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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
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こんにちは。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」第23回です。
鉄道のはなしは面白いですね!
鉄道と言えば「豆相人車鉄道」を
知った時の驚きは忘れられません。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(23)
敵の鉄道打ち壊し
荒木 肇
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□はじめに
ウクライナへの侵攻が始まりました。不審なのは
ウクライナ軍の抵抗がまるで報道されていないこと
です。ああ、ウクライナは情報戦でも負けているな
と思います。ロシア軍のヘリや航空機がずいぶん低
いところを飛んでいる映像を観ました。携帯地対空
誘導弾ももってないのかなと思います。
それと戦車の数の多さです。さすが大陸国は違い
ますね。その点、わが国は陸続きではないので、あ
あした大戦車群に蹂躙されるということはないので
しょうが。状況を見守り続けるしかないようです。
心配なのは原油の高騰が起きて、連動する物価の上
昇でしょう。国際情勢の変化はどうにもなりません。
▼工兵志願の剛のもの
明治37年発行による「日本陸軍」という歌には
工兵のことを歌って「敵の鉄道打ちこぼし」という
詞が入っています。工兵の兵科の歌では、たしかに
「鉄路爆破」という言葉がありました。しかし、実
際には敵が爆破した線路や橋を復旧し、あるいは鉄
路を敷設して戦勝に貢献したことのほうが、はるか
に多かったと思います。
また、陸軍士官学校の若者が歌った「工兵志願の
剛のもの」という歌を紹介しましょう。まず、「顔
の色はセピヤ(焦げ茶色)とか、どこから見ても土
方(どかた)然」、いまは土方などという言葉は使
いませんが、もっぱら現場の工事をする人たちのこ
と。今なら建設作業員のことです。若い将校は先頭
を切って、炎天下でも穴を掘り、木を倒し、地面を
突き固める・・・そういった姿です。
航空についてもふれていて、「ファルマン式やグ
ラデ式、山田式がどうした」という言葉が四番にあ
り、山田式とは軍用気球や飛行船を開発した山田猪
三郎氏の開発したもののことでしょう。「架橋工事
に数学の摘要ひろげて首ひねる」とか、「三角解析
重学も一足行けばアカデミー」などとさすがに当時
の理系バリバリの若者らしいユーモアでした。
時代をうかがわせるのが、「昇進早い得あるとう
まいところへ気がついた どうせ名誉の少佐なら早
く大尉になるが良い」という8番です。大正時代、
兵科の階級ごとに定員があり、工兵は他兵科に比べ
て早く大尉になれたといいます。しかし、軍縮期で
もあり少佐に進んで予備役編入が普通だったのでし
ょう。どうせそうなら歩兵や砲兵より早く大尉にな
れた時代もあったようです。
▼鉄道と工兵
鉄道の作戦行動への貢献は大きいものでした。一
列車で運べる物資・人員の量は自動車中隊数個分、
あるいはそれ以上に相当します。自動車による輸送
は天候や、道路の状況に左右されることが大きかっ
たのですが、鉄道はあまりそういったことに気をつ
かわないですみました。また、機関車への補給も自
動車よりはるかに簡単でした。
ただし、線路は固定されているために、いったん
攻撃されると、機動力を発揮して退避したり、隠れ
たりすることがなかなかできません。また、線路や
橋梁、トンネルなどを破壊されるとその復旧にはた
いへんな手間がかかりました。
鉄道資材の所要量がはんぱなものではありません。
鉄道隊は一般の野戦工兵と異なり、特別な建設工
兵といわれます。建設現場はいまでも多くの資材で
溢れていますが、鉄道隊の作業現場も同じです。橋
を架けると言っても、荷重は自動車ならせいぜい数
トンの自重と、それに物資を加えても10トン未満
でした。
それが鉄道となると機関車だけで数十トンという重
さです。貨車も積載量だけで15トンが下限であり、
それらを支える橋梁は膨大な資材を必要としました。
しかし、それはほとんど現地調達をすることに
なっていたのです。鉄鋼材やセメントなどはほとん
ど集められず、砂利、木材、軽量の鉄線などで工夫
して作業を行っていました。いまも残る記録画像を
見ると、中国大陸の戦闘で鉄道が果たした大きな役
割がわかります。それを支えた工兵、そこから分か
れた鉄道兵の偉業が見えてくるのです。
▼鉄道のゲージ
鉄道大隊が初めて編成されたのは日清戦争後の1
896(明治29)年のことでした。翌年には軍用
鉄道材料整備について審議されました。まず、決め
なければならないのは、鉄道のゲージ(軌間)です。
ゲージとは車輪の間の距離をいいます。並んだ車
輪の中心を測って線路の幅も決まるのです。
広いものを広軌といい、狭いものを狭軌といいます
が、わが国は1872(明治5)年に新橋-横浜(
桜木町)に開通した路線のゲージは1067ミリで
した。なんで、こんな半端な数字だろうと思ってい
ましたが、英国式の表記では3フィート・6インチ
です。つまり、1フィートは12インチですから、
ちょうど3.5フィートなのです。世界的には現在
も1435ミリ(4.71フィート)が主流で、わ
が国の一部の私鉄や東海道・山陽新幹線などがそれ
にあたります。国際標準軌ともいわれ、より広い鉄
道を広軌といい、狭いものを狭軌と言ってきました。
ゲージの問題は鉄道設備全体に影響を与えるので、
大変、重要なものでした。線路を敷く路線のことを
軌道敷きといいますが、地を整地し、地面を固める
幅、深さ、枕木の規格などなど。さらには、プラッ
トフォームや駅の面積、並行する鉄道電線、トンネ
ル、橋梁などなど。当然、狭い方が経費は少なくな
ります。
明治の初め、鉄道建設を担当したのは大隈重信でし
た。大隈は肥前佐賀藩の出身で、その優秀さで新政
府の重職を歴任します。鉄道建設にあたり、彼の頭
の中には新政府の財力のことしか頭にありませんで
した。英国人技師にゲージを問われて、深いことも
考えず、とにかく安く建設したい、わが国は狭いの
だからということから、1067ミリという狭い数
字を選んだそうです。大隈の回顧録にもそう書いて
あります。
大隈という人は早稲田大学をつくったことでも知ら
れますが、たいへんバランスがとれた人なのでしょ
う。回顧録も率直に、自分の先見の明がなかったこ
とを悔やんでいたそうです。
まず、輸送量が少ない。貨車も客車も規格が小さく
なりますから積載量も減りました。また、中国大陸
に兵を進めれば、内地の車輌をそのまま持ち込むわ
けにはいきません。中国大陸の鉄道は欧米資本で建
設されたので、ゲージは1435ミリの標準軌間で
す。異なった規格のレールは使えません。陸続きの
欧州陸軍には必要ない苦労が、島国の鉄道隊にはあ
りました。
▼工兵の軽便鉄道
工兵隊が使う軽便鉄道のゲージは2.4フィート、
つまり600ミリメートルにしました。英国から
サドル・タンク型機関車2輌、3トン有蓋貨車(屋
根付き)3輌、無蓋貨車16輌を買い付けます。鉄
道先進国である現在から見れば信じられないことで
すが、当時はこの程度のものも輸入に頼りました。
強力な蒸気圧に耐えられるシリンダー(気筒)や、
駆動力を与えるピストンやロッド、真円形に車輪
を切削する装置や技術、みな輸入に頼った時代でし
た。
サドル・タンク型というのは石炭庫や水槽が缶の
両側に振り分け荷物のようにあるから名付けられま
した。サドルとは馬の鞍のことです。タンク型です
から、炭水車を引っ張るテンダー型のような大型で
はありません。レールのことを軌条といいますが、
全長2マイル(約3.2キロ)分を発注し、納入さ
れました。
1900(明治33)年には、双合型機関車5輌、
炭水車2輌、5トン積載の貨車20輌が鉄道大隊に
配備され、ドイツ式の鉄道隊の訓練が始まります。
双合型とは、2つの機関車が一体化して、前にも
後ろにも前面があるような機関車です。軍隊が敷設
する軽便鉄道には終点ごとにターンテーブル(転車
台)を造るゆとりはありません。どちらを前にして
も進めるという便利な機関車です。
日露戦争が集結した1905(明治38)年には、
さらに双合機関車が登場します。天野工場、日本車
輌株式会社、汽車製造株式会社などの国産貨車、八
幡製鉄所製のレールなどの国産品が登場します。
同時に手押し鉄道用の材料等が輸入されますが、こ
れは機関車使用の本格的軌道の前に進む、もっと簡
単なトロッコのようなものです。なお、多くの記述
は、佐山二郎氏の『工兵入門』(光人NF文庫・2
001年)にお世話になりました。
次回は台湾での手押し軽便鉄道の実用について調
べましょう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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