配信日時 2022/05/11 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(32)】 走れ超特急!   荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第32回です。

きょうは超特急のはなしです。
さっそくどうぞ
 
エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(32)

走れ超特急!


荒木 肇

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□はじめに

 長いゴールデン・ウィークも終わり、街や観光地
では人出が多くなった気がします。それでも遠くへ
旅する人は少なく、長距離の移動はあまりなかった
ようです。コロナ禍の前のように戻るのは難しいか
と思いますが、少しでも消費を増やし、ご商売の方
々への応援もしたいなと思っています。

 ただいま、NHKの大河ドラマにはまっています。
中世という馴染みのない時代を以前は「平清盛」
などで描きましたが、今回は史実の新解釈や、学界
の新しい研究成果を生かした素晴らしい企画だと評
価しているところです。


 とりわけ、義経役の菅田さんの演技が素晴らしい。
ああ、やっぱり義経はこうした人だったんだなと
思わせる台本と演出。前回でしょうか。梶原景時が
法皇様に奏上したのは事実と異なると言うのに、義
経は「ヒヨドリ越え」の方が格好いい、こうやって
歴史はつくられて行くのだというシーンには思わず
わが意を得た思いがしました。

 学説では、一の谷の本陣に突撃するには実際の「
鵯越」では難しい。義経隊は大きく鉄拐山を迂回し
たのではといわれています。そのあたりを三谷幸喜
さんはきちんと描かれていると思います。今夜はい
よいよ「壇ノ浦」の決戦です。最近の研究では、陸
上からの範頼軍の弓射による掩護も大きかったかと
されています。

 きちんとした歴史史料は『吾妻鏡』と『平家物語』
ですが、いずれも後世の作であり、意図的な曲筆
(きょくひつ)もあるといったところが難しい。や
はり史料は「同時代性」、つまり起きた事件と同じ
時代のものがいちばん良いとされます。貴族の書い
た日記『玉葉(ぎょくよう)』などと比較しながら
研究者は考えをまとめているのです。

 三谷さんは創作の許される範囲の「時代劇」の名
手なんだなと思います。

▼超特急試運転列車は発進した

 1929(昭和4)年12月4日、試運転が行な
われます。機関車はEF50という電気機関車です。
1923(大正12)年に輸入されたイタリア製
のものでした。国府津まではこの機関車が牽引し、
そこでC51型蒸気機関車に交代します。この東京
からおよそ90分の東海道線には1927(昭和2)
年4月から電気機関車が運転されていました。


 有名な鉄道記者だった青木槐三氏は、その著書
『国鉄』(1964年新潮社)で次のような記事を書
いたとふり返っています。

「朝まだき、ラッシュの人波もまだ寄せて来ない静
かな東京駅出発ホームは、オレンジ色の初冬の朝の
日ざしが流れこんで、とても新鮮な感じだった。緊
張した面持の黒い制服にあご紐かけた鉄道人が、続
々とその光を浴びて集まって来た。張りきった顔、
感激に輝く眼、その顔と顔、眼と眼はこれから始ま
る大きなテストを期待して声も低くうなずき合う程
度の挨拶をかわしていた」。

 昭和4年といえば、今からおよそ90年前です。
すでに省線電車はラッシュという言葉とともにあり
ました。東京市内の山手線、東京駅と中野駅を結ぶ
中央線、いまの大田区蒲田(かまた)と品川間の京
浜線の運転間隔は3分でした(11月から)。

 運転責任者は本省運転課の福井国男技師、機関手
は品川機関庫に所属する2人。「試運転の成果はこ
れからの鉄道の再建にかかっている。このことを銘
記して、よろしくがんばってくれ」と江木鉄道大臣
は運転手の手を握り締めたそうです。この「再建」
の話は後で説明します。

 午前7時30分、東京駅のホームを列車はすべり
出しました。蒸気機関車のシュッ、シュッという力
強い振動もなく、ポッ、ポッというドラフト音もな
く、電気機関車に引かれた列車は走りだします。2
分で新橋を過ぎ、6分で品川通過、大森、蒲田もす
いすいと通り過ぎて行きました。


駅の構内も時速35マイル(約56キロ)、青木氏
の記事によれば、「6秒か7秒の間、ホームに立っ
ている見物人の顔が識別できない。男も女も1つの
点となって流れ去って行く。もう3つの電車を追い
越して行く。爽快だ痛快だと叫んでいるうちに横浜
に到着。24分41秒しかかからぬ」とあります。


▼最高速度は62マイル

 蒲田を過ぎるところで最高速度は62マイル(約
100キロ)を出しました。いまも線路は真っすぐ
で高低差もない沿岸部を走るところです。ほとんど
揺れもなかったといいます。試験車の中には机の上
に空き瓶が並んでいました。それが1本も倒れない。
8分目に入れてあったグラスの中の水も外にはこ
ぼれない。立っていれば動揺は感じるが、歩くのに
はまったく困難がなかったそうです。いまのように
高速道路が発達し、誰もが時速100キロに慣れて
いる時代とは違います。

「こりゃお召(めし)列車(天皇、皇后はじめ皇族
方の専用列車)ですよ。お召列車より運転はいいで
すね。特急よりいいです」という専務車掌の言葉を
記録しているのも青木さんらしいです。お召列車は
とにかく静粛に、動揺がないように走ります。それ
より良いというのですから大変な感動だったのでし
ょう。


▼国府津からC51へ

 8時5分に列車は横浜を出ました。東海道線最初
のトンネルを清水谷戸(しみずやと)といいます。
保土ヶ谷と東戸塚の間のものです。戸塚、大船、茅
ヶ崎、平塚、大磯などを過ぎて国府津に近づきます。
8時44分です。横浜と国府津の間を約40分でし
た。現在の東海道線は経路48.9キロメートル、
これを49分で走ります。もちろん各駅停車です
から9つの駅に停まっての数字です。


 横浜から国府津へ無停車ですから平均時速は約7
3キロメートル。当時としてはほんとうに驚異的な
時間短縮です。線路近くの杉林は1枚の壁掛けのよ
うだし、信号機や電柱も数える暇もない、何もかも
流れると現在から見れば、大げさとしか言えない記
事が残っています。

 国府津出発は9時27分。いよいよ箱根越えの難
所です。山北駅と御殿場駅の間の40分の1の上り
勾配が待っています。これまでの特急も、この区間
では時速32キロまでしか出していません。山北駅
では後押しの蒸気機関車が待機していました。超特
急試運転車が本線を通り過ぎるとすぐに機関車は追
いかけます。走行中には後押しをして、御殿場駅で
は直線の構内を通過中に切り離されました。

 沼津到着は10時31分、最高速度は神奈川県松
田付近(酒匂川流域の足柄平野の奥になる)で56
キロメートル。東京と沼津間を2時間8分で走破し
ました。

 手元の1931(昭和6)年の時刻表によると、
各駅停車は東京を朝6時25分に発車、横浜は6時
58分発、国府津に8時3分着です。8時8分に発
車、御殿場には9時20分に到着、終着の沼津には
9時57分です。1時間49分もかかりました。国
府津と沼津間は60.2キロです。平均時速は約3
3キロ。つまり、各駅停車では東京-沼津間約3時
間32分です。それをおよそ1時間半も短縮しまし
た。

▼超特急はさらに進む

 沼津を11時52分に発車すると試運転列車は鈴
川、富士、由比、興津と走り抜けます。午後1時4
2分に浜松に到着。ほぼ4時間で東京から浜松まで
やってきました。

 記録によると、下り東京と大阪間は8時間14分
18秒、上りは大阪と東京間を8時間7分32秒だ
ったそうです。当時の特急より上りは2時間48分
32秒、下りは2時間37分32秒と大幅に短縮し
ました。

 翌5年7月3日、第2回目の試運転が行なわれま
す。区間は東京から神戸までと延ばします。一般の
乗客も300人も公募して乗せることにしました。
発表すると、1万2000人もの応募があったよう
です。

 次回は昭和経済界を揺るがせた「鉄道の危機」に
ついてお知らせしましょう。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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