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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
短期連載「水雷艇「友鶴」転覆事
件―その遭難から入渠まで―」の2回目です。
海をよくご存じだからでしょう、
非常事態に遭遇した友鶴の姿を読みながら、
胸が締め付けられる痛みを覚える記述です。
きょうからはじまった冒頭文
「ドックマスターのこぼれ話」は実に新鮮です。
三角波の恐ろしさは耳にしたことありますが、
書かれている海の常識、知識、恐ろしさは広く深く
わきまえておきたいですね。
学生時代に学んだ「モーメント」のことを思い出し
ましたw
それにしても、海はいいですね。
いいところも怖いところも含めて大好きです。
エンリケ
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水雷艇「友鶴」転覆事件―その遭難から入渠まで―
(2)
暗闇に消えた僚艦
森永孝昭(ドックマスター・日本船渠長協会会員)
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□ドックマスターのこぼれ話
ドックマスターをやっていますと、それなりの体験
談をつづってみたいと思いますが、今回は海の猛威
についてちょっとだけ語ってみたいと思います。
戦後20年も経つと、日本は高度成長期の真っただ
中に突入していました。そのとき日本は造船、海運、
船員と三拍子がそろった、世界にも稀有な海運王
国となっていたのです。日本で建造した日本籍の船
に日本人船員が乗り込んで、世界の海と港に日の丸
が翻った時代となりました。そして各地から天然資
源を輸入し、そこから高性能の製品を生産し、世界
中に輸出して国内の産業は飛躍的に発展していきま
した。
そんな時、こともあろうか1969年、1970年と立て続
けに、同じ冬季の東京湾到着にあと1日という海域
で悲劇が起こったのです。それも外国から原料を運
んでいた200mを超す巨大船だったのです。「大船
に乗ったつもり」の神話があえなく崩れたのです。
大自然の中を航海する船は、昔から堅牢の追究で発
展してきました。しかし大型化するにつれ、それだ
けでは構造的に無理となり、受けた外力を吸収する
あるいは逃がす、というような対策がとられるよう
になりました。これは、長大な構造物の橋梁や高層
ビルも同じだと思います。頑丈な構造と前後方向で
湾曲する仕組みの組み合わせで、より堪航性(たん
こうせい)のある船が出来上がったのです。それは
「剛と柔の組み合わせ」といえるでしょう。
巨大船で、時化(しけ)の中を航海しているとき、
広くて長い上甲板(メインデッキ)の船尾から船首
方向を見れば、上下に〝しなっている〟様子が目で
確認することができますが、人間の感覚からは気持
ちのいいものではありません。
船は、海の上を走りますので、波との戦いが最大の
課題となります。鋼鉄の船は、そんじょそこらの波
にはビクともしませんが、大しけの中では山のよう
な大波が、次々と立ちはだかります。波は、一定周
期と同一波高の繰り返しのように見えますが、実は
そうではないのです。波は、波どうしで干渉しあっ
て複雑に絡み不規則なものに変貌するのです。
巨大船は、このような波と向かい合って故国へと走
っていたのです。そんななか、思いもかけない大波
が時々襲って一段と大きな揺れが起こったりします
が、船乗りにとってそのようなものは経験上想定内
のものでしょう。そのような揺れも、船体が〝しな
って〟耐えうるものです。わかりやすくたとえれば、
釣竿が〝ビョンビョン〟としなるだけで、絶対に
折れないと信じるに足りるものと同じです。
ところが千変万化の波の中には、干渉の途中で合成
増幅され大波の中の大波となって予測不能に襲って
くることがあるのです。船乗りは、それを〝一発大
波〟といって恐れるものですが、たまたまそれが、
〝たわみ〟の周期と運悪い方で作用し、船首切断や
船体亀裂が発生したものと考えられるのです。もっ
とも発展期の船の構造には、船体強度や金属疲労、
貨物積載状態など未知の問題があるのですが、それ
らは別として〝一発大波〟とは誠に怖いものであり
ます。
事は船だけではありません。荒天や台風時に「波が
来てないから」と港の防波堤に出かけて行って思わ
ぬ大波にさらわれることだってあるので大変危険で
す。
さて、「友鶴」転覆事件の2回目です。
▼悪天候の中、訓練決行
日本海には1032ヘクトパスカルの高気圧があって3
月11日の昼間は泊地の海上は極めて平穏であったが、
日没前後から風が強くなってきたのは、上海北方の
中国大陸に994ヘクトパスカルの低気圧があって発
達しながら黄海に進んできたからだ。この頃はすで
に九州西方海上や東シナ海の気圧傾度は急になりつ
つあった。
司令部は、天気図より悪天候になることは承知して
いたが、訓練は可能と判断、あとは出動後、現場の
状況を見ながら適宜行動するとの方針を決定した。
11日2000ころには南南東の風が10?13m/sにもなり、
錨地でも松島から回り込んでくる波浪のため、水雷
艇はゴロゴロと動揺し片舷15度くらいまで傾斜する
ようになった。
2055“千鳥”の橋本司令宛に“真鶴”の艇長から
「蒸化器(造水器)の状態極めて不良、予備水量5
トン、不足につきわずか3時間しか出動できず、至
急ご指示を請う」との入電があった。
橋本司令は、なんとか参加を促す試みをしたが如何
ともできず、後日お叱りを受ける覚悟で2200“龍田”
の鈴木司令官に同様の電報を打った。司令部からは、
あっさりと「“真鶴”は明朝の訓練に参加せず佐世
保に帰投せよ」との返事がきた。
これで水雷艇2隻と“龍田”の計3隻での訓練とな
る。
時間とともに風は強まり、時々細雨も降るようにな
った。出港直前、まさに揚錨作業中の12日0043、ま
たも“龍田”の艦橋に連絡が入る。「当隊はこの天
気にては動揺激しく、なお夜間の錬度も不十分につ
き掃海作業は相当困難と認む」。“千鳥”では艇長
も司令もこの悪天候下に掃海具を展張することにま
ったく自信がなかった。協議を重ねた結果、思い切
って“龍田”に連絡をしたのだった。
0059、今度もあっさり「第1作業(掃海訓練)を中
止し、第2作業より始む」と返信が来て、“千鳥”
では内心安堵した。“千鳥”“友鶴”とも後部甲板
上に準備中の展開器と沈降器を急ぎ定位置に収納し
固縛した。
0100、“龍田”が、プロペラの蹴出しを残しながら
闇の中に消えていった。この後“龍田”はコース
240度(西南西)で1時間航走し10マイル進出(小
立〔こだて〕島の南4.6マイル)、0200コース
210度(南南西)に変針し、6ノットに減速する予
定である。
0200は訓練の発動時刻であるから、あとはいつ攻撃
が始まってもおかしくない。「水雷隊はどう来るの
か、どこで発見するのか、右舷か左舷どちらに出る
のか」。“龍田”でも見張りは厳重に行なわれた。
一方、“龍田”出港の20分後に“千鳥”“友鶴”
の2隻が後を追った。速度を上げながら針路を南西
(略220度)に向けて走りだすと、松島から抜ける風
と波が、左舷前方から激しく打ちあたってローリン
グ(横揺れ)とピッチング(縦揺れ)が大きくなり、
艦橋の者は天井の握り棒や手すりをしっかりと握り
しめ、足を大きく開いて揺れに対応した。
30分ほど航走してコースを真西の270度にして、最
終的な攻撃準備とそれに関わる暴露(ばくろ)甲板
の人員の安全対策を確認した。
発動時刻の0200、左に50度変針し220度とした。風
向は150?160度(南南東)、風速18?20m/sを観測し、
大波が左舷正横少し前から押し寄せた。動揺はさら
に大きくなり、時々左舷から大波が甲板を洗い流す
ようになった。
大揺れの中“友鶴”と“千鳥”は14ノットの回転と
したが、波にぶち当たる艦首とプロペラの空転の繰
り返しで、実速は10ノットも出たであろうか。
とにかく“龍田”を発見し、攻撃しなければならな
い。0220“千鳥”は“龍田”に接近するようにと、
コースを少し右の235度にし“友鶴”も追従した。
“龍田”がコース210度で6ノットだとしたら必ず
や追いつき発見できるはずである。
仮想敵と自隊の針路や速力を推定し、さらにあらゆ
る要素を加味しながら有利な位置につき、魚雷を発
射しなければならない。“友鶴”と“千鳥”は必死
になって“龍田”を捜した。しかし強風の中、視界
不良で波浪は激しく、艦橋前の1番砲塔も常時波を
かぶるようになった。もはや“龍田”を発見できる
どころか、航行の危機や艇どうしの衝突の危険さえ
迫っているような思いに陥った。
水雷隊は、まったくのどん底の中にあった。目標が
見つからなければ攻撃はできないからだ。ところが
0225、突然、右舷前方に強烈な明かりを見た。
一瞬乗員は目潰しを食らったようになったが、すぐ
に“龍田”からの探照灯照射であることを理解した。
「右60度、“龍田”発見、右魚雷戦用意」
3分後“龍田”を真横に見る位置に達して、「照準
、右90度、距離2000m」「ヨーイ、テー」と模擬魚
雷を発射し、同時に攻撃したむねの信号を打った。
さらに“龍田”から逃げるように取舵を令して左方
へ変針した。
ところが首向した先は、3?4mの波浪が来る方向
であった。やがて艇内は地獄の様相になってきた。
波の構成は複雑であり、同一波高・同一周期ではな
い、あるとき突然とんでもない大波がくるのである。
昼間なら迫り来る波濤を目視できるので少なくと
も見構えることができるのだが、夜間はそれすらも
できない。訓練の頭脳たる艦橋は、グググーと持ち
上がって止まり、恐怖を覚える間もなく、一瞬体が
フワッと宙に浮いたかと思うとスーと4~5m落下
し、鋭利な艦首が次の波の前面を切り裂くようにし
て突き刺さった。と同時に青波が艦首甲板に覆いか
ぶさるように圧(の)しかかって崩れ、艦上一面が
滝つぼのようになって大粒のしぶきが艦橋の窓ガラ
ス全面にぶち当った。
この強烈な衝撃が容赦なく繰り返し続くと、乗員は
耐えられない苦痛の中で、底知れぬ恐怖に陥った。
このときから艦内のあちこちで、物が落ちたり倒れ
たり割れたりする音が、ひっきりなしに聞こえだし
た。“千鳥”では無線機2台が設置場所から落下し、
1台は機能しなくなった。
0238“龍田”より「もう一度攻撃せよ」との命令を
受けた。さらに「“千鳥”は明かりを消せ、漏れて
いるぞ」ときた。当日の訓練は、無灯火が前提であ
って、漏れては敵に位置がわかってしまうのである。
“龍田”はその漏れた明かりで“千鳥”“友鶴”の
所在をつかめていたのかもしれない。再攻撃のため、
見失った“獲物”を求め、思いっきり右方向の270
度まで向け“龍田”の針路を横切るコースとした。
これは的中し、0300右舷前方に針路が交差する形で
南下中の“龍田”を発見した。
このころ“千鳥”では、1番砲塔照準孔のシャッタ
ー式被覆が破損し、砲塔内に浸水するようになって
いた。精密機器が集中している砲塔が、浸水すると
は最悪なことなのである。
それでも訓練は続けられた。発見と同時に“千鳥”
“友鶴”はやや左転し、“龍田”を右舷後方1マイ
ルに見る位置にきて、0305、攻撃した。これを認め
た“龍田”は0308「第2作業(攻撃訓練)終了」と
宣言した。
引き続き0310「測的照射訓練は予定通り基準針路
210度6ノットで行なう」ときた。 “千鳥”“友鶴”
はいったん6ノットに減速すると、「ダメです、舵
が効きません」と操舵員が悲鳴をあげた。
橋本司令は“龍田”に「6ノットでは舵きかず、風
下に向け作業されたし」と送信したが、応信を待ち
きれず山田艇長は「右に切れ、右回頭だ」と命令し
た。増速しながら舵を右に切ると艦首がゆっくりと
右に回りだした。
そのとき“龍田”は、艦首1マイル前方に、木の葉
のように揺れながら、左舷から右舷へと横切る2つ
の艦影を見た。 “龍田”は「戻れ」というつもり
で、再度「基準針路210度で行なう」と連絡した。
ゆるやかに大きく右回頭中の2隻の水雷隊にとっ
ては、もはや風浪への航走は無理であった。ローリ
ングは常時20度、“千鳥”にいたっては左舷に最
大39度を記録した。
やがて0318、“龍田”は「隊番号順に旗艦の通路を
進め」「われ左回頭をする」と発した。“千鳥”は
ホッとした。これで風下に向けて訓練ができる。水
雷隊は右旋回するなか、“龍田”も左旋回を開始し
た。
そして、これ以上の訓練は危険と認めた旗艦“龍田”
は、0324「訓練終了、針路30度で帰投する」と“千
鳥”“友鶴”に連絡した。
▼消息不明
2隻の水雷艇は、右回頭ののち艦首を東(略80度)
に向けてやや減速し、“龍田”の所在を推察した。
すると読み通り、0340、水雷艇の右舷前方から航海
灯と速力灯、後部照明灯を煌々と点灯した“龍田”
が、風浪を艦尾に受けながら北上するのが見えてき
た。
「よし“龍田”の後をついて行くぞ」と“千鳥”と
“友鶴”は“龍田”が左舷にかわっていくのを見て、
そのまま左回頭して旗艦について行くことにした。
ところが減速しきった“千鳥”と“友鶴”は、取舵
をいっぱいとし機関の回転を上げつつあったが、艦
首はどうしても左に向かなかった。ここで“千鳥”
“友鶴”は左回頭をあきらめ、右回頭をすることに
した。
この時、操艦に四苦八苦している水雷隊を見て“龍
田”は、0345「陣列を解き適宜佐世保に帰投せよ」
と発令した。「好きなようにして帰投せよ」という
ことだ。
“千鳥”“友鶴”が面舵に切ると、正直なくらい艦
首が風上へ切り上がり、素早く右旋回して、0355に
所定コースの30度(北北東)へ向けることができた。
そして2隻は、機関を14ノットの回転数に上げた。
今度は、波と風を右艦尾(艦首から右130度)から
受けるようになって、艦首への大波の打込みは少な
くなったが、大傾斜のローリングが続いた。それに
加え、艦首の左右振れ(ヨーイング)が極端にひど
くなり、操舵員がいくら必死に舵輪を回しても制御
することはできず、コース30度の保針どころか、艦
首の向きは右に最大45度も振れ、実に針路75度を向
く始末であった。
訓練は終了しているので、“千鳥”と“友鶴”は正
規の航海灯と速力灯および目標灯を点灯しており、
“千鳥”の500?600m後方を“友鶴”は、見え隠れ
する目標灯をたよりに必死についていった。
「追い手(波、風を後部から受けること)になった
し、あと2時間もすれば佐世保港口に達する」「予
定の訓練もとりあえずひと通りこなした」。乗員は、
歯を食いしばりながらも上下左右斜めのあらゆる
方向への揺れに耐えていた。
0410過ぎ、俗に「一発大波」と称されるとてつもな
い大波が水雷隊の右後方から襲いかかった。全乗員
は、物につかまり、目をつむり、背を丸め、揺れと
衝撃による苦痛を耐え忍んだ。その直後“千鳥”の
後部見張り員が、我に返って後方の“友鶴”に目を
向けたところ、波の谷間から見えてくるはずの“友
鶴”がいつまで経っても見えてこなかった。
不審に思い別の見張り員に尋ねると、「確か0408ま
では見えていた」という。見張り員は、艦橋に駆け
込み「“友鶴”が見えません」と大声で報告した。
そのとき、ある士官が艦橋時計を見たら0415であっ
た。
「機関でも故障したかな」「発電機かな、蓄電で点
灯するはず」「この時化(しけ)では漂泊は大変だ
ろう」と艦橋では口々に言いあった。
すぐに“千鳥”は発光信号、電信、電話などあらゆ
る通信方法で連絡を試みたが、まったく返事がなか
った。0427“千鳥”は“龍田”に、「“友鶴”を見
失う」「われ操艦意のままにならず」「“友鶴”を
捜索されたし」と緊急電を発信した。
「一時安全な場所へ避難せよ」との応信を受け、
“千鳥”は寺島水道泊地に直行している。
(つづく)
(もりなが・たかあき)
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【著者紹介】
森永孝昭(もりなが・たかあき)
1949年2月26日、佐世保にて誕生
1972年、長崎大学水産学部卒業
1972年、神戸、広海汽船 航海士
1982年、甲種船長免状(現:1級海技士)受有
1983年、佐世保重工株式会社 ドックマスター
2009年、定年、常勤嘱託ドックマスター
2020年、非常勤嘱託ドックマスター 現在に至る
実績:233隻の新造船試運転船長。延べ約6300隻の
操船(自衛艦、米艦、貨物船、タンカー、コンテナ
船、客船、特殊船など)
現在:一般財団法人 日本船渠長協会会員
過去の外部委嘱:西部海難防止協会専門委員、佐世
保水先人会監事
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(代表・エンリケ航海王子)
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