配信日時 2022/12/28 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(65)】 オリンピックの前後    荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第65回です。

60年代のわが国。

懐かしく思い出される方も多いことでしょう。

きょうもさっそくご覧ください


エンリケ

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陸軍工兵から施設科へ(65)

オリンピックの前後

荒木 肇

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□いよいよ歳末

 あと1週間で令和4年も終わります。来年は20
23年ですから、話題にしている1964(昭和3
9)年から、ほぼ60年にもなろうとしています。
人でいえば2世代です。新幹線の歴史も同じで、い
まや東海道だけでなく山陽、東北、秋田、山形、北
陸と国際標準軌間の列車が走っています。当時は、
そんなことは少しも思いませんでした。

 街を見ればタワーマンションといわれる超高層集
団住宅が林立しています。東京の地下鉄網がこれほ
どになるとは、中学生だったわたしなど全く想像も
していませんでした。子供の頃の地下鉄といえば赤
と白の塗り分けの丸の内線と黄色い銀座線だけだっ
たのです。それが高校生(1960年代後半)の頃
には千代田線、都営地下鉄三田線を使っていました。
この頃は地下鉄の建設ラッシュだったのだとふり
返っています。

 降雪のことが話題になりますが、いまも残る記憶
がサンパチ豪雪です。東京オリンピックの前年、1
963(昭和38)年1月の雪害でした。日本海側
の記録的大雪で「北陸地方豪雪非常対策本部」が政
府内にできたくらいです。死者・行方不明者が97
名、重軽傷者110名というものでした。列車が雪
に埋もれてしまった映像も残っています。

 自衛隊も救援に出動しました。いまも停電などで
被害があり、多くの方が不便を感じておられるでし
ょう。お見舞いを申し上げます。


▼テレビで見たアメリカ

 1960年代、アメリカは豊かでした。それはテ
レビで流されるアメリカ製のホームドラマで十分に
見せつけられました。みなさん覚えておられますか。
「パパは何でも知っている」、「うちのママは世
界一」という素晴らしいリーダーシップを発揮する
父親、優しくて美しい母親が登場しました。家の中
には大きな電気冷蔵庫があり、食卓はいつも賑やか
でした。広いリビングと数々の電化製品、そうして
大きな自家用車がありました。

 ではわが国ではどうだったのか。冷蔵庫は木製で
した。リヤカーの上に載せられて覆いをかけられた
氷塊を、配達してきたおじさんがノコギリで切りま
した。それを庫内の最上段に入れます。下降する冷
気で下の食品などを冷やしました。もちろん製氷機
能などなく、アイスなどはすぐに溶けてしまいまし
た。

洗濯だって、ごしごしと木製の波のように刻みがつ
いた板にこすりつけて洗います。ちゃぶ台に並んだ
夕食には、味噌汁と漬物、そしてたいていが一品で
す。肉や魚の皿があって、野菜や豆の煮付けがあれ
ば上等でした。

 テレビの普及率をみてみましょう。1955(昭
和30)年にはわずか1.5%でした。59年には
13%となり、62年にはなんと79%にのぼりま
した。電気洗濯機も55年には4.6%だったのが
62年には58.1%、冷蔵庫が同じく0.4%か
ら同じく28%にいずれも急上昇していました。

 「オリンピックをカラーで見よう」というキャッ
チコピーでカラーテレビの普及をメーカーが図った
のは1964年のことになります。


ちなみに白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を「三種の神
器(じんぎ)」といいました。この頃の大人は、「
イザナギ景気」とか、「(天の)岩戸景気」とか、
古事記や神話にまつわる言葉をよく使います。


皇位継承のシルシである「神器」を家庭電化製品の
代名詞にする、現在から考えると国民の平均的知識
の中身が違っていませんか。いまの若い人には皇位
継承とか神器と言っても、知らないとか、聞いたこ
とがないとか答えが返ってくる気がします。

▼所得倍増計画

 岸信介内閣の後を継いだのは、大蔵大臣だった1
950(昭和25)年に「貧乏人は麦を食え」とい
った失言で有名になった池田勇人氏(1899~1
965年)です。もっとも、こうした新聞が広める
言葉は、今も昔も「切り取り」であることは変わり
ません。とは言いながら、この話には当時の実態が
かいまみえる気がします。


人には所得によってふさわしい暮らしぶりがあるの
ではないか、低所得の人は高価な白米ばかり食べず
に麦飯を食べるとか工夫をされたいと要望した発言
でした。それが翌日の新聞には先に書いた「貧乏人
は麦を食え」と言ったとされたのです。まあ、本音
はそうなのでしょうし、暮らしへの考え方として正
しいのですが、それにしてもナマな言い方でした。
というよりも、やはり「銀シャリ(つやつやと輝く
炊き上げた白米)を腹一杯食べたい」という憧れが
あったのが1950年代です。麦はやはり価格が安
く、今のような健康食という受け止め方はありませ
んでした。

元々が大蔵官僚で財政にも詳しく、防衛費は抑える、
国民生活を重視するという方針を示します。国民
の所得をむこう10年で2倍にしてみせると池田さ
んは言いました。そして1961(昭和36)年に
は「農業基本法」を国会に提出します。農業の生産
性を向上させ、農家の所得を他産業従事者のそれと
格差を縮めていくというものでした。もうからない
物は作るな、商品作物を増やせということです。農
業に競争原理を持ち込んで、機械化も進めようとい
うことでした。


この頃、すでに米は余っていました。1961年1
0月には食糧庁は75万トンの米が翌年に持ち越さ
れると発表します。農薬の使用が広がり収穫量も増
え、7年間も豊作が続きました。国民にはパン食が
広がっています。安くて美味しい「ヤミ米」が流通
しています。配給米を辞退するといった人たちが増
えました。戦争中にルーツをもつ「食糧管理法」は
すでに実効性がなくなっていたのです。

この法律は戦時中の1942(昭和17)年に施行
されました。米の供給が多すぎて値段が下がったら
生産者(米農家)を守るために政府が介入する、具
体的には収入の補助をしました。逆に需要が多く、
供給が少なくなり米価が上がると賃金水準上昇を抑
えるために行政的に米価を下げるようにする、そう
いった法でした。


戦後になると、誰もが「米穀通帳」というノートを
持たされ、それを持ってお米屋さんに行って公定価
格で買っていました。引っ越しをすると所定の手続
きをして中身を更新します。それがいつの間にか暮
らしの中から見えなくなりました。法の改正で廃止
がされたのは1981(昭和56)年と記録されて
います。29年ぶりのことでした。

▼60年代の快進撃

1963(昭和38)年には大きな出来事が生まれ
ました。国際通貨基金(IMF)から日本は「8条
国」に移行するように勧告を受けます。世界で23
番目の移行国になります。その時期は翌64年4月
とされていました。国際収支の悪化を言い訳にした
為替制限ができなくなります。また貿易制限も不可
能になりました。OECDへの加盟も認められ、日
本は保護されないように、つまり先進国に再び戻る
ことになったのです。

日銀の「国債統計比較」を見てみましょう。工業生
産額はアメリカを100とみて58年には15.6
でした。60年には20.5となり、第2次大戦の
戦勝国だったイギリスの19.3、同じくフランス
の20.3を超えました。63年には西ドイツの2
4.0をしのいで25.5となっています。あの豊
かなアメリカの4分の1の工業生産額をあげていた
のです。

 東京オリンピックのおかげで競技場や選手用の宿
泊施設、東海道新幹線、名神高速道路、首都高速道
路、羽田空港モノレール、地下鉄などの関連工事な
どに投資は1兆200億円にものぼりました。通貨
換算でざっと20倍としても、現在の20兆円あま
りです。建築物の高さ制限であった31メートルも
撤廃されて、東京にはホテル新築ブームが起きまし
た。

 60年代のわが国は年平均経済成長率は11%を
記録します。実質個人消費も9%という伸びをみせ、
同時に賃金上昇率はそれを上回ったので生活苦と
いうことは起きません。消費者物価の上昇率も63
年には7.9%でしたが、これを最高にしておおよ
そ6.2%前後でした。つまり物は値上がりするの
が当たり前、その代わり給料は確実に増える、そう
いった社会だったのです。

 これまでの好景気は大正時代の「世界大戦景気」
でした。世界大戦は1914(大正3)年から18
(大正7)年まででした。大正バブルとわたしは言
っていますが、始まりはヨーロッパの混乱で起こっ
た物流のマヒです。船舶需要が急増して、同時に日
本製品が世界中に運ばれました。1910(明治4
3)年からの10年間でGNP(国民総生産)は4
倍に膨らみます。これで日露戦争(1904~5年)
を外債に依存して戦費をまかなった日本の経済は大
きく立ち直りました。借金国から債務国に立場が変
わります。

 ところが、この記録はあっさりと破られました。
60年のGNPは16兆円(ざっと現在の320兆
円)だったのが70年には76兆円となったのです。
ざっと5倍。街からは紙くずを拾ったり、ゴミを
集めたりする古物回収業という「クズ屋さん」が姿
を消しました。

 そうして専業主婦という人たちが現われました。
その話は新しい年からお送りします。ベトナム戦争
が始まり、社会が変わる70年代も見直してみたい
と思います。あの頃は、国防のことなど少しも考え
ず、ソビエトとの冷戦もアメリカに任せて言いたい
放題だった時代です。
 良いお年をお迎えください。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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