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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」第18回です。
草創期のはなしは面白いですね。
人物が占める割合が大きく、
流動的な面も大きいからでしょうか
さっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(18)
臨時軍用気球研究会の発足
荒木 肇
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□ご挨拶
またまた今度はオミクロン株の大流行。皆さまも
警戒されておられることでしょう。それにしても諸
説が入り乱れています。わたしの友人の感染症専門
家によれば、今月末には感染者数もピークを迎え、
2月には急激な下降を示すとか。おそらく政府のと
る蔓延防止措置なども予定通り、中旬には解除され
るのではないかと言います。とにかく、経済のこと
も考えなくてはなりません。早く、ウィズ・コロナ
という世の中にしたいものです。
初期の航空界の動きも面白く、工兵からちょっと
話題がずれることもあるかとも思いますが、ご勘弁
ください。「飛行機乗りにはお嫁にやれぬ 今日の
花嫁 明日は後家」などと埼玉県所沢(現在の入間
基地)のあたりでは歌われていたとか。いまは誰も
が気軽に空の旅を楽しめますが、100年ほども前
は飛行機は危険きわまりないものでした。
▼日露戦後の検証
佐山二郎氏の『日本の軍用気球』によりますと、
日露戦争では旅順要塞攻略戦に気球が使われました。
港内の観察にはたいへん有効だったそうです。そ
の時代、自由に飛行する武装した航空機は、お互い
にありませんでした。「制空権」という言葉もなか
った頃です。
ロシア軍も気球をあげて、わが方の行動を監視しま
した。その気球を砲兵隊が撃ったそうですが、距離
は1万2000メートル、高度600メートルだっ
たといいますから、当時の野砲ではとても届かなか
ったのです。
東京中野にあった電信教導大隊の中に気球班が置
かれたのは1905(明治38)年10月のことで
した。工兵大尉が長となって、研究を始め、毎年5
名の工兵将校が全国から集められ研修に励みました。
以下、佐山氏のご著作から多くを教えられたもの
です。
砲兵隊との協力も、千葉県下志津にあった野戦砲
兵射撃学校、横須賀の野戦重砲兵射撃学校の教官た
ちが実用化に向けて熱心に取り組みます。のちに3
度も砲兵監になる山室宗武砲兵大尉、東京湾要塞司
令官や砲工学校長になる弘岡好忠砲兵中尉、野戦重
砲兵第1聯隊長や津軽要塞司令官になる広野太吉砲
兵中尉などの「砲兵科の気球屋」といわれるほどの
メンバーだったそうです。やはり、敵状偵察、弾着
観測などにとてつもなく有用だと判断されたからで
しょう。
▼臨時軍用気球研究会
明治42(1909)年6月、研究会条例が出さ
れます。つづいて官制が7月に勅令が発布されます
。これは年頭から陸軍大臣が軍務局長長岡外史(な
がおか・がいし)少将に航空機の研究を命じ、軍事
課長の田中義一歩兵大佐も賛成した結果でした。
長岡少将(8月に中将に昇任)は海外の新知識にも
関心が高く、とくに航空について熱心だったのです。
1916(大正5)年には予備役になりますが、
帝国飛行協会副会長としてわが国の航空界に大きな
貢献をしました。自分が死んだら、遺骨を東京湾の
上から撒いてくれと遺言されたことでも有名です。
1933(昭和8)年没。
会長は長岡少将、この会の委員は陸・海軍と民間
研究者も集めたものでした。帝国大学からは田中館
愛橘(たなかだて・あいきつ)理学博士、井口、横
田の両工学博士が参加します。また、中央気象台長
だった中村精男理学博士も選ばれています。
陸軍側のメンバーは井上仁郎工兵大佐(軍務局工兵
課長、のち中将)、有川鷹一工兵少佐(のち気球隊
長、航空学校長、中将)、徳永熊雄工兵少佐、日野
熊蔵歩兵大尉でした。それに御用掛(ごようかかり)
として徳川好敏工兵中尉が選ばれました。徳川中尉
は翌年、大尉進級と同時に正規の委員になりました。
海軍側からも有能な人々が選ばれています。山屋
他人(やまや・たにん)大佐、この人はのちに聯合
艦隊司令長官、大将に進みました。現皇后陛下の曽
祖父にあたられます。ほかに相原四郎大尉といった
兵科将校ばかりではなく、小浜機関大尉、奈良原三
次造兵中技士(のちの造兵中尉)などといった多彩
な顔ぶれでした。
陸海軍合同組織ですが、顔ぶれをまとめると、陸
軍側は砲兵・工兵の将校が多く、海軍は技術や機関
関係者もいるというものです。もともと音頭を取っ
たのが陸軍ということもあり、予算も陸軍側が出し
ました。これがのちになって、海軍に不満をもたせ
ることになります。
▼所沢の飛行場
飛行場も探すことになりました。いろいろあった挙
句に、当時の埼玉県入間郡所沢町の北にある松井村
の茶畑を買い上げることにします。23万8000
坪です。約79万平方メートル、東京ドーム何個分
という言い方を借りれば、17個分弱。飛行場には
やはり小さいです。予算があまり回してもらえなか
ったことが分かります。また、こういう軍用地買収
には情報が漏れると、「地上げ屋」の暗躍がありま
した。選定をする軍人たちは目立たぬように服装を
変えて下見などに訪れたという話が残っています。
ここは今では陸軍航空発祥の地ということから、
航空記念公園や航空発祥記念館などが建っています。
▼徳川大尉はフランスへ、日野大尉はドイツへ
名称は「軍用気球研究会」でしたが、気球の研究と
並行して飛行機の設計・開発もしていました。もと
もと、奈良原海軍中技士も日野熊蔵歩兵大尉もどち
らも飛行機の設計をしていた人ですから研究会の視
野には当然、自国製の飛行機の採用があったのです。
しかし、2人の設計した飛行機は、両方ともどう
しても離陸しない。委員会は海外からの機体の輸入
を決めました。
1910(明治43)年4月、徳川大尉はフラン
スに、日野大尉はドイツに出発します。与えられた
訓令は、次のようなものでした。
「アントアネット一層(単葉のこと)型1個、およ
びファルマン式二層(複葉のこと)型1個を選び、
操縦法を習得した後、余裕があって操縦法を習えた
らブレリオおよびグラーデ一層型およびライト二層
型各1個を購入せよ」
徳川大尉はアントアネット型を買いませんでした。
代わりにブレリオ機にしたのです。それはアント
アネット社に、同社の水冷50馬力エンジンではな
く英国のウーズレー社の発動機を装備して欲しいと
いったところが、アントアネット社は承知しません
でした。そこで空冷回転式のブレリオにしたそうで
す。
徳川大尉はアンリー・ファルマン機の操縦訓練を
受けました。「同乗飛行は約1時間、単独飛行は3
回で合計15分だけでした。機体、発動機の分解、
結合や取り扱いなどは何も教えられず、見学もでき
ませんでした。ただ発動機のレバーの操作と各舵の
操縦だけができるというのだったから、当時の教育
がどんなにお粗末だったか分かるでしょう」と後進
にはよく話していたようです。
ブレリオ機にいたっては単座(1人乗り)の地上
滑走練習機で地上滑走の操縦法と発動機の取り扱い
を覚えただけだったといいます。(この内容は航空
情報臨時増刊『回想の日本陸軍機』1962年)
次回はいよいよ初飛行の実際とその後について調
べましょう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
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心から感謝しています。ありがとうございました。
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