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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」第62回です。
時代の世相を振り返っていると、
なんとも不思議な感覚に浸されますね。
あるはずのものがなくなっていたり、
一斉風靡したものはほぼすべてが
風化して消えてなくなっていたり、
変わらず残っているものがあったり、、、
これが歴史なのでしょう。
大切なものは何か?
護らなきゃいけないものは何か?
歴史を学ぶのは、
その目安をつけるためかもしれません。
きょうもさっそくご覧ください
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(62)
安保闘争(1960年)前後
荒木 肇
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□師走になりました
もう師走になりました。テレビを観ていたら大人
の時間の過ぎる速さが話題になっていました。子供
の頃は時間の過ぎることがたいへんゆっくりです。
大人になるとすぐに時が経ってしまうという話にな
ります。
それはほんとうですね。ついちょっと前に、今年
のお正月を過ごしました。7月に入って1年の折り
返しだと思っていたら秋の訪れとハロウィーン、あ
っと言う間にクリスマスです。ほんとうに時が経つ
のは早いものだと思います。わたしは来年「年男」
です。70有余年を生きて、この20年間がとても
速いこと。50代、60代は短く感じます。
その理由は体験に対する受け止め方によるのだそう
です。子供はいつもドキドキ、ハラハラ、いろいろ
なものや事柄に感動と情動があるのだそうです。新
しい体験をするたびに子供はいろいろ考える。それ
が大人になると・・・。トキメキが無くなっている
のでしょう。そんなこんなで時が経つのは早いと感
じてしまう。
いまさら、いちいちの出来ごとにトキメいてもいら
れませんが、せめて昔がたりをしてゆきたいと思い
ます。
▼60年安保改定の意味
10年ごとに改定されるのが日米安全保障条約で
す。もともと1951(昭和26)年の調印時の内
容は、まったく日米が対等ではなく一方的に米国優
位のものでした。それもそのはず(ただし条約発効
は翌27年4月)、当時のわが国は占領下にありま
した。独立を回復するにあたって吉田内閣は「軽武
装・経済重視」を掲げてアメリカ軍の駐留、その経
費の負担を行なうことを認めます。
60年の改定は少なくとも、両国の関係を少しで
も対等に近づけようとする努力でした。「独立国」
でありながら領土の中に外国軍の基地がある。カネ
を払って外国軍に守ってもらう。それでは国際的に
も中途半端な地位しか持てません。新しい条約は「
日米相互協力及び安全保障条約」と名付けられまし
た。
60年の改定でなされた条項の削除と代表的なも
のとしては、旧安保で定められていた「内乱」の際
には日本政府の要請で暴徒や反乱勢力の鎮圧のため
に米軍が出動できるというものでしょう。警察力で
は対応しきれない動きに対しての治安維持はこれ以
後、自衛隊が担うことになったのです。
岸内閣は周到な準備をしていました。専門書を読め
ば、1957(32)年6月の日米首脳会談から2
年7カ月の間に25回もの公式会談、それに15回
の非公式会談を積み重ねています。しかし、アメリ
カにおんぶに抱っこの防衛方針のままでは対等関係
の相互防衛条約にはできません。アメリカ軍が第三
国に攻撃を受けたら自衛隊も共に戦わねばなりませ
ん。しかし、そうするには再軍備が必要となるでし
ょう。岸さんはずいぶん悩んでいたことと思います。
相互防衛条約に少しでも近づける。それは今も聞か
れる「アメリカの戦争に巻き込まれる」といった思
い込みや、「非武装中立」といった夢物語を信じる
人々に猛反対を浴びました。もちろん、それに加え
て「親ソビエト」という感情や北朝鮮、ひいては中
国共産党政権に親しみを感じる人々にとっては現体
制破壊に通じるスローガンになり得ました。
わたしは小学生で60年の現場を見て、高校生で
70年安保反対闘争を体感しました。そうしたわた
しにとっては、いずれも大人になってからの情報収
集で得た感触ですが、いつか歴史になるだろう時代
の実態は興味深いものです。
▼学生集団、国会を襲う
「安保阻止国民会議」という大げさな、国民の代
表を名乗る組織がありました。文化人、その一派の
芸術家、大学教員などが構成員の中心でした。ここ
が全国的大衆闘争をよびかけて6月15日には職場
大会やストライキ、デモに合計580万人が参加す
るといった熱狂状態です。街の商店も「安保反対閉
店スト」をするといった有様でした。
でも、ちょっと調べれば分かることですが、条約
の正式な調印がされたのは、なんと1月19日です。
したがって後は国会での批准を待つばかり。岸総
理は6月19日にはアイゼンハワー大統領も招いて
日米関係新時代を広くアピールしようとしていまし
た。
反対運動も立ち上がりが遅い。この国民会議が結
成されたのも3月末で、統一行動の最初も4月中旬。
こんなことも自民党政権、岸さんの判断を誤らせ
たのかも知れません。
大騒ぎになったのは6月15日です。学生が国会
への突入を図りました。正当な投票があって選ばれ
た国民の総意の表明の場であるはずの国会に、反対
の意思表示とはいえ警備官たちの制止をふりきって
乱入しようとしたのです。社会秩序への挑戦でした。
これに警官隊が阻止のために襲いかかり、現役東大
女子学生が亡くなりました。この悲しい出来事の背
景や真実は、のちにさまざまな解説がされましたが、
「警官に虐殺された」という言い方にデモの参加
者たちはひどく興奮しました。「岸を殺せ」という
叫びまでなされ、デモは激しさを増してゆきます。
興味深いことに、それまで違法の行動もやむなしと
いう調子で暴徒をあおっていた新聞が「暴力はよせ、
民主主義を守れ」と手のひらを返しました。
▼なんとなく参加した
70年安保闘争は運動家と過激派学生が主役でし
た。多くの人は傍観者だったと思います。新宿駅は
火炎瓶が投げられ電車は停まる。御茶ノ水駅周辺は
「解放区」とかいわれ、機動隊の催涙弾が飛び交い
ましたが、日本中の大多数は普通に暮らしていまし
た。いわば、ごく一部の跳ね上がった人たちによる
「革命ごっこ」だったのです。
ところが、この60年安保反対闘争は違います。
多くの、さまざまな階層の人たちがデモに参加しま
した。わたしも父に手を引かれて日比谷のお濠端に
いたくらいです。どういう集団の中に、どうしてそ
こにいたのかは未だに分かりません。
ただ、人々のもつプラカードの中に「ヤンキー、ゴ
―ホーム!」という文字が見えて、「アメ公どもは
国に帰れ」と叫ぶ声がはっきりと聞こえました。少
なくとも「岸を殺せ!岸内閣打倒」という言葉は印
象に残っていません。そんなことを言っていたのは
国会周辺の学生集団や、職業的革命家だけだったの
ではないでしょうか。
後年になって驚いたのは、このときのことを話し
たり、書いたりする人の多くが、「なんとなく」参
加したと言うのです。どうしても黙っているだけで
はいけない、なんとなく国会に向かったという人が
多すぎます。わたしより10歳から15歳の年長の
方々です。いまなら80代、90代初めの方々でし
ょう。
そうです。もうどうにも動きたい、このままでは
いけない。つまり、わたしは封印されてきた愛国心
の発露だったと思っています。
そのわけは、翌日から18日まで抗議デモと慰霊
集会は開かれましたが、もう19日の安保条約の自
然承認とともに一気に政治運動は鎮まってしまいま
す。この1960年11月の総選挙で自民党は29
6議席を得て安定しています。社会党は145議席
です。民社党は40議席から17議席という惨敗を
喫しました。
やはり多くの国民は「軽武装と経済向上」を掲げ
る自民党を選んだのです。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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