配信日時 2022/04/13 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(29)】 山陽鉄道の全通    荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第29回です。


「超特急つばめ」の誕生秘話が実に面白いですね。


さっそくどうぞ。


エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(29)

山陽鉄道の全通


荒木 肇

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□はじめに

 不思議な意見が出るものですね。若い人に人気が
あるのかどうか、芸人が真面目な顔で語っていまし
た。「防衛費を増額するのかどうかの議論をすべき
だ」。何を寝ぼけたことを言っているのかと驚いた
のと同時に、ニュースを分かりやすく一般の人に解
説しているのだそうだから、こりゃ大変なことだと
思ったのです。

 どこがおかしいかというと、防衛費というのはど
ういう敵と、どのように戦うのかという観点から議
論されるものだからです。兵器や装備、つまり防衛
費の大元はそこから話し合われなくてはならず、議
論すべきはいくらの金を投じるかではなく、次の戦
争のイメージを話し合うべきなのです。国内総生産
の1%だとか2%だとかを語り合う前に、みな、ど
んな戦争に備えるのかが大切でしょう。それが決ま
れば必要な金額はそこで決まってきます。

 かの大東亜戦争でも陸軍の装備品は対ソビエト連
邦のためのものでした。海軍の艦艇も太平洋を越え
て攻め寄せてくるアメリカ艦隊に対抗しようとする
ものだったのです。陸軍の主力歩兵銃が明治38(
1905)年制式だったことを陸軍の技術軽視、後
進性のように言いますが、欧米列国はどこでも明治
時代の小銃を使っていました。

 それは中国大陸の満洲北部での対ソ連戦を想定し
ていたからです。同じようにソ連軍も19世紀に開
発された槓桿式(ボルト・アクション)のモシン・
ナガン小銃を主力とし、アメリカ軍も同じころに制
式化されたスプリング・フィールド小銃を使ってい
ました。フランス軍もイギリス軍もみな同じ。明治
時代の小銃で戦っていたのでした。

 そこへアメリカ軍だけが1942(昭和17)年
から自動装てん式のM1ガーランドを投入しました。
裏付けは工業生産力と小銃弾の前線への追送能力
でしょう。どこの国でも馬やラバを使って小銃弾を
運んだのに、米国はジープに切り替えました。

 海軍が大和型戦艦を計画したのも、米海軍の戦艦
がパナマ運河通過の制約があることを考えたことも
あるようです。艦体の幅が狭くては、長射程の大型
砲は搭載できません。また航空魚雷による米艦隊攻
撃を考えたからこそ、双発の陸上攻撃機を多数そろ
えたのでしょう。

ロシア軍のウクライナ侵攻で分かったことは、依然
として北海道や北方領土が脅かされていることです。
ロシアの国会議員が「北海道の先住民族はロシア
人だ」と言いだし、「関東軍のことを思い出せ」な
どと発言するのも明らかに恫喝でしょう。そういう
現在、防衛費を増やすか増やさないかを議論せよと
は・・・。何かのためにする意見だとしか思えませ
ん。


▼山陽鉄道の下関延伸

 明治29(1896)年には三田尻(みたじり・
防府市の中心)と有帆(ありほ・現在の小野田)は
海岸沿いをとるコースが認可されます。三田尻は江
戸時代にも長州海軍の根拠地であり、防長米や三田
尻塩の積み出し港として栄えました。防府という地
名は、古代律令制度の周防国(すおうのくに)の国
府が置かれた場所でした。

有帆はその名の川で知られ、現在は山陽小野田市に
入っています。広島と防府(ほうふ)の間はいまも
残るように、ほぼ海岸線近くをたどっています。と
ころが、防府から下関間の線路は海岸から離れた山
地に入ります。

 有帆と赤間関(あかまがせき・下関)は1899
(明治32)年に着工されて翌年12月には三田尻
と厚狭(あさ・旧厚狭町、現在は山陽町)間の約5
3キロメートルが開業します。翌、20世紀になっ
た明治34年5月、終点の赤間関停車場が開かれ、
当日に「馬関(ばかん)」と改称されます。

 3日後には厚狭と馬関の間35キロメートルが開
通しました。当時の最速列車である「最急行」を使
えば、神戸と馬関の間は12時間35分で結ばれま
す。この開業と同時に、馬関と門司港(当時は門司
駅)の間は連絡船が走り、門司からは私鉄九州鉄道
が伸びていました。長崎や八代(やつしろ・熊本県
南西部)まで行けました。こうして、北は青森から
南は八代まで幹線は通ることになりました。

▼山陽鉄道の「最急行」

 山陽鉄道には結城弘毅(ゆうき・こうき)という
鉄道技師がいました。1878(明治11)年、札
幌市の生まれで東京帝国大学工学部機械工学科の卒
業です。明治38年に、なぜか官鉄には入らずに私
鉄・山陽鉄道に就職します。酒好きで大変な呑んべ
いだったそうですが、仕事はとてもよくできました。
のちに主要私鉄の国有化で彼も官に務めますが、
ある種の反骨精神が旺盛だったのでしょう。

 当時は山陽鉄道の営業キロ数は653.5キロ、
日本鉄道の1384.7キロに継ぐ大手でした。急
行列車や、食堂車、寝台車なども官鉄に先駆けてい
ました。急行列車は1895(明治28)年には神
戸-広島間を8時間56分という快速でした。官鉄
は新橋-神戸間を20時間5分だったので、これを
それぞれ表定速度でみてみましょう。

 表定速度というのは、途中駅の停車時間も含めて
走行距離を割ったものです。山陽鉄道の急行は33.
7キロメートル、官鉄は30キロメートルでした。
また、山陽鉄道に遅れること2年後に生まれた官鉄
の新橋-神戸間は急行で34.8キロメートルです。

 ところが、1903(明治36)年に走り出した
山陽鉄道の急行列車は「最急行」といったらしいの
ですが、神戸-馬関の間を11時間20分、表定速
度46.4キロという高速力のものでした。停車時
間や機関車への給水・給炭時間も入れての数字です
から、実際には60キロや70キロも出したに違い
ありません。

 その乗り心地は大変な揺れだったそうです。レー
ルは細いし、連結器もチェインとフック、ブレーキ
も効きが悪い、そういった悪条件でも山陽線の最急
行は走りました。のちに鉄道大臣になった仙石貢(
1857~1931年)も豪胆な人だったといいま
すが、当時は私鉄九州鉄道社長、決してこの最急行
には乗らなかったといいます。無茶苦茶な鉄道で育
ったのが結城弘毅でした。

▼現場に生きたエリート

 当時の帝国大学出身の工学士の技師といえばスー
パー・エリートです。結城は札幌生まれ、雪かきで
シャベルの扱いには自信がありました。現場に出て
機関車に乗り、石炭をくべる助手から鉄道修業を始
めます。ところが、これが上手くいきません。機関
車の缶には火床(かしょう)があって、そこに平均
に効率よく石炭をくべなくてならないのです。わた
しが子どもの頃には機関区には投炭訓練場があって、
機関助士はその技を磨いていたものでした。

 結城はその下働きを小学校卒の若者たちに混じっ
て続けます。1906(明治39)年には鉄道国有
法が出されて山陽鉄道は官鉄になりました。結城は
役人になりましたが、1907(明治40)年に長
野機関区に異動します。この機関区の担当地域は長
野県軽井沢から新潟県直江津まででした。

 この頃の鉄道は定時運転を守りません。時刻表通
りに運転されることはほとんどなく、1時間遅れが
当たり前という様子だったようです。それを結城は
改善します。時間よりは安全第一だと主張する機関
手に時間厳守を説き続けました。当時の機関車には
速度計などついていません。時刻表とにらめっこを
しながら時計を片手に、これと決めた目標である沿
線の樹木や建物を見ながら速度調整をしてゆきまし
た。こうして長野機関区での実績をもとに、名古屋、
大阪と転勤しながら定時運転を突き進めていった
のです。

▼超特急「つばめ」

 大正から昭和の戦前期、鉄道記者は花形の仕事で
した。そんな1人があるとき、鉄道省の運輸課長を
訪れました。課長は大阪から異動してきたばかりで
した。省の課長は高等官2等の勅任官、軍隊でいえ
ば少将にあたるような地位です。この新任課長とい
ろいろと質問をしている中で、記者は外国と比べて
のわが国の列車の速度の低さを話題にしました。

 すると東京-大阪間、いまの12時間余りを3時
間は縮めてみせようと課長は言うのです。記者は驚
きました。課長はすぐに隣の部屋の技師を呼ぶとす
ぐに指示を出します。「東京-大阪をノン・ストッ
プでゆく。機関車は新造しないでC51を使い、編
成は8輌。給水は止まらないで走りながらする。箱
根山の勾配(いまの御殿場線)は列車の走行中に補
機をつけて押す。外す時も走りながらだ」

 すると技師は計算した結果、9時間あまりになる
といいます。課長は、いや9時間なら神戸まで行け
る、大阪へは8時間だと再計算を求めます。計算を
やり直すと、ぴったり8時間で行けるとの返事にな
りました。驚く記者に結城課長は言います。2、3
日うちに試運転だ、こうして超特急つばめは誕生の
挑戦は始まりました。

 次回はこの「つばめ」について詳しくお話します。
今回のお話は、「国鉄」(青木槐三・1964年・
新潮社)と「機関車一〇〇年」(毎日新聞社・19
68年)を参考にしました。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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