配信日時 2022/02/23 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(22)】 初めての着陸  荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第22回です。

草創期ならではの珍談が面白いです。
部外者や門外漢がこの種のはなしを知る機会は
まずありませんので、人生得した気分です。
貴重な限りです。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(22)

初めての着陸

荒木 肇

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□はじめに

 女性の活躍が目立ちました。もちろん、男子選手
たちも健闘され、成果を挙げてくれたのも嬉しいこ
とですが、スピードスケートの高木選手ほかの皆さ
んの大活躍。さらには同じ氷上競技ですが、女子カ
ーリングの素晴らしかったこと。あのロコ・ソラー
レの選手たちの喜怒哀楽を明らかにする競技中の態
度など、ほんとうに心を洗われるものでした。

 わが国の女性といえば、慎ましやかで控えめで、
表情は穏やかにという表向きの像が広まってきてい
ました。ところが、彼女たちは実に朗らかに、率直
に自分の気持ちを表しています。お互いに励まし合
い、失敗にもドンマイ、良いプレーにはナイスと声
をかけあっていました。
 
 ちょっぴり残念なことに惜しくも銀メダルでした
が、健闘を心から称え、感謝しています。

 これからも女性の元気が、この国を引っ張ってゆ
くぞと思わせてくれる活躍でした。


▼着陸が乱暴な教育部長

「絆創膏(ばんそうこう)を用意しておけよ」。先
輩たちからの声かけがありました。気球隊での偵察
教育も2カ月ほど経った7月中旬のことでした。大
格納庫から兵たちが12、3人で気球を運び出して
きました。気嚢の全部を頭部からすっぽりとバスケ
ットボールの網のように包んで、その最下部をしぼ
って4本の大綱にします。それに吊籠をぶら下げま
した。この全体を覆う麻製の綱を「覆綱(おおいづ
な)」と呼びます。

 吊籠の中には、砂嚢に砂をつめて、それが15、
6個ありました。籠の外側にも砂嚢がぶらさげてあ
ります。兵たちが手を離しても、籠は地上すれすれ
に浮くように調整するためです。教育部長と新藤少
尉が乗り込むと、籠の外側の砂嚢が外されます。こ
れで浮力が重量を上回ります。

「放せ」。部長、T少佐の号令で、兵たちはいっせ
いに手を離しました。気球はスーッと浮きあがり、
地上から300メートルほど離れると放出弁の綱を
引いて、気球頭部から水素を出します。上昇が止ま
りました。

「今日は、きみの初飛行だから、このあたりで練習
しよう」というT少佐。小さなシャベルで砂嚢の砂
を捨てると、気球はスーッと上がります。水素を捨
てれば降下する、慣性がついてなかなか止まらない
巨大な図体の気球。その意外な敏感さに新藤少尉は
驚きました。

▼もう、ここらで降りよう

 300メートルの高度で上がったり、下ったりし
ているうちに風に北に流されて、川越(埼玉県川越
市)をこえてしまいます。気球は風とともに動きま
すから、吊籠の中は無風です。7月の烈しい太陽に
照らされて汗びっしょりだったといいます。練習生
の新藤少尉は面白く、上昇、下降とやっていますが、
T少佐は暑さにすっかりうんざりしていました。

「もう、ここらで降りよう。着陸はわたしが操作す
るから、加減をよくおぼえておけ」。T少佐はそう
いうと周囲を見回し、着陸地点を探しだしました。
どこに降りるかが問題です。ちょうど1000メー
トルくらい前方に、武蔵野に特有の楢(なら)の雑
木林にかこまれた30メートルくらいの草地があり
ました。「よし、あそこだ」とT少佐はガスを抜き、
砂を捨てて調整しながら少しずつ高度を下げてゆ
きます。

 ところが、地上付近の風は意外と強いものでした。
雑木林のこずえが揺れています。地面に近づくと
気球は大きく流され始めました。このままの沈下速
度では空き地を通り過ぎるかもと、T少佐は思い切
って水素を抜きます。急に降下速度が速くなりまし
た。

「新藤、砂だ、砂だ」とT少佐は叫びます。吊籠の
中の砂をせっせと捨てました。それでも降下速度は
高まるばかり。えいっ!と砂嚢ごと放り出します。
「引きさき弁だ!」という少佐の叫び声。2人は赤
い綱を「えいや」と引きました。

▼500メートルの大バウンド

 とたんに吊籠はドシンと着地。2人は折り重なっ
て吊籠の中で尻もちをつきました。地面にぶつかっ
た反動で吊籠の重さは失われ、水素が全部抜けきれ
なかった気嚢は、また上昇します。吊籠は引っ張ら
れて雑木林のこずえをバリバリとなぎたおしながら、
500メートルくらいバウンドしました。

 2人はひたすら引きさき弁を引き続けます。そう
して、とうとうガスが全部ぬけて、ドシャンと吊籠
は横倒しになって雑木林の中に落ちました。そのと
たん、籠に残っていた砂を全身に浴びた2人は手足
に軽い傷を負ったくらいで、汗まみれの身体に砂が
粘りつくことが気持ち悪かったと新藤中佐は書かれ
ています。

「今日は、きみの初飛行だから、ちょっと乱暴にや
ったが、いつもは接地したか、せぬか分からぬくら
いに接地するんだよ」とT少佐は負け惜しみを言い
ます。

 近くの農家の人が駆けつけてくれて、後始末を手
伝ってくれました。気嚢をたたんで、吊籠の中に入
れて荷馬車を頼んで川越街道に出ます。川越街道は
東京と川越を結ぶ古くからの街道(現在の254号
線)で、そこからトラックを雇って夕方に所沢に戻
れました。


▼自由気球の面白味

 2回目はF中尉の指導で霞ヶ浦(茨城県)まで飛
びます。中尉は温厚で細心な人柄で、着陸も慎重そ
のものだったようです。はじめは龍ヶ崎(りゅうが
さき・茨城県)に着陸の予定でしたが、霞ヶ浦の東
岸、土浦と龍ヶ崎の中間付近に降りました。龍ヶ崎
は沖積平野と台地の町で地形も平らでした。F中尉
は上手に降りました。

 新藤少尉は気球の面白さに目覚めたそうです。毎
日でも飛んでみたいと思うほどでした。ところが訓
練は1回に3人が限度で、気球隊将校の練習が優先
され、なかなか番が回ってきませんでした。やはり、
毎日飛びまわれる飛行機の操縦者にならないとだ
めだと思ったそうです。

▼珍談も生まれた

 Y中尉は、所沢から南東の風に乗って、秩父(ち
ちぶ・埼玉県)の長瀞(ながとろ)付近に飛んだ時
のことでした。長瀞は秩父盆地を出た荒川(あらか
わ)が秩父山地を深くけずった渓谷です。西岸には
結晶片岩が露出した岩畳(いわだたみ)といわれる
岩石段丘があります。東岸は中国揚子江の名勝赤壁
(せきへき)にちなんで秩父赤壁といわれています。

 この荒川の断崖の下にある河原に降りようとした
のです。操作に誤りもなく、気球は順調に河原に近
づいてゆきます。「おーい。そこに降りるから、そ
の綱をつかまえてくれ」と河原の見物人に頼みます。
無風に近い時には、吊籠から20メートルくらい
の「降陸綱(こうりくつな)」というロープを降ろ
し、つかまえてもらって引きさき弁を使わずに着陸
することもできました。

 ところが断崖すれすれの高度までさがったときの
ことです。気流の関係で、気球はスーッと断崖に吸
い寄せられました。これはまずいとあわてて砂を捨
てたのが、さらに悪い結果を生んだのです。少し上
昇したので、崖の中腹から斜めに出た松の大木に気
球の覆綱がからまります。ガスを抜こうが、砂を捨
てようが気球はびくともしません。断崖の中腹に宙
ぶらりんになってしまいました。

 河原の見物人も川をへだてて手の出しようもあり
ません。このまま引きさき弁を引こうものなら吊籠
もろとも川に落ちてしまう。そこで、枝を切っても
らおうと、籠の中から「おーい、樵(きこり、林業
の専門家)を呼んできてくれ」と声をかけましたが、
観光客らしい見物人は樵がどこにいるかも分かり
ません。

 結局、地元の人が見つけてくれて樵を呼んできて
くれました。しかし、その待ち時間の長かったこと、
吊籠の中は絶対禁煙でした。巨大な水素の塊が頭
上にあるのです。見物人も地元の人も、地上では盛
大にぷかぷか煙草を吸っています。そのつらいこと
と言ったらなかったと先輩は話していたとのことで
した。

 次回は工兵の分化だった鉄道の話をします。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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