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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」第30回です。
< でも、こうした歴史教科書にあるような暗い話ば
かりではありません。人の世とはそういうものです。
どうにも辛いこと、苦しいこともありましょう。
どんな時代状況でも人は明るく気分を高めて生きて
いきたいのです。>
とのことばに胸を衝かれました。
確かにその通りです。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(30)
超特急「つばめ」
荒木 肇
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□はじめに
気温の乱高下がひどいです。皆さま、いかがでし
ょうか。体調を崩している方も多いようですが、お
大事になさってください。
KSさま、わたしの意見にご賛同くださり、まこ
とにありがとうございます。おっしゃっていただい
たように戦力の基礎にあたることを議論すべし、と
いうご認識に心から賛同し、感謝申し上げます。弾
薬の備蓄、効率的な装備研究などが重要です。また、
今回のウクライナの戦況を見ると、砲兵火力や戦車、
さらには対戦車火器の重要性が示されていると思い
ます。
ひるがえって、わが陸上自衛隊の現況はどうか。
戦車は300輌(なんと冷戦時の4分の1)、火砲
も300門(前に同じ)とずっと減らしてきました。
予算がない、金がかかる戦車なんか要らない、長大
な装備は要らないといった財務省の、ひいては政権
の考えでした。なかには、もう戦争は起きない、憲
法9条を守れば戦争も仕掛けられることはないとい
った主張もありました。
なお、女性が自衛官に増えてゆく、こういった流
れの中で主力小銃が新しくなっています。軽量で、
隊員の体位に合わせて変えることができる装備です。
地道に研究をし、きちんと成果を出している方々が
います。
さて、今日は戦前の蒸気機関車による東京-大阪
間の超特急の話です。わたしの世代では、子供の頃
から蒸気機関車に馴染んできました。小学生の頃は
中央本線も甲府までしか電化されていませんでした。
もちろん、元東海道本線だった御殿場線にもSL
(スティーム・ロコモーティブ)の貨物用機関車の
王者であるD52が走っていました。
中学生の頃には、東京の両国駅からC58という
軽快なSLにひかれた列車で館山まで出かけた記憶
があります。また、冬には寒稽古に登校する夜明け
の頃、丘の上からD51が貨車の長い列の先頭に立
って常磐線を走ってゆくのを見ていました。
SLが国鉄(今のJR)の営業線路上から姿を消
したのは1976(昭和51)年のことでした。今
では保存された機関車などが各地にありますが、ふ
だんから動いているSLに接していた世代はもう少
なくなりました。
▼昭和の初めの世の中
計画が始まったのは1929(昭和4)年のこと
でした。関東大震災(1923年)からまだ6年し
か経っていません。昭和2年には金融恐慌があり、
金銭の支払いを猶予するモラトリアムも実施され、
翌年には満洲軍閥の張作霖(ちょう・さくりん)が
関東軍の暴走で殺されました。そうして昭和4年の
10月、ニューヨーク株式の大暴落という世界中を
巻き込む大恐慌が起きてしまいます。
でも、こうした歴史教科書にあるような暗い話ば
かりではありません。人の世とはそういうものです。
どうにも辛いこと、苦しいこともありましょう。
どんな時代状況でも人は明るく気分を高めて生きて
いきたいのです。
軽快な「昔恋しい銀座の柳」で始まる東京行進曲、
「赤い灯青い灯」で歌い出す道頓堀行進曲などが流
行しました。また、昭和4年末の統計ですが、大阪
市の人口が233万4000人となり、東京市の2
21万8000人を抜いています。
▼昭和ヒトケタの時代
いまのおカネでいくら?というのが非常に難しい
質問です。米価の比較や、大卒初任給で比べたり、
地価で比べたりするやり方などもありますが、なん
といっても大きく変わったのが人々の意識です。明
治・大正は文明の利器を使うと高価です。
たとえば、20世紀の初め、日露戦争の頃には鉄道
の乗車券などは東京から神戸に行けば7円23銭ほ
どかかりました。もっともこれは2等運賃、3等の
2倍です。急行料金が1円、通行税が23銭ですか
ら合計で8円46銭かかります。だいたい1円が1
万2000円くらいと考えるとざっと10万円あま
り。
その代わり、人件費がやたら安い時代ですから、家
で雇うお手伝いさんの女性などは月給2円ほど。三
食付いて小さな部屋が与えられるから、当時の人に
とってはけっこうよかった水準だったのです。「一
握の砂」などで有名な石川啄木は朝日新聞の社員で
残業代も含めて月収30円でした。今なら36万円
ですね。ただ、病気の両親と奥さん、子供たちを抱
えていては生活が苦しかったのが分かります。
ところが一時的に好景気になった大正時代の半ば
(第1次世界大戦景気)から、国民生活全般がずい
ぶん豊かになりました。インフレも始まります。総
理府統計局が1953(昭和28)年にまとめた物
価指数表をみると、昭和9年の物価指数を1とする
と、1922(大正11)年は1.5と5割も高く
なっています。
この超特急が企画された昭和ヒトケタの頃はデフレ
のおかげで1.01ほどということから昭和9年と
あまり変わりません。この後、1937(昭和12
)年から支那事変が起こり、景気は浮揚し、インフ
レも始まってゆきました。
わたしはおおよそ、昭和4年、5年頃の1円は現在
の3000円くらいと考えています。当時の鰻重は
60銭、だいたい1800円、天丼が30銭から4
0銭くらいだから900円から1200円。酒では
ビールが高くて1本35銭、1000円ほど。汽車
の駅弁も35銭。清酒は特級で1升(1.8リット
ル)が2円ほどで6000円、普通酒が1円だから
3000円。市電(路面電車)の料金が7銭で21
0円。タクシーは「円タク」といって山手線内は均
一で1円。
▼賛否両論!
鉄道記者が、結城運転課長のもらした「超特急計
画」を特ダネにしました。とたんに、賛成、反対の
声が沸き起こります。まず、安全管理からの不安で
した。「レールを強化し、カーブをゆるくし、駅構
内にあるポイントを強化し、それには800万円の
費用がかかる」というものです。
レールには規格があります。大きな負担がかかる
から、重量のあるものにしなければならない、強度
が落ちるのは分岐点(ポイント)だから強化せよと
いうのは当然です。800万円をいまの金額に直す
と3000円×800万ですから、240億円とな
ります。
1928(昭和3)年の一般会計歳出が1、81
4、855、000円です。約18億1500万円
ですから、800万円はその0.4%にもあたりま
した。国民総生産だって1650、5000、00
0円でした。165億円です。なお軍事費は51、
723、7000円ですから5億2000万円にな
っています(『近代日本経済史要覧』東京大学出版
会・1975年)。
身近な米価でいえば、1斗(15キログラム)が
2円50銭あまりの時代です。いまのお金では75
00円になります。キロ当たり500円ですから、
今、スーパー・マーケットで2キロ800円くらい
でしょうか。同じようなものですね。ただし、当時
の人は1日に3合(450グラム)は食べましたか
ら、1カ月で10升つまり1斗を食べます。家族6
人なら米代だけで15円、ざっと4万5000円で
す。こういったことからも当時のふつうの暮らしが
見えてきます。ちょっと寄り道でした。
しかし、当局は実行します。運輸局長も、次官も
、鉄道大臣もゴー・サインを出しました。ひどい経
営難の中でも(鉄道従事者の給料も下げた)、難事
に挑戦し、みなの士気を高め、国民にも意気を示そ
うとした高度な政治判断だったのではないでしょう
か。
▼難問だらけ
3時間のスピードアップをすると、一口に言って
も難しいことばかりでした。まず、箱根山を迂回す
るための山北(神奈川県山北町)-御殿場(静岡県
御殿場町)の間の急勾配があります。また、機関車
の給水や給炭をどこで、どれくらいの時間で行なう
か、そうした技術的な問題もありました。
当時の最高の旅客用機関車は18900型、のち
のC51です。もちろん国産でした。わが国の鉄道
技術は大正時代には強力な機関車を輸入しなくてよ
いようになっていました。1919(大正8)年に
完成したのが、この名機でした。動輪は3つ、つま
りCです。先輪(せんりん)といわれ、カーブを通
過しやすくする小さな車輪が2軸、運転台の下に見
える火室の下にも1軸の小車輪がついています。だ
から形式は2C1といわれました。特徴がありまし
た。動輪の直径は1750ミリ、当時の世界の狭軌
の機関車では世界最大のものでした。
車輌の編成も工夫しました。これまでの特急より
も軽くします。これまでの特急「富士」は11輌編
成でしたが、技術陣は7輌にします。手荷物車(3
等車と混合)1輌、3等車2輌、食堂車1輌、2等
車2輌、1等寝台車1輌の合計7輌です。乗車定員
は1等20人、2等128人、3等226人の合計
374人とします。
とにかく走行速度を速くしなければなりません。
国府津(神奈川県国府津町)と山北の間は最高時速
80キロ、さらに山北から御殿場の25パーミル、
40分の1勾配ともいいますが、水平に1000メ
ートル進む間に25メートル登るという難所も時速
50から60キロメートルで駆け抜けようというの
です。
さて、来週は実際の場面を検討してみましょう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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