配信日時 2023/01/25 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(67)】 70年代の思い出   荒木肇

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「青天を衝け」渋沢栄一は何をしたのか?
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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。
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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第67回です。

戦後日本が異様な空間に支配されるに至った
決定的理由は、70年代以降に起きた「何か」が
原因であろう、と個人的に思っています。

その意味で、時代の振り返りと患部の特定
は徹底的に厳しくやることが不可欠でしょう。

その折は、荒木先生のような
「時代の悪弊に媚びなかった」硬骨漢にこそ、
話は聞くべきでしょう。

正鵠を射た時代の声は、
こういう人からしか得られません。


きょうもさっそくご覧ください


エンリケ

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陸軍工兵から施設科へ(67)

70年代の思い出

荒木 肇

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□ご挨拶
 
前回はベトナム反戦運動のうさんくささについて書
こうと思いながら、ついつい先輩方の悪口になって
しまいました。
 
ところで、いまも不思議で分からないことがいっぱ
いあります。たとえば元砲兵将校だった山本七平氏
の数々の著作・・・帝国軍隊に関すること、戦場体
験、日本社会への考察などなど、多くの話題をさら
った方ですが、ある時からそうした著作をされなく
なり、静かにこの世を去られました。


▼三島さんが死んだ

 昭和45年、1970年でした。11月25日の
ことです。わたしはろくに勉強しない高校生活を送
ったので、ふつうに浪人となり神田の古本屋街を歩
いていました。昼過ぎと記憶しますが、突然、「ミ
シマが死んだ!」という声が聞こえたのです。書店
の店頭にはビラが貼られています。そこには「三島
由紀夫、市ヶ谷駐屯地で自決!」と書かれていまし
た。

 文学も、思想も、政治にも、ほとんど関心がなか
ったものですから、いったい何があったのだろう、
なんで自衛隊の中で死なねばならないのだろうと思
ったくらいです。テレビではさまざまな方々が、い
ろいろな意見を語り、解説していました。それにし
ても同じ年頃の若者が刀で介錯をする、首を落とす
といったことが不気味に思えたものです。

 そんなことしか考えないような人間でしたから、
批判も肯定もできず、世の中にはいろいろな人がい
るのだなと思ったくらいでした。自分の目の前のこ
としか追っていない若者にとっては國體とか、憲法
だとか、馬の耳に念仏でしかありません。

 当時、マスコミ界の大スターだったのは朝日新聞
の記者だった本多勝一氏でした。マスコミ志望の若
者の多くが「本多さんのようになりたい」と言った
とか。それほどの大有名人でした。わたしはたしか
小学生か中学生のころ、「カナダ・エスキモー」と
か「ニューギニア高地人」といった文化人類学の手
法を使ったドキュメンタリーを読みました。そんな
所に自分なら行きたくないなと思ったくらいですか
ら、本多さんのようになりたいなどと思ったことも
ありませんでした。

▼「中国の旅」の驚き

だから翌年1971(昭和46)年8月から朝日新
聞に載った「中国の旅」には驚かされました。当時
は中国のことなんか誰も知らず、西側の記者が国内
に入るなど信じられようもありません。今から思え
ば、朝日新聞は独自のパイプを中国政府とつないで
いたのでしょう。その後も朝日はおかしなことをた
くさんしましたから。

中国は過去、日本軍国主義の被害者だった。偉大な
指導者毛沢東に率いられ新中国は建設されている。
60年代後半から70年代にかけて「文化大革命」
という壮大な実験中だというのが、当時の青年たち
の常識でした。でも、誰もそのほんとうの姿を知っ
ているわけではありません。情報がほとんど入って
こないのです。

そんな中で、大朝日新聞がしかけた「中国の旅」は
大絶賛を浴びました。とりわけ南京で日本の「獣兵」
が行なった虐殺は誰もが驚きました。本多勝一氏
は「20万人以上の虐殺」と書いたのです。もちろ
ん、中国側の提示した数と、情報提供者によって与
えられた「事実」だったのでした。これが80年代
になると、なぜか「30万人以上」となりました。

日本軍の蛮行、中国人への加害、まさに「謝れ!」
「反省しろ!」の大合唱です。

▼軍事知識というより常識がない

 その虐殺について学生時代に先輩たちと議論した
ことがあります。議論ではありませんね。同じステ
ージにとうとう乗れませんでした。

まず20万人のことです。おそろしいばかりの死体
の量です。軍隊は何より伝染病を嫌います。死体は
すぐに処理しなくてはなりません。日本兵はどれほ
どいたのでしょうか。次にどうやって殺したのでし
ょう。

機関銃だと言う人がいました。当時の日本軍の装備
は3年式重機関銃、11年式軽機関銃でした。3年
式重機なら30発を保弾板に組み込んで重量は83
0グラム。これを18本合わせて箱に詰めます。そ
の箱(19キログラム)を4つ合わせて1頭の駄馬
に載せました。1頭の馬で540×4=2160発
の弾を運びました。

駄馬は馬糧と水を必要とします。だから10頭の駄
馬のうち4頭は馬糧を運びました。20万人を射殺
するのに、いったいどれほど機関銃弾が必要でしょ
うか。

すると今度は銃剣で刺殺したのだというのです。わ
たしは中学生の頃から鉄砲撃ちが趣味だった祖父に
連れ歩かされました。猟銃、散弾銃(それぞれ約4
キロ)を担いで歩いたことのない人は簡単にそんな
ことを言います。およそ4キロの小銃にほぼ1キロ
近い銃剣をつけて持ち歩くだけで大変なことです。
人体に刺して抜いて、手入れをすることには体力を
どれほど使うのか。戦場にそんなゆとりがあるので
しょうか。

受験の知識があり、いっぱい本を読んできた人たち
も、想像力がないことは致命的な欠陥なのだとわた
しはしみじみ思いました。

▼林彪(りんぴょう)事件と反省ムード

 1971年9月、毛沢東暗殺事件に失敗した林彪
は妻や仲間と一緒に国外逃亡を図りました。モンゴ
ルの領域内で飛行機が墜落し亡くなったようです。
林彪は毛沢東の後継者とみなされていた人ですから、
誰もがずいぶん驚いたものでした。専門家も、報道
陣でも殺されたことを疑う人はいませんでしたが、
ひとり朝日新聞の在北京記者の秋岡某という人だ
けが「生存説」を流し続けました。他のメディアは
みな追放されたのに、ただ一社、朝日新聞だけが残
ることを許され中国政府のスポークスマンになって
いました。

 翌10月、中国は国連に加盟し台湾は脱退します。
翌1972年2月、米大統領のニクソン氏が中国
を訪れました。毛沢東はその会談で林彪の死をニク
ソンに告げます。朝日はこれまでの偽報道について
とぼけました。
 
 本多氏の「中国の旅」が単行本として華々しく刊
行されたのは1972年3月のことでした。

 中国との友好ムード、反省してお詫びする気分が
世間にあふれました。そんな中で、わたしは無反省
でしたから、ずいぶんいじめられました。次回もこ
の話を続けます。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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