配信日時 2022/10/12 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(54)】昔の汽車旅・2(地方都市の暮らし)  荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第54回です。

冒頭文に同意共感します。
実損害が証明されているから抑止力として
意味を果たします。
痛みを伴う実損害は火力のみが与えます。
その現実を無視した国防安保論に、わたしは
こころからの異質感違和感を覚えています。
この話は戦略的抑止たる核武装論議とも
つながっている感を持ちます。

本文は、
鉄道ファンの荒木先生ならではの「鉄道よもやま話」。
実に楽しいです。鉄道ばなしに旅情を覚えて胸が高
鳴るのは、もしかしたら私の世代までかもしれませ
んね。

さっそくどうぞ
 
エンリケ



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陸軍工兵から施設科へ(54)

昔の汽車旅・2(地方都市の暮らし)


荒木 肇

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□統合火力のお話

 先週は陸上自衛隊富士学校特科部のご厚意で貴重
な研修をさせていただきました。烈しい雨がときた
ま降りましたが、研修した装置は建物内にあります。
建物はごく普通の四角い自衛隊の隊舎ですが、入口・
玄関ホールには陸海空の装備品、航空機や艦船、戦
闘車両などの模型がたくさん展示してありました。

 階段を上がって、部屋の扉を開けると天井や室内
の左右いっぱいまで届くスクリーンが広がっていま
す。目の前に広がる景色は海岸で、手前には民家や
道路が並んでいました。

敵が上陸してきます。戦車が2輌、果敢に道路を進
撃し、わが陣地に迫っています。そこへ空自のF2
支援戦闘機が襲いかかり、続いて護衛艦から艦砲射
撃がされ、さらには陸自の対戦車ヘリコプターがミ
サイルを撃ちました。その臨場感も素晴らしいもの
でした。

敵の位置、目標を確認し、その時点で使用可能な、
もっとも合理的な打撃力を用いるという陸・海・空
戦力の統合指揮を行なう訓練です。観測手、連絡手、
誘導手によるチームワークの素晴らしさを見るこ
とができました。


戦い方は明らかに進化しています。ウクライナの地
上戦も野戦火力の有効性を示してくれました。

陸上自衛隊は、わたしの若い頃には中距離火砲を1
000門、装備していました。戦車も1100輌を
誇りました。それが現在、300門と300輌です
。ロシアもこの30年間、軍縮に次ぐ軍縮で火砲は
減らされてきたように思えます。わが国もまた、同
じように2007(平成19)年から次々と機甲、
火砲戦力を削減してきました。

先日も、ウクライナでの対戦車ミサイルの戦果を見
て、やはり戦車は要らないという素人の意見が聞か
れました。以前にもアラブの戦争の結果、戦車をミ
サイルで撃破したときにも同じような主張がありま
した。でも、やはり火力は必要です。


ある陸自砲兵の方の一言、「サイバー戦では、直接
人は死にません。やはり人的、物質的損害を与え、
敵の士気を阻喪させるのは火力です」といった言葉
にも目からうろこが落ちました。

▼未電化の山陽線の旅

 急行「さつま」は大阪で機関車をつけ替えました。
電気から蒸気牽引になります。当時の急行旅客用
電気機関車はEF58でした。Eは電気、Fは動輪
が6つあることを表します。敗戦直後の1946(
昭和21)年に製造されました。最初は運転席に上
がるためにオープンのデッキが付いていましたが、
51年にはデッキはなくなります。のちに、「青大
将」とあだ名された全車輌ライト・グリーンの「つ
ばめ」、「はと」の牽引機になりました。

 このグリーン特急は、電車特急の「こだま」の登
場まで旅客列車の王者でした。列車編成は3等(い
まの普通車)荷物合造車1輌、3等が4輌、2等(
いまのグリーン車)5輌、食堂車と展望車が各1輌
といった12輌でした。3等車と比べて2等車が多
かったことから、当時の特急利用客の階層が見えて
きます。

 刑事たちの旅は続きました。「さつま」は大阪か
ら蒸気機関車C59に牽かれて快走します。昭和の
初め(1920年代後半)から東海道・山陽本線の
急行列車は、もっぱらC53という機関車が使われ
ていました。マニアには有名な3シリンダー(機関
車の多くはシュッポ、シュッポという擬音で分かる
ように2気筒です)の複雑な構造をもっています。

 1940(昭和15)年から戦時のための輸送力
増強がいわれ、大型のC59が造られました。当時
では最大級のD51(貨物用蒸気)より50センチ
長い大型ボイラーを備え、足回りはC57型よりも
シリンダーを大型化しました。このC59機関車が
駆逐されたのは最大の旅客用蒸気機関車C62(1
948年製造)のためです。

 大阪到着は朝の8時26分、岡山で昼になり、倉
敷、福山、尾道と瀬戸内海を車窓に見ながら「さつ
ま」は走ります。午後3時40分、2人は広島で弁
当と酒を買いました。このときには大木刑事はホー
ムに降り、合流した先輩刑事2人の分と合わせて4
つの駅弁を窓から差し入れています。

 岩国近くで陽は傾き始め、宮口刑事は疲れて眠っ
ていました。窓から吹き込む風が下着の半そでシャ
ツをはためかせます。小郡(おごおり)到着は午後
6時38分、犯人の出身地である山口方面に行く列
車に乗り換える2人の刑事。「元気で」、「お元気
で」と言い交わす、今から見れば、いささか大げさ
な別れの言葉と、いつまでも窓から身を乗り出して
手を振る大木刑事。当時の列車の旅の苦労がしのば
れる思いがします。

▼佐賀に着く

 関門海底トンネル(約3600メートル)は煤煙
対策で電化されています。1942(昭和17)年
に開通したときにはEF10という直流電機が下関
-門司の間の約6キロメートルの区間を牽引してい
ます。刑事たちはトンネルを夜の8時半ごろに通過
しました。のちに機関車はEF30に更新されます
が、門司駅でやはりC59につけ替えられて、博多
駅の発車は10時40分です。大都会の駅の賑やか
さが分かります。

 次の停車駅は佐賀県鳥栖(とす)でした。「さつ
ま」は長崎本線には乗り入れないので、2人は午後
11時9分に鳥栖で乗り換えです。もっとも関川氏
の指摘によれば、ほんとうは佐賀方面の列車はなく、
映画は架空のダイヤで2人を深夜の佐賀駅に送り
ます。

 「さつま」の鹿児島着は翌朝の5時46分でした。
夜遅くに東京を発ち、1日中走り、もう1つの夜
を越えました。総走行時間は32時間と1分です。
東京-鹿児島間は1495キロメートルですから、
停車時間を入れて平均時速は46.7キロメートル
です。

 ちなみにわたしの乗り換えアプリで調べると、午
後9時50分に寝台特急「サンライズ出雲」に乗り、
岡山に8時間37分後に到着。新幹線「みずほ6
01号」に乗り換えて2時間55分、9時46分に
鹿児島中央駅に降り立てます。1463.8キロ、
11時間56分です。

 同様に佐賀までは1228.5キロ、博多で「み
どり11号」に乗り換えて、朝9時16分に着きま
す。11時間26分です。

 もっとも現在の方法なら、2人の刑事は朝6時の
「のぞみ」に乗り、博多まで4時間52分、佐世保
行きの「みどり23号」に乗り換え、12時16分
に佐賀へ着くでしょう。つまり6時間と少しで旅は
終わります。飛行機を使えば、佐賀空港まで約2時
間です。

 この1958(昭和33)年11月1日、電車特
急「こだま」が走ります。映画の時点から2カ月あ
まり後になりました。ビジネス特急といわれます。
東京と大阪を6時間50分で結びました。「大阪に
日帰り出張ができる」というふれこみでした。

 朝7時発の第1こだまで午後1時50分に大阪に
着きます。午後4時発の第2こだまに乗れば2時間
10分で用事を済ませて、午後10時50分に東京
駅に着けるということです。


 わたしも小学生の頃に1度だけ「こだま」に乗っ
て名古屋まで行きました。電話が付いており、食堂
車ではなくビュッフェといわれた軽食を出す店があ
りました。ビジネスデスクとかいう設備もあったよ
うですが、それは子供には関係がなかったせいか記
憶にはありません。

 この頃から、体力と忍耐力を必要とした汽車旅行
は明らかに変わってきました。

 映画にはボンネット・バスやローカル線も出てき
ます。次回は映画の後半の紹介をしましょう。

参考・引用、『豪雨の前兆』関川夏央、2004年、
文春文庫。
 


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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