配信日時 2022/06/29 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(39)】生存者救助と工事続行    荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第39回です。

考えさせるところ多い内容です。

さっそくどうぞ
 
エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(39)

生存者救助と工事続行

荒木 肇


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□横須賀基地

 好天の猛暑、25日の土曜日に公務で上京された
大阪の知人のお伴をしてきました。京急急行の汐入
(しおいり)で電車を降りて、JRの横須賀駅に向
かいます。右手には旧海軍の上陸場の衛兵立哨所が
残っていました。


整備された海沿いのベルニー公園からの眺望は素晴
らしく、青空に映える軍艦(自衛艦)旗は美しいと
あらためて思います。海自の地方総監部の前には、
艦番号がロービジ(識別しにくい)塗装されたイー
ジス搭載護衛艦がいました。その向こうには遠く離
れて、FFM(「もがみ」型護衛艦)のマストが2
つ見えています。

 セイル(艦橋)の白い艦番号も艦尾の艦名表記も
消された潜水艦が2隻いました。潜舵がV字型にな
っているので新しいタイプだと想像がつきます。岸
壁が工事中で、沖合に近くなる別の場所に、さらに
2隻の潜水艦がいました。いずれも艦番号はなくな
っています。

 横須賀の街は明るく、米海軍人や軍属の家族と思
われる人たちでも賑わっていました。その中で、ひ
ときわ目立ったのが純白のセーラー服でした。帽子
のペナントには「横須賀教育隊」の金文字があり、
右そでには2等海士の1本線と桜の徽章。海曹候補
生でした。多くがグループで歩き、出会うと互いに
キリリと敬礼を交わしていました。その清々しさが
心に残ります。

 また純白といえば防衛大学校の学生もいました。
外出時に制服だから、4月に入校したばかりの1学
年生でしょう。もう70期生にもなりました。彼ら
もしつけが行き届き、横浜方面に向かう京浜急行の
車内でも座席に座らず、健気に立ち続けています。

 大阪から見えた知人は、制服をこれほど見ること
は京阪神にはないと驚かれていました。また、それ
ぞれの隊員たちの明るい表情に感銘を受けたようで
す。


▼ついに遺体発見

 4月3日の午後1時ころ、第1救助坑を進んでい
た坑夫が生存者を発見しました。しかし、トロッコ
のレールや支保工の残骸にからみつかれ救出はでき
ません。入口からわずか7メートルの地点でした。
この被災者は出血多量などで亡くなりました。

 翌日4日には最上部の第4救助坑にダイナマイト
をかけることにします。結果は成功で前進を妨げて
いた巨石はみごとに砕かれました。ところが、左右
や下部の第1から第3救助坑では、その爆発による
被害が出ています。技師たちは、もう2度とダイナ
マイトは使えないと決断しました。

 さらに問題が発見されます。送風用の鉄管が接続
部分の装甲ゴム管の部分で押しつぶされていたので
す。鉄管信号も通じなかったわけでした。また、新
しい空気も送りこめていないことも明らかになりま
した。事故現場には有毒ガスもあるかも知れないし、
空気中の酸素濃度も低くなるでしょう。救助活動
はなお急ぐ理由ができました。


▼17名の生還

 救助坑の進度について吉村氏の叙述は厳しい数字
をあげています。中央下部の第1救助坑は毎時15.
2センチ、左側の第2同は同じく12.2センチ、
右側で同27.4センチ、第4坑も18.3センチ
でした。どれほどの崩壊距離があるのか不明のま
まです。すでに閉じ込められた者たちの生存は絶望
的なものと考えられましたが、誰も諦めはしません
でした。

 報道陣も色めき立っています。もともと丹那トン
ネルの工事に反対が多かったのです。無謀だ、無茶
だ、国庫の無駄遣いだ、御殿場回りの在来線の電化
を急ぐべきだ、多くの反対意見がありました。

 わが国初めてのトンネル崩壊による犠牲は188
0(明治13)年に完工した逢坂山(おうさかやま)
トンネルでした。全長は約665メートル、坑夫
2名、作業員3名が亡くなりました。それ以来、殉
難者が出るような事故はありません。それが丹那ト
ンネルではすでに3名の犠牲者が出ています。報道
陣が興奮するのも当然です。


 その頃、現場では17名の鉄道工業社員たちが生
き残っていました。食物もなく、連絡手段もない暗
黒の中でした。しかしそこには有能な2人の指揮者
がいたのです。1人はその後、同社の副社長にもな
った飯田氏で、また戦後に工事会社の経営にたずさ
わり参議院議員になった門屋氏でした。2人は冷静
な判断を維持し、坑夫、作業員たちへの優れた統率
力を発揮されました。

 4月8日、午後9時。第4救助坑(最上部)に穴
が開きます。さらに11時、崩れそうになる箇所を
さらに頑丈にしたところで、右の第3救助坑も貫通
しました。救助隊は若い技手を指揮者にして4名の
屈強な坑夫が選ばれます。たぬき穴と言われたよう
に小さな救助坑、そこを這って進みました。27メ
ートルあまりを進んでところで、技手は水が深くた
まるトンネルに入りました。そこに17人がいたの
です。

▼死を覚悟した者の意見書

 救助された遭難者のリーダーである2人は日誌を
残していました。その中に鉄道省の工事指導への批
判があります。この内容は、1964(昭和39)
年の青木槐三氏の『国鉄』にも書かれていますが、
吉村氏の取材でさらに詳しく分かりました。


青木氏は著書執筆当時、鉄道記者の大重鎮でしたが、
若い当時、丹那トンネル工事の大批判者でした。
だから、当時を知る人の証言だからといって、その
まま鵜呑みにはできません。細かい事実がずいぶん
省かれています。

 衝撃的な内容を日誌に残したのは吉村氏によれば
門屋氏です。門屋氏によればトンネル崩落原因は3
月31日の小さな土の崩れではないか、そこを応急
処置的に埋め戻した結果が事故につながったという
のです。

 また、トンネルの坑内が炭鉱に比べても劣悪な環
境にあることを指摘しています。排水溝こそあった
ものの、電燈もなく、ケーブルもないから電話がな
い、送風管も1本しかなかったことをいい、鉄道省
は費用を惜しむあまり安全面をおろそかにしたと言
うのです。

 また、複線型の大きなトンネルを掘ったのが失敗
だったと続けました。単線型の2本を掘れば、こん
なことはなかったと断言します。複線型を掘るなら
新しい技術をとるべきで、それを従来型の方法で行
なったのが間違いだったというのです。

 飯田氏も同じような日誌を書きました。そして救
助法にも非難の言葉を書いたのです。


▼遺書がスクープされた

 2人の日誌は医師団によって見つかりました。坑
内の生活を知ることで的確な治療方針を立てるため
です。一読した工事事務所長の富田氏は驚きました。
とくに「複線型が失敗の原因で、単線型2本にす
れば事故は起きなかった」という部分です。これは
飯田氏の日誌からもちろん、事故によって閉じ込め
られた異常な環境にあったとはいえ、当事者の本音
でした。富田氏はこれを隠すことにします。

 新聞記者たちには、飯田氏の日誌の中から鉄道省
への批判部分を削除した内容が渡されました。とこ
ろが門屋氏の日誌は、遺書とされたものとは別の段
ボールに書かれていました。その中身は、鉄道省へ
の批判もまた激烈なものでした。

 その段ボールに書かれた日誌を門屋氏は友人に渡
しました。重要なものといわれた友人は、たまたま
坑内に入ってきた三島警察署熱海分署の署長に渡し
てしまいます。その署長が分署にもどって、不用意
にも自分の机上にそのまま置きました。

 その遺書と批判文を、たまたま室内に無断で入っ
た新聞記者が発見します。昔から新聞記者は報道の
ためには手段を選ばないものです。また、ふだんか
ら警察署内にも自由に出入りしていたのでしょう。

 これが大スクープになりました。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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