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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
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こんにちは、エンリケです。
「情報機関はインテリジェンスの失敗をどう克服し
てきたか」の三回目。
毎回知的興奮を覚えています。
インテリジェンス、最高です。
冒頭では、インテリジェンス業界で本邦初の出版案
内があります。お見逃しなきよう。
さっそくどうぞ
エンリケ
おたよりはコチラから
↓
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情報機関はインテリジェンスの失敗をどう克服して
きたか(3)
アメリカは真珠湾奇襲を知っていたか?
──ハワイは安全という思い込みが招いた失敗
樋口敬祐(元防衛省情報本部主任分析官)
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□出版のお知らせ
このたび拓殖大学の川上高司教授監修で『インテリ
ジェンス用語事典』を出版しました。執筆者は本メ
ルマガ「軍事情報」でもおなじみのインテリジェン
ス研究家の上田篤盛、名桜大学准教授の志田淳二郎、
そしてわたくし樋口敬祐です。
本書は、防衛省で情報分析官を長く務めた筆者らが
中心となり、足かけ4年の歳月をかけ作成したわが
国初の本格的なインテリジェンスに関する事典です
。
2017年度から小学校にプログラミング教育が導入さ
れ、すでに高校では「情報科」が必修科目となって
います。また、2025年の大学入学共通テストからは
「情報」が出題教科に追加されることになりました。
しかし、日本における「情報」に関する認識はまだ
まだ低いのが実態です。その一因として日本語の「
情報」は、英語のインフォメーションとインテリジ
ェンスの訳語として使われているため、両者の意味
が混在していることにあります。
一方で、欧米の有識者の間では両者は明確に区別さ
れています。状況を正しく判断して適切な行動をす
るため、また国際情勢を理解する上では、インテリ
ジェンスの知識は欠かせません。
本書は、筆者らが初めて情報業務に関わったころは、
ニード・トゥ・ノウ(最小限の必要な人だけ知れ
ばいい)の原則だと言われ、ひとくくりになんでも
秘密扱いされて戸惑った経験から、ニード・トゥ・
シェア(情報共有が必要)の時代になった今、初学
者にも分かりやすくインテリジェンス用語を伝えた
いとの思いから作り始めた用語集が発展したもので
す。
意見交換を重ねているうちに執筆賛同者が増え、結
果として、事典の中には、インテリジェンスの業界
用語・隠語、情報分析の手法、各国の情報機関、主
なスパイおよび事件、サイバーセキュリティ関連用
語など、インテリジェンスを理解するための基礎知
識を多数の図版をまじえて1040項目を収録する
ことができました。
当然網羅していない項目や、秘密が開示されていな
いため、説明が不足する項目、現場の認識とニュア
ンスが異なる項目など不十分な点が多数あることは
重々承知していますが、インテリジェンスや国際政
治を研究する初学者、インテリジェンスに関わる実
務者には役立つものと思っています。
『インテリジェンス用語事典』
樋口 敬祐 (著),上田 篤盛(著),志田 淳
二郎(著),川上 高司(監修)
発行日:2022/2/10
発行:並木書房
https://amzn.to/3oLyWqi
さて、今回は先回に続いて真珠湾奇襲におけるイン
テリジェンスの失敗に関しての考察です。少し長く
なりますが、お付き合いください。
▼日本軍の攻撃に関するマジック情報
日本軍による真珠湾奇襲の前から、ワシントンでは、
各種情報が集約され、その一部がハワイにも伝え
られていました。
戦後は、日本が宣戦布告の前に攻撃したのは、在ワ
シントンの日本大使館において、暗号を復元するの
に時間がかかったため、通告が遅れたとか、日本の
開戦にかかわる電報は、日本大使館から伝えられる
前にアメリカはすでに解読していたので、ルーズヴ
ェルト大統領の陰謀論の根拠だなどともされていま
す。
事実、大戦前に日本の外交暗号(パープル)は解読
されていたことが、戦後明らかにされています。日
本の解読された暗号情報はマジック情報と呼ばれ、
極めて限定した人にしか閲覧されていませんでした。
しかし、資料を閲覧できる高官も、資料を持ち返る
士官をそばに立たせたまま、ざっと目を通すだけだ
ったとされています。一般的に高官は忙しい訳です
からその情報提供も、すべてがタイムリーに時系列
通りに提供できるとは限りません。提供された方も
目を通すだけで、すべてを覚えているはずはありま
せんし、ましてやメモなど取れるわけがありません。
このように、ワシントンの本部においてもマジック
情報は、ごく一部の高官にしか知らされない秘密区
分の極めて高いものでしたので、ハワイの情報将校
レベルでは、マジック情報に基づく戦略的インテリ
ジェンスの入手は極めて制限されていたはずです。
では、アメリカが傍受・解読していた日本軍の攻撃
に関する電報はどのようなものだったのでしょうか?
日本軍の攻撃を示唆すると思われる電報としては、
デッドライン・メッセージ(期限情報)と呼ばれる
東京からワシントンの日本大使館(野村大使)に宛
てた6通があったとされています。その概要は次の
とおりです。
(1)1941年11月5日付 736番電報(極秘)
諸種の状況により、日本側の最後の外交提案(甲案
〔注1〕、乙案〔注2〕)を、今月25日までに完
結することが絶対的に必要である。これは困難な指
令と思われるが、現状にあっては不可避である。日
米関係を混乱状態に陥れることから守るべく、この
問題に偉大な決意と、惜しみない努力をもってこと
に当たられんことを乞う。当情報は、厳しく貴官の
みにて留めおかれたい。
(注1)甲案
(1)通商無差別問題(略)、(2)三国条約の解
釈及び履行問題(略)
(3)撤兵問題
・中国に派遣された日本国軍隊は、北支及び蒙彊の
一定地域及び海南島に関しては、日中間平和成立後、
所要期間(概ね25年を目途)駐屯。じ余の軍隊は、
平和成立と同時に日中間に別に定められたるところ
に従い、撤去を開始し、治安確立と共に2年以内に
完了。
・仏領インドシナの領土主権を尊重する。現に仏領
インドシナに派遣されている日本軍隊は、日中戦争
の解決、または極東平和の確立が達成されれば、直
ちに撤去。
(注2)乙案
アメリカが「甲案」を受け容れなかった場合に、交
渉を早急に成功させるために用意したもの。要点は、
資産凍結と石油禁輸の原因となった日本軍の南部
仏印進駐をとりやめ、日本軍が北部仏印に撤兵する
代わりにアメリカは日本の資産凍結と石油禁輸を解
除する、ということ。
さらには「備考」として、以上の取り決めが成立し
た場合には、日中和平成立あるいは太平洋地域の平
和確立のために軍を(南部仏領インドシナから)撤
退させることも日本はいとわない、というかたちで
妥協点を見出すもの。
(2)11月11日傍受(12日翻訳)
会議の進展状況から判断して、合衆国はまだ、極め
て危機的な現状に十分気づいていないと思われるふ
しがある。私の第736番電で述べた日限が、現状では
絶対動かし得ないものであるという事実には変わり
ない。これが確定期限であり、そのためにはそのこ
ろには、話し合いがついていることが第一である。
予定では、議会は11月15日に始まる。政府は会期中
に、その事例を示して今後起こるべき事態を判然と
描き出さなければならない。そこで事態はいよいよ
クライマックスに近づき、時間が急に足りなくなっ
てきていることがおわかりであろう。(中略)われ
われの最後の提案甲をアメリカが受け入れるや否や、
貴官の意見が聞かれるなら幸甚である。
(3)11月15日傍受
われわれが、変更された話し合いの事情について何
も述べなかったので、合衆国が、まだ予備的段階の
気持ちであったと言おうとしていることもうなずか
れる。事態がどうあろうとも、私が第736番電で述
べた日限が絶対的に動かし得ないものであることに
変わりはない。そこで、どうか協定の署名が日限ま
でにできるように、アメリカに納得させていただき
たい。
(4)11月16日付(11月17日翻訳)
ワシントンの野村大使から、日本はもう1、2ヶ月
忍耐して欲しいとの申し出に対し、東京は「貴殿の
払われた努力に対し、われわれが深甚の謝意を表し
ていることはおわかりいただきたい。だが、日本帝
国の運命が2、3日という細い糸にかかっているの
で、どうにか従前に勝る努力を願いたい。
私は、第736番電で、この交渉解決の日限を決定し
た。それに変更はないだろう。ついては、合衆国に
われわれの話をわきへそらさず、交渉をこれ以上遅
らせないようにしてほしい。われわれの提案に基づ
いて、アメリカを解決へと促し、即刻解決がもたら
されるよう最善を尽くされたい。
(5)11月22日付け(同日翻訳)
第736番電で設定した日限変更を考慮することは、
恐ろしく困難である。(中略)われわれがなぜ25日
までに、日米関係を落着させたいと願っているか
には、貴官方の予断を許さぬ理由があるのであるが、
もしその後3、4日以内に貴官がアメリカ側との話
し合いを終わらせることができ、29日までに(29日
と大書させてもらうが)署名を完結でき、関係書類
を交換させることができ、かつイギリス及びオラン
ダとの了解を取りつけることができるならば、その
日限まで待つことに決定した。今度は、この期限は
絶対的に変えることはできないということである。
それ以降、事態は成り行きにまかせられるであろう。
(6)11月24日(期限情報最終返信)
東京発ワシントン大使宛「11月22日付通信で定めら
れた日限は東京時間である」
このように、関連電文だけを時系列に抽出して並べ
てみれば、事態はかなり切迫しており、1941年11月
29日(日本時間)を最終期限として日本が強硬な措
置をとり、最悪の場合は戦争となることは十分に分
析できるものと思われます。それでも、これらの電
報からは29日以降のいつ攻撃されるかの具体的な攻
撃時期は分かりません。
また、電報からは、日本側が外交交渉により戦争を
避けたいと必死になっているのに対しアメリカ側は
日本との交渉に表面上本腰を入れているような状況
はうかがえません。
このような日本の本国と駐米日本大使館とのやり取
りを把握し、日本の手の内を見透かしながら、アメ
リカ政府は、11月27日(日本時間)「ハル・ノート」
を野村大使に手交しました。その結果を受けて日本
政府は12月1日の御前会議において、アメリカ・イ
ギリス・オランダとの開戦を正式に決定しました。
▼開戦直前の「戦争警報」
当時、米中枢が上記のデッドライン・メッセージも
含め総合的な情報から日本の行動をどのように見積
もっていたかは、以下のような各艦隊司令官など宛
てに出された電文から読みとることができます。
○11月27日2337時
海軍作戦本部長から宛アジア艦隊司令官、太平洋艦
隊司令長官へ
「本電報を戦争警報と見なすべし。太平洋の状況安
定を目指した対日交渉は終わり、数日以内に日本の
侵略行動が予想される。日本軍の兵力、装備及び日
本海軍機動部隊の編成は、フィリピン、タイ、また
はクラ地峡(マレー半島)、あるいはたぶんボルネ
オに対する上陸作戦を示唆している。
第46号戦争計画に定める任務遂行に備え、適切な
防衛配備を実施せよ、地域部隊及び関係陸軍部隊に
通報せよ。陸軍省にも同様の警報が送られる。特別
情報官は、イギリスに通報せよ。米本土、グアム、
サモアはサボタージュ(注3)に対し適切な処置を
取れ」
(注3)工作員や、地下運動家などによる破壊・妨
害活動
この戦争警報から米軍の中央司令部は、11月29
日以降、日本軍が東南アジア方面に南進し、それに
呼応して米本土、グアム、サモアの主要な施設に対
してサボタージュの可能性があると見積もっている
ことがわかります。
グアム、サモアは、サボタージュを警戒するよう注
意喚起されていますが、ハワイについては地名があ
がっていません。
▼真珠湾奇襲を示すヒューミント
シギントのほかに、日本が真珠湾奇襲を行なうであ
ろうというヒューミントも存在しました。
1941年1月、在日ペルー公使の耳に日本軍の真珠湾
奇襲に関する噂が入ってきました。その件は、米大
使館員を通じグルー在日駐米大使にも伝えられまし
た。
1月27日、グルー大使は米国務省に「ペルー人の私
の友人が日本人を含む多数の筋から、日本軍はアメ
リカと開戦の場合、その軍事力を総動員して真珠湾
に対して大規模な奇襲を加える計画を持っていると
いう話を聞いた旨、私の部下の1人に語った。彼は
さらに、この計画は空想的なものに思えるが、あま
りにも多くの筋からこの話を聞いたので、急いでこ
の情報を伝えなければならないという気になった」
と暗号係に打電させました。
この電報は2月1日には、ハワイのキンメル海軍大
将のもとにも届けられました。しかし、中央の海軍
情報部は、その情報について次のような評価を付け
加えていました。
「海軍情報部ではこれらの噂に信用をおいていない。
さらに、現在における日本海軍部隊の配置と運用
に関し、知り得た情報から判断すれば真珠湾に対す
る差し迫った動きは見られず、また予想しうる将来
のために、それを計画したという事実もない」とい
うものでした。
この評価を書いたのは、日本通の海軍情報部の極東
課長アーサー・H・マッコラム中佐でした。
日本に長く住んでいたことがある彼にとっては、
日本軍の真珠湾奇襲という発想は新鮮味がありませ
んでした。なぜなら、それは過去約10年間にわた
りハワイ防衛に関して米海軍が行なうウォーゲーム
のシナリオであったし、ここ数年間、日本において
真珠湾攻撃を主題にした小説が流行っていることを
知っていたからです。
しかし、もう1つのヒューミントがあります。これ
は、ドゥスコ・ポポフという、イギリスが運用する
二重スパイが入手したものです。
イギリス情報部は、ポポフにドイツ側のスパイとし
て活動してドイツ側の情報をイギリスに知らせるよ
うに命令を与えていました。
イギリスの情報機関は「ポポフに対するドイツ側の
指令書(注4)の真珠湾に関する箇所は極めて詳細
で、具体的であり、したがって、もしアメリカが参
戦したならば真珠湾が第一撃の目標になることは十
分に察知された。日本の攻撃準備が1941年8月の段
階でかなり完成に近づいているのは明瞭だ」と分析
しました。
(注4)1941年7月のポポフに対するドイツ側から
の指令の中には、ハワイのオアフ島における武器弾
薬庫の位置、飛行場の位置、真珠湾の艦船停泊位
置・防潜網の状況・水深などの詳細な調査指令書が
あった。
その件を、ポポフを通じてイギリスはアメリカに政
府に伝えましたが、米政府はなんの関心も示しませ
んでした。
なぜなら、フーバーFBI長官が、二重スパイとい
う精神構造とポポフの言動に疑念を持っていました。
つまり、プレイボーイの異名を持つポポフを信用し
ていなかったからです。ポポフは、のちに007シリ
ーズでおなじみのジェームス・ボンドのモデルの
1人ともされています。
日本軍が真珠湾を攻撃するというヒューミントは、
グルー駐日大使およびポポフからアメリカ政府に提
供されていました。
正しい情報でしたが、報告された時点ではアメリカ
の情報機関に適切に評価されませんでした。
真珠湾奇襲が周知の事実である現在において、日本
軍の行動に関するインフォメーションを前述のよう
に抽出して並べれば、時期的には日本軍が南方にお
いて1941年の11月末以降に攻撃するであろう
ということは容易に予測できるように思われます。
さらに、日本やイギリスからのヒューミントなども
含めて分析すれば、なぜ「日本軍が近々真珠湾を攻
撃する」という仮説が立てられなかったのかとも批
判できるでしょう。
しかし、ヒューミントは、どこから、誰から得るか
によって大きく評価が分かれるのです。
さらに、多くの相反するノイズ(関連インフォメ
ーション)の中からシグナル(重要なインフォメー
ション)を見つけるのは大変な作業です。すでに、
1941年の秋には膨大な情報が情報部に集約され、そ
の処理がすでに困難だったことが記録されています。
また当時、秘匿性の高いマジック情報のすべてに目
を通す人は極めて限られていました。保管も厳密に
されており、配布された写しは、翻訳部へ返される
とすぐに廃棄され、わずかに陸海軍に一部ずつ保存
されただけだったのです。
戦時になれば、情報部にも人員が充当されますが、
平時において多くの人員や優秀な人材を充当するこ
とは、前回の号でも説明した当時の情報要員の地位
を考えれば、困難なことが容易に想像できます。
われわれが後知恵的に、重要で正しい情報のみを分
類して客観的に判断できるような状況では全くなか
ったと考えられます。
▼ハワイは安全だという各種バイアス
その他に分析を誤らせる要因としては、軍や政権の
上層部が、ハワイは安全だとの思い込み(バイアス)
が挙げられます。
そもそも、当時の国力(GNPはアメリカが日本の
10倍以上)から合理的に判断すれば、日本がアメ
リカに本格的に戦いを挑むことなど考えられません
でした。アメリカ側には仮に日本と戦争になっても
日本軍には大した能力はなく、簡単に倒せるとの思
い込みもありました。
たとえば、当時のアメリカ人のアジア人蔑視はひど
く「日本人は体格が悪く、出っ歯で、しかも視力が
低いときているので夜間戦闘は不可能である。また
高度な機械の操作も難しい。白人は本質的に優秀な
のである」という意見がありました。
その他にも「ある海軍関係者によると、誰もが認め
ていることだが、日本人は勇敢ではあるもののパイ
ロットには不向きである。総じて近視が多い上に、
内耳に人種的欠陥があるのがその理由である。この
欠陥のためにバランス感覚に問題がある。日本兵は
片目をつぶることができないので射撃ができない」
などの偏見もありました。
ルーズヴェルト大統領とマーシャル陸軍参謀総長で
すら「アメリカ人1人は、日本人5人に相当する。
たとえ奇襲攻撃が行なわれても、大した損害を受け
ないで撃退するだろう」と語っていたとされるほど
です。
戦術上のバイアスもありました、当時は海戦にお
いては、水上艦隊決戦が主で、航空主兵では戦えな
いとの認識が優勢を占めていました。列強で空母を
保有していた国々の1作戦の用兵単位は、せいぜい
2隻が妥当だと考えられていました。
仮に空母2隻による攻撃があると見積もった場合、
赤城(63機)と加賀(70機)の艦載機の合計は
133機。それに対し、ハワイの陸上基地と空母の
航空機は合計約500機であり、適切な時期に警報
さえあれば十分対応可能と考えられました。しかし
実際には、日本海軍は6隻もの空母を用兵し、計3
50機の航空機を運用しました。
技術に関するバイアスもありました。真珠湾は水深
が浅く、艦船を沈めるのに有効な航空魚雷が使えな
いというのが定説でした。当時の航空魚雷は海面下
60メートルまで沈んだあと、浮上して標的を目指
すが、真珠湾は水深12メートルしかないため、魚
雷が海底に突き刺さってしまい効果がないというの
が技術的常識でした。
しかし、日本海軍は浅深度魚雷を開発するとともに、
海面すれすれに飛行し、標的の500メートル近くま
で接近して魚雷を投下し攻撃を成功させるという技
も磨いていました。
人間には古い信念に執着し、自分たちをまどわす新
しいものには執拗に反対するという現状維持バイア
スもあります。情報収集者や暗号解読者たちも同じ
ようにバイアスに陥ります。
したがって、当時アメリカの10分の1の国力しか
ない日本が攻めてくる合理性はないとする仮説に合
致するインフォメーションのみを選択・採用しがち
で、新たな仮説につながるインフォメーションを見
逃す傾向があったとしても何ら不思議ではありませ
ん。
▼まとめ
ハワイにおいては真珠湾奇襲の前に統合の見積もり
はあり、しかも極めて妥当な分析でした。1941
年の初めころには、日本軍が攻撃するかもしれない
というシギントやヒューミントも逐次入ってきてい
ました。
日本の空母機動部隊の活動は、完全に秘匿されてい
ましたが、航空攻撃前には真珠湾口付近で国籍不明
の潜水艦が発見されたり、陸軍のレーダーが大規模
の航空機を捉えるなど、いくつかの兆候はありまし
た。戦後明らかになった情報をみても早い段階で、
日本軍が攻撃を仕掛ける時期や場所を予測するのは
困難だったと思われます。
しかし、少なくとも奇襲の数時間前には、警戒レベ
ルを上げ、奇襲に迅速に対応できていた可能性はあ
ります。
インテリジェンスの失敗という観点からみると、真
珠湾奇襲が判断できるような情報や兆候はあったに
もかかわらず、それらを軽易に陸・海軍で情報共有
したり、取りまとめるシステムや組織が機能しなか
った、または、なかったということが言えます。
さらに、当時の情報要員の地位は低く、長年勤務す
ることが一般的ではなかったため、分析能力も不十
分だったと考えられます。
さらに、情報要員だけでなく、作戦部門の人も含め
て共通的に陥っていた問題点は、バイアスだと思い
ます。つまり、ハワイは日本からは遠く離れ、地理
的に安全で、仮に攻撃があるとしても大規模な艦隊
を接近させねばならず、その兆候を掴めば十分に対
応ができると考えていた思い込みや油断が多くの人
にあったと考えられます。
当然、現地指揮官にもその油断はあったと思います。
戦争から50年後の1995年、真珠湾攻撃時の米太平洋
艦隊司令官キンメル大将とハワイ陸軍司令官のショ
ート中将の遺族らは、真珠湾攻撃を予測できず「職
務怠慢」を理由に降格された名誉を回復せよという
訴えを起こしました。
「ワシントンの軍の司令官たちは、日本がすぐにで
も攻撃してくるかもしれないと示唆する情報部の報
告を知っていたのに、現場に伝えなかった」という
のが主な理由です。
それを受けてドーン国防次官を委員長とする真珠湾
調査委員会が組織され、調査が開始されました。
1999年4月、共和党のウィリアム上院議員らによ
って2人の名誉回復を大統領に求める共同決議案が
提出されました。
議論の末に僅差で議会を通過しましたが、クリント
大統領もその件を引き継いだジョージ・W・ブッシ
ュ大統領も決議案に署名をせず、結局両将軍の名誉
は正式には回復されていません。
この名誉回復問題は、現職大統領としては、当時の
戦争指導者たちの誤りも認めなければならないとい
う政治的な側面も含んでいるためインテリジェンス
の観点からだけでは語れません。
また、当然インテリジェンスにも大きな失敗は、あ
ったものの現地の指揮官にももう少し対応の余地が
あったのではないかという問題も含んでいると思い
ます。
このようにインテリジェンスの問題は、政策や作
戦サイドの問題と密接に関係していることが多いの
です。
真珠湾における奇襲を受けて、このような戦略的
奇襲を防止するため大戦後のアメリカは本格的措置
をとるようになります。
次回からは真珠湾奇襲から60年後、第2の真珠
湾攻撃と表現されることもある9・11テロにおけ
るインテリジェンスの失敗について考察していきた
いと思います。
(つづく)
(ひぐちけいすけ(インテリジェンスを日常生活に
役立てる研究家))
樋口さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。
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【著者紹介】
樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。
NPO法人外交政策センター事務局長。元防衛省情報
本部分析部主任分析官。防衛大学校卒業後、1979年
に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議事務局(第2
幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。陸上自衛隊
調査学校情報教官、防衛省情報本部分析部分析官な
どとして勤務。その間に拓殖大学博士前期課程修了。
修士(安全保障)。拓殖大学大学院博士後期課程修
了。博士(安全保障)。2020年定年退官。著書に
『国際政治の変容と新しい国際政治学』(共著・志
學社)、『2021年パワーポリティクスの時代』(共
著・創成社)、『インテリジェンス用語事典』(共
著・並木書房)
▼きょうの記事への、あなたの感想や疑問・質問、
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