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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
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こんにちは。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」第24回です。
鉄道ファンじゃなくても、
線路の幅のはなしは、実に面白いですね!
さっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(24)
広軌と狭軌の話
荒木 肇
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□はじめに
ウクライナ情勢はますます混迷を深めてきました。
そういう中で、わが国の核兵器の米軍との共有や、
防弾チョッキ、鉄帽、迷彩用のバラキューダなどの
物資送付が話題になっています。これらについての
反応がまた興味深いものがありました。
わが国は「非核三原則」を国是としているという
ことから、某野党の党首は「そういうことを考える
だけでいけないことだ」と言っています。やはり、
彼らの根源にあるのは思想統制であり、優れた者だ
けがリーダーになれるという思い込みです。そうい
う人たちが生まれることは驚くことではありません
が、権力をもたせることだけは止めるべきだと思い
ます。
共産党も某政調会長の女性が、いったん認めたも
のの、すぐに党内で異論が出たためか「軍需品の供
与は紛争当事国への武器供与にあたる」とたちまち
意見を変えました。これもかの政党の思想統制の厳
しさというか、彼ら彼女らの屁理屈でもなんでも主
張を通すといった体質がうかがわれます。
何を考えるのも自由、議論をするのが大切という
民主主義、自由主義の根本原則を認めない人々、そ
の存在は決して珍しいわけではありません。両方の
政党の支持者も10人に1人はいると考えると恐ろ
しくもなります。
▼ゲージの起こり
お若い読者もおられることと思い、工兵の軽便鉄
道や鉄道兵の歴史ばかりではなく、鉄道そのものの
お話をします。国際標準軌という見方がありました。
エンジン(機関車)が貨車や客車を引っ張る営業
用鉄道の最初は英国のスチブンソンが始めたといわ
れます。その線路の幅が、1435ミリ(4フィー
ト8インチ1/2)だったということです。
1フィートは12インチですから8インチはちょう
ど2/3になるのでキリがいいのですが、1/2イ
ンチが半端です。これにはいろいろな説があるよう
ですが、カーブの時にゆとりがあるように少し広げ
たという説が有力だといわれています。
この標準軌以外の各国の主なゲージは次の通りで
す。マレーやビルマ、タイなどはメーターゲージと
いわれる1000ミリメートル(約3フィート3イ
ンチ)、ロシアやフィンランドの1524ミリメー
トル(5フィート)、1600ミリメートル(5フ
ィート3インチ)はオーストラリア、スペイン・ポ
ルトガル・インドや南米の一部に見られる1676
ミリメートル(5フィート6インチ)などがありま
す。
もちろん、わが国の1067ミリメートル(3フ
ィート6インチ)が珍しいかというとそうではあり
ません。フィリッピンやインドネシア、ニュージー
ランド、ノルウェー、南米諸国、アフリカの各地、
インドやオーストラリアの一部などにもあります。
▼狭軌は準山岳鉄道だった
このように狭軌(標準軌よりも狭い)を採用した
国は、みな山が多い地形なのです。広軌の国々はた
いていが平原の広がる地域でした。山岳鉄道という
言葉もありますが、急な勾配を越え、長大なトンネ
ルを通り、多くの大小の川に橋を架ける準山岳鉄道
といっていいかと思います。
鉄道技術史に詳しい友人によると、標準軌ではカ
ーブするときには最低300メートルの曲線半径を
必要とするそうです。ところが、狭軌では最高でも
時速40キロメートルなら半径は100メートルで
よいと教えてくれました。
ところで世界最大の狭軌路線をもつのは南アフリ
カ共和国だそうです。もともとアフリカ大陸を南北
に貫いてエジプトから南アフリカまで鉄道を造ろう
としたのは一大植民地帝国だった英国だったようで
す。本来なら、輸送力といい、北アフリカの沿岸国
に合わせた標準軌が望ましかったのですが、問題は
南アフリカにありました。
海岸から標高1000メートルないし1500メ
ートルにも達する台地が切り立っていたのです。こ
れを鉄道が登り切るには、どうしても小さなカーブ
を連続させなければなりません。そこでやむなく、
3フィート6インチ(1067ミリ)を採用するこ
とになりました。英国では今でも「ケープ・ゲージ」
と呼ぶ人もいるそうです。ケープタウンのケープで
もありましょうか。
機関車マニアの方にはよく知られているでしょう
が、南アフリカ共和国の鉄道はガーラット型といわ
れる機関車が多かったところです。2台分の機関車
の走行装置、つまりシリンダー、フレーム、動輪や
ロッドの部分を1つの大きなボイラーの前後にボギ
ー台車のように取りつけたものでした。長所は急カ
ーブに強いことで、車輌重量も分散できて、細い、
軽いレールの上でも強い牽引力が出せます。わが国
ではこれは発達しませんでした。
▼鉄道の発展は軍用優先から
わが国の鉄道の発展期はというと、いろんな意見
が出るでしょう。そのいずれも十分に説得力があり
ますが、わたしは明治20年代後半、日清戦争(1
894・明治27年)の頃だろうと思います。それ
はそれまでに、幹線が全国の各師団や歩兵聯隊の所
在地を通るものになったということからです。
1890年代以降、軍隊は大陸を戦場にするとい
う大方針を立てました。外征軍の出発地は広島県の
宇品(うじな)になります。各地の聯隊から宇品ま
でどれほどの時間で移動できるかが最大の課題にな
りました。日露戦争(1904・明治37)年頃に
は、第1師団(東京)の部隊は50時間で、青森県
の弘前第8師団は94時間かけて宇品に着きます。
もちろん、東海道線・山陽線を使ってのことです。
途中には難所がいくつもありました。中でも「天下
の険」と歌われた箱根連山をどう越えるかが課題で
した。丹那トンネル(熱海から三島)は昭和9(1
934)年の開通ですから、明治・大正・昭和の初
めまでは東海道線は今の横浜・小田原・三島とは違
っていました。
神奈川県の国府津(こうづ)から汽車は北に進路を
変えて松田に向かいます。松田から山北を抜け、急
勾配を機関車は喘ぎながら登り御殿場へ抜けました
。これが今はローカル線になった御殿場線(国府津
と沼津を結ぶ)です。わたしが子どもの頃には、国
府津には大きな扇形機関庫があって、大型機関車D
52が並んでいました。また、今はすっかり寂れた
山北駅にも大きな機関庫があったものです。
▼京都と大津を結ぶ
新橋(当時の東京駅)から横浜(現在は桜木町)
までの鉄道開通は明治5(1872)年のことでし
た。政府は主要幹線をすべて官営にすると方針をも
っていました。鉄道の建設はなんといっても殖産興
業、中央集権にもっとも有効だと認識されていたか
らです。東西両京を結ぶ路線は何より重要とされて
いました。しかし、問題は財源がないことでした。
明治維新の総仕上げともいえる西南戦争(187
7年)が終わりました。翌年4月、内務卿大久保利
通の建議で起業公債を財源として、京都-滋賀県大
津、滋賀県米原-福井県敦賀の間の建設費と東京-
群馬県高崎間の建設費を調達することにします。
京都と大津の間の線路は1878(明治11)年
8月に始まりました。その距離は英国風に11マイ
ル26チェイン(約18.2キロメートル)です。
翌々年の7月15日には営業運転を始めました。
さて、その経路ですが、いまの東海道本線とはま
ったく違います。京都から南に、現在の奈良線を通
って稲荷(いなり・現京都府伏見区)の先で北東に
向かい大津に抜けました。当時の大津停車場は、現
在の浜大津駅になりました。現在の大津駅より琵琶
湖畔に近いところにあります。逢坂山(おうさかや
ま)隧道(ずいどう)は日本人による初めての手彫
掘りトンネルとして有名です。
次回は、陸軍が要求した中山道コースについて調
べましょう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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