配信日時 2022/03/23 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(26) 】東海道線優先へ   荒木肇

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当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
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こんにちは。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第26回です。


思わず

今のはなし?

と声が出ました。


さっそくどうぞ。


エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(26)

東海道線優先へ

荒木 肇

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□はじめに


 KYさま、いつもご愛読ありがとうございます。
今回も狭軌か広軌かに関わるご感想、たいへん有り
難く拝読しました。仰るとおりで、明治の中ごろに
標準軌(広軌)になっていたら、さまざまな想像が
できます。陸軍はこの頃、広軌化、複線化、海岸か
ら遠く離すことなどについて要求していました。今
回はその前提になったことも含めての内容です。



▼どんでん返しが起こった

 明治19(1886)年、新しい内閣制度のもと
鉄道局長官になった井上勝(いのうえ・まさる、1
843~1910年・長州藩出身)は、実際に中仙
道ルートの建設に着手してみると予定区間に多くの
難工事が予想されることを知りました。

その代表は、群馬と長野県の間の碓氷峠(うすいと
うげ)です。群馬県松井田町坂本と長野県軽井沢町
の間はなんと標高差で550メートルほどもありま
した。まともな鉄道で登りきれる勾配ではありませ
ん。鉄道は線路と車輪の間の摩擦抵抗で走ります。
平地では少しでも走行抵抗を減らす。ピカピカのレ
ール表面と円形の車輪を見れば分かります。それが
勾配になると、適切な摩擦が失われ空転してしまう
のです。昔の蒸気機関車にはそれを防ごうとしてレ
ールに撒くための砂を入れる箱がわざわざボイラー
の上に付いていました。

碓氷峠の後に開通した鉄路は勾配が1000分の6
6というものでした。水平に1000メートル進む
と66メートル登るという傾きです。目の前に1メ
ートル定規を置いて、片方を約7センチ上げてみる
と、たいへんな勾配だということが分かります。

 神奈川県箱根山は前にも書いた通り、御殿場を通
る迂回路は、急勾配もありましたが、機関車を2輌
にするなどの工夫で乗り越えることができるめどが
立ちました。最大の勾配は1000分の25でした。
先に述べた碓氷峠に比べると、およそ3分の1に
なります。

大きな川を越す鉄道橋も、これまでの技術の進歩の
おかげで経費もずいぶん安くすることができます。
中仙道コースに比べると、建設路線の長さは大きか
ったのですが、経費面も建設にかかる時日も小さく
なりました。

 1886(明治19)年7月13日に東海道線建
設を優先することを閣議決定、翌日には天皇陛下の
裁可を受けました。陸軍もまた、内務大臣だった山
縣中将がこれに賛成していたために中仙道ルートは、
いったん中止となったのです。

▼メッケルと陸軍

 クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル(
1842~1906年)は日本陸軍の父といわれま
した。プロシャのモルトケ元帥の推薦で、わが国に
1885(明治18)年にやってきます。彼の仕事
は広範にわたりました。明治16年にドイツ式軍制
の採用にあたって陸軍卿大山巌が招いたのです。


なお、この頃、「卿」という役職がありますが、わ
が国が太政官を廃止して内閣制度を採用したのは1
885(明治18)年のことでした。以後、各省の
長官を大臣とするようになりました。

 メッケルの提言のうち、よく知られているのが、
「日本国内は山が多く、道路の整備が遅れている。
砲兵隊がもつ火砲は馬が牽引する野砲より、分解し
て馬の背で運ぶ山砲が適している」といった装備の
ことでしょう。また、軍制については、「日本の師
団は歩兵、砲兵、騎兵、工兵、輜重兵といった諸兵
科連合の、欧州列国軍と比べて大型のものがいい。
欧州陸軍の軍団(師団2個で構成する)のようにし
たほうがいい」といったことが知られています。

 来日したのは東西両京を結ぶ幹線建設が盛んだっ
たころです。メッケルの意見はどうだったのでしょ
うか。また、メッケルの忠実な弟子であろうとした
陸軍の意見はどのように表明されたのでしょうか。

▼明治20年頃の国防像

 明治の陸軍は、その建設当初から海岸要塞を重視
してきました。これはおそらく陸軍主流だった長州
出身軍人たちが、軍艦対陸上砲台の戦いの苦い経験
から持ったものではないでしょうか。長州藩は幕末
に欧米を敵に回して無謀な攘夷戦を決行しました(
四カ国連合艦隊事件)。結果は射程の長い艦砲に時
代遅れの長州藩の海岸砲は一方的に撃ち負け、海兵
隊の上陸も許すといった経験をします。いまも、下
関の海岸砲台が占領されている画像が教科書にも載
っているくらいです。

 1887(明治20)年頃から、軍制改革は桂太
郎(1848~1913年)によって進められるよ
うになりました。彼はドイツ帰りで当時は陸軍次官
兼総務局長(のちの軍務局長)の職にありました。

この頃の、どのように国防の構想を描くかという議
論には3つの視点があったようです。元陸将補・黒
野耐は『帝国陸軍の〈改革と抵抗〉』(講談社現代
新書・2006年)の中で次のように紹介していま
す。

日本の国防の主体を陸軍にするか海軍にするか。
基本理念として、専守防衛に徹するか、海外に出て
脅威の芽を摘み取る外征重視、言葉を変えれば先制
攻撃にシフトするか。
専守防衛に徹するとしても、固定的防御(要塞など)
を主体とするか、機動的防御を主体にするか。

 なんとなく、近頃の話にも似ていると思えるのは
わたしだけでしょうか。いまも陸上防衛力たる陸上
自衛隊が主なのか、あるいは海上で敵を迎撃する海
自(制空権も重要なので空自も)の強化を優先させ
るか。国内戦を覚悟した専守防衛か、敵基地攻撃能
力を強化するか。そうしたことが当時の議論でもあ
りました。

150年前の状況に今も似ているのは、地政学的な
条件が変わっていないことが最も大きい理由なので
しょう。つまり脅威も変わりません。当時は何より
清帝国でした。

▼陸軍内部の対立

 曾我祐準(そが・すけのり、1844~1935)
陸軍中将という福岡県柳川藩出身の将軍がいました。
ほかに同志として有名なのが、谷干城(たに・たて
き、1837~1911年・土佐藩出身)陸軍中将、
三浦梧楼(みうら・ごろう、1847~1926年・
長州藩出身、奇兵隊士)前同、鳥尾小弥太(とりお・
こやた、1848~1905年・長州藩出身)前同
という人たちが挙げられます。彼らは1881(明
治14)年に憲法制定を急ぐべし、また北海道官有
物払下げ事件への弾劾という上奏文を出しました。
この行動が軍人の政治関与について大きな騒動を起
こします。

 この曾我は陸主海従という専守防衛論を展開しま
した。その要旨は、
「朝鮮や清は真の脅威にあらず。むしろシベリア鉄
道完成後のロシア帝国だ。世論はわが国は英国のよ
うな海国だから海軍重視というが、7000余里の
海岸線をすべて守るにはどれだけの軍艦が要るか。
列強でも東アジアに送れる兵力は1個軍団3万人を
超えることはない。だから防衛には常備軍9万、後
備軍6万という兵力があればいい。縦長の島国を守
るには敵の上陸を予想される港湾に堅固な防御施設
を造り、1000門の海岸砲を配備する。電信・道
路・鉄道などを整備すれば情報伝達が速くなり、兵
力の移動も可能になる」
 
 海軍の役目は「避難碇泊所」(天候等の状況で敵
艦隊が避難する)や「各海峡の交通路を閉塞」する
ことだ。これに連携して30余隻の軍艦を各島の間
に出没させ、敵艦隊の行動を妨害し、背後に出て兵
站を襲わせる。敵が上陸したら要点を防御し、内陸
への侵攻を阻止するといったものでした。

 鉄道を重視する。このことはドイツ派の山縣たち
も変わりません。加藤陽子氏のベストセラーになっ
た『それでも、日本人は戦争を選んだ』(2009
年、朝日出版社)には山縣たちが主張した「主権線」
と「利益線」について書かれています。主権線と
は国家の主権が及ぶ範囲であり、利益線は国家の存
亡に密接に関係する接壌地域の政治的・軍事上の状
態をいいます。この時代では朝鮮です。わが国の独
立を守るためには主権線を守るだけではなく、利益
線を防護して地勢上の有利な地点を押さえることに
あると考えたのです。

 対馬が危ないと言うのです。主権線の最前線に立
たされる対馬はどうなるのか。朝鮮が中立を守らな
くなったら、大変危険なのだということです。

▼メッケルの指摘

 メッケルは赴任から2年ほど経った明治20年初
め頃に「日本国防論」をまとめました。その要旨は
次の通りです。まず、敵が上陸したら、部隊をその
地点に集中して送り敵上陸軍を撃破する。その上陸
地点とは、良港またはその周辺のことです。

侵攻軍は、その港湾をおさえれば運送船でさらに兵
力や物資を送り込むことができます。そうして拡張
した基地を元にして長期戦にもちこみ、内陸への侵
攻を図るだろうとメッケルは言います。


いまは使われなくなった用語ですが、「元寇」を思
い出します。13世紀に海の向こうから巨大船団を
組んで蒙古・高麗軍はやってきました。博多湾に上
陸し橋頭保を建設し、大宰府方面に侵攻しようとし
ました。

メッケルは敵がその兵力を増加しようという前に、
迅速に大兵力を集中させるのが重要だといいます。
そのためには、「海軍が出撃するための時間を短く
し、混乱をなくす」、「全国の諸部隊の機動を自由
にする」、「鉄道と街道網の大いなる供用力の育成
を行なう」の3つが課題であると指摘します。

メッケルの具体策は、青森から下関を結ぶ「本州縦
断線」の建設です。その路線から東西の太平洋、日
本海両方への枝線も大切でした。その際に、この縦
貫鉄道は海岸線から離すことが大切だと言い、前年
に開始された東海道線建設方針にしっかりと反対を
しています。

▼東海道は危ない

 メッケルは言います。東海道では神奈川県藤沢と
同小田原の間が危険である。湘南海岸と西湘南とい
われる海岸線です。また愛知県豊橋と静岡県沼津ま
での海岸も危ない。合わせて200キロメートルに
ものぼる敵の上陸予定地点に鉄道があるなど許しが
たいとも主張しました。警備のために東京の第1師
団、名古屋の第3師団の兵力の多くが割かれること
を心配していたのです。

 岩手県盛岡と青森県青森の間も危険があるとメッ
ケルは指摘しました。旧奥州街道に沿った岩手県三
戸(さんのへ)村と青森県野辺地(のへじ)村を結
ぶルートは海岸線に近いということです。盛岡から
北上するには青森県弘前(ひろさき)町を目指し、
そこから東へ青森に伸びる路線を推奨しています。

 ただし、瀬戸内海の山陽線が海岸付近を通る予定
については、まったく反対はしていません。その理
由は、由良(ゆら・兵庫県淡路島)、鳴門(なると・
徳島県)、芸予(げいよ・広島県)、呉(くれ・
広島県)、下関(しものせき・山口県)などの要塞
が整備されていて瀬戸内海への敵艦隊の侵攻は難し
いからだということでしょう。

 次回は陸軍が広軌を希望していたこと、それがど
うして認められなかったかということを調べてみま
す。




(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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