米220301に配信したメルマガですが、
一部文字化けがあることを確認しましたので、
修正の上再送いたします。失礼いたしました。
エンリケ
───────────────────
ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
E-mail
hirafuji@mbr.nifty.com
WEB
http://wos.cool.coocan.jp
───────────────────
こんにちは、エンリケです。
短期連載「水雷艇「友鶴」転覆事件―その遭難から
入渠まで―」の4回目です。
「ドックマスター」に触れ合える機会なんて、
人生には、ほぼありませんよね。
これをきっかけに、
「海の常識」をわきまえた日本人であり続けたい
と強く感じます。
ありがたいことです。
エンリケ
追伸
本文はもちろんですが、
冒頭の「こぼれ話」も実にすぐれています。
海を知るプロでないと描けない空気、記述、こ
とば、知恵にあふれています。
「待てば海路の日和あり」
がテーマのきょうのはなしもそうです。
※おたよりはコチラから
↓
https://okigunnji.com/url/7/
───────────────────────
水雷艇「友鶴」転覆事件―その遭難から入渠まで―
(4)
一縷の望みを託して……
森永孝昭(ドックマスター・日本船渠長協会会員)
───────────────────────
□ドックマスターのこぼれ話
風にもいろいろあります。それを語りだすと、きり
がありませんが、人間から見た風には、「都合のい
いもの」と「悪いもの」があります。
日常生活には、いわゆる“そよ風”が洗濯物や自然
換気には好まれるものですが、船にとって風とは
“都合が悪いもの”とほぼ決まっています。もっと
も順風満帆という言葉があるように帆船にとっていい
風もあるでしょう。
造船所の船は修理中か建造中ですから、エンジンを
使って自力で動く、ということは絶対にできません。
そういうわけで離接岸と入出渠は、タグボート(
以下:タグ)が押したり引いたりして動かすことに
なります。ところが船は水に浮いていますから、風
の影響を受けやすく、水面上の面積が広くて風が強
ければ直ぐに流されようとします。
そういうわけで風がない時が一番安全に動かせます。
逆に強い時は、危険ですから動かしません。「そ
れでは一番悪い風は?」といいますと“中途半端な
風”なのです。「風が吹いているが、そんなに強い
風ではない」、具体的に心情を述べれば「やってや
れないことはないけど・・・イヤだなあ」程度の風
になります。
また「する、しない」の基準の風は一律に風速何メ
ートルという線は、なかなか引けないものです。そ
れは船の大きさ、仕事の難易度、風の性質によりケ
ース・バイ・ケースがあるからです。
昔の造船所は、スケジュールがタイトでしたから、
工程を守るため少々の風でも無理して船を動かして
いたものです。とは言っても、もの(風)には限度
があり、それを知っている者としては、周囲からの
プレッシャーという風に心は揺れ動いたものです。
もう30年ほど前の話になりますが、予報がまだ緻
密でなかった時代、風の予測は天気図と自分の経験
から判断するしかありませんでした。
その日は、やや強い風が吹いていたのですが、総合
的に判断して「風のピークは過ぎた、これで入渠は
可能」と決断したのです。予定船はVLCCといっ
て長さが300メートル以上もある巨大タンカーで
したが、風は徐々に弱くなると予報され、周囲も自
分もそのように思っていました。
さて錨地にいるこの船を、ドックに入れる作業です
が、錨地からドックまでは7000メートルあって、最
初4000メートルを水先人(パイロット)が、あとの
3000mをドックマスターが動かすようになっていま
した。そのタンカーは、入渠に備えてバラスト排水
も済んでいたので、プロペラの半分が水面から出て、
外舷も極端に高くなっていました。もちろんエンジ
ンは使えませんので、タグだけで動かすことになり
ます。
そして、いっしょに乗船した水先人が、いつもと変
わらない様子で、すぐに揚錨を開始しました。とこ
ろがなんと、錨が水面から上がったと同時に風の強
さが増したのです。風圧を受けた巨大船は、複数の
タグが一斉に全速で押しても動かないどころか、風
下へ急速に流されだしたのです。
そのうち航路のブイに、どんどん近づいて行くでは
ありませんか。このままではブイどころか陸地に激
突する、と脳裏によぎったのです。ところが、あわ
や“ブイに当たる”というところで、やや風が落ち
たのかタグが勝って、幸運にもブイから離れだしま
した。
しかしすぐにまた強風が吹きだしました。このとき
きっぱりと「この風では今日の入渠は無理です、中
止します」と口に出たのです。すでに水先人も船長
さんも風の脅威を見せつけられていましたので「さ
もありなん」ということになりました。
やっとのことで再び投錨して、事なきを得たのです
が、VLCCからタグに乗り移るころには、港内では珍
しく白波が立ち、長く伸ばした錨のチェーンはピー
ンと風上に張っていたことから風がさらに強まった
ことがわかりました。風のピークはまだ来ていなか
ったのです。
もしあのまま動かしていたら、タグの力では対抗し
ようもなく、港内のどこかに座礁したこと間違いな
かったでしょう。
ある程度の風はあったのですから、最初から“入渠
中止”としておけば、危険で無益な時間を過ごさな
くてもよかったと反省しました。そして“中途半端
な風は強弱どちらに転ぶのか”の判断は難しいもの
だと思い知らされました。
夜になって風は収まり、翌朝から始めた入渠作業は
静穏な中、何事もなく終了しました。
「待てば海路の日和あり」とは、このことだったの
です。
▼逡 巡
最初のドック要請は、曳航中の“龍田”からの12日
1650「生存者あり入渠の手配ありたし」であった。
佐世保海軍工廠(以下、工廠)に連絡が入ったとき、
工廠はドックのすべてが埋まっていることに気づい
た。
しかし工廠の決断は早かった。5号ドック(渠口幅
32m、長さ222m)にある雑役船をとりあえず出渠さ
せることに決定、直ちに注水を開始し、1945には港
務部を通して“龍田”に「入渠準備完成す、明朝
0700の高潮時を利用し入渠すべし」との連絡を入れ
たのは前項で述べたとおりである。
しかしこれは、ただ注水して雑役船を出渠させただ
けであって、“友鶴”が正転すればなんとか盤木
(ばんぎ)に据(す)えることは可能であるが、上
下逆転では据えられないのだ。
また佐世保鎮守府は、呉に配置している特務艦“朝
日”に白羽の矢を立て、早速12日1700、呉鎮守府に
“朝日”の派遣を依頼した。
“朝日”とは明治の旧式戦艦を武装と装甲とを撤去
し、大正14年に大改造を行ない潜水艦救難船となり
艦種も特務艦となったものである。“朝日”の外見
は異様であった。やたら大きな突起物(ブラケッ
ト)が、片舷2本1対となって両舷に飛び出してい
るのである。これは外舷に固定して取り付けた巨大
で頑丈なボートダビットのようなものだった。
あらかじめ片舷に、カウンターウェイトとなる重錘
船(廃艦の潜水艦)を吊るしておき、反対舷に対象
の沈没潜水艦を固縛する天秤方式で、わずかな動力
で浮上させることができるという仕組みとなってい
た。
“朝日”は、潜水夫11名、作業員60名と潜水用具を
はじめ必要物資を取急ぎ積み込み、依頼から10時間
後の13日0300に呉を出港して佐世保へ向かった。艦
の速力は8ノットなので、佐世保到着は14日昼頃に
なる予定である。
「港内でクレーンを使ってなんとか正転できないの
か」という意見があったが、佐世保港で手配できる
海上クレーンは、港務部の「自航式30トン起重機
船」であり、船体だけでも600トンはある“友鶴”
をわずか能力30トンのクレーンでは逆立ちしても無
理であった。
そのほか、潜水艦2隻で抱いて、いっしょに浮上す
る案もあったが、もともと自艦の浮力を限度とする
潜水艦では無理と判断されて却下となった。
一方現場では、曳船“第4佐世保”座乗の救難隊指
揮官である松野省三大佐は、伴走する“第6佐世保”
にいる工廠の安成造船大尉に無線で「水中マスト切
断可能か、水船で抱き船底切開救助は可能か」と、
問い合わせた。安成造船大尉は「マスト切断は可能
であるが、水船で抱いたまま船底を切開くことは危
険である」と即答した。
これを受けて、海底に突き当たり邪魔になるマスト
を切断して「転覆状態のままで入渠する方法しか、
人命救助の方法はない」と決まったのである。
そのことを前もって見越していた工廠は、渠底との
クリアランスを確認した上で、入渠方法と特別盤木
への反転据付図面を作成、12日の夜になったが、
この入渠案を鎮守府司令長官に提出、同意を得た。
このときの様子がつづられているので、次に一部を
取り上げる。
「元来、転覆せるままの船体を急速、特に夜間にお
ける入渠は甚だしき冒険なる計画なるも、人命救助
のためには船体を犠牲になすも止むを得ざるものと
信じ、本計画実施の決意をなしたるものなり」
海軍には多くの類似部署があるので混乱しないよう
に、ここで改めて整理し、現代の海上業務に便宜的
にあててみると次のようになる。
“友鶴”および第21水雷隊が「本船側」で、その所
属部隊の佐世保警備戦隊と佐世保鎮守府が「船主」、
艦艇全般の設計、造船計画などを行なう艦政本部
(東京)が「監督」となる。
港務部は繋留、出入渠、浚渫(しゅんせつ)、海標、
運輸、救難などが担当であるから、さしずめ、「曳
船、ドックマスター、サルベージの各業」となる。
当然ながら、工廠は「造船所」である。
▼庵 埼(港内錨地)
調 査
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
佐世保港内の庵埼に到着すると、生存者の確認のた
め船底くまなくハンマーを叩いてまわり内部からの
応答を息を呑みながら待ったが、船底のどの部分か
らも何の反応もなかった。
この時点(13日早朝)で転覆してから、すでに28時
間が経過し、御神島の南で生存者が確認されてから
も、すでに17時間が経過している。
昨日(12日)、港外で曳航索取替え作業中の1900に
は、船底からの反応は途絶えていたので、1927には
“龍田”の鈴木司令官から佐世保鎮守府に宛て「午
後6時15分までは艦内に生存者あること確実なれど、
以後艦内よりの信号絶え状況明かならず」と打電
し、生存者の絶望視をほのめかしていたのである。
曳船、水船、クレーン船、バージ、伝馬船、交通艇、
潜水夫作業船などがひしめきあって船底に押し寄せ、
各持ち場の作業者が、区画割りのマーキング、船体
にロープやワイヤの取付け、潜水作業の準備その他
を行ない始めた。
“友鶴”の船底に人が立ってみると、いくら小型の
艦艇といえども人間の感覚からしたら巨大で重量感
に満ち、如何ともし難いものを感じてか、昨晩から
持論をぶちまけていた海軍関係者たちも入渠しか方
法がないことをつぶさに理解した。
船底艦尾から艦首方向に目をやると、向かって左側
ビルジキール(横揺れ抑制用の船底両舷端にある縦
長のヒレ)は水面に近いが、右側は水面から1mほど
あったのでやや傾斜していることが見て取れた。
舵は右舷に切った状態である。ピトー管(船速計測
用の水圧検知管)部と左舷プロペラ軸の出たところ
から、少しずつ空気が漏れているのが確認できたの
で、時間が経てばやがて沈没することがわかった。
宇宙服のような潜水具をつけた何組もの潜水夫が、
命綱とエアーホースを伸ばしながら潜っていき調査
が始まった。
厳密にいうと所属により、港務部では「潜水夫」工
廠では「潜水工」と呼んだが、ここでは当時の一般
的な呼称であった「潜水夫」で統一する。
報告によれば、上甲板にある16ヶ所の昇降口の内
5ヶ所が開放してあった。また19ヶ所のベンチレー
ター、排気管、天窓、煙突類の内、実に18ヶ所が全
開であったが、舷窓は全部閉鎖してあった。
煙突は水防装置が無く二つの缶室に直結しているの
で、横倒しになったとき大量の海水が瞬時に流入し
たことは間違いないとされた。
入港時の開口部と閉鎖部の調査は、のちの浸水状況
の基本資料に必要なものであると共に、人命救助と
浮力増加のための空気や酸素の供給ルートの参考に
なるのである。
生存者確認
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
到着してからちょうど1時間後の0818、船底の意外
な箇所から生存者が確認された。そこは盲点であっ
た。プロペラ・シャフトの線がほぼ水面となってい
るが、その下の艦尾の水没部にも第4兵員室、第3
運用科倉庫、舵機室、発煙器室などの区画があった
のである。その2本のシャフト間の中心の真下の水
面下に、かなり強い船底殴打(おうだ)反応があっ
た。
生存者は、転覆し押し寄せる海水を避けて、第4兵
員室の床下にある第3運用科倉庫に上向きで逃げ上
ったに違いない。そこは二重底と居住区との間にあ
る構造上生じた区画であって、人間が存在できる空
間ではない。高さは最大で1.25mしかなく立つこと
もできない。幅3m長さ4mしかないスペースは、倉
庫として使用する以外にはないわけである。
第4兵員室は、最後部にある居住区である。そのさ
らに後方には、舵取機室と発煙器室しかない。鎧の
ような鈍重な潜水服を着ている潜水夫が、また潜っ
ていくと事前報告の通り、ハッチ蓋が垂れ下がって
開放となっている第4兵員室昇降口が見えてきた。
内部に水中電燈を突っ込み、恐る恐る潜水夫の一人
が昇降口から内部をうかがった。そこはそのまま第
4兵員室で、階段のステップが逆向きに覆いかぶさ
るように上にのびていた。
ステップの踏板を一枚一枚つかみながらであれば、
重力に逆らって奥へ行けそうな気がしたので、別の
一人が手伝って下から押し上げてくれたが、昇降口
をすり抜けられなかった。
見た目には人間がすり抜けられるのだが、ヘルメッ
ト式潜水装備は重厚で潜水具の両肩がハッチ幅より
大きいため頭部だけしか通らず、肩から下は通過で
きなかったのである。
乗員が逃込んだ第3運用科倉庫は、第4兵員室の真
下にあるので、潜水夫から見れば約2m上の本当は
床であるが天井のように見えるところにある。そこ
に倉庫のハッチが見えるが、当然閉ざされていた。
ハッチ扉が内外両方から開閉操作できるのが兵員室
(居住区)で、外からだけしか開閉できないのが倉
庫(物置)という明確な区画相違がある。したがっ
て、奔流してきた海水を避けて倉庫に逃込んだ乗員
は、内側から閉鎖する方法は取手をひたすら引くし
かなく、うまくいって取手にロープを結び、片方を
内部のどこかにくくり付ける以外に、固定する方法
はないのである。したがって、よほどの水圧がかか
らない限り、完全閉鎖にはならないだろうが詳細は
不明である。
いずれにしても、生存者が判明している第3運用科
倉庫のハッチに向けて空気が放出された。その他に
も生存者がいそうな区画に向けて次々と送気された
が、思いどおりに届いたかどうかは確かめようがな
かった。
マスト切断
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
“友鶴”は、入渠可能となるよう、手はず通りにマ
スト切断と艦橋上の一四年式2m測距儀台除去を最
優先で行なうこととなった。入渠予定の第5ドック
渠口の水深は、今日(13日)の1920満潮時で計算上
11.36mである。キールから測距儀台を除いた上部艦
橋の先までの高さ13.3mから現在の2mの浮上部を
差し引いた転覆吃水は11.3mである。11.36と11.3
であるから、わずか0.06m、つまり6cmの隙間しか
ないギリギリである。
前部マスト、後部マスト、測距儀台のほか盤木据付
上に支障がある後部の伝声管支柱なども取り除かな
ければならない。ただ煙突は艦橋より低いので関係
なかった。
前部マストは三脚になっているが、構成している各
パイプは数本がスリーブ連結の“嵌(は)めころし”
になっているので切断するしかなかった。
資料の中に「この気蓄器(ボンベ)は送気パイプが
合わなかったため、マスト切断用のニューマチック
ツール用に使用する」というくだりがある。ニュー
マチックツールとは圧縮空気を利用した工具全般を
いい、エアードリル、エアーレンチ、エアードライ
バーなどの空圧工具であり、このときはエアータガ
ネを使って切断作業をすることになった。
ヘルメット式潜水具では、ある水深で停止すること
は至難の技であり、超ベテランでなければ浮力調整
用の空気バルブの操作が意のままにできない。した
がって、潜水具のベルトに付いているフックを適当
な箇所に取り付けて沈まないようにし、かつ反動で
対象物から離れないように、体をベルトでマストに
固定しなければならない。
エアータガネを使って削(はつ)り切ることは陸上
でも熟練を要するが、それを潜水が専門の者が水中
で行なうのである。さらに引き金を引くごとに無数
の排気泡が立ちのぼって視界をさえぎり、かつ体は
フィットネスクラブのウエストマシンよろしく振動
するので、当然ながら作業能率は落ちることとなる
。
(つづく)
(もりなが・たかあき)
※森永さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。
↓
https://okigunnji.com/url/7/
【著者紹介】
森永孝昭(もりなが・たかあき)
1949年2月26日、佐世保にて誕生
1972年、長崎大学水産学部卒業
1972年、神戸、広海汽船 航海士
1982年、甲種船長免状(現:1級海技士)受有
1983年、佐世保重工株式会社 ドックマスター
2009年、定年、常勤嘱託ドックマスター
2020年、非常勤嘱託ドックマスター 現在に至る
実績:233隻の新造船試運転船長。延べ約6300隻の
操船(自衛艦、米艦、貨物船、タンカー、コンテナ
船、客船、特殊船など)
現在:一般財団法人 日本船渠長協会会員
過去の外部委嘱:西部海難防止協会専門委員、佐世
保水先人会監事
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こんにちは、エンリケです。
短期連載「水雷艇「友鶴」転覆事件―その遭難から
入渠まで―」の4回目です。
「ドックマスター」に触れ合える機会なんて、
人生には、ほぼありませんよね。
これをきっかけに、
「海の常識」をわきまえた日本人であり続けたい
と強く感じます。
ありがたいことです。
エンリケ
追伸
本文はもちろんですが、
冒頭の「こぼれ話」も実にすぐれています。
海を知るプロでないと描けない空気、記述、こ
とば、知恵にあふれています。
「待てば海路の日和あり」
がテーマのきょうのはなしもそうです。
※おたよりはコチラから
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水雷艇「友鶴」転覆事件―その遭難から入渠まで―
(4)
一縷の望みを託して……
森永孝昭(ドックマスター・日本船渠長協会会員)
───────────────────────
□ドックマスターのこぼれ話
風にもいろいろあります。それを語りだすと、きり
がありませんが、人間から見た風には、「都合のい
いもの」と「悪いもの」があります。
日常生活には、いわゆる“そよ風”が洗濯物や自然
換気には好まれるものですが、船にとって風とは“
都合が悪いもの”とほぼ決まっています。もっとも
順風満帆という言葉があるように帆船にとっていい
風もあるでしょう。
造船所の船は修理中か建造中ですから、エンジンを
使って自力で動く、ということは絶対にできません
。そういうわけで離接岸と入出渠は、タグボート(
以下:タグ)が押したり引いたりして動かすことに
なります。ところが船は水に浮いていますから、風
の影響を受けやすく、水面上の面積が広くて風が強
ければ直ぐに流されようとします。
そういうわけで風がない時が一番安全に動かせます
。逆に強い時は、危険ですから動かしません。「そ
れでは一番悪い風は?」といいますと“中途半端な
風”なのです。「風が吹いているが、そんなに強い
風ではない」、具体的に心情を述べれば「やってや
れないことはないけど・・・イヤだなあ」程度の風
になります。
また「する、しない」の基準の風は一律に風速何メ
ートルという線は、なかなか引けないものです。そ
れは船の大きさ、仕事の難易度、風の性質によりケ
ース・バイ・ケースがあるからです。
昔の造船所は、スケジュールがタイトでしたから、
工程を守るため少々の風でも無理して船を動かして
いたものです。とは言っても、もの(風)には限度
があり、それを知っている者としては、周囲からの
プレッシャーという風に心は揺れ動いたものです。
もう30年ほど前の話になりますが、予報がまだ緻
密でなかった時代、風の予測は天気図と自分の経験
から判断するしかありませんでした。
その日は、やや強い風が吹いていたのですが、総合
的に判断して「風のピークは過ぎた、これで入渠は
可能」と決断したのです。予定船はVLCCといっ
て長さが300メートル以上もある巨大タンカーで
したが、風は徐々に弱くなると予報され、周囲も自
分もそのように思っていました。
さて錨地にいるこの船を、ドックに入れる作業です
が、錨地からドックまでは7000メートルあって
、最初4000メートルを水先人(パイロット)が
、あとの3000mをドックマスターが動かすよう
になっていました。そのタンカーは、入渠に備えて
バラスト排水も済んでいたので、プロペラの半分が
水面から出て、外舷も極端に高くなっていました。
もちろんエンジンは使えませんので、タグだけで動
かすことになります。
そして、いっしょに乗船した水先人が、いつもと変
わらない様子で、すぐに揚錨を開始しました。とこ
ろがなんと、錨が水面から上がったと同時に風の強
さが増したのです。風圧を受けた巨大船は、複数の
タグが一斉に全速で押しても動かないどころか、風
下へ急速に流されだしたのです。
そのうち航路のブイに、どんどん近づいて行くでは
ありませんか。このままではブイどころか陸地に激
突する、と脳裏によぎったのです。ところが、あわ
や“ブイに当たる”というところで、やや風が落ち
たのかタグが勝って、幸運にもブイから離れだしま
した。
しかしすぐにまた強風が吹きだしました。このとき
きっぱりと「この風では今日の入渠は無理です、中
止します」と口に出たのです。すでに水先人も船長
さんも風の脅威を見せつけられていましたので「さ
もありなん」ということになりました。
やっとのことで再び投錨して、事なきを得たのです
が、VLCCからタグに乗り移るころには、港内で
は珍しく白波が立ち、長く伸ばした錨のチェーンは
ピーンと風上に張っていたことから風がさらに強ま
ったことがわかりました。風のピークはまだ来てい
なかったのです。
もしあのまま動かしていたら、タグの力では対抗し
ようもなく、港内のどこかに座礁したこと間違いな
かったでしょう。
ある程度の風はあったのですから、最初から“入渠
中止”としておけば、危険で無益な時間を過ごさな
くてもよかったと反省しました。そして“中途半端
な風は強弱どちらに転ぶのか”の判断は難しいもの
だと思い知らされました。
夜になって風は収まり、翌朝から始めた入渠作業は
静穏な中、何事もなく終了しました。
「待てば海路の日和あり」とは、このことだったの
です。
▼逡 巡
最初のドック要請は、曳航中の“龍田”からの12
日1650「生存者あり入渠の手配ありたし」であ
った。佐世保海軍工廠(以下、工廠)に連絡が入っ
たとき、工廠はドックのすべてが埋まっていること
に気づいた。
しかし工廠の決断は早かった。5号ドック(渠口幅
32m、長さ222m)にある雑役船をとりあえず
出渠させることに決定、直ちに注水を開始し、19
45には港務部を通して“龍田”に「入渠準備完成
す、明朝0700の高潮時を利用し入渠すべし」と
の連絡を入れたのは前項で述べたとおりである。
しかしこれは、ただ注水して雑役船を出渠させただ
けであって、“友鶴”が正転すればなんとか盤木(
ばんぎ)に据(す)えることは可能であるが、上下
逆転では据えられないのだ。
また佐世保鎮守府は、呉に配置している特務艦“朝
日”に白羽の矢を立て、早速12日1700、呉鎮
守府に“朝日”の派遣を依頼した。
“朝日”とは明治の旧式戦艦を武装と装甲とを撤去
し、大正14年に大改造を行ない潜水艦救難船とな
り艦種も特務艦となったものである。“朝日”の外
見は異様であった。やたら大きな突起物(ブラケッ
ト)が、片舷2本1対となって両舷に飛び出してい
るのである。これは外舷に固定して取り付けた巨大
で頑丈なボートダビットのようなものだった。
あらかじめ片舷に、カウンターウェイトとなる重錘
船(廃艦の潜水艦)を吊るしておき、反対舷に対象
の沈没潜水艦を固縛する天秤方式で、わずかな動力
で浮上させることができるという仕組みとなってい
た。
“朝日”は、潜水夫11名、作業員60名と潜水用
具をはじめ必要物資を取急ぎ積み込み、依頼から1
0時間後の13日0300に呉を出港して佐世保へ
向かった。艦の速力は8ノットなので、佐世保到着
は14日昼頃になる予定である。
「港内でクレーンを使ってなんとか正転できないの
か」という意見があったが、佐世保港で手配できる
海上クレーンは、港務部の「自航式30トン起重機
船」であり、船体だけでも600トンはある“友鶴
”をわずか能力30トンのクレーンでは逆立ちして
も無理であった。
そのほか、潜水艦2隻で抱いて、いっしょに浮上す
る案もあったが、もともと自艦の浮力を限度とする
潜水艦では無理と判断されて却下となった。
一方現場では、曳船“第4佐世保”座乗の救難隊指
揮官である松野省三大佐は、伴走する“第6佐世保
”にいる工廠の安成造船大尉に無線で「水中マスト
切断可能か、水船で抱き船底切開救助は可能か」と
、問い合わせた。安成造船大尉は「マスト切断は可
能であるが、水船で抱いたまま船底を切開くことは
危険である」と即答した。
これを受けて、海底に突き当たり邪魔になるマスト
を切断して「転覆状態のままで入渠する方法しか、
人命救助の方法はない」と決まったのである。
そのことを前もって見越していた工廠は、渠底との
クリアランスを確認した上で、入渠方法と特別盤木
への反転据付図面を作成、12日の夜になったが、
この入渠案を鎮守府司令長官に提出、同意を得た。
このときの様子がつづられているので、次に一部を
取り上げる。
「元来、転覆せるままの船体を急速、特に夜間にお
ける入渠は甚だしき冒険なる計画なるも、人命救助
のためには船体を犠牲になすも止むを得ざるものと
信じ、本計画実施の決意をなしたるものなり」
海軍には多くの類似部署があるので混乱しないよう
に、ここで改めて整理し、現代の海上業務に便宜的
にあててみると次のようになる。
“友鶴”および第21水雷隊が「本船側」で、その
所属部隊の佐世保警備戦隊と佐世保鎮守府が「船主
」、艦艇全般の設計、造船計画などを行なう艦政本
部(東京)が「監督」となる。
港務部は繋留、出入渠、浚渫(しゅんせつ)、海標
、運輸、救難などが担当であるから、さしずめ、「
曳船、ドックマスター、サルベージの各業」となる
。
当然ながら、工廠は「造船所」である。
▼庵 埼(港内錨地)
調 査
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
佐世保港内の庵埼に到着すると、生存者の確認のた
め船底くまなくハンマーを叩いてまわり内部からの
応答を息を呑みながら待ったが、船底のどの部分か
らも何の反応もなかった。
この時点(13日早朝)で転覆してから、すでに2
8時間が経過し、御神島の南で生存者が確認されて
からも、すでに17時間が経過している。
昨日(12日)、港外で曳航索取替え作業中の19
00には、船底からの反応は途絶えていたので、1
927には“龍田”の鈴木司令官から佐世保鎮守府
に宛て「午後6時15分までは艦内に生存者あるこ
と確実なれど、以後艦内よりの信号絶え状況明かな
らず」と打電し、生存者の絶望視をほのめかしてい
たのである。
曳船、水船、クレーン船、バージ、伝馬船、交通艇
、潜水夫作業船などがひしめきあって船底に押し寄
せ、各持ち場の作業者が、区画割りのマーキング、
船体にロープやワイヤの取付け、潜水作業の準備そ
の他を行ない始めた。
“友鶴”の船底に人が立ってみると、いくら小型の
艦艇といえども人間の感覚からしたら巨大で重量感
に満ち、如何ともし難いものを感じてか、昨晩から
持論をぶちまけていた海軍関係者たちも入渠しか方
法がないことをつぶさに理解した。
船底艦尾から艦首方向に目をやると、向かって左側
ビルジキール(横揺れ抑制用の船底両舷端にある縦
長のヒレ)は水面に近いが、右側は水面から1mほ
どあったのでやや傾斜していることが見て取れた。
舵は右舷に切った状態である。ピトー管(船速計測
用の水圧検知管)部と左舷プロペラ軸の出たところ
から、少しずつ空気が漏れているのが確認できたの
で、時間が経てばやがて沈没することがわかった。
宇宙服のような潜水具をつけた何組もの潜水夫が、
命綱とエアーホースを伸ばしながら潜っていき調査
が始まった。
厳密にいうと所属により、港務部では「潜水夫」工
廠では「潜水工」と呼んだが、ここでは当時の一般
的な呼称であった「潜水夫」で統一する。
報告によれば、上甲板にある16ヶ所の昇降口の内
5ヶ所が開放してあった。また19ヶ所のベンチレ
ーター、排気管、天窓、煙突類の内、実に18ヶ所
が全開であったが、舷窓は全部閉鎖してあった。
煙突は水防装置が無く二つの缶室に直結しているの
で、横倒しになったとき大量の海水が瞬時に流入し
たことは間違いないとされた。
入港時の開口部と閉鎖部の調査は、のちの浸水状況
の基本資料に必要なものであると共に、人命救助と
浮力増加のための空気や酸素の供給ルートの参考に
なるのである。
生存者確認
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
到着してからちょうど1時間後の0818、船底の
意外な箇所から生存者が確認された。そこは盲点で
あった。プロペラ・シャフトの線がほぼ水面となっ
ているが、その下の艦尾の水没部にも第4兵員室、
第3運用科倉庫、舵機室、発煙器室などの区画があ
ったのである。その2本のシャフト間の中心の真下
の水面下に、かなり強い船底殴打(おうだ)反応が
あった。
生存者は、転覆し押し寄せる海水を避けて、第4兵
員室の床下にある第3運用科倉庫に上向きで逃げ上
ったに違いない。そこは二重底と居住区との間にあ
る構造上生じた区画であって、人間が存在できる空
間ではない。高さは最大で1.25mしかなく立つ
こともできない。幅3m長さ4mしかないスペース
は、倉庫として使用する以外にはないわけである。
第4兵員室は、最後部にある居住区である。そのさ
らに後方には、舵取機室と発煙器室しかない。鎧の
ような鈍重な潜水服を着ている潜水夫が、また潜っ
ていくと事前報告の通り、ハッチ蓋が垂れ下がって
開放となっている第4兵員室昇降口が見えてきた。
内部に水中電燈を突っ込み、恐る恐る潜水夫の一人
が昇降口から内部をうかがった。そこはそのまま第
4兵員室で、階段のステップが逆向きに覆いかぶさ
るように上にのびていた。
ステップの踏板を一枚一枚つかみながらであれば、
重力に逆らって奥へ行けそうな気がしたので、別の
一人が手伝って下から押し上げてくれたが、昇降口
をすり抜けられなかった。
見た目には人間がすり抜けられるのだが、ヘルメッ
ト式潜水装備は重厚で潜水具の両肩がハッチ幅より
大きいため頭部だけしか通らず、肩から下は通過で
きなかったのである。
乗員が逃込んだ第3運用科倉庫は、第4兵員室の真
下にあるので、潜水夫から見れば約2m上の本当は
床であるが天井のように見えるところにある。そこ
に倉庫のハッチが見えるが、当然閉ざされていた。
ハッチ扉が内外両方から開閉操作できるのが兵員室
(居住区)で、外からだけしか開閉できないのが倉
庫(物置)という明確な区画相違がある。したがっ
て、奔流してきた海水を避けて倉庫に逃込んだ乗員
は、内側から閉鎖する方法は取手をひたすら引くし
かなく、うまくいって取手にロープを結び、片方を
内部のどこかにくくり付ける以外に、固定する方法
はないのである。したがって、よほどの水圧がかか
らない限り、完全閉鎖にはならないだろうが詳細は
不明である。
いずれにしても、生存者が判明している第3運用科
倉庫のハッチに向けて空気が放出された。その他に
も生存者がいそうな区画に向けて次々と送気された
が、思いどおりに届いたかどうかは確かめようがな
かった。
マスト切断
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
“友鶴”は、入渠可能となるよう、手はず通りにマ
スト切断と艦橋上の一四年式2m測距儀台除去を最
優先で行なうこととなった。入渠予定の第5ドック
渠口の水深は、今日(13日)の1920満潮時で
計算上11.36mである。キールから測距儀台を
除いた上部艦橋の先までの高さ13.3mから現在
の2mの浮上部を差し引いた転覆吃水は11.3m
である。11.36と11.3であるから、わずか
0.06m、つまり6cmの隙間しかないギリギリ
である。
前部マスト、後部マスト、測距儀台のほか盤木据付
上に支障がある後部の伝声管支柱なども取り除かな
ければならない。ただ煙突は艦橋より低いので関係
なかった。
前部マストは三脚になっているが、構成している各
パイプは数本がスリーブ連結の“嵌(は)めころし
”になっているので切断するしかなかった。
資料の中に「この気蓄器(ボンベ)は送気パイプが
合わなかったため、マスト切断用のニューマチック
ツール用に使用する」というくだりがある。ニュー
マチックツールとは圧縮空気を利用した工具全般を
いい、エアードリル、エアーレンチ、エアードライ
バーなどの空圧工具であり、このときはエアータガ
ネを使って切断作業をすることになった。
ヘルメット式潜水具では、ある水深で停止すること
は至難の技であり、超ベテランでなければ浮力調整
用の空気バルブの操作が意のままにできない。した
がって、潜水具のベルトに付いているフックを適当
な箇所に取り付けて沈まないようにし、かつ反動で
対象物から離れないように、体をベルトでマストに
固定しなければならない。
エアータガネを使って削(はつ)り切ることは陸上
でも熟練を要するが、それを潜水が専門の者が水中
で行なうのである。さらに引き金を引くごとに無数
の排気泡が立ちのぼって視界をさえぎり、かつ体は
フィットネスクラブのウエストマシンよろしく振動
するので、当然ながら作業能率は落ちることとなる
。
(つづく)
(もりなが・たかあき)
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【著者紹介】
森永孝昭(もりなが・たかあき)
1949年2月26日、佐世保にて誕生
1972年、長崎大学水産学部卒業
1972年、神戸、広海汽船 航海士
1982年、甲種船長免状(現:1級海技士)受有
1983年、佐世保重工株式会社 ドックマスター
2009年、定年、常勤嘱託ドックマスター
2020年、非常勤嘱託ドックマスター 現在に至る
実績:233隻の新造船試運転船長。延べ約6300隻の
操船(自衛艦、米艦、貨物船、タンカー、コンテナ
船、客船、特殊船など)
現在:一般財団法人 日本船渠長協会会員
過去の外部委嘱:西部海難防止協会専門委員、佐世
保水先人会監事
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(代表・エンリケ航海王子)
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