配信日時 2022/04/27 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(31)】蒸気機関車で全行程を  荒木肇

--------------------------
荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
 https://amzn.to/34szs2W
-----------------------------------------

おはようございます。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第31回です。

ボイラのはなし、実に面白いです!
 
エンリケ
 
追伸
次週の配信はお休みです。


 
メルマガバックナンバー
https://heitansen.okigunnji.com/

ご意見・ご感想はコチラから
 ↓
https://okigunnji.com/url/7/


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

陸軍工兵から施設科へ(31)

蒸気機関車で全行程を


荒木 肇

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□はじめに
 いよいよ大型連休です。わたしも26日から学校
の仕事のお休みをいただき、5月2日も休暇を取り
ました。10連休です。わたしのような非常勤職員
ならではの我儘ですが、ゆったり過ごそうと思って
います。

 それにしてもコロナ禍で3度目のGW、政府はふ
つうに過ごして欲しいとのことですが、国内旅行も
人気を取り戻しつつあります。どうか、少しでも経
済的な状況が好転しますよう願ってやみません。

 今日は蒸気機関車が鉄路上からなくなっておよそ
半世紀近くなりました。おかげで一部の好事家の方
々以外は、案外、その仕組みをご存じないかと考え
ます。そこで、鷹司平通(たかつかさ・としみち、
五摂家近衛家の流れ、1923~66年)氏のご解
説を紹介しようと思います。

 氏は日本交通公社に入り、交通博物館にも関わら
れた鉄道マニアの方で、昭和天皇陛下の皇女、和宮
内親王殿下の配偶者でもあられました。

 事故死を遂げられましたが、「朝日新聞社のりも
のシリーズ・世界の鉄道62年」の「基礎の知識」
で書かれたものです。


▼機関車のしくみ

 まずボイラです。その中には5.8立方メートル
もの水が入ります。ボイラが長くて、太いほど強力
な機関車です。ここで水から蒸気を作ります。その
蒸気を蒸気機関に導いて蒸気の膨脹を利用してピス
トンを前後に往復運動させます。それをクランクで
回転運動にして動輪を回して走りました。

 運転室の前には長いボイラがあり、その後部、下
には石炭が燃える火室(かしつ)といわれる空間が
あります。その下部は火格子(ひごうし)といわれ
る部分で、その下には燃えカスが落ちる灰箱が付い
ています。火格子の面積は2.53平方メートルも
ありました。

 火室にはアーチ管といわれる水管が通っていて、
これは火室の中の伝熱をよくする工夫です。このア
ーチ管には、燃焼したガスの通路を長くして、より
燃焼効率を上げるためアーチ煉瓦が積んであります
。火格子の上に機関助士は絶え間なく石炭をくべ続
けます。しかも、火格子のすべてに万遍なく平均に
投炭しなくてはなりません。たいへんな重労働であ
り、熟練を必要とする技術でもありました。

 火室の先は燃焼室といわれるスペースです。ここ
で燃えた石炭は700℃から1000℃のガスにな
っています。このガスが煙管(えんかん)の中を前
方に向けて流れてゆきます。昔、子供の頃には万世
橋(まんせいばし)の交通博物館の大きなフロアに
実物のC57型蒸気機関車のカットモデルがあって
、大小の煙管を見ることができました。

 大煙管は直径140ミリ、長さ5500ミリで1
8本、小煙管は直径57ミリで長さは同じで、本数
も同じく18本がありました。機関区に帰った機関
車はこの中にたまった煤(すす)をきれいに取らね
ばなりません。これも当時、「庫内手」といわれた
乗務員予備軍の若者たちを苦しめた仕事でした。

 C51型機関車は運転重量が約68トン、炭水車
の重量は約44トンもありました(石炭は8トン、
水17トン積載)。テンダー(炭水車)も含めた全
長は約20メートル、動輪の直径は当時の狭軌の機
関車では最大の1750ミリです。この大きさは、
以後も旅客用蒸気機関車の標準になります。東京駅
大手町の地下にある動輪の広場には、いまもC62
の動輪が保存されています。

 静態保存されたC515号機は1962(昭和3
7)年から東京都青梅市の鉄道公園にありましたが
、2007(平成19)年に埼玉県さいたま市大宮
区の鉄道博物館に展示してあります。

 外観を見ると、ボイラの上には2つの丸いこぶが
付いています。前が蒸気溜で後ろの方にあるのが砂
箱です。そこには動輪が空転するのを防ぐために、
レールの上に撒く砂が入っています。3つに分かれ
た砂を流すためのホースを見ることができます。

 水で囲まれた燃焼室、火室、煙管のおかげで水は
蒸気になり、前のこぶに溜められます。この中には
加減弁がつき、機関士が加減弁ハンドルを運転室内
で引くと蒸気は乾燥管の中に送られます。この乾燥
管は前へのびてゆき、温熱管寄せで過熱管に分かれ
ました。温熱管は大煙管の中を往復し、また過熱管
よせで集まり、給気管につらなってゆきます。

 なんでこんな面倒なことと思いますが、ボイラで
生まれた蒸気はいわゆる飽和蒸気です。やかんの口
から吹き出す蒸気(透明)がすぐに湯気になってし
まう(目に見える)のは、飽和蒸気はちょっと冷え
るとすぐに水滴にもどってしまうからです。そこで
さらに圧力と熱を加えて過熱蒸気に変えてしまいま
す。この蒸気圧は13キログラム/平方センチで、
過熱蒸気の温度は400℃くらいでしょうか。

 給気管からシリンダーに入る蒸気は、ピストン弁
でピストンの前後に交互に送りこまれ、シリンダー
の中で膨脹し、ピストンを押します。押し切った蒸
気は排気管へ出て、吐出管から勢いよく噴出して、
ボイラの前後から煙室にたまった燃焼ガスといっし
ょに煙突から吹き出します。ガスは完全燃焼してい
れば色はありません。だから煙突から出る煙は実は
蒸気なのです。これが白い煙に見えるのです。

▼給水時間を短縮せよ

 だいたい蒸気機関車の航続距離というか、安全、
安心な走行距離は50キロメートルくらいと言われ
ます。だから給水塔があり、給炭台が用意され、灰
も捨てられるようなピットがある機関区はだいたい
そんな距離にあったようです。

 東海道線は当時、国府津までは電化されていまし
たが、難題なのが箱根越えでした。線路はいまも御
殿場線となっていますが、箱根の山を左手に見なが
ら酒匂(さかわ)平野を北上します。兄弟の仇打ち
で有名な曾我の梅林、松田町を越えると今度は上り
坂です。神奈川県の外れになる山北駅には大きな機
関庫がありました。

 超特急の担当機関区は沼津に白羽の矢が立ちまし
た。機関車は沼津機関区が受け持ち、乗務員は沼津
より東京の間は沼津機関区、沼津から西は名古屋機
関区の乗務員が担当します。沼津機関庫では9名の
機関手と7名の機関助手が選ばれました。この機関
手の先任は当時28歳で、連続7時間の投炭記録を
もつ人でした。18トンもの石炭をシャベルで火室
にくべ続けたのです。

 結城運転課長の構想では、東京と大阪間は無停車
・ノンストップでした。途中の給水はなんと走りな
がら給水管ですくうというのです。平坦で直線が続
く、静岡と草薙(くさなぎ)の間に2000メート
ルの水槽を造って、給水管を垂れ下ろして水をすく
おうという計画でした。

 後押しの補助機関車の連結も解放も走りながら行
ないます。側線で待機していた機関車は超特急列車
が本線を走り抜けると同時にスタートする。追いか
けていってただちに連結するといった離れ業を行な
うことになっていました。この訓練はいまも広大な
スペースがうかがわれる横浜市の新鶴見駅の構内で
行なわれたようです。

 ところが下り国府津駅、上り列車は沼津駅で、そ
れぞれ30秒停車の間に連結と解放は行なわれるよ
うに決定します。また、走行中の水をすくう方法も
取りやめとなり、専用の水槽車を新たに造って機関
車の次に連結するようになりました。こうして水槽
容量が20立方メートル(C52型と同型)の大型
テンダーに改良し、30トンの水を積む水槽車を連
結します。この水槽車はのちに、「ミキ20」と言
われました。「水のミ、積載量が最大なのでキ」の
ミキです。次回はいよいよ超特急の誕生です。


(つづく)


(あらき・はじめ)


☆バックナンバー
 ⇒ https://heitansen.okigunnji.com/
 
荒木さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。

https://okigunnji.com/url/7/
 
 
●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
 https://amzn.to/31jKcxe


 
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。


最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。

----------------------------------------------
-
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
      (代表・エンリケ航海王子)

■メルマガバックナンバーはこちら
http://okigunnji.com/url/105/

メインサイト:https://okigunnji.com/

問い合わせはこちら:https://okigunnji.com/url/7/

メールアドレス:okirakumagmag■■gmail.com
(■■を@に置き換えてください)
----------------------------------------------
 
 
 ●配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
 
 
--------------------
ビタミン、ミネラル、サプリメントなら
↓  ↓  ↓  ↓  ↓、
http://okigunnji.com/url/108/
※↑は5パーセント割引専用URL。利用者多数

---------------------------

投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。

Copyright(c) 2000-2022 Gunjijouhou.All rights reserved.