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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」第28回です。
瀬戸内海西方に関するはなし。
興味深く拝読しました。
国防と鉄道は切っても切れない関係にあるのですね。
また目を啓かれました。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(28)
日露戦争へ
荒木 肇
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□はじめに
日清戦争の勝利のおかげで、かえって東アジアの
情勢は複雑化します。よく知られているのがロシア・
フランス・ドイツによる三国干渉です。わが国が条
約によって入手した遼東半島を清国に返還せよ、さ
もなければ3国は実力行使も辞さないという脅迫で
した。
「利益線」である朝鮮をどうするか、せめて朝鮮
は中立の姿勢を保って欲しいというのが、わが国の
立場です。ところが、三国干渉に悔しい思いで屈し
たわが国を軽んじ、ロシアに頼ろうとする姿勢を朝
鮮王朝はとります。明治28(1895)年には親
露勢力によるクーデター、それに反発した日本人に
よる「閔妃暗殺事件」も起きました。
明治29(1886)年2月にはロシア軍が仁川
に上陸し、漢城(現在のソウル)に進駐します。こ
のとき、国王はロシア公使館に保護を求めました。
そうして国王が宮殿に戻る1年間で、欧米列国は鉄
道、電信の敷設権、租界の設置などのさまざまな利
権を得てしまいます。
明治政府も東京―横浜間の鉄道敷設権を、うかつ
にもアメリカの領事館員に渡してしまうという事件
もありました。このときは交渉の結果、多額の違約
金を渡すことで国内最初の鉄道がアメリカ人の手に
渡ることを防ぎました。建設はしなくてよいけれど、
協力金は払わせられるは、開通後には運営権も取
られてしまう。大変なことなのですが、事情が分か
らない後進国の悲しさです。
▼歴戦の宮様・伏見宮貞愛親王
この明治29年はロシアで新しい皇帝が即位した
年です。新しいロシア皇帝は日本訪問中に滋賀県大
津で警戒中の警察官に斬りつけられて負傷したニコ
ライ2世でした。伏見宮貞愛(ふしみのみや・さだ
なる)親王殿下(陸軍大将・元帥、1858~19
23年)が天皇陛下の名代でモスクワの戴冠式に列
席され、随行の全権大使は山県有朋陸軍大将です。
貞愛親王は幕末の邦家親王の第14王子でした。
最近話題の皇族の復帰などで話題になっているの
で、ちょっと寄り道しましょう。伏見宮は世襲親王
家といわれた皇族です。親王というのは本来天皇の
直系の血筋になりますが、この世襲親王家は特別な
存在でした。幕末には4家あったので「四親王家」
と言われました。いまは評論家ですが、元竹田宮家
の方が、「天皇家の血の伴走者」という的確な表現
をされています。
伏見宮(ふしみのみや)、桂宮(かつらのみや)、
有栖川宮(ありすがわのみや)、閑院宮(かんいん
のみや)の4つの家を世襲親王家といいました。こ
の宮家の方々は古い昔に天皇家から分かれた方々で
すが、男系で継承され、親王号ももっています。そ
して、天皇家の血筋が絶えようとするとき、この親
王家から新しい天皇が即位されました。
幕末の伏見宮邦家(くにいえ)親王は子沢山な方
で、第8王子は小松宮彰仁親王(陸軍大将・元帥)、
第9王子は北白川宮能久親王(陸軍大将・台湾で
戦病死、幕末には上野寛永寺の輪王寺宮)、この他
に第16王子が閑院宮載仁親王(陸軍大将・元帥)
、第17王子が東伏見宮依仁親王(海軍大将・元帥)
というきらびやかさです。
ただ、貞愛親王はお飾りの高級軍人ではなく歴戦
の方でした。明治5(1872)年にのちの東京大
学になる大学南校(なんこう)に学び、翌年陸軍幼
年学校へ、8年1月に陸軍歩兵中尉になり、そのあ
と士官学校に第1期生として入校します。建軍当初
の混乱期で、いきなり中尉に任官し、その後に正規
の士官教育を受けるという形です。西南戦争には征
討総督本営付で従軍します。
明治14(1881)年少佐に、同17年に中佐
に進み、欧州へ派遣、帰国して近衛歩兵第4聯隊長
(大佐進級)、同25年少将に進み歩兵第4旅団長
です。日清戦争では威海衛攻撃の前衛司令官を務め
ます。同31年には中将、第10師団長です。だか
ら、このロシア皇帝の戴冠式の時点では陸軍少将で
した。日露戦争では第1師団長であり、南山の攻撃
で勇戦します。同37年6月、大将に進み帰国して
大本営付。
明治40(1907)年には英国に答礼大使とし
て差遣、3年後には英国王エドワード7世の大葬へ
参列。大日本武徳会、帝国在郷軍人会、済生会総裁
などを歴任します。
▼ロシア、遼東半島を租借する
山縣有朋はロシア外相と「日露議定書」を結びま
す。その中身は朝鮮独立の保証です。しかし、ロシ
ア外相は同時に清国欽差大臣李鴻章と露清密約を結
んでいます。なんとその内容は、ロシア・清・朝鮮
は協力して日本が攻撃してきたら連携して戦うとい
う攻守同盟でした。このときに、李鴻章は満洲を横
断するシベリア鉄道の敷設権をロシアに与えていま
した。
シベリア鉄道は、ヨーロッパ・ロシアと極東のウ
ラジオストクを結ぶ長い鉄道です。ウラジオストク
は「東方を支配せよ」という意味をもつ軍港の町で
した。わが国にとっては、北方の安全にたいへん関
わるところです。
さらに2年後、1900(明治33)年のことで
す。ロシアは北清事変(義和団の乱)をきっかけに
東清鉄道を保護するという名目で満洲を占領します。
そのうえ、遼東半島の南端の金州半島の租借を得ま
した。旅順や大連がロシアの土地になってしまいま
した。ここにわが国の利益線はあやういものになっ
てきます。
▼広島から西へ
当時の山陽鉄道は私有鉄道でした。路線が認可さ
れた時には、明治21(1887)年から13年6
カ月以内に広島-赤間関(下関)を完成させるとい
うものでした。期限は明治34年7月3日です。し
かも具体的な路線計画には「軍事上変更ヲ要スル儀」
もあるかもしれないから政府の指示を受けろという
条件が付いていました。
陸海軍が苦慮していたのは瀬戸内海の安全でした。
東側の紀淡海峡(紀州と淡路)は由良要塞、鳴門
海峡は鳴門要塞で守れます。西側は呉要塞と芸予要
塞で封鎖できますが、広島から下関までの海に入れ
る安芸灘(あきのなだ)、周防灘(すおうなだ)の
封鎖は難しいものでした。当時は九州と四国の間に
ある大分県の前面の豊後水道の防備は不可能だった
のです。
山陽鉄道は岩国と櫛ヶ浜(現在山口県徳山市)の
間は山間を通す。現在の岩徳線(がんとくせん)の
コースです。あとは海岸線に沿って路線を敷きたい。
工事費も安いし、沿線に都市が多く、旅客・貨物と
もに収益を上げやすいのです。
しかし、陸軍案は山間を通るものでした。廿日市
(はつかいち)から西に進み、友田、津田といった
山中横断コースで宇佐郷(岩国市)を通り、六日市
(島根県鹿足郡)、七日市(昭和31年六日市町に
編入)、大野原、柿木、下須といった当時の島根県
吉賀町を通り、左鐙(さぶみ)、瀧本、直地、津和
野(山陰の小京都といわれます、森鴎外や西周の出
身地)から山口を結ぶものです。地図で確かめても
深い山中を曲がりくねって、いくつもの峠を越すと
いった厄介な路線でした。
鉄道の監督をする鉄道庁も案をもっていました。
岩国から須々万(すすま・現周南市)を通って山口
に抜けるものです。いずれも長いトンネル、橋梁、
急勾配区間などの難工事が予想される長大なルート
です。私有鉄道が気安く請け負えるものではありま
せんでした。
次回は山陽鉄道の延伸を見てみましょう。この稿
については『鉄道と日本軍』(竹内正浩・2010
年、ちくま新書)(※)に依るところが多く、助か
りました。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(※)『鉄道と日本軍』
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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