃です。日本軍には重機関銃中隊
がありましたし、大砲もあったし、山砲という野砲
と同じ砲弾を撃つ聯隊砲も活躍します。
地上から東京タワーを見上げてみます。だいたい
330メートルですが、そのてっぺんに立つ人を見
分けられるでしょうか。あるいはランドマークタワ
ーのような高層ビルの地上30階とか40階の窓が
見えますか。見えるでしょうが、そこに動く人影を
確認するのはなかなか難しい。だから、日本軍は歩
兵の小銃射撃はさせない、軽機関銃が敵兵のいるら
しい所を掃射する、そういった戦いが普通だったと
思えます。
白兵で渡り合ったというのは、ほとんどなかった
と言っていい。ただし、ほとんどですから、ほんと
うに偶然、起きたことはあったと思います。また、
ごく特異体質の人がして、接近した敵に進んで刀や
銃剣を向けた人がいただろうことも否定しきれませ
ん。ただ、白兵戦そのものはなかったと言っていい
と思います。
▼大隊副官と歩兵砲小隊長
さて、軍隊の仕組みについて知られなくなりまし
た。また、戦時中でも、当時の人はやはり軍隊のこ
とは詳しくなかったのです。山本氏は2人の少尉が
戦後の中国側の裁判で死刑になったときの証拠とさ
れた毎日新聞の記事のでたらめさ、それを事実のよ
うに書いた本多氏を非難しました。
大隊副官が大隊長から離れて、勝手に戦闘などした
だろうか。また大隊砲小隊長が砲の指揮をしないで
、勝手に軍刀を握って敵陣に突入するかどうか。
大隊副官というのは大隊長の秘書です。大隊には
(聯隊にも)参謀がおりません。スタッフといえば
、情報掛、瓦斯(ガス)掛、兵器掛、補給掛といっ
たような専門幕僚はいます。その1人が副官です。
直属の戦闘員はもちません。
またもう1人の少尉は大隊砲小隊長でした。大隊
には2門のかわいい大砲がありました。曲射(カー
ブを描いて飛ぶ)、直射(まっすぐ狙ったところへ
飛ぶ)の両方をこなせる大隊長直属の小型砲です。
当然、勝手に部署を離れて白兵戦に参加などするは
ずがありません。
そうしたことから山本氏は日本刀の実態と合わせ
て、「殺人ゲーム」というおぞましいタイトルを付
け、明確な事実として「中国の旅」に掲載した本多
氏を非難したのです。
この100人斬り殺人ゲームは大反響でした。日
本兵の残虐さ、民間人への暴行、非人間的な行動な
どがすべて事実とみなされました。社会全体で「中
国人に謝罪しよう」という気分が大盛り上がりにな
ったのです。
当時も今も、日教組には一定の数の跳ね上がりはお
りまして、授業でこの記事を取り上げ、子供たちに
「昔の人は悪魔だった」などと感想文を書かせた人
もたくさんいました。その手紙をご丁寧に中国大使
館に持参する人までいたのですから、想像もできな
い時代ですね。
次回は本多、浅海(東京日日新聞、毎日新聞)両
記者の反論をご紹介します。もっとも、半世紀前の
わが国です。世間をあげての日中友好時代、毛沢東
立派という気分です。吐き気がします。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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