配信日時 2022/02/02 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(19)】 代々木で空に浮かぶ前に 荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」第19回です。

こういう歴史よみもの大好きです!
本当に面白いです。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(19)

代々木で空に浮かぶ前に


荒木 肇

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□ご愛読のお礼

 毎日の感染者の数が速報され、報道はまたまた過
熱気味です。KMさま、いつもご愛読をいただきあ
りがとうございます。このたびは力強いご賛同のお
言葉、重ねてお礼を申し上げます。テレビにもちょ
っと出られた現場の医師の方が、「インフルエンザ
と比べれば、危険性は亡くなった方々の数を比べて
みればいい。過剰な恐れ方はあぶない」と言われた
ことが印象的でした。

 コロナ禍以前は、毎年、学校やその他の公共施設
ではインフルエンザの蔓延がいわれ、学校でも学級
閉鎖や学年閉鎖、はては休校までされていました。
今回は、オミクロン株の学校での流行が言われるよ
うになり、そうした措置が行なわれています。問題
は、やはり社会機能の正常な運営であり、経済を回
すということを考えていきたいものです。

 私事ですが、わたしの孫も小学生。入学以来、給
食はいつも無言で黙々と摂っているとのことです。
こうしたことの影響をどう考えるのか。教育学者や
、心理学者からぜひ、お考えを伺いたいものです。
怒られるかもしれませんが、感染症学者や公衆衛生
学者の方々のお話は少し聞きあきてきました。経済
や、人間の発達、コミュニケーションなどの専門家
の方々のお声もうかがいたいものです。

 さて、今日も、初期の航空界と工兵の関わりにつ
いて、「回想の日本陸軍機」の記事からご紹介しま
しょう。

▼やってきた飛行機(器)

 当時の新聞記事などでは、「飛行器」と表記され
ていました。徳川工兵大尉がフランスで買い付けた
アンリー・ファルマン機は1910年型といわれま
す。同機は1910(明治43)年11月に横浜港
に到着しました。ただし、荷造りされたまま小型の
艀(はしけ)で品川に回航されます。

 長さ12メートル、縦・横各2メートルの主翼を
収めた大きな箱です。これをよくもまあ、無事に中
野にあった気球隊の格納庫に運び込みました。胴体
は数本の梁(はり)材ですから、組み立てたままの
主翼がもっとも大きな包みでした。

 いざ梱包から出してみると、どうやら取り扱い説
明書もなかったようです。いまなら、トリセツもな
いのか、ネットでダウンロードかと大騒ぎになるだ
ろうが、メーカーにも特に悪意はなかったでしょう
。あるいは単に忘れてしまったのか。


当時の飛行機は、強度を保つために張線(はりせん
)というピアノ線が必須でした。この張線のつなぎ
方も、どうやら徳川大尉もおぼろげな記憶しかない
ということで、やっては試す、違っていたら張り直
すという連続だったそうです。

▼発動機(エンジン)は回転式

 この頃の航空機のプラモデルを作ると分かること
ですが、まっとうな模型ならエンジンは固定しない
ように指定があります。つまりプロペラとエンジン
(シリンダー・気筒)がいっしょに回りました。ク
ランク・シャフトがプロペラに固定されています。
気筒の外側には空気にふれる面積が増えるようにフ
ィン(ひれ)が付いています。回転させることで冷
却の効果を上げるための工夫です。

 エンジンはノーム社で造られた空冷7気筒50馬
力エンジンでした。中央にクランクがあり、放射状
にシリンダー7本が見えます。ほんとうなら、一度
完全に分解して再組み立てをするのですが、整備員
たちにはその能力がありません。軽量で、当時とし
ては大出力の航空用エンジンなど、とても貴重なも
のでした。錆止めの油をふき取って試運転を始めま
した。

 試運転は前進しないように、飛行機の車輪に丸太
をかませて、動かないようにしました。始動の手順
が紹介されています。まず、パイロットが「クーペ
!」と叫びます。フランス語で「切断」の意味です
。スイッチを切ります。そこでプロペラに取りつい
た整備員がゆっくりと手まわしをして(数回になる
といいます)、シリンダーの中にガソリンと空気の
混合気を送りこみました。

 頃合いをみて、整備員がプロペラを水平位置にす
ると、パイロットは「コンタック!(接触の意味)
」と大声を出してスイッチを入れます。整備員はプ
ロペラを力いっぱい回してエンジンがかかるそうで
す。調子が悪いとエンジンは動かず、何時間もかか
ったことがあると思い出話が残っています。

▼エンジンがかからない

 12月12日、中野から代々木練兵場の天幕でつ
くった格納庫に人力で運びこみます。主翼は50人
、尾翼は20人でかついで、寒気の中を深夜に運ん
だというのですから大変だったことが想像できます
。13日には組み立てが終わり、エンジンもかかっ
て、地上滑走から始めました。

 この地上滑走中に事故が起きます。修理を急ぎ、
プロペラを交換しました。さて、16日になって万
全だと思ったら、なんとエンジンがかかりません。
寒すぎるのではないかと露出しているシリンダーを
湯で温めたり、気化器(ガソリンを霧状にして空気
と混ぜる機構)のノズルに電流を通してみたりして
も動かないのです。結局、マグネット(磁石)が良
くないのではという結論になりました。着火するた
めの火花が出ないということでした。

 マグネットの予備がないので、希硫酸を入れた蓄
電池を使ったらどうかと技術者から意見が出て、同
乗者席にそれを縛り付けてやってみます。電圧不足
は解消されて、どうやらエンジンはかかりました。
17日、18日は天候に恵まれませんでした。強風
だったのです。

 そうして19日に初飛行が成功します。徳川好敏
中将は、のちに「発動機が回転していてくれて、飛
行機が飛んでいるから、それにただ乗せられていた
というのが正直なところでした。天佑神助(てんゆ
うしんじょ)によるものと今も信じている。それと
、この公式飛行の関係者の指導・援助によるもので
、決して私ひとりの力だなどと思っていない。そう
考えることは傲慢(ごうまん)というものだ」と謙
虚に語り続けたそうです。

 アンリー・ファルマン複葉機1910年型は、乗
員2、全幅10.5メートル、全長12メートル、
自重500キログラム、翌面積50平方メートル、
総重量600キログラム、速度時速65キロメート
ル、航続4時間。そうして、当時の価格は1万88
25円95銭だったと記録されています。

 いまのいくらにあたるのかは難しい問題です。当
時のインテリだった二葉亭四迷は朝日新聞の中堅記
者でしたが月給はおよそ100円、東京で下宿すれ
ば10畳(16平方メートルほど)で2食付き20
円くらいだったと当時の新聞記事にあります。日露
戦後の不況が続いていた頃です。1円をだいたい現
在の8000円とすると、アンリー・ファルマンは
1億6000万円くらいでしょうか。

▼日野大尉が乗ったグラーデ機

 グラーデ機は複葉の大型だったアンリー機に比べ
ると、単葉で軽量の小型機でした。エンジンもグラ
ーデ式空冷4気筒24馬力です。1人乗りで、全幅
こそ10.5メートルでしたが全長は7.5メート
ル、翼面積は25平方メートル、総重量330キロ
グラム、速度は毎時58キロメートルでした。

 12月14日には、地上滑走中に高度1メートル
、距離30メートルにわたって浮揚し、10メート
ルの高度で距離60メートルを飛んだという説もあ
ります。では、なんでこれが飛行第1号にならなか
ったかというと、公式記録員もおらず、高度、距離
ともに目撃者となった新聞記者による話だからです


 徳川大尉が華族出身だったからとか、心ない噂が
当時もありましたが、そういうことはありません。
あくまでも飛行条件も、飛行記録のとり方も、突発
事故のようなものだった日野大尉の「飛行」は公式
ではありませんでした。


 15日には滑走中に草の中に突っ込んで転覆する
といった事故もありましたが、すぐに修理もできて
、翌日も試験滑走は続けられました。ところが、本
番の19日、エンジンの調子が悪く、4気筒のうち
3気筒しか動かず、この調整にひどく手間取ります
。そのため実際に飛んだのは午後1時30分、北風
が風速6メートルのところを50メートルの滑走後
、浮上し、高度20メートル、距離1000メート
ル、時間は1分20秒という公式記録を残しました


 徳川大尉は、3分間、高度70メートル、距離3
000メートルを飛びました。

 次回は気球と工兵隊について。
 


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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