配信日時 2022/05/18 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(33)】 昭和初めの減俸事件    荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第33回です。

冒頭文を拝読し、我が国の縦軸(=国史)を深く
長く肌レベルで知悉しておくことのメリットを強く
感じました。

さて公務員と官吏の違い。
非常に面白かったです。
知らない人は多いでしょう。

さっそくどうぞ
 
エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(33)

昭和初めの減俸事件


荒木 肇

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□はじめに

 ウクライナの戦乱のおかげで、わが国の経済、そ
して私たちの暮らしにも変化が起きてきています。
久しぶりの物価上昇、とりわけ食品、ガソリン・燃
料の価格が上がってきました。専門家の話では、3
9年ぶりのインフレになるとか。

 毎年、物の値段が上がり財布が軽くなるというの
は、私たちの世代(70代)の若い頃には当たり前
でした。でも、その代わり賃上げが毎年あり、公務
員だったわたしにはベースアップも必ずあって、明
日はもっと暮らしが良くなると思えていました。

 高度成長の時代には、そんな楽観的な気分で過ご
すことができました。それが変わったのは1980
(昭和55)年のことでしょうか。この頃から物価
が上がることは滅多に聞けなくなり、同時に給料も
あまり上がらなくなりました。世間は「低成長」時
代に入ったのです。だから、現在、60歳前後の皆
さん、昭和30年代以降の生まれの方々は、あの「
来年はもっと豊かになっていくだろう」という気分
を、若いころに味わえなかったのだろうなと思いま
す。

 今日のお話は昭和ヒトケタ期のことです。大正時
代のバブル崩壊(1919年)から始まって関東大
震災(1923年)の大被害、金融恐慌(1927
年)、ニューヨーク市場の株式大暴落と世界恐慌(
1929年)と日本経済はたいへんな思いをしてい
ました。

▼官吏ばかりがいい目を見ている

 世間の不景気に合わせて官吏(かんり)の減俸問
題が出てきました。苦しい財政の中では役人の人件
費を抑えることが一番の特効薬です。しかも、世の
中の人々からは必ず賛成の声があがります。今も昔
も、「公務員は安定している」というのが世間の常
識だからでしょう。

 1931(昭和6)年5月16日、新聞には総額
約1000万円という大規模な官吏減俸案がスクー
プされました。前年1930年の一般会計は約15
億6000万円です。軍事費は4億4000万円で
したから約28.4%、国民総生産が146億70
00万円でしたから約3.02%にあたります。

 15億6000万円のうちの1000万円ですか
ら、0.6%にもあたる大ナタをふるう案でした。
驚いたのは対象になった官吏たちです。

▼対象になった官吏とは

 ごく無邪気に、官吏とはいまの公務員だねという
まとめ方、一応は合っています。事実、各省庁の官
吏は今の国家公務員にあたりますし、試験制度によ
るキャリアとノン・キャリアの区別なども似ていま
す。

しかし、決定的な違いは、現在のような国民に奉仕
する存在ではありません。あくまでも国家の主権者
である天皇から選ばれた存在でした。国の公務を担
任するのは、ほかに議会議員、政府の委員、嘱託員、
雇員(こいん)、傭人(ようにん)など、陸海軍
の兵などがありましたが、これらは官吏とはいわれ
ません。

このほかに地方自治体の吏員(りいん)なども、今
でいう地方公務員ですが、当時も国家の官吏とは区
別されています。現在はほぼすべての人たちが一般
職・特別職の、国家・地方公務員となっていますが、
戦前社会の官吏とはひどく少ない人たちでした。

官吏には文官と武官があります。武官とは陸海軍の
下士官以上をいいます。よくドラマや映画、小説な
どで「官姓名を名乗れ」などと兵士が言われていま
すが、正確には兵は官ではないので、「等級氏名を
名乗れ」というのが正しいのです。もっとも、官尊
民卑(官に権威を感じ、民間を卑しいとする)の気
分が強かった社会でした。官でもないのに官のよう
なふりをする人も多かったので、兵士でも官吏気分
だったのかも知れません。


▼高等官と判任官

 官吏には高等官と判任官の区別がありました。高
等官は任命の形式で勅任官と奏任官に分けられます。
勅任官はさらに親任官と、その他の勅任官になり
ました。親任官の代表は文官では内閣総理大臣、枢
密院議長などです。武官では陸海軍の大将しかあり
ません。

これが高等官の最高峰ですが、この下の勅任官と奏
任官を9階級に分けて、高等官1等(文官では宮内
次官、李王職長官など、武官では陸海軍中将と同相
当官)、同2等(文官では内閣書記官長、帝国大学
総長、検事正など、前同少将と相当官)という順に
同9等までに分けました。ちなみに陸海軍少尉は高
等官8等でした。

判任官は行政官庁で任命するものです。判任官は1
等から4等までに分かれていました。武官、警察官
は階級をもつので1等は准士官(陸軍では各兵特務
曹長=准尉など、海軍では兵曹長など)、2等は陸
軍曹長などと海軍1等兵曹など、3等は陸軍軍曹な
どと海軍2等兵曹など、4等は陸軍伍長などと海軍
3等兵曹などとなり、警察官も警部、警部補は判任
官でした。他の判任官は俸給の等級で官等に区分さ
れていました。

この頃の官吏の俸給は1920(大正9)年に決め
られたものでした。昔の特徴は、ベースアップ(物
価上昇に伴う調整)や毎年の定期昇給もありません
でした。ただし、賞与(ボーナス)はありました。

▼減俸案

 内閣総理大臣は1万2000円が1万円に、各省
大臣は8000円から7000円に、枢密院議長7
500円を6500円、各省次官6500円を57
00円、局長5200円を4500円とするもので
した。その下の奏任官1級は4500円を4000
円、順に下がっていって12級1200円を115
0円とするものでした。

 当時は月給100円がほぼ中流世帯といわれてい
ました。だから年俸1800円以上、月給にして1
50円以上の者は減俸やむなしという世論もありま
した。奏任官では9級になると1800円、これが
1650円になるということです。実に150円の
減、月に直すと12円50銭が減る。物価も下がっ
ていましたから1円を現在の4000円とみると、
5万円の賃下げです。

 問題なのは元来俸給が少なかった判任官より下の
人たちでした。1級の月俸160円が149円、2
級135円を127円に、3級115円を109円、
4級100円を95円、5級85円から55円ま
での官吏は4%から2%を引き下げるというのが計
画されました。

▼減俸騒動

 青木槐三氏は書いています。月給66円の東京市
電の運転手からの聞き取りです。家族は5歳と6歳
の子供と奥さん。家賃は16円、食費が1カ月25
円(薪炭、副食物を含む)、子供2人に10円、昼
食が15銭で4円50銭、新聞雑誌1円、風呂2円
、交際費3円、タバコが2円、電燈料金1円40銭
でした。合計約65円、節約するには禁煙するしか
ないという話です。

 5月19日、いまの首都圏全域の車掌区、機関区・
保線区などの現場の代表が集会を開いて減俸反対
の意思表示をしました。鉄道本省のキャリアである
若手法学士(大学卒業で文官高等試験合格者)や工
学士(前同、技師など)が立ちあがります。各地方
鉄道局、東京、名古屋、大阪、門司、仙台、札幌で
も若手の学士たちがすぐに運動に参加しました。

 同日、鉄道省本庁舎は東京駅八重洲口にありまし
たが、その食堂に高等官35名(みな30代の若手
官僚)、判任官45名が集まって鉄道員の減俸に絶
対反対すると決議します。

 次回はこの騒動の結末と社会の様子をみてみまし
ょう。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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