配信日時 2022/12/21 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(64)】 1960年代の世の中    荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第64回です。


甲子園の名の由来。

知ってましたか?


きょうもさっそくご覧ください


エンリケ

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陸軍工兵から施設科へ(64)

1960年代の世の中

荒木 肇

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□「国民」か「われわれ」か

 またつまらない揚げ足取りをされました。岸田さ
んも、周囲も緊張感を欠いている、あるいは忙しす
ぎるのか。いずれであれ、当事者能力に疑いがかけ
られてしまいます。ただし、言っていることは正し
いと信じます。防衛にカネを出すのは国民に決まっ
ています。

自動車事故への任意保険も、毎月払う健康保険もい
ざ何か起きたときへの備えです。必要となることは
ないだろうから無駄なカネはつかわない、それも自
由でしょう。ただですね、交通事故には「もらい事
故」もあるし、自身の過失で起こすこともある。ま
た、医療費だって、信念や決意でなんとかなるもの
ではありません。

そんなことは多くの人が理解していることでしょう。
でも、マスコミやそれに踊らされる人の中には「防
衛費を増やすと戦争になる」とか、「アメリカの言
いなりになって」とか、「防衛産業がもうかるから」
などと、旧い、言い古された陰謀論をまだ語る人が
います。

もっともらしいのは「防衛国債は将来の世代への負
担を増やす」などという、いかにも老人の心に訴え
やすい主張です。今のような状況で、侵略され、国
民が殺され、国土が焼かれたら将来世代も何もあっ
たものではありません。


そうそう、立憲民主党の主張する「攻撃されてから
反撃する」というのは、まず国民の誰かが撃たれて
からやり返すという意味です。「座して死ね」とい
うことを言っています。興味深いのは、そうした主
義の人にそのあたりの真意を聞いてみます。すると、
「いつミサイルが飛んでくるのです?」とこちらの
質問に逆ネジを食わせる反応をすることです。いつ
飛んで来るのかなんて相手次第でしょう。事故や病
気だって、必ず予測できるなら苦労はありません。


▼復興の15年間

 わたしは旧い人間なので、十干十二支六十年を一
運ということを教えられました。十干とは甲乙丙丁
・・・という「きのえ、きのと、ひのえ、ひのと・
・・」の10種類です。陰陽五行という考えでは、
世の中の元素は「木火土金水」でできています。
「きのえ」は「木の兄(え)」、「きのと」は
「木の弟」という意味です。

それに「子丑寅・・・」とされる12種類の並び、
10と12の最小公倍数は60。そこで60年で
「還暦(かんれき)」と言います。甲子(きのえ・
ね、あるいはかつし)から始まって癸亥(みずのえ・
い、あるいはきがい)で年の呼称が一巡し、また甲
子になるからです。

阪神タイガースの本拠地、「甲子園球場」は192
4(大正13)年に完成しました。また、日本史で
もなじみの「壬申(じんしん)の乱」も「みずのえ・
さる」、西暦では672年のことでした。「戊辰
戦争」も同じで、「つちのえ・たつ」の年でした。
 
 この60年は人の一生にもなぞらえられました。
15年ごとに春夏秋冬をあてはめます。それに色を
つければ、15歳までは少年期「青春」、16歳か
ら30歳は青年期「朱夏」、31歳から45歳まで
が壮年期「白秋」、そうして晩年が老年期「玄冬
(げんとう)」。「玄」は黒という意味です。この各
色は方位の守護神にもあてはめられます。東は青龍、
南は朱雀(すざく)、西は白虎(びゃっこ)、北
は玄武(げんぶ)になりました。

 横道にそれましたが、敗戦から15年、1960
(昭和35)年までは復興の年月といっていいでし
ょう。多くの日本人にとっては自己嫌悪の時代でし
た。「戦前は1等国だったのに、戦争に負けて3等
国になった」と嘆く声が聞こえました。外国につい
ての関心も薄く内向的だったと思います。

 61年から73(昭和48)年、その翌年くらい
までは高度経済成長期でした。この時代、まさに日
本人は大きく変わったと思います。一つは大正時代
から始まる「大衆化社会」の進展です。「大衆」と
は、誰もがひとかどの意見をもつ社会をいいます。
大正時代には新聞は発行部数を増やし、ラジオ放送
も始まりました。


その裏付けは義務教育の6年間の徹底と、その後2
年間の小学校高等科就学者の増加です。また、中等
教育、中学校(5年間)や実業学校(3年から5年)
の卒業生が増えたことでした。1930年代(昭
和一ケタから大東亜戦争の直前)には、その大衆化
もピークを迎え、都市のサラリーマンが増え、中・
高等教育への進学者もうなぎ登りでした。


それに水をかけたのは戦争準備のための社会主義体
制です。統制経済が、戦争遂行、国力養成には効率
的だと考えた官僚たちによる自由競争を禁じた社会
でした。あの戦時中の息苦しかった世の中こそ、企
業の統制や食糧配給制度などの日本人が自ら選んだ
不自由な社会主義体制だったのです。

戦争と敗戦後の混乱で「大衆社会化」への流れは中
断されます。それが50年代(わが国の独立以降)
になると、流れは再開され、むしろ加速化して戦前
社会を再現するようになりました。


▼明日は今日より必ずよくなる

 明日は今日より必ずよくなるといった期待、いや
信仰といっていいでしょう。一方でさまざまな公害
をまき散らしながら、わが国は豊かになっていきま
した。教育への期待も高まり大学や高等学校への就
学率もあがってゆきます。

 社会学的には、ある傾向が全体の35%を超える
と「みんな」という意識が高まるそうです。戦前社
会では大学は同世代の中で、わずか2.5%(40
人に1人)しか進まないものでした。専門学校(中
等学校を出てから3年ほど)の人を加えても4%ほ
どでした。それが敗戦後の教育改革で新制大学がた
くさん生まれました。

たとえば、旧制大学として知られるのは帝国大学や
単科大学、明治、早稲田、法政大学や関西の同志社
や関西学院大学などは元からの大学です。大正時代
の半ばに学制改革があって、多くの大学が生まれま
した。

いま各地にある地方国立大学は旧制高校や旧専門学
校、同実業専門学校、師範学校などを前身としてい
ます。わたしの母校、横浜国立大学は経済専門学校、
工業専門学校、師範学校、青年師範学校を元とし
て1949(昭和24)年に生まれました。いまは
東京海洋大学となった東京商船大学、東京水産大学
などは高等商船学校と海務学院と第一水産講習所が
前身です。

この年に「新制大学」として生まれた国立大学は5
9校にのぼります(旧制大学は含めず)。また公立
新制大学も東京都立大学、岐阜県立医科大学、名古
屋市立大学、京都府立大学など15校でした。当時
の在学生は多くがそのまま大学生になりましたから、
この翌年の大学進学率は男子で34.6%にも達
します。


 実際に受験して大学生になったのは1955(昭
和30)年には男子21%、女子15%
です。60年安保騒動の年は、男子20%、女子は
14%とわずかに下がります。だから映画「あいつ
と私」が描く慶応の大学生は、かなりの希少性があ
ったとは言っても、はるかかけ離れた人たちではな
いという感じでしょう。

1965(昭和40)年には男子が30%、女子は
20%となりました。戦前には男子は100人中、
4人(25人に1人)だけが大学、専門学校に進ん
だことに比べると、およそ3人に1人が大学生にな
ったのです。ただし数字は短期大学(2年制)も含
みます。明らかに学歴エリートではなくなっていま
した。

 高度成長の終わり頃、1975(昭和50)年に
は男子が34%、女子は35%となっています。い
まの60代後半、70代の人はこんな進学率でした。
またこれ以後、女性の進学率が男性をいつも超え
るようになりました。まさに「みんな大学生」とい
った気分が溢れていた時代になったのです。

 歴史はなるべく多角的に見た方がいい。そんな風
に思います。次週も続けます。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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