こんにちは。エンリケです。
『海軍戦略500年史』の三十七回目。
国家優先順位の結果、
海軍航空を放棄したヒトラーのドイツ。
その結果、、、
限りある国家資源を使うにあたって、
優先順位をいかにつけるか?
は永遠の難題であり、国の未来を形作る
本当に大切なことと、身震いしながら改
めて感じています。
さっそくどうぞ
エンリケ
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海軍戦略500年史(37)
大西洋の戦い(1)
堂下哲郎(元海将)
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□はじめに
日本が泥沼化した日中戦争のなか、アメリカとの
国力を超えた必死の軍備拡張競争を行なっている頃、
ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発します。
14年にわたってドイツ海軍のトップの座にあり、
ヒトラーに10年間仕えることになるレーダー海軍
総司令官は、独裁者のもとでドイツ海軍の舵取りを
行ないます。ドイツ海軍はどのように戦争に備え、
戦ったのでしょうか?
▼第二次世界大戦勃発、幻に終わった「Z」計画
ヒトラーは、レーダー海軍総司令官に対し、1944年
までは開戦しない前提で、対英戦に備えた海軍軍備
の拡張を指示する(1938年5月)。
すでにドイツはヴェルサイユ条約を破棄して再軍
備宣言(1935年3月)をし、英独海軍協定の締結
(同年6月)により戦艦6隻、空母4隻などの増強
に踏み出していたが、これは第一の仮想敵である仏
海軍とのパリティ(同等)を実現するものだったの
で、改めて対英戦を前提とした軍備計画の検討を始
めなければならなかった。
検討においては、ヴィルヘルム二世のもとで海軍を
増強し始めたときと同じように、通商破壊戦を主任
務として高速巡洋艦を主力とする考え方と、決戦の
ための強力な戦艦を主力とすべきとする考え方が提
示された。結局、ヒトラーは対英戦をまだ先のこと
と考えていたため、後者の戦艦等を中心とした大艦
隊を整備する「Z」計画を選択し、英独海軍協定を
破棄した(1939年4月)。
「Z」計画は、戦艦6隻、装甲艦(ポケット戦艦)
12隻を主力として軽巡24隻、偵察巡洋艦36隻などを
整備しようとする大規模なもので、英艦隊に決戦を
挑める艦隊でありながら長期間の通商破壊戦を展開
できる行動力も持たせるというものだった。レーダ
ーは、この大計画に対してヒトラーの後継者で空軍
総司令官であったゲーリングからの支援を得る見返
りに、海軍航空の建設計画を正式に放棄した。この
決定により、ドイツは空母を完成させることができ
ず、Uボート戦を支援するはずの長距離哨戒機部隊
も持てないことになる。
「Z」計画の採用を決定して間もなく、ヒトラーは
ポーランドへの侵攻を開始し第二次大戦が始まった
(1939年9月)。レーダーが驚愕したのはもち
ろんだが、大戦の勃発を受けて建造に時間のかかる
大型艦計画は取りやめられ、Uボートなどを中心と
するものへと切り替えられてゆき、「Z」計画は幻
に終わったのである。
ちなみに、「Z」計画が続行されたとしても、鋼材
以外は輸入に頼っていた建造資材の決済資金の不足、
20年に及んだヴェルサイユ条約の制限下で落ち
てしまった造船所の建造能力などを考え合わせると
実現は困難だったと考えられている。すでに計画開
始前の1936年頃から建造能力不足による艦艇建
造の遅れで予算が消化できない状況が起きており、
相互に調整されていない各軍の調達計画が競合し軍
需産業の生産は混乱し、国庫も底を尽きかけていた
のが現実だったのだ。
▼ヒトラーの国家戦略とレーダーの海軍戦略
ドイツは、東にソ連、西にフランスという陸軍大
国に挟まれ、その国境線には天然の要害というもの
がないため、第一次大戦前には東西からの挟み撃ち
に備えた「シェリーフェン・プラン」があった。こ
れは、西部戦線にほぼ全兵力を集中させて一気にフ
ランスを陥落させた後、鉄道を活用して東部戦線へ
迅速に兵力を移動させてソ連にあたるというものだ
った。
海では、ドイツは北海とバルト海に面している。
大西洋に出るには北海を北上して英海軍の根拠地で
あるスカパフローの近くを通ってイギリスの北端を
回るか、オランダ沖を西進してドーバー海峡を抜け
なければならない。また、北海をイギリスに封鎖さ
れたら海上貿易は内海であるバルト海経由のみにな
ってしまう。このようにドイツが置かれている地理
的条件は陸海とも極めて不利である。
ヒトラーの最終目的は欧州大陸での覇権を握るこ
とであり、英米と対峙するための「生存圏」を確保
するというものだった。そのためには当面イギリス
との戦いは避け、フランスとソ連を屈服させた後、
対アングロサクソン戦争に備えるというのが基本戦
略だ。
対するレーダーの海軍戦略は、最も危険な敵はあ
くまでもイギリスであり、通商破壊や海上封鎖で締
め上げて屈服させるというものだ。そのため、敵が
船団護衛などの対策を確立する前に無制限潜水艦戦
を開始して、可能な限りの打撃を与えるべきだとヒ
トラーに訴えた。
イギリスの海軍戦略の柱は、自国および連合国と
の海上交通路を守ることであり、アメリカとの大西
洋ルート、アフリカ南端を回るインド洋ルート、ジ
ブラルタルからスエズ運河に至る地中海ルート、ソ
連を支援する北極圏ルートなどが戦略的に重要だっ
た。対英戦を避けたいヒトラーは逡巡したが、「U
-47」がスカパフロー奇襲作戦で英戦艦を撃沈すると
いう大金星を上げると(1939年10月)、一転、無制
限潜水艦戦の開始を認めた。
また、ドイツはソ連からの石油などの資源輸入なし
には戦えず、Uボートの訓練海域であるバルト海の
安全も維持しなければならないため、まずイギリス
を破りソ連はそのあとになるというのがレーダーの
基本戦略であったが、ヒトラーの戦略とは明らかに
相容れないものだった。
さらに、レーダーはフランスを占領(1940年6月)
して大西洋岸に基地を確保した好機を活かし、北ア
フリカを占領して地中海に進出してイギリスのイン
ド、アジア方面との海上交通路を遮断することや、
アイルランドを占領してノルウェー、アイスランド、
アイルランドからイギリスを包囲することも海軍戦
略として構想していた。
▼通商破壊戦の開始
ドイツが二度目の大戦に突入した時、「Z」計画
は着手した途端に中止されたので、海軍の主力艦は、
わずかに巡洋戦艦2隻と装甲艦(ポケット戦艦)
3隻で、空母は1隻もなかった。このため、主力艦
の戦力で英海軍にはるかに劣るドイツ海軍は、艦隊
決戦を回避して通商破壊戦を基本戦略とするしかな
かった。
当初、ドイツ海軍は通商破壊戦を少数の水上艦で開
始した。英国の海上交通路を直接脅かすほどの戦力
はなかったため、通商破壊艦を大洋で行動させ、英
海軍をかく乱し兵力が分散した隙をついて商船を襲
撃するという作戦をとるのが精一杯だった。
ドイツ海軍は2隻の装甲艦を大西洋に展開させて
通商破壊戦を開始した。このうち「ドイッチュラン
ト」は、商船2隻を撃沈しただけで本国に帰投させ
られたうえ「リュッツオゥ」と改名された。ヒトラ
ーが国名を冠した艦の喪失を恐れて命じたのだ。も
う1隻は南米方面で9隻の商船を撃沈したところで
英艦隊に捕捉され、交戦の末に中立港モンテビデオ
に入港して自沈した(ラプラタ沖海戦)。代わりに
出撃した巡洋戦艦2隻は、捕捉しようとする英仏艦
隊を翻弄することには成功したが、戦果は英仮装巡
洋艦1隻にとどまり、少数の水上艦艇による通商破
壊戦の限界を示した。
このような通商破壊戦にあてる水上艦艇の不足を
補うためにドイツ海軍が力を入れたのが仮装巡洋艦
であり、比較的高速の大型商船を改造して中立国商
船などに偽装し、15センチ砲などを数門備え、な
かには魚雷や水上偵察機を搭載したものまであった。
これらの仮装巡洋艦は、補給船の支援を受けつつ
大西洋からインド洋、一部は太平洋にまで展開して
多数の商船を拿捕、撃沈したが、英軍がドイツ軍の
暗号を解読して警戒を強化し、アメリカが参戦する
と活動は抑えられていった。
▼効果的だった機雷戦
一般的な機雷の用法は防勢的なものだが、ドイツ
は攻勢的に用いた(攻勢機雷戦)。ドイツ海軍は、
開戦直後から駆逐艦や航空機を使ってテームズ河口
などの英本土沿岸一帯に新たに開発した磁気機雷を
敷設し、半年あまりで67隻25万トンもの英輸送
船を撃沈し、戦艦「ネルソン」をも損傷させるとい
う予想外の戦果を上げた。
しかし英海軍が磁気機雷への対抗策をとるように
なると新兵器としての効果は失われ、その後は英独
海軍双方がお互いに機雷敷設と掃海を繰り返すよう
になった。また、磁気機雷に続いて音響機雷、水圧
機雷などが登場し、起爆装置にタイマーやカウンタ
ーをつけて掃海を困難にするなど、機雷の複雑化、
高度化が進んだ結果、終戦まで続いた機雷戦は熾烈
なものとなった。
▼ノルウェー攻略
1940年3月、ヒトラーはノルウェー攻略を決定する。
すでに開戦直後にレーダーからノルウェー沿岸占領
を進言されており、イギリスによるノルウェー上陸
占領も迫っていると判断されていた。ここにUボー
ト基地を造れば、スウェーデンからの鉄鉱石を輸送
する海上交通路などの安全も増す。第一次大戦で
「大海艦隊」をヴィルヘルムスハーフェンで封鎖さ
れたドイツ海軍にとって、大西洋に面したフランス
やノルウェーの港を確保することは戦略上大きな意
味があったし、Uボートの訓練のためのバルト海の
安全確保も図れると考えられた。
攻略にあたっては、ドイツ海軍は揚陸艦を保有し
ていなかったため、空挺部隊を投入すると共に駆逐
艦で山岳兵部隊などを輸送してオスロなどの沿岸主
要都市へ奇襲上陸を行なった。上陸作戦は成功した
もののドイツ海軍の損害は大きく、オスロ攻略戦な
どでは要塞からの砲撃で主力艦が撃沈され、英海軍
が反撃に出ると、ドイツ海軍の駆逐艦の半数が失わ
れ大きな代償を払うことになった(ナルヴィックの
戦い)。
この戦いで英海軍は空母3隻を逐次投入したが、
艦上戦闘機の戦力不足により、圧倒的な艦艇兵力を
持ちながらもドイツの急降下爆撃機の勢力圏内では
行動できず、はるかに劣勢のドイツ艦艇部隊の作戦
行動を許してしまった。開戦時の英空母は7隻で、
数こそ日米を上回っていたが、その艦載機は複葉機
も含まれているなど時代遅れで海軍航空戦力には大
きな欠陥があったが、この原因が戦間期の政策にあ
ったことはすでに述べたとおりである。
▼Uボートの活躍
第一次大戦末期、連合国側が護衛船団方式をとり
単艦のUボートによる攻撃による戦果が上がらなく
なると複数艦による協同攻撃が試みられたが、戦術
として確立しないまま敗戦となった。Uボート艦長
として捕虜となったデーニッツは、帰国後、集団攻
撃戦術の開発に取り組み「狼群作戦」として完成さ
せる。
第二次大戦開戦時、大西洋で作戦可能なUボート
はわずか22隻であり、その1/3を展開させたと
しても7隻しか出撃させられないことになる。潜水
艦隊の司令官となったデーニッツは、Uボート30
0隻態勢を要求するものの、この時点では空軍第一
の立場をとるヒトラーは認めなかった。結局、その
後の増勢で200隻余りに達することになるが、そ
れは1943年のことである。
1940年に入るとイギリスは護衛船団を運航し始め
たため、狼群作戦のチャンスが到来した。しかし、
Uボートはノルウェー攻略作戦(1940年3月)に
「転用」されてしまう。
大西洋で本格的に狼群作戦を展開できたのは、ノル
ウェー作戦終了後からであるが、占領したフランス
の基地から、無線傍受で集めた船団の情報を活用し
て出撃を繰り返し、1940年6月から10月にかけて
280隻もの船舶を撃沈し、Uボート戦の第一の最盛
期となった。
(つづく)
【主要参考資料】
谷光太郎著『ドイツ海軍興亡史』(芙蓉書房出版、
2020年)
https://amzn.to/3J7MnIX
『図説ドイツ海軍全史』(学習研究社、2006年)
https://amzn.to/3BaKA3i
『歴史群像大西洋戦争』(学習研究社、1998年)
https://amzn.to/3rufjot
外山三郎著『日清・日露・大東亜海戦史』
(原書房、1979年)
https://amzn.to/3nzAnrD
(どうした・てつろう)
◇おしらせ
2021年11月号の月刊『HANADA』誌に、
櫻井よしこさん司会による「陸海空自衛隊元最高幹
部大座談会」が掲載されています。岩田清文元陸幕
長、織田邦男元空将とともに「台湾有事」「尖閣問
題」について大いに論じてきました。
月刊Hanada2021年11月号
https://amzn.to/3lZ0ial
【筆者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共
政策論修士、防衛研究所一般課程修了。海上勤務と
して、護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、護衛
艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等。陸上勤務
として、内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)、
米中央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長
(初代)、幹部候補生学校長、防衛監察本部監察官、
自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴地方総監、横須賀地方
総監等を経て2016年退官(海将)。
著書に『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクト
リン」で勝利する』(2018年)『海軍式 戦う司令
部の作り方―リーダー・チーム・意思決定』(202
0年)がある。
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発行:
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(代表・エンリケ航海王子)
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