配信日時 2023/01/18 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(66)】 ベトナム戦争と60年代  荒木肇

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「青天を衝け」渋沢栄一は何をしたのか?
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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
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知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第66回です。

団塊の世代への視線。
共感するところ多いです。

きょうもさっそくご覧ください


エンリケ

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陸軍工兵から施設科へ(66)

ベトナム戦争と60年代

荒木 肇

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□新年のご挨拶

 謹賀新年 遅くなりましたが、今年もよろしくお
願いします。いつもご愛読いただき、読者の皆様に
は感謝しかありません。コロナについても大きな変
化がありました。毎日のテレビの感染者数の報道も、
いい加減にしてくれという声もあがっています。
同感です。かたや、中国からの入国者に歯止めがか
からない。水際対策強化と政府はいいますが、今度
は中国からの訪日客の医薬品の爆買いが始まってい
るとか。

 アンバランスな大国があるものです。軍備に金を
注ぎ、富裕層もいるのは分かります。自動車産業は
高価な新型車を出す。台湾への侵攻も疑われ、航空
母艦も造りだす。ところが、その国から来た観光客
がごく普通の風邪薬や解熱剤を買い占めてゆく。ど
う考えても、わたしたちが「常識」とする近代国家、
「市民国家」ではありません。

わたしたちは高齢になれば後の世代からの援助を受
けることは当たり前だし、高度な医療も保険制度の
おかげで負担が少なく受けられます。そうした「常
識」はいつからできたのか、そんなことを考えてい
るところです。


▼70年代の団塊世代は

 昭和1ケタの時代、つまり1926年から34年
までの社会の様子を思います。短かった大正時代
(1912~26年まで)が終わり、社会は不況で
満洲に暗雲がたれて、とうとう張学良軍と武力衝突
が起きました(1931年)。

あっという間に満鉄線警備のための関東軍は満洲を
占領し、わが国は国際的非難も受けました。国際連
盟からの脱退も1933(昭和8)年のことでした。

 昭和1ケタの時代は今よりもっと「人の死」が身
近でした。40歳までに100人のうち38人が亡
くなっています。50歳を過ぎれば、同級生の中で
生きている人は半数になりました。もちろん、これ
を安易に戦争のおかげだろうなどと思ってはいけま
せん。昭和1ケタ時代は、1905年の日露戦争か
ら20年くらい経ったころです。戦死や戦傷による
死者はむしろ少なく、多くの人は病気で亡くなって
いるのでした。

 つまり、20代、30代で病気で亡くなる人が多
い社会です。40代にもなれば職場でも年長者、責
任も多く負わされたでしょうが、周囲の尊敬も受け
ています。戦前の平時の陸軍将校の平均寿命は47
歳くらいで、海軍将校は45歳という数字も見たこ
とがあります。

 では、1945(昭和20)年の敗戦後ではどう
なったでしょう。よく語られる「団塊の世代」を例
にとりましょう。わたしより少し先輩であられます。
1947(昭和22)年生まれは約268万人、
翌年も同じく268万人、49年には同270万人、
50年は234万人、わたしが生まれた51年は
同214万人とやや減少します。52年が同201
万人、53年には同187万人、54年には同17
7万人、55年が同173万人となりました。47
年から50年生まれまでの方々は合計で1040万
人ということです。最近、発表された昨年、202
2年の出生数が約80万人でした。

1960年代は子供が多かった時代です。東京オリ
ンピックの開かれた1964(昭和39)年には「
団塊の世代」は高校生から大学生だったことになり
ます。

 この方々は40歳では100人に4人が亡くなっ
ているそうです。1987年(昭和が終わろうとす
る)になっても4%しか死亡していません。ただし
内訳をみると、4人のうち2人の方は幼年期(昭和
20年代)の死亡です。

疫痢だ、ジフテリアだ、破傷風だというように、感
染症による幼児死亡が1950年代には多かったの
でした。では残る2人はどうかというと、半分は事
故や自殺、残りの1人は大人になってからの病死で
す。この変化は大きなものでしょう。昔は死病とい
われた結核も怖くなくなりました。

 60年代後半から70年代初め頃、このおよそ1
000万人の若者は学び、働き、社会に大きな活気
を与えてくれました。

▼「何でも見てやろう」

 小田実氏を覚えていますか? 氏はフルブライト
基金によってアメリカに留学した若い学生の1人で
した。1959(昭和34)年秋から翌年の4月ま
で西欧、南欧、北アフリカ、イラン、インドと旅を
します。当時、流行したのがアメリカ青年による『
1日5ドル世界旅行』という本でした。それになら
ったものと彼も書いていました。

 ただし、彼の旅の予算は「1日1ドル」でした。
1ドルというのは当時の固定相場によれば360円
でした。わたしが子供の頃は、まだそんな時代です。
大卒の初任給が1万2000円で、自家用車は日
産が1959年に売り出したブルーバードが100
0ccのスタンダードが64万円でした。おおよそ
現在の購買力にすれば1ドル360円が20倍にな
ったとして、1日7200円でしょう。ブルーバー
ドは1300万円ほどになります。今でも1000
万円超のベンツに乗れる階層がいるのと同じです。

ついでにいえば、国民車構想によって1961年に
発売されたトヨタのパブリカは39万円でしたから、
今ではおよそ780万円になります。ローンを組
むには頭金が30%以上で残金は24カ月以内、こ
の「月賦販売」があたりました。

1960年にはわが国のGNP(国民総生産)は約
16兆円、国民一人あたり17万円、ドル換算で4
70ドルになりました。ギリシャやキューバに並ん
だといいます。

 小田実氏によれば、当時の1ドルは外国では実感
として100円くらいの購買力だったといいます。
すると、今でいう2000円です。さきほどの72
00円とはだいたい3倍半くらいの違いがあります。
ここに当時の経済成長のカギがあると経済史の本
には書いてあります。

 また、当時のわが国は「ビザ相互免除協定」を各
国から結んでもらっていませんでした。だから入国
ビザを各国ごとに出してもらわねばなりません。そ
の発行料が5ドルから10ドルでした。どうしても
厳しい旅になりました。

 「アメリカを見たくなった」と氏は書いています。
それだけだったと言いますが、彼が帰国後196
1年に出した『何でも見てやろう』はベストセラー
になりました。これが当たった理由は世界に目を向
けるという大胆さが好まれたのでしょう。核の傘の
下で平和を祈り、国内だけに目を向け、ひたすら生
活を豊かにしようとしてきた戦後の日本人。それが
1人の若者によって「いま世界はどうなっているの
か」に目を向けさせられたのです。

 小田氏はたぶん、南アジア各国と西欧各国との違
いに圧倒されたのでしょう。アメリカはなおさらで
した。文化的には西欧の支店、そうして豊かさでは
大きく欧州をしのぐ経済大国です。それを当時の中
進国(今風では発展途上国と言い換えますが)にし
か過ぎなかった国のそこそこ中流階層の大学生が見
て歩いたのでした。彼はのちにアメリカ帝国主義を
糾弾する立場になります。ベトナム戦争ではひたす
らベトナム側に立ちました。

▼こだわった若者たち

 団塊の人たちは「おしゃべり」でした。それは幼
いころに受けた学校の「特別教育活動」、なかでも
ホームルームのおかげでしょう。ここではアメリカ
型民主主義が真似られました。勝つのは正論であり、
結果で生まれるのは多数決でした。1学級が55
人とか60人という小さな社会です。大きな声を出
し、屁理屈でも主張し続ける、そうすれば強者にな
れる、そういった習慣をつけた人たちと言っては怒
られるでしょうか。

 「こだわる」ことが好き。すぐ上の先輩たちと付
き合ってきたわたしはそういった印象をもっていま
す。「こだわる」とか「こだわり」は本来は頑迷、
かたくなな自分の主張を表すマイナスのイメージが
あった言葉です。それをあたかも正論を堅持し、少
数派であっても主張が大切だというプラスイメージ
の言葉にしようと彼ら、彼女らはしました。少数の
異見でも大声を出して主張し、行動することで自分
を大切にするといった気分でしょう。

 自衛官が迷彩服を着て行進すると、反対の幕を掲
げたり、戦争を思わせると合唱したり、安倍元総理
の国葬儀を川柳で茶化したりするのもそれです。あ
きれたのは防災訓練で自衛隊が炊き出しをすること
も反対する、それでいて救援物資は要求する、こう
いった人たちはどうも映像や画像でみると団塊の世
代の人に見えます。

 次回はベトナム戦争に対する当時の「文化人」や
学生たちを見直しましょう。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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